1-9 異界召喚経験者の忠告
芸能人のように人に囲まれる仲井のもとへ、ぐいぐいと突っ込んでいく。周りの人に迷惑だろうと困り顔の尾栗だが、突っ込まれる人たちは嫌な顔をしておらず、むしろにこやかな様子だった。その寛容な態度が不気味で尾栗の二の腕に鳥肌が伝う。
「仲井さん! 仲井さん! 今日もありがとうございました!」
手を振ってからそう言い、目が合った瞬間頭を下げる夢乃。ボーっと仲井を見つめる尾栗は「頭下げる」と夢乃に手で頭を押し付けられる。
そんな二人を見て仲井は軽く笑った。
「夢乃さん、いつも真剣に聞いてくれてこっちもしゃべりがいあるよ。召喚されるのもそろそろじゃないかなー?」
「えっ!? ほんま!」
宝くじの一等まで残りは下一桁! みたいなテンションで舞い上がる夢乃。
「マジよ、マジ。でもその努力を続けないとだめですからねー。で、この人は?」
夢乃を調子づかせてから仲井はウシシとからかうような笑みを見せて尾栗を指さした。
「ああ。この人は尾栗さん。この前ゆってた異界の方です」
「ああ彼氏じゃないのか。じゃ、君があの――」
「違うって何回も言ってるだろ。あなたも言ってやってよ。異界人は俺みたいじゃないって」
仲井はすぐに答えることなく二人の顔を交互に見つめてから、うんと頷いた。
「まあね。異界に君みたいなのはいなかった」
「でしょ!」
テンションが上がる尾栗と対照的にどん底に下がる夢乃。
「でも、異界人には姿を変えれるパターンもあるからなあ。それに君は異界人っぽいところがある」
「やでな!」
テンションが上がる夢乃と対照的にどん底に下げる尾栗。
その様子を見てケタケタと楽しそうに仲井は笑った。
「ま、サークルに入れとは言いませんが、社会見学みたいなものだと思ってゆっくりしていって下さいな」
仲井はそう言って手を振って去っていき、他のサークルの人達に話しかけながら、サインを書きながら人の波に消えていった。
「すごい人気だな。それに同年代とは思えないオーラみたいなのがある。幼い容姿なのに年上っぽい」
仲井の姿を見送り尾栗はしみじみと言う。
「だから同年代ちゃうって。十歳も上やから」
「さっきもそう言ってたけど意味がわからない」
「ちゃんとさっき仲井さん言ってたやん。異界のデメリットの一つって話で」
あまりにうさんくさい話の連続で、尾栗は途中から今日の授業の振り返りを脳内で行っていたので全く聞いていなかった。
「異界やったら流れる時間が違う場合あるって話。仲井さんの召喚先はこっちより時間の進みが早いから、異界じゃ十二年経ってたけど、こっちの世界じゃ一年しか経ってなかったんよ。だから精神は二十八歳でも肉体は十六歳ってこと」
「へー。なんかどこぞの名探偵みたいな感じだな。見た目はJK、頭脳はアラサーって」
「もしかしたらその作者も召喚経験あるんかもな」
そんな馬鹿なと、尾栗は乾いた笑い声をあげる。
「どうや。なんか思い出すことはあった?」
「そんなものあるかよ。俺はただの人間だ。凡人だ。じゃ、時間だし帰るよ」
「すごいな。時計も見らんと時間やってわかるんか?」
「五分内の誤差ならな。時間を気にしてると自然にできるようになる」
「やはり尾栗は異界人や」
しつこい異界人推しについついため息をついてしまう。
「進路調査票だけどちゃんと出せよ。俺の責任問題にもなるんだから」
「進路か……うん」
表情を曇らせる夢乃。異界という進路が普通じゃないことは彼女もわかっているのだろう。ただ彼女にはそれしかない。いや、それしか考えられない。それを尾栗はこれまでの行動と異世界サークルでよくわかった。
「まだこれが決定じゃないんだ。深く考えるな。とは言わないけどさ、最初くらい自分の気持ちを貫いてもいいんじゃないか」
