1-7 富士沢ルーザー
夢乃がクラスメイトにニードロップを食らわせながら逃げた放課後。尾栗は自宅と真逆の富士沢駅にいた。
尾栗はかなりイライラしていた。漫画なら目は鋭角になって頭からけむりをモクモクと出していただろう。
いつもなら教室で居残り勉強をしている時間帯なのに、自宅と真逆方向にお使いを頼まれたからだ。
途中で学校から逃げ出した夢乃に進路調査票を渡してほしいと担任に頼まれてしまった。あの事件の直後に夢乃に会いに行ける人といえば担任か何故か夢乃の信頼を得ている尾栗しかいない。一番は担任がいけばいいのだが、面倒な生徒と関わりたくないのだろう。空気を読んで電波なことをする尾栗だが、逆手にとれば授業態度がいいとは決して言えない。突然電波な発言や奇声を発するのだから当然のことだ。行かなければ内申に響くぞ。そう脅されればいかないわけにはいかない。
スケジュールの変更を最も嫌い、時は金なりを信条とする尾栗。しかもその予定を崩したのが夢乃なのだから余計にイライラが積る。
早く自宅のポストにプリントを入れて帰ることだけを考えて富士沢駅の改札を出た。
国鉄と私鉄が交わる富士沢駅は、金曜日の夕暮れ前でそれなりに混雑していた。駅に直結された百貨店、最寄りのオフィス街などの影響もあるのだろう。
雑多なビル群が尾栗を見下ろす。景色がビルに埋もれる圧迫感を尾栗は嫌う。
ビル群を抜けた先のマンションに夢乃の自宅があるという。足早にこの町から抜け出したい尾栗はスマホの地図アプリを使って最短距離でそのマンションに向かおうとした。
しかし歩けど歩けど、アプリ上の自分の位置が定まらず、現在地は瞬間移動を繰り返しマンションから離れていってしまう。都会は電波が多くGPSを狂わせてしまうのだろう。予定よりも十分遅れたことでイライラがさらに積る。ここは駅に戻って自分の力で向かった方がいいだろうと判断し、駅前に戻ってきた時だった。
「スミマセン。おしえてクダサイ」
片言な日本語が尾栗に向けられる。
時間がない、土地勘がない、外国人。
聞こえないふりをして立ち去ろうとしたが、白人男性は尾栗の前に立って頭を下げた。
ここまでされては無視は出来ない。尾栗は受験勉強で培った英語で太刀打ちするしかないかと嘆息した。
「アイウォントゥゴー?」
言った途端に白人男性は困った顔を作り、何かを話し始めた。しかし尾栗には聞いたことのない言葉でなめらかなカタカナだなあとしか思えず、全く言語として理解できなかった。
尾栗の英語の成績は学年で八番目で苦手意識もない。それなのに理解できないということはやはり日本の英語教育は間違っているのだろうか。テストだけで実践的ではないというのは本当なのかもしれない。それならば自分が今まで培ってきた英語とは何なのだろうか?
自問自答という底なし沼に入っていく尾栗。それを心配そうに見つめる白人男性。その二人を無視して先を急ぐ群衆。そんな二人に少女の声が向けられた。
「どうしました?」
標準語にしようとしているが関西弁なまりが強く残っている。関西からの旅行者に助けられるなんて。普段は観光客を邪魔だと思ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになる尾栗だったが、その少女の顔をみてそんな感情は一気に失せる。
「夢乃さん?」
尾栗のつぶやきは白人男性と話す夢乃には届かない。
夢乃はジェスチャーを織り交ぜながら白人男性と会話を行い、三十秒もしないうちに夢乃と尾栗と「アリガットウ」と変なイントネーションで感謝の言葉をかけて去って行った。
学校との逆転現象に尾栗は戸惑いを隠せず、返事をすることなくボーっと外国人をみつめる尾栗であった。夢乃は外国人に向けて小さく胸元で手を振りながら尾栗に話しかけた。
「異界人やから気にすることない。わたしの関西弁を理解できてるだけで上等や」
「もう突っ込むのも面倒だ」
尾栗は嘆息してから夢乃に対して頭を下げた。
「困っていたところをありがとう。本当に助かった。ところでどこであの語学力を身に着けたんだ?」
「語学力? あの人ほとんど日本語やで。ロシアなまりが強かったけど」
「へ? 本当に」
「ほんまや。尾栗の先入観やろ。白人やからわからん言葉とか思ったんやろ」
「確かに。どこに行きたいのかなって、道聞かれてもわからないなって感じだったし」
「それも先入観やで。あの人、道やなくてトイレの場所を知りたかっただけや」
自分の勉強不足じゃなくて時間に対しての焦りや知らない土地という状況が引き起こしたのだすれば、もう少しゆとりが必要なのかもしれないと、尾栗は少し反省をした。
「ところで尾栗は何でこんなとこにおるの? もしかして異界人って白状する気になったん?」
尾栗は自分のやるべきことを思い出し、鞄から進路調査票のプリントを取り出した。
「これ月曜に提出だから」
プリントを手にした夢乃は進路調査票を見つめ顔をゆがめた。小学生が二次関数の問題を出されたようなそんな表情だ。
「三つも書かなあかんの?」
プリントには進路の第三希望まで枠がある。
「そりゃそうだろ。むしろ三つじゃ足りない奴だっている」
「二兎追うものは一兎も得ずっていうやん。矛盾してるやん」
「三度目の正直とかもあるだろ。俺はもう帰るぞ。用事は済んだんだ」
「あかん、まださっきのお礼して貰ってない」
わざわざ通学路と真逆の地域までプリントを届けに来たのに、それで相殺されないのかとうんざりしたが、後の事を考えれば、あの時の恩を返せとしつこくされるよりはここで終わらせる方が面倒が無くくなるだろう。尾栗は嫌々だが足を止めた。
「で、何をしてほしんだ?」
「一緒にサークルに来てや」




