1-8 召喚され帰ってきた彼女
「この世界に送り込まれたことで記憶を失ってしまった。てパターンてあると思うんよ。異界の情報をこの世界の人に話してしまったら問題やし」
夢乃は尾栗は記憶を亡くした異界人と仮定し、何か記憶の断片の一つでも思い出してもらうために異世界サークルに連れてきた、と説明をしていたが、尾栗は全く聞いていなかった。いや、聞いている余裕がなかった。
「この辺って精神病院があるよな」
その質問の意図が分からない夢乃は首をかしげる。
尾栗は戦々恐々としていた。活動内容不明のサークル名。オフィスビルの四階を丸々貸切る財力。受付嬢の美貌。真っ白い病院のような空間。すれ違う人々の喜楽しかない表情。妙なマルチ商法や新興宗教的なものではないかと身構える。
一刻も早く帰りたいという気持ちが時間の為ではなく身に迫る恐怖に上塗りされていく。
「ここで何が行われるんだ?」
「何って? いつもは異界に関する情報交換かなあ。こうすれば異界の扉が開けたとか、今日はこうして召喚待ちをされてましたとか、あそこの召喚値が高いとか、まあ異界に召喚されるためのあらゆる情報の交換が行われるんや。で、今日はサークル顧問の仲井さんが異界のことを話してくれるわ」
尾栗の夢乃を見る目は完全に冷めていた。こんなよくわからない妄想の為に時間を割いて目をキラキラとさせている夢乃には目の前の楽しいことしか頭にないのだろう。
このサークルにいることは黒歴史でこれから先、振り返って死にたくなるだろう。その時間を勉強に使えば収入のいい会社に入ることや公務員になることだってできるだろうに。時間とテストだけは人類に与えられた唯一平等なモノだ。その両方を無駄にするとは生きていながらに死んでいることと同じだ。尾栗はそんな考えをぐるぐると巡らせていた。
夢乃に案内された会議室らしき場所にはパイプ椅子が敷き詰められていて、百以上はあるそのイスはすべて埋まっていて立ち見の人がいるほどだった。尾栗と夢乃一番後ろの真ん中で立ち見することにした。
世の中にはこれほどにも狂った人が多いのか、それともねずみ講か何かの勧誘だろうかとさらに不安になる尾栗。
そんな緊張の中、議長席に立ったのは同じ学校の制服を着ている女子だった。尾栗の頭は真っ白になる。同じ年代の人がこれだけの人を集められるというその事実に。そして同じ学校に電波がもう一人いたということに。
「あの人って同じ学校だよな」
「そやね。一年生の仲井さんや」
「最近まで中学生だったのにこんなに人集められるとか。アイドルか芸能人か?」
「厳密にいえば二十八やけど、まあそれはええか。てか仲井さんは芸能人と一緒にするとかとんでもない。異界に行って帰ってきた数少ない日本人なんやから」
年齢の事なんかどうでもよくなるくらいぶっ飛んだ発言をかましてくれる。異界に行って帰ってきたなんて、それはただの病状の起伏じゃないかと尾栗は言おうとしが、味方が一人もいないこの状況で言ってしまう度胸はなく飲み込む。
会場に響くたくさんの拍手の中、仲井は頭を下げるでもなく、手を振ることもなく薄く笑って仲井は拍手が止むのを待つ。夢乃は最後の最後まで拍手を続け、尾栗の「長いって」という言葉でやっと止めると、仲井は口を開いた。
「どうもみんな、お待ちかねの仲井紅ですよ。じゃあいつものやってみよっか? せーの。異世界に行きたいか―!」
「おー!」
会場を響き渡らせるほどの返しに、彼らの真剣度が伝わる。クイズ番組のような掛け合いではあったものの、目標に対する意識が違う。現実という地獄から逃れたい、そんな思いがひしひしと伝わる。そんなサークルメンバーの意識の高さに満足したのか、仲井は嬉しそうにうなずいた。
「気合十分だね。そんなあなた達ならきっといつか異界に行けるはず。じゃ、そのための方法を今日はすべて伝えちゃうからちゃんと聞いといてね。メモは禁止、情報のローエイになるからね」
明るい調子で仲井は話しているが、怪しい新興宗教やマルチ商法のセミナーのような雰囲気が増す一方だ。あるはずのない何かにすがる人々の様子に尾栗は今日何度目か数えきれない恐怖を覚える。早く慣れてしまいたいが慣れることはないだろう、慣れれば終わりだと心に鞭を打つ。
