二式半艇飛ぶ
「こんな場所でいいんですか?」
まだ全次郎は不安を拭えないでいた。
「不安か?」
静かな声で浅田目は言う。
「少し、ですね」
本当は少しじゃないと、全次郎は心で呟く。
「もうすぐじゃ」
前方を見つめて浅田目は言った。やがて車は山間の開けた場所に出た。そこは見渡す限りの畑で一面に野菜が植わっていて、端の方にある大きなビニールハウスが列車の様に繋がっていた。
「ここじゃ」
畑の手前で浅田目は車を止める様に指示した。
「広い畑……人参や大根、キャベツに、何でもあるね」
車を降りた桜花は大きく背伸びした。
「本当にここでいいんですか?」
少し焦った全次郎は浅田目に詰め寄る。
「まあもう少しまて、休憩じゃ」
落ち着いた浅田目の口調は全次郎を困惑させた。
「お昼にしましょ、パット手伝って」
桜花はリュックからキャンプ用のコンロを出して、お湯を沸かし始めた。
「どないしたん全次郎?」
お茶を飲みながら、パットは隣に座った。お日様に照らされ畑は金色に染まり、野鳥の声が空に響いていた。
「何でもないよ」
自分でも分らない全次郎は、眩しそうに遠くの雲を見た。
「若いもんは結果を急ぎすぎる」
お茶をすすった浅田目は、独り言みたいに呟いた。
「時と場合によりますよ」
少し声を上げた全次郎は下を向いたが、触れてるパットの温もりが違和感となっていた。
「こんな時こそ、落ち付かんとな」
浅田目の言葉は静かだった。
「お父さん……あの人達……」
突然、桜花が遠くに大勢の人垣を見つけた。
「来たか」
浅田目はゆっくりと立ち上がる。
暫くすると、全次郎達の周囲には数十人の老人が集まって来た。
「お待たせしました、すぐに始めます」
一人の老人の掛け声で、人々は作業に取り掛かった。畑の様に見えていた場所の野菜を抜き取る人、その後の土を運ぶ人、土の運ばれた後をならす人……老人達は作業を分担化し、てきぱきと仕事をした。
勿論、全次郎達は手伝おうとしたが、綿密な計画と練習により、新しく人が入ると旨く仕事がこなせないと笑顔で言われ、全次郎達は弁当を食べながら唖然と見守るしかなかった。
最後はローラーで踏み固めると1時間程で、そこは人口的に作られた様な幅20メートル、長さ300メートル程の平坦な道が出来た。
「まるで滑走路やね」
嬉しそうなパットの言葉に全次郎は嫌な予感が全開だった。
「飛行機で行く、なんて言うんじゃないでしょうね?」
「そうじゃよ」
平然と浅田目は言う。
「どこに飛行機があるの?」
桜花は見回したが、周囲は山ばかりで格納庫らしき物は見当たらなかった。
「まさか飛行機まで作るってんじゃないだろうな?」
呆れたように全次郎は呟いた。
「まあ見とれ」
浅田目の言葉は自信に満ちていた。
今度は老人達が一斉にビニールハウスへと向かった、そして全次郎の予感通り飛行機の同体を運び出した。他のハウスからは主翼や尾翼、エンジンなども次々に出された。そして、また1時間程で飛行機は完成した。
「予想はしてましたけど……」
見守っていた全次郎は溜息を付いた。
機体は全長14m、全幅19m程の四発のレシプロ機だった。
「形が船みたいで可愛いね」
桜花は近付いて機体の周囲を見回した。
「ほんま、船に翼が付いとるんやな」
パットも嬉しそうに近付いた。
「これは飛行艇だ」
全次郎は溜息混じりに言う。
「飛行艇って?」
桜花は首を傾げた。
「飛行機と船の合いの子さ、空も飛べるし海にも浮かべる」
全次郎は浅田目の計画がやっと理解出来た。
「そうなんだ」
飛行艇を見詰めながら、桜花は穏やかに微笑んだ。
「こいつは二式大艇じゃ。じゃが、大きさは二分の一。即ち二式半艇なのじゃ」
浅田目は得意顔で胸を張り、しかも機体には大きなカエルのマークも付いていた。
「作ったのはご苦労さんですが、誰が操縦するんですか?」
疲れた様に全次郎は言った。心の中で普通の形にしろよと、呟きながら……。
「無論、ワシじゃ」
浅田目の言葉に、さすがに桜花もパットも青ざめ顔を見合わせた。
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乗り込んで操縦席に着くと直ぐに、浅田目は冊子みたいな物を読み始めた。
「何見てるんですか?」
隣の座席から不安げに全次郎は呟く。
「説明書じゃ」
読みながら、浅田目は平然と言う。
「初めてなんて言いませんよね?」
言いたくない言葉を全次郎は吐いた。
「そうじゃよ。まあ、自動車みたいなもんじゃ」
「アンタ、車の免許無いじゃないですか……」
呆れたように言った全次郎は手を差し出し、浅田目は黙って冊子を渡した。
「お父さん、大丈夫なの?」
後ろの席の桜花は、言葉とは裏腹に微笑んでいた。
「さあな、こいつで行くしか道はなさそうだ……パット、来てくれ」
全次郎は操縦席に移り、副操縦席にパットを呼ぶ。
「うちも?」
パットは少し不安そうに、顔を強張らせる。
「免許持ってんのお前だけだからな、それにこの計器」
始めから気付いていたが計器類はかなりシンプルで、正面の人工水平儀、その下の羅針盤、後は高度計に速度計にエンジンの回転計といった具合だった。副操縦席の前にはレーダーらしきモニターと、入力の為のキーボードがあった。そして、その他のエンジンの管理メーターは警告灯になっていた。
つまり、素人を威嚇する数多くのアナログ計器が無かったのだ。要するに星の数ほどある警告灯は青ならオッケー赤ならお陀仏の色だけ気にすればいい訳で、簡単そうに思えた。
全次郎は暫く説明書を読んだ後、パットに渡してシートベルトを締めた。
「シートベルトをしろ、まずはエンジンスタート……と」
スタートボタンを押すと、四発のエンジンは静かにスタートした。
「何か静かやな……それにこれ……」
パットは静かなエンジン音にも驚いたが、説明書の内容に更に驚いた。その操縦法はかなり簡単そうだったから。
「エンジンはモーターのようだ、燃料計の代わりに電圧計があるだろ。それに離陸も着陸もオートだし」
拍子抜けみたいに全次郎は頭を掻く。
「ほい座標」
浅田目は座標を渡した。
「パット、そこの端末に入力してくれ」
一瞬息を呑んだ全次郎は、何で場所を知ってるんだと言う言葉を飲み込んでパットに指示し、パットはアッと言う間に入力した。
「それじゃ離陸のボタンを押して、ブレーキの解除ボタン……と」
「帽を振れ~」
見送る老人達が整列して見送る。
全次郎がボタンを押す、勿論各種表示は全て漢字とカタカナで至れり尽くせりだった。二式半艇は離陸滑走に入った。機体は加速してあっけない程簡単に離陸した。そして暫くの上昇の後に水平飛行に入った。
「お父さんすごい!」
桜花は笑顔で歓声を上げる。
「俺は何もしてないよ」
何故か照れ臭い全次郎だった。勿論、操縦桿やスロットルレバーには触れてもいなかったから。