「ほんまにそう思う?」
尾栗は今日で夢乃が本気で異界に行きたいということが分かった。その理由をまだ知れていないけれど、五か国語以上を話し、武術の鍛錬を行っていてサバイバル術も学んでいる。遊ぶ時間を捨ててまで取り込んでいるだろう。きっとその真剣さと比例するような出来事があったに違いない。
尾栗は自身を凡人と気づき、凡人なりにできるいい暮らしをするための方法として勉強を選んだ。出来る限りの時間を勉強に取り組む彼は、少し夢乃にシンパシーを感じていた。
しかし尾栗が望む一般的な幸せ。優良企業に就職し結婚適齢期に結婚し子供を育むという道とは
真逆である、茨の幸福を目指す落ちていく彼女を止めるほどに、自分の道に自信を持ってはいなかった。
「ああ。異界への進路なんて荒唐無稽だけどさ、芸人になりたい、アイドルになりたいとか、そう言ったのとあんまり変わらないんじゃいのかなって。ま、誤解はされるだろうけど、それをどうにかできるくらいの力を夢乃さんは持ってると、俺は思った。じゃあ、月曜な」
尾栗が離れると同時に夢乃の周りには人が集まってくる。尾栗が道化になって集めたクラスメイトの数よりもずっと多い。十人以上は夢乃と関わりを持ちたいと思っている。
夢乃はただ学校が、環境が合っていないだけなのだろう。尾栗がここに合わないように。きっとそれだけの事なのだろう。それだけなのだけれど、ほとんどの人達は異世界サークルに出入りする夢乃のことを社会不適合者と思ってしまう。少数派は悪とされる。
どうしたものかと尾栗は少し心が切なくなる。そして安心もする。あっち側でなくてよかったと。
「ねえ、尾栗くん」
視線から夢乃を離したときだった。前の方から声がしたので視線を向けると、個室の前で手招きする仲井の姿が見えた。時間があまりないので尾栗は小走りで向かう。
「何だ?」
「ちょっとね」
ニコニコしながら仲井は尾栗の手をひっぱり、半ば強引に部屋に引き入れた。
部屋内は狭く薄暗く埃っぽい。倉庫となっているのか、本や暖房器具やパイプいすなどが適当に置かれている。
「時間がないんだ早くしてくれ」
「尾栗くんは夢乃さんに異界に行ってほしい?」
笑顔を崩し真剣な表情で仲井は訊ねた。
「は? 何言ってるんだ?」
「あの子は稀にみる素質を持ってる。あれだけ異界への憧れが強い子はそうそう出てこない。異界に知られれば面倒だわ。あたしの仕事が減っちゃうもの」
何一つ尾栗は話を理解できないまま、仲井は構わず話を続ける。
「夢乃さんをこの世に留められる可能性があるのはおそらくあなただけよ。あなたの話をするあの子はキラキラしてこの年じゃちょっと眩しいもの。一緒にいたいならあの子がこの世に必要とされる理由を与えることね。あなたならわかっているだろうけど」
「はあ?」
「とにかくお姉さんの言うことは聞いておくこと。夢乃さんをこの世に留めなさい」
『お姉さん』の響きに尾栗はアラサーを感じずにいられなかった。だが、見た目は女子高生で中学生に見えなくもないほど幼い。そのギャップに尾栗の全身に鳥肌が立つ。
顔面蒼白な尾栗は後ずさりしながらドアノブを手にした。
「お前ら病院行け!」
そう吐き捨て、尾栗は獣に追われたときのように必死に駅まで走って行った。
二度とこんなとこに来るものか。こんな異常な場所に。夢乃もこんなところにいてはおかしくなって当たり前だ。そもそも異界ってなんだ。異界に行ったことあるとか女子高生が言ってそれをみんなが信じているなんて一種の宗教だ。普通じゃない。
きっとあそこは精神病院の患者が作ったサークルに違いない。
バクンバクンと大きく叩く心臓の音は緊急避難信号のようだった。