「まず最初にどうしてわたしたちが異界に召喚されるのか。大体の理由は戦争の道具ってことを覚えておいて。そして間違いなく劣勢、よくても拮抗した状況。そんな中に助っ人として呼ばれるんだから、相当な重圧がかかるわ。今からでも想定しておいていいんじゃないかな。悲惨な戦争映画とか観まくったり、その辺の老人とかに聞いたり戦争の資料館に行くのもありよ。この国は敗戦しているからいい情報を得られるに違いない」
RPGの設定の話をしているのなら理解はできるのだけれど、仲井は現実の話をしている。それも実体験だ。周囲の可笑しさについていけず、可笑しいのは自分ではないのかと、尾栗は混乱していく。
「で、そんな異界に行く方法だけど、重要なことは三つあるわ。まず第一は異界に行きたいという強い気持ち。異界の人達はその気持ちに導かれて召喚する。異界に行きたいという気持ちが強ければ強いほど、異界に行ったときに能力が付与される。あたしの場合は魔力が異界の達人レベルと身体能力が異界人達の五倍ほどだった。能力付与はあたしたちを召喚する側、異界の召喚士の能力にも左右されてしまうけど、能力が高い召喚士がいい人材をサーチするから、結局は気持ちが強いに越したことはないわ。で、第二だけど、武術を磨きなさい。ていうか剣術でも何でもいいわ。基本的にあたしたちは異界に戦争をしに行く。だから戦う能力は必須よ。痛い目に合わなければ、死にたくなければ、鍛えなさい。そして第三に言葉を覚えること。超優秀な召喚士に召喚されれば異界の言葉を理解できるかもしれないわ。けれど基本的に異界の言葉はわからない。わからないとすごいストレスよ。恐怖やイライラが募ってホームシックになる可能性もある。あとコミュニケーションとれないと信頼感も得られないから生活がしにくいわ。どこぞの国かわからない原住民に囲まれて暮らすのと同じと思っていいわ。だから他国の言葉をいくつか理解して、言葉の仕組みってのを理解すれば異界の言葉も覚えやすくなるかもしれないわ。以上のことが出来れば異界に行けるかもね。そしてこれが最重要かしら。総合して一万時間以上を費やしても召喚されないならそこで召喚活動を終えなさい。あなたには才能がなかったってことだから。別の道を選ぶことをお勧めするわ」
尾栗は周囲を見渡した。
メガネをかけた不登校風な中学生くらいの男子、目が虚ろな大学生くらいの男、普通の主婦、若いスーツを着た男女、定年を迎えたおじいちゃん。
この部屋にいるすべての人達が交戦的に見えてきて怯えてしまう。よく見れば犯罪予備軍のように見えなくもない。隣にいる夢乃の印象もがらりと変わってみえる。
人づきあいが下手な地味で電波で不潔な関西人から、夜な夜な誰かを殺すためのトレーニングをしているクラスメイトに。
夢乃の行動を思い返してみると、仲井が異界に行くために重要としていることを日々実践していることがわかる。
男子に喧嘩に勝つ腕っぷしの強さ、駅前で異国の人と会話ができる語学力。なにより日ごろから狂ったように口にする異界への熱い思い。
夢乃は現実から逃げるために勉強もせず妄言を吐いているのではない。本気で異界に行くための努力を日々行っているのだ。きっと尾栗の知らないところで武術の稽古、筋力トレーニング、語学力を鍛えているのだろう。
仲井の講演が終わった後、部屋を出ながら尾栗は夢乃に訊ねた。
「もしかして夢乃ってあれを実践してるのか?」
「もちろん」
ドヤ顔など浮かべず、さも当然のように夢乃は口にした。
「クラスの男子と喧嘩してるのを見たけど」
「独学やけど毎日練習してるし、淞南に越してきてからはたまに道場で見てもらってる」
「ロシア語以外にも話せるの?」
「英語、北京語、アラビア語、スーダン語で、今はジャワ語を勉強中」
「そりゃ受験勉強なんてする時間ないな」
「言語以外にもサバイバル術も学んでる」
「どういうこと?」
「召喚された先でどの食べ物が有害か、水の濾し方とか。動植物の狩り方も。モンスターがおったら、参考になるかと思って」
この情熱を受験勉強に向けられていれば、死ぬまで金に困らないような会社に入れるだろうにと、尾栗は憐れむ目で夢乃を見つめる。その視線に気づいた夢乃はムッとして唇を尖らせた。
「これはわたしのやりたいことやから後悔はない。そんな目で見られても考えは変わらへんから」
ムッとしていた夢乃だが、視線の先に誰かを見つけた途端に表情が明るくなり、尾栗の腕を握って走り始めた。「ちょっと」という尾栗の焦り交じりの声を無視して。
夢乃が向かった先は仲井の元だった。




