こっそりと脱出
日が暮れると、浅田目がこっそり勝手口からやって来た。そして大きなリュックは、とても分り易かった。
「来るとは思ってたけど、玄関からにして下さいよ」
居間にいた全次郎は呆れた様に言う。
「公園の前に公安の車がいたぞ」
浅田目はとても嬉しそうだった。
「左様ですか……」
気の無い全次郎の返事に、浅田目は明らかに物足りない様な表情をした。
「せっかく緊迫した緊急事態なのに、何を落ち付いとるんじゃ?」
「何がせっかくだよ、別に緊迫してません」
溜息混じりの全次郎は、ソファーに沈んだ。
「でも凄い格好ね」
二階から降りてきた桜花は、浅田目の格好に苦笑いした。黒の上下スエットに、黒の目出し帽、ご丁寧に黒の手袋までしていた。
「何を悠長に、お前さん達は監視されとるんじゃぞ」
浅田目のテンションは高い。
「アンタも、別の意味で監視されるな」
全次郎は更に大きな溜息を付いた。
「ここに来る途中は大丈夫だったの?」
桜花の言葉に、待ってましたと浅田目の目はギラギラと輝いた。誰もツッ込んでくれなかったら、どうしようと言う最大の危機からは脱する事が出来たと、心の中で小躍りしながら。
「そりゃもう大変じゃった、久々に興奮したぞ。家の秘密出口を始めて使ったわい。外に出てるや人混みに紛れ、木々や草花を隠れ蓑にし、行き交う車の影に潜み、わしはココに辿り着いたんじゃ。それに榎木林の作った”お留守じゃないよシステム”も初稼動じゃ」
「何、訳の分からん事を……で、何ですか? その変なシステムは」
その恰好は逆に目立つだろと、ツッ込もうとしたが面倒なので止め、全次郎は頬杖を付いた。
「子供が一人で留守番する何とか言う映画があったろ、あれからヒントを得てな、電灯やカーテン、インターホンと連動した画期的システムじゃ」
浅田目は得意げに説明する。
「あっそ」
だからどうなんだと、全次郎は心で呟く。
「私、あの映画好きよ。夜なんか電灯の明かりで影絵みたいにして、人がいるみたいに見せかけるのよね」
桜花は楽しそうだったが、全次郎は嫌な予感がした。嬉しそうに頷いた浅田目は、錬太郎の部屋へ行き変なものを持って来た。
「これじゃ」
それは空気を入れると人型に膨らみ、モーターで室内を移動した。
「これじゃ、じゃないでしょ……いつの間に……まさか?」
全次郎の予感は当たっていた。
「この家にも不測の事態に備えて”お留守じゃないよシステム”は取り付けてある」
得意げな浅田目は満面の笑みだった。
「不測の事態?」
桜花が首を傾げ、全次郎がまた頭を抱えると今度はパットの嬉しそうな声がした。しかも二階から下りてくる。
「お待たせ、うちも準備完了や」
浅田目と同じく黒装束のパットに全次郎は呆れたが、そのスタイルの良さには視線をずらすして呟くしかなかった。
「……ったく……お前等、何者なんだ? あっ、お前、何で二階から下りて来るんだ?」
「なんか、その方がらしいやん。この前な、裏の壁にこっそり手摺付けたんやで」
嬉しそうなパットに呆れ顔の全次郎が呟く。わざわざ壁をよじ登り、二階から颯爽と現れたパットは完全に楽しんでるなと思いながら。
「さあ、行くぞ。準備しなさい」
浅田目は勇んで立ち上った。
「どこに?」
ソファーに座ったまま、全次郎は頬杖を付く。
「強風に決まっとる」
胸を張った浅田目だった。
「そうや全次郎、早よ用意し、桜花も急ぎ」
パットも二人を急かせる。
「はい」
素直な返事で桜花は二階へと向かった。考えるまでも無かった、大好きなおじいちゃんと逢える……理由には十分だった。でも、全次郎は腕組みしたまま座っていた。
「どうした全次郎?」
不思議そうに浅田目は問い掛けた。
「仕事があります」
全次郎は強い口調だった。
「お前さんの仕事は社会派のフリーライターじゃろ」
