第七話 天星をまといしもの02
突然、ファーリアがはじかれたように立ち上がった。
何もない空中でしきりに焦点を結ぼうとする。
まっすぐに背を伸ばし、顔には険しい表情がある。
「……無黒が、来たわ」
「わたし、みんなを助けるために行ってくる」
ファーリアは一馬の方を見て唇をきゅっとかみしめると、なにも言わずに部屋から駆け出していった。
残された双子は不安そうな顔を一馬に向けた。
一馬は視線を落とし一点を見つめ、自分のやるべきことを考えていた。
異世界に呼ばれてそのまま与えられただけの役割ではなかった。
本当にやるべきことが何なのかを、一馬は自分自身で見つけなければならなかった。
もう異世界でのちょっとした冒険などではないのだから。
この世界に来てから自分はずっと三人に振り回されている気がしていた。
でもそれはなんだかとても楽しくも感られた。
少女たちのあけすけな笑顔がとても素敵だった。
もっと彼女たちの喜ぶ顔が見てみたいと思えた。
一緒にいてまだ半日もたっていないというのに、ずっと長いあいだの友人のような気がしている。
いまでも三人が本気で自分を信じていてくれていることがはっきりと感じとれた。
――俺は本当はどうしたいんだ。
会って間もないはずなのに、一馬はいつのまにか三人の力になりたいと思っていた。なぜだか現実世界で考えていた「もうちょっと良くてもいいんじゃないかな」の「もうちょっと」がここにはある気がする。
統星者なのだと言われ続けたせいだとは思いたくなかった。
――俺に力って本当にあるのか。
ファーリアの言葉を思い出したが、自分に求められている力が本当にあるのかは、いまでもまだ分からなかった。
自分に力があったとしても大したものではないのかもしれない。
だがほんの少しでも可能性があるのなら自分もそれを信じてみようと思った。
一馬は顔を上げて強い瞳を双子に向けると、期待に応える声を上げた。
「俺も戦いに行く」
ふたりのスミレ色の瞳は一馬の言葉を受けて喜びに輝いた。
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金の髪の少女は自室で一人立ちつくしていた。その身体は星道儀官の法衣に包まれている。ワインレッドの単色の法衣は、裾が長く袖口も広い魔法使いのローブのようなものだ。ウエスト部分には幅広のベルトを締めて動きを妨げないようにしている。
衣服の胸元の中央、ちょうど鎖骨の合わさるあたりに大きな楕円形模様が白色で描かれてあった。
ファーリアは神妙な顔をしてその模様に手をやった。
この楕円形模様は星震魔導師が作り上げたものだ。ここから兵士に無黒と戦うための盾と矛を伝達する。
これは戦場でのみ必要なものと言えた。
着替えも終わり準備も出来たというのに少女は部屋から出られずにいた。自分で戦場に行くと決めたはずなのに、いまだ踏ん切りがつかないのだ。
またあそこに行くのだと思うと足が震えてきた。
少女が戦場へ行って兵士たちの命を支えるのは今回で二度目だった。
怖いというのはもちろん命の危険を感じてのこともでもある。
事実、前回参加したときには兵士を指揮する後方までにも敵の兵器が押し寄せて来たのだ。その教訓を受けて陣地を囲う柵を三重にしてある。ここまですれば敵の兵器のも易々とは攻め込まれることもないだろう。
だが本当に恐ろしいのはあそこに行っても自分が役に立たないのではないのかという無力感だった。
一度感じた絶望感は簡単にはぬぐえなかった。
だが少女はもう一度あの場所に行くと決めたのだ。ほんの少しでも信じられるものがあることを知ったからだった。
しかし足は思うようには動いてくれない。
部屋の外からノックが聞こえた。双子たちの声がする。
ファーリアは重い足を引きずって部屋の扉を開けてみた。
そこにはユーニルとニニアだけでなく一馬までもがやって来ていた。
「どうかしたの、みんなでそろって?」
「あ、ああ。えっと、俺も戦いに行こうと思って」
「えっ」
意外な答えをもらったという表情をして、ファーリアは一馬の顔をまじまじと見た。
「俺、役になんか立てないかもしれないけど。行って何かを手伝いたいんだ」
「ううん、そんなことない。役に立たないだなんて絶対に無いわ」
どうしてだか分からないが一馬が戦場に行くと言ってくれていた。統星者の力もはっきりとは分かっていないというのに。
「でも、からだはもう大丈夫なの?」
「もう熱は下がってるし、身体が軽いんだ。前より調子がいいくらいだよ」
「うん、わかったわ。カズマも一緒に来てくれるのね。」
一人ではないのだと思うと、絶望を引きずっていた足がとたんに軽くなった。
なぜだろう、この少年は今度も自分に勇気をくれるのだ。
「ありがとう、カズマ」
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「いってらっしゃい」
