1-12 半透明彼女
雨の中、尾栗と仲井は小さなビニール傘を相合傘して駆けていた。
尾栗の背中と右肩と足はずぶ濡れになっていた。仲井の左肩が濡れていて淡いピンクのキャミソールが透けて見え、それを見ないように目をそらそうとするけれど、やっぱり見てしまい、いやいや見てはいけないと葛藤を繰り返す。そんな尾栗を馬鹿ねと仲井は笑う。
「まあ、こんな余裕持っていられる今のうちよ」
夢乃が異世界に行ってしまうという電波発言をかまして知った風な口をきく仲井が足を止めたのは、河口近くにある橋の下だった。
捨て猫やエロ本が捨てられていそうな暗く人気のないところに人はいるのかと尾栗は思ったけれど、夢乃ならこういった場所を好むかもしれないと思いなおす。
しかし橋の下には雑草が生え、ゴミが落ちているだけで人なんていなかった。
「おい、どういうことだ? 夢乃さんはどこだ」
仲井は何も言わずに正面にある橋脚を指さした。しかし尾栗の目にはゴミとコンクリートしか映らない。そのことに身震いがした。
「何もいないだろ。あれか見えないものが見えるっていうのか? やっぱり幻覚だろ。異世界に行ったことがあるとか妄言吐いてさ、統合失調症じゃないのか?」
「ちゃんと見て。尾栗くんの方こそ先入観を捨てればどう?」
「そんなこと言われても……」
雨によって泥の匂いと草の匂いが増幅されただけで、尾栗には本当に何も見えないし、何も感じない。人が隠れていそうな大きなものもない。それなのに先入観を捨てて見ろと言う仲井は宗教じみていて怖い。
じっと見たふりをすればいいか、裸の王様のように。尾栗はそのつもりで仲井の指す方向を見た。目を細めれば必死に見ようとしたことをわかってくれるだろう。そう思い目を細めた時だった。
尾栗は腰が抜けて血の気が引いた。
「どう。見えたでしょ」
ドヤ顔の仲井に言い返すことは出来ない。それどころか立つことも出来ない。全身の力が抜ける。
半透明な夢乃咲という超常現象に。
体を丸めてすやすやと眠ったように見える夢乃咲は制服を着ているが、制服すらも半透明だった。透けた先には雑草やコンクリートやゴミが見える。もしかするとプロジェクトマッピングを用いた悪戯じゃないかと尾栗は辺りを見渡すも何もない。川岸には仲井以外いないし映像の光も差し込んでいない。夢乃の姿は心霊写真の幽霊のようだった。
「ビビって声も出ないでしょうから説明するわ。夢乃さんは今、召喚されるかされないかの瀬戸際にいるのよ。そうね、例えるなら三途の川を渡ろうとしているって感じ」
「夢じゃないんだよな。現実の事なんだよな」
尾栗は仲井にではなく自問自答するようにつぶやいた。
尾栗はゆっくりと半透明の夢乃に手を伸ばした。掴むことはできなかったが少し暖かさを感じる。そこに夢乃がいたような感じがした。いるけれどいない。この奇妙さを受け入れることなんて尾栗にはできなかった。
「まだ今なら助かるわ。尾栗くんのお兄さんとは違ってね」
その言葉は尾栗を現実に戻させた。
「おい、どういうことだ? 兄さんがどうしたって言うんだ」
「身内が召喚されたことがあるなら、その後にどう家庭が変わるかわかるでしょう?」
「意味が分からない! この状況がどうして兄さんと関係するんだ! そもそも兄さんは三年前に失踪したんだ」
「それはあくまで現世しか知らない人間の憶測であって、異世界を知る人間からするとお兄さんは召喚された可能性が高いって話よ。まあ、その事実を信じるかは今関係ないか。問題は夢乃さんを現世に留めるか否かってことね」
「行かせるわけないだろ! 家族がどれだけ心配すると思ってるんだ! 責任を負いすぎて擦り付け合いするしか逃げ場が無くなるほどに苦しむんだ」
「そうよね。あなたならそう言うと思ったわ。ならその気持ちを体に触れながら伝えるといい」
尾栗は言われた通り、夢乃の手の辺りを触れて熱を感じながら口にした。
「帰ってこい夢乃さん。親が泣くぞ」
「まだ照れがあるわね」
「あるか! 混乱してるんだよ」
尾栗は立ち上がって仲井に詰め寄った。しかし仲井は全く動じない。それどころか笑みを浮かべる余裕すらある。
「夢乃さんに何か言ったでしょ。異界に行きたいと思わせるようなこと」
図星な言葉に尾栗は固まってしまう。
「あらビンゴ? 負い目感じてないと雨の中無理やりと言ってもここまで来ないよね。ねえねえ、何言ったんですか? もしかしてお前なら異界に行けるとかそそのかしたんじゃ?」
尾栗は何も言えず俯く。それだけで肯定ととるには十分な仕草だった。
「中途半端な気持ちで背中押すからそうなるのよ。ありもしない物にすがってるならいつか目が覚めるとでも思った? ああいう子は更にすがっちゃうのよ。依存しちゃうのよ。自分にはこれしかないって」
尾栗は覇気なく言葉にする。
「だって。夢乃さんがそう言ってほしそうだったから……。それに単純にすごいと思えたし」
「自分のせいじゃなくて、鵜呑みにした夢乃さんが悪いってこと?」
「そうだな。すまない、最低だ」
「別にそこまで言わないよ。でもそう思うならその罪悪感で彼女を引き寄せてみれば?」
尾栗は強く頷いて、再び半透明な夢乃の前に跪いて手の辺りに手を持っていく。
さっきよりも温さを感じないのは徐々に異界に行く時間が迫っているからかもしれない。
「期待させるようなことを言って悪かった。でも夢乃さんが特別だと思うのは本当の事だ。だから兄さんのようにならないで帰ってきてくれ」
願いを込めて強く手を握るも夢乃に反応はない。
「もう一声」
「夢乃さんの力がこの世界でも意味があることだって信じてる。だから一緒にさ、この世界で生きる方法を探していこう。だからまだ見限らないでくれ、この世界を……」
夢乃は徐々に体の透明性をなくし、実体を見せ始めた。徐々に立体感を増していく。二人は安堵の息をもらしてから小さく笑い合った。