浅田目は少し真剣な顔をした、社会派という言葉にアクセントを置いて。
「行ってどうするんですか?」
下を向いたまま、全次郎は呟く。
「錬太郎達は何かを初めておる。それを止めさせるか、手伝うか……見届ける必要があるんじゃ」
そしてまた真剣な表情の浅田目は、全次郎の目を見た。
「それが理由ですか?」
全次郎は静かに呟く。
「お前さん達は家族。ワシとパットは友達じゃからの」
「そうや……まあ、面白そうって言うのが一番やけどね」
二人は微笑んで全次郎を見る。
「……全く」
暫くの沈黙の後、全次郎も苦笑いした。
「お父さん、早く用意しなよ」
二階から降りて来た桜花は、キャンプか登山にでも行く様な格好だった。
「お前なぁ、学校はどうすんだよ?」
その姿に全次郎はまた苦笑いした。
「入学式は4月だよ」
桜花は笑顔で答える。
「入学式なんか出んでも、クビにはならへん」
パットも笑顔で桜花の肩に手を置いた。
「お父さん……行こう」
桜花の屈託のない笑顔は全次郎の心を押した、そして全次郎は呟いたた……”確かめないとな”と。
全次郎も用意を済ませ居間に行くと、浅田目を中心に作戦会議が始まっていた。
「まず、ここから抜け出す事からじゃ」
「外の公安、どうするんや?」
腕組みしたパットは浅田目の方を見る。
「私達、外に出るだけで掴まるの?」
少し心配そうに桜花は全次郎に振り向いた。
「まあ、お前達の格好はどう見ても不審者だからな」
全次郎も笑ってパットを見る。
「それは言えてるけどな」
パットも自分の格好に苦笑いした。
「捕まえはせんさ、泳がせて目的地を探るじゃろ」
浅田目は以外に冷静だった。
「目的地ね……強風だっけ、あそこまでどうやって行くんです? 海の上ですよ」
テーブルに座る浅田目の前に、全次郎も座った。
「策はある」
浅田目の声には妙な自信が感じられた……と、同時に全次郎は嫌な予感が全開になる。
「殆どの港は見張られてると考えていい。いくら島国で周囲は海だって言っても、簡単には海には出れないんじゃないですかね?」
全次郎なりに考えてみた。
「見つからん様に抜け出せばいい事やん、海は広いし大きいんやで」
何だか、またパットは嬉しそうだった。
「嬉しそうだな……」
全次郎はパットを横目で見る。
「えへへ」
やはりパットは嬉しそうだった。
「旅行みたいだね」
桜花は胸のドキドキがなんだか愛しく感じた。
「さあ、行くとするかの」
浅田目は和室の奥の錬太郎の部屋へと向かった。全次郎達は、狐に摘ままれたみたいな感じで付いて行った。勿論、お留守じゃないよシステムを稼動させた後に。
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「ここじゃ」
浅田目が書斎の本をずらすと、机の前に地下へと続く階段が現れた。
「すごい、映画みたい」
「ほんま、カッコいい」
桜花もパットも大喜びだった。
「何時の間に……勝手に人の家を忍者屋敷みたいにしやがって……」
呆れたように全次郎は呟く。
「お前さん達に気付かれない様に作るのには、ほんに苦労したわい」
自慢げに浅田目は胸を張った。
「左様ですか……」
今度は諦めた様に全次郎は呟いた。
階段は途中から梯子となり、感覚的にはかなり降下していた。
「こんなのホンマに作ったんか?」
やっと一番下に着くとパットは唖然と辺りを見回した。そこは小さなホールになっていて、でも洞窟という感じではなく明らかに人工的で、所々の電灯は闇の奥へと続いていた。
「この奥じゃ」
浅田目は先頭に立ち、元気に歩き出す。
「お父さん、行くよ」
周囲を見回す全次郎の背中を桜花はそっと押した。
「ああ……」
迷いの中、踏み出す一歩も誰かの為なら言い訳になる……自分の為じゃなくても、何かしないといけない理由には十分だと、また桜花の笑顔に思った全次郎だった。