双子を隣家の老夫婦にあずけると、一馬たちは小走りで街中を進んだ。
ファーリアに先導されて人通りのまばらな石畳の道路を早足で移動する。
道路脇の木製の建物に石造りの大きなものが混じりだすと、すれ違う人の数もだんだんと増えてきた。
いままで通り過ぎてきたところも屋根裏部屋から眺めた景観どおり、少し古い時代のヨーロッパの街並みに近かった。道行くものでは徒歩か馬車しか見かけない。
一馬は街の人たちはすべて金髪かと思っていたが黒髪の人も時折目にすることができた。
広くなってきた石畳を二人は立ち止まることもなくどんどんと進んでいった。
道行く先では荷馬車に積まれた大がめをいくつも荷下ろしている二人組がいる。
昼間だというのに、赤ら顔ですでにできあがっている男がふらついている。
かと思えば何人も集まった人の輪からは、自分の母親くらいの笑い声が聞こえてきた。
「あぶないじゃないか! もう少し気をつけてくれなきゃ困るよ」
卒業証書を入れるつつのようなものをたくさん抱えた黒服の男は、一馬たちぶつかりそうになりながらも反対方向に早足で姿を消した。
一馬はなぜだか妙な違和感を感じていた。
「――このあいだの戦場でのはなし、聞いたかい?」
「なんかあったのかい。ちょっと前に柵づくりをしたって言ってたけどよ、また戦場の後始末に人手が足りないっていうやつかい」
こざっぱりとした身なりの二人組が道路の向かい側で話している。
「いいや、前回の戦いだと無黒どもがいっぺんに逃げていったんだとよ」
「いい話じゃないか。戦争なんかとっとと終わってもらいたいよな」
「いやそれがな、やつらを追っ払ったのは兵どもじゃあなくって統星者ってやつらしいんだよ」
男たちは道路は挟んですれ違う一馬など気にもとめていない。
「はあ? そんなもんただのおとぎ話だろうに」
「それが本当らしいんだよ。砦から街に戻ってきてる兵士から直接聞いたんだ。すごい光の柱が突然あらわれてだな……」
どうやらファーリアも言っていた、一馬がこの世界に来た時の出来事を話しているようだった。統星者ついての噂はもう街にも伝わっていた。
しかし先ほどすれ違ったた黒服の男も噂話をする二人組も、一馬の正体には気がつかなかった。一馬の顔はまだ街の人たちには知られていないようだ。
一馬はファーリアのあとについて街中を移動しながらも、やはり違和感はぬぐえなかった。不思議に思ったのは行き交う人々が全体的にのんびりとしていることだ。
戦場で起こったことの噂話こそ聞こえてきたが、戦争に備えるような格好や帯剣している人などはいまだ一人も見つけられなかった。
兵士たちだけでどこかに集まっているのだろうか。だが街のすぐ外での戦争だというのには緊張感がなさ過ぎる。
なにか一馬が見落としている事実があるというのか。
「ファーリア、街の外で無黒と戦争してるんだよね?」
「そうよ」
「みんな戦争のことは知っているんだよね?」
「もちろんよ」
「街の人たちからは戦争から逃れてきてる雰囲気が感じられないんだけど、どうしてかな?」
どうやらファーリアも一馬が尋ねたかったことに気がついたようだ。歩く速度を少し落とすと少女は考えをまとめ始めた。
「無黒がやって来るのは街の南方にある砦よりも、さらに南に行ったところなの」
「南にあるストンガルの砦まではここから馬車で半日はかかるわ。影里がすぐにここまで広がってくる心配がないから、まだみんな落ち着いているのよ」
「でも街から砦まですぐに行ける方法があるの。それは目的地に着いてから説明するはね」
遠くの砦まですぐに行けるというのはやはり魔法の類なのか。
解決しない疑念を持ちながら、一馬は再び歩く速度を上げたファーリアの後を追った。
「着いたわ、ここよ」
いくつかの角を曲がりゆるやかな坂道を駆け上がると、一馬たちは目的地の建物に到着した。
ファーリアが指し示したのは、周囲の低い屋根からは抜け出したとても高い尖塔を持つ石造りの建物だった。
完成当初は白かったはずの外壁には濃い緑のツタがびっしりと絡まりっている。ツタの呪縛からのがれたわずかな部分にも、黒っぽいコケで覆われていた。
天気の良い街中なのに、建物の周囲だけ空気がひんやりとしている。
一馬はあまり気が進まないという顔でファーリアを見返した。
「ここから移送円で砦まで行くの」
「移送円?」
「それぞれの移送円がある場所まで、一瞬で移送することができるの。この建物の地下からストンガルの砦まですぐに行けるわ。建物の管理人には話が通ってあるからすぐに装置が使えるわよ」
ファーリアにもう少し話を聞くと、装置の仕組みにも〈天星の加護にの力〉を利用しているというのだ。しかも利用者本人の強い力が必要なのだという。
そのため移動することができるのは獲星をする能力がある人に限られ、荷物だけ送るということもできないらしい。
