スーパーフリース
「パット、レーダーに注意してくれ……高度500メートルか?……」
水平飛行に入って30分、山間部を抜け海岸線が見えてくると全次郎は不安に襲われた。速度は計器読みで150キロ、何だかヨタヨタ飛んでいるみたいに感じられた。
「海だ……綺麗……世界って綺麗だよね……」
窓から景色を見ていた桜花は、その美しさに呟く。
「遠くからはな……」
浅田目は少し寂しそうに呟やき、そして不安を乗せたまま四時間が経過した。
「客が来たみたいや」
パットはレーダーに機影を見つけた。
「二機か?……説明書によると、迎撃システムがあったな?」
全次郎もレーダーに目をやる。説明書の項目には確か”お手柔らか迎撃システム”と、あった。それは殺傷ではないと※が付いていたことを思い出す。意味は分からなかったが、追手は撒く必要があった。
「あるで……少しプログラム変えようかな」
パットは桜花の方を見た。
「ダメだよ……」
桜花は泣きそうな顔になる。
「大丈夫や、桜花が悲しむ様な事はせえへん」
パットは微笑むとプログラムの変更を始めた。そこはパット、目にも止まらない速さでキーボードを叩いた。
「多分相手はジェット戦闘機じゃ、厄介じゃのう」
浅田目は腕組みし、他人事みたいに言う。
「出来たで……どうする?」
パットは全次郎の顔を見た。
「もう出来たのか……それじゃあ、どうぞ」
全次郎はパットを見返した。
「行くで」
パットがスイッチを押すと、機体の後部ハッチから翼長1ートル程のミニチュアの二式大艇が二機出た。推進はプロペラじゃなくてロケットエンジンで、少し上昇した後に二手に分かれ大きく旋回を繰り返した。
そして全次郎達の乗った本体は降下を始め、高度100メートルで水平飛行に入った。ミニチュアは数回旋回すると、後部ハッチに帰還した。
「戻って来たよ?……」
桜花は唖然として呟く。
「みたいだな……」
全次郎も不思議そうに呟いた。
「どうなってるんだ?」
全次郎はパットに問い掛ける。
「何やよお分らんけど、地球には優しいけど、ジェット機のエンジンはお腹を壊す物質を散布したみたいやね。あっ、レシプロエンジンにも効くみたいやで」
パットは説明書を見ながら言った。
「お前、何をいじった?」
「うちは、すぐに墜落せんように細工しただけや」
「分り易く説明しろよ?」
「ほんまはな、散布エリアを通過すると物質を吸ってエンジンが止まってな、墜落するんやて。海の真ん中で海水浴は可愛そうやから、だからな、せめて帰れるように散布濃度を薄めたんや」
「うまく行くのか?」
「たぶんな……」
パットは少し自信がないみたいだった。
「大丈夫だと思うよ! パットだもん!」
桜花はパットの優しさが嬉しくて、後から抱き付く。その笑顔が嬉しくてパットも抱き返す。全次郎も浅田目も、その様子に釣られて笑顔になった。
「このモヤモヤが散布エリアかな?」
全次郎はレーダーに映る影みたいな物を指差した。
「もうすぐ入るで」
二機の機影はエリアに差し掛かり……そしてエリアに入った。
「近付いて来る……エリアには入ったけどな」
刻々と近付く機影に全次郎は呟いた。時間がじれったい様に過ぎて行った、そしてレーダーの中心つまり自分達の所へ機影は近付き続けた。
「濃度、薄め過ぎたんかな……」
「距離は?」
全次郎はパットの言葉を遮る。
「約7キロや、肉眼でも見えるかもな」
パットは不安げに窓の外を見た、桜花も不安そうに雲の彼方を見ていた。
「やばいかも……」
全次郎が呟いた時、機影が反転し始めた。
「やったぞ反転した、パット上手くいったんだ」
叫んだ全次郎は、パットの顔を笑顔で見る。
「何とかな……」
パットはディスプレイの中の世界を、ゲームみたいに感じた自分が少し怖かった。でも嬉しそうな全次郎の笑顔が、沈みそうな気持ちをそっと支えた。
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「……あれを見るんじゃ」
ふいに浅田目は前方を指差した。そこには海面を境にして、漆黒の巨大な雲が行く手を遮っていた。