一馬は陰鬱な雰囲気と装置を使うのには獲星する能力が必須という事実に足が重くなった。
だが自分で決めたことを思いだし、ファーリアに続いて薄暗い建物に入っていった。
古い建物の一階ホールには黒と見まがうばかりの濃紺色のローブを着た男が待っていた。年老いた男は自分がこの建物の管理人だと言った。
やせた老人の白い首筋や細い手を見ていると骸骨を連想させる。生気が感じられない外見のなかでは、白い能面のなか鋭い光を放つ目だけが特異なものだった。
黒っぽい服に浮かぶ青白い顔などとは夜中などには絶対に出会いたくないなと思えた。
幽霊屋敷の管理人はやはり幽霊に近い人が選ばれるのだろうか。
ふたりは管理人の先導で建物の地下へとどんどん降りてゆく。
ひんやりとした地下の空気が肌にまとわりついてくる。
何かが出そうな雰囲気に及び腰になりながらも、一馬は螺旋階段を下って行った。
明かりは先導する管理人の手にあるランタンのようなものだけだった。
不思議なことにガラスレンズの中で蝋燭が燃えているのにしては匂いも煙も出ていない。
しっかりとした足取りのファーリアに一馬は小声で話しかけた。
「ねえファーリア、あの光って蝋燭とかじゃないの?」
壁に広がった老人の影を一馬の指の影がつついて見せた。
「あれは天星輝換を使っているの」
「天星輝換?」
「うーん。わたしも詳しい仕組みは知らないんだけど、人の持つ〈天星の加護の力〉を利用して何かを起こすものなんだって。明かりをつけたり、火をおこしたりとか」
この世界では天星輝換の原理を使って様々な道具が存在しているのだという。
このランタンも光る部分に〈天星の加護の力〉を貯めておいて、それを光に変換する仕組みなのだ。
天星輝換を用いた品物は数多くあるが、比較的高価になるために庶民が日常的に使う品物は種類が少ないのだという。
一般的に普及しているものは火口の代わりとなる火熱棒くらいだそうだ。
たしかにファーリアの家でも明かりとして使っていたものは燭台だった。
星震体を呼べる星道儀官であっても簡単にそろえられる物ではないらしい。
とはいえ個人でも裕福な商人や貴族、そして教会といった大がかりな施設や、天星輝換を製造している魔導師たちはその恩恵を十分に受けているのだという。
三人がたどり着いたのは入り口に扉のない薄暗い円筒形の部屋だった。
学校の教室ほどもある広い部屋の壁にはボール型の明かりがずらりと配置されている。
きっとこれらも天星輝換を用いたものなのだろう。
しかし数多くある明かりもってしても天井が高いためか頭の上の方は真っ暗な闇が覆っていた。
頭上からくる暗闇の圧迫感がひどい。
地下に降りてくる階段でも感じたことだが、どうもこの建物は管理人と同じく明るさがまるで足りていない気がする。
大きな部屋だというのに中身のほうはがらんとした空間だった。目に付くものは学校の教卓を二回りほど大きくしたような石のテーブルと、そのすぐ近くの床に描かれた円形模様だけだった。
円形模様はぼんやりと白く光るなにかで床に描かれていて、ときどき明るくなったり暗くなったりしている。
最外周の直径は大人が両手を広げた長さよりももう少し大きく、そこから手のひら一つ分づつ内側にも、二つばかり円が描かれていた。
円と円との隙間には大きな宝石が規則正しくいくつも並んでいる。不思議なことにそれぞれがみずから青白い光を放っていた。さらに宝石同士のあいだにも白く光る文字のような模様があり、隙間をくまなく埋めていた。
白く光る三重の円と不思議な文字、そして青白く輝く宝石で構成された移送円は、それだけで人間手の届かない幻想的なものを作り出していた。
魔法を思わせる輝き見ていると星震体のことが思い出される。
家では獲星状態になれなかった一馬がこの装置を使えるかどうかは、全く保証がないことだった。
一馬はファーリアが言っていた「力がゼロではない」という言葉を信じるしかなかった。
管理人は大型の教卓の前に立ち、しばらくのあいだ天板の上に両手を動かしていた。
両手の動きが止まると今度は円形模様を見つめだした。
どうやら移送円を使うための準備が出来たらしい。
一馬は指示されたとおりに同心円の真ん中に一人で立った。
「先に行ってみて。カズマなら大丈夫よね、きっと」
一馬は不安な気持ちを円の外に追いやって、少々やけ気味にファーリアに笑ってみせてみた。
同心円にある無数の青い宝石が光り出した。
宝石から出た青い光が真上に向けて高く立ち上がり、どんどん強くなっていく。
青い光はとなりの光と連なってゆき一馬を囲む光の円柱がつくられた。
円柱の外側にいるはずのファーリアの姿はもうほとんど見えない。
一馬の視界が強い光で埋められてゆく。
そして唐突に光は消えていた。
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