「低気圧か?」
全次郎は背筋が凍るのが分った。
「もっと性質が悪い……」
浅田目の言葉は沈んでいた。
「やばいんか?」
パットも嫌な予感に包まれる。
「スーパーフリース、超低温気圧じゃ。あの中は場所によってマイナス100度以上の冷凍地獄じゃ。レーダーでは大きさは大した事はないんじゃが、なんせ速度が速い」
「逃げようっ!」
浅田目の言葉に全次郎は被せた。
「こいつの速度じゃ無理じゃ……」
浅田目は静かに言った、全員の血が凍った。
「何とかなるよ……」
小さな声だったが、桜花は自分に言い聞かせるみたいに呟く。
「実際どうなるんです?」
「まあ、瞬間冷凍でモーター停止。墜落じゃな、そんでもって冷凍人間の出来上がりじゃ」
「墜落する前に着水してやり過ごせば助かるかもしれん、速度が速いなら通過する時間は短いはず……二三時間耐えれば……」
全次郎の言葉は、レーダーを見ていた浅田目の背中を押した。
「強力なヒーターがあるで、電力を集中したら持つかもしれん」
端末から情報を引き出したパットは声を強める。
「何故か防寒着もあるよ」
桜花は荷物室から極地用防寒着を持って来た。
「バッテリーが切れた後はどうするかだな?……まさか漕ぐ訳にもいかんしな……」
全次郎は切り抜けた後が心配になった。
「理科の時間に習ったよ、モーターは発電機になるって。四つもあるんだし」
微笑んだ桜花は、パットの肩に手を置く。
「そうや、回路を調整すれば」
パットは素早くキーを叩いた。
「出来そうか?」
「多分な、十分とは言えんけど、かなり充電出来そうや」
「よし着水だ」
パットの返事と同時に全次郎は着水操作に入った。
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着水すると、全員が防寒着を着た。パットは素早く充電システムを立ち上げてヒーターを稼動させた。
「凍える前に船酔いで死ぬなっ!」
全次郎は、木の葉の様に揺れる機体に悲鳴を上げる。
「飛行機なのに沈没の可能性もあるっ!」
浅田目も涙目で叫ぶ。
「うち、吐きそう……」
パットも真っ青になる。
「誰が一番に吐くか競争だよ!」
何故か桜花は元気だった。
「お前っ……なんで平気なんだ?」
全次郎が蒼白な顔で言葉を絞り出す。
「当機は乱気流により、かなり揺れます。ご気分の悪いお客様は足元の紙袋をご利用下さい」
桜花は嬉しそうに言った。地獄は30分程続いた後に、小康状態となった。
「何か揺れ……少のうなってへん」
機体が暗闇に包まれ始めると、海面はシャーベット状になっていった。
「始まるぞっ」
窓の外を見た浅田目は叫んだ。そしてガリガリと大音響をたてて海面は凍り、揺れは止まった。
「ヒーター全開だ!」
全次郎の言葉と同時にパットは操作した。機体は一瞬で凍り付き、内側も氷の幕が覆ってきた。だが、外の強風でプロペラは勢い良く回っていた。
「金属部分を素手で触るな」
全次郎は冷凍庫みたいになった機内を見回す。
「発電出力73%」
データを見たパットは安堵の溜息を付いた。
「どれくらいの気温なんだろ?」
吐く息の凍るのを、桜花は不思議そうに見ていた。
「機内は今、マイナス30度位じゃろ、外は想像もつかん……さっきのグルグルのほうがマシじゃった……」
浅田目は背中を丸め、凍えた声だった。眼鏡は完全に凍っている。
「まだ寒くなるんかな……女の子は寒さには弱いねん……えっ?」
震えるパットを無言の全次郎が抱き締めた。パットの震えは全次郎の温もりが打ち消した……そっとパットの腕も全次郎を抱き締めた。そして今度はパットの腕は桜花を招き寄せた、桜花もそっと二人の間に入った。
「年寄りは独りで凍えていくんじゃ……」
聞こえる様に浅田目は呟いて、座席に倒れた。
「そっと逝かせてやれ……」
全次郎はニヤリとする。
「誰が逝くかっ!」
ガバッと起き上がって叫んだ浅田目は、毎度ながら半分凍った涙目だった。
「暫くは逝きそうにないな」
また笑った全次郎だったが、見えてるプレッシャーは内側から圧迫した。