第六話 天星をまといしもの01
鍋が空になるほど何度もおかわりを繰り返しお腹がいっぱいになった一馬は、ファーリアが入れてくれた紅茶でくつろいでいた。
ゆったりとした雰囲気といい香りに囲まれると、頭の方もしっかり動き出したようだ。
着替える前まで聞いていた説明の続きが気になりだした。
「さっきの話の続きなんだけど、敵とは普通に剣で戦えないってどういうこと?」
「無黒の真っ黒なからだはね、ものすごく堅いらしくて剣を突き刺そうとしても刃が通らないの」
「そのままだと通じない刃でも、武器全体を星震体の力ですっぽりおおえば無黒に傷を付けることが出来るわ」
食事の前も聞いた知らない単語だった。
眉を寄せてしかめっ面をする一馬を前に、ファーリアも口元に二本の指先を当てて考え込む。
「じゃあ、長くなるけどもう少し最初から説明するね」
星震体のことを知るためには、まずは天星について理解しなければならない。
そもそも天星というものは星空の彼方にあるという大きな力のことで、この世界の人すべての命の源にもなるものだ。
生まれる時に天星から地上に命が降りてくることで生を得て、死ぬ時にはその命がまた天星に還るものだと信じられている。
そして天星と人間とのあいだは、目に見えない糸で常につながっているというのだ。その糸を通じて天星は地上の人間に〈天星の加護の力〉をずっと送っているのだ。
人間が受け取る〈天星の加護の力〉は強弱に大きな幅がある。ほとんどの人が持っている加護の力は弱いものでしかない。しかし何千人かに一人の割合で非常に強い加護の力を持つ人が生まれてくるのだ。
強力な〈天星の加護の力〉を与えられた人は、すでに亡くなってしまったた先人たちの技術や知識などの一部をその身に受け継いで生まれてくるのだという。
先人が出来たことをそっくりそのままコピーするというわけではないのだが、初めて行うことででも熟練者のような巧みさを出したり、経験者でなければ気づかないような洞察を示したり、ときには天才的なアイデアを生み出すのだという。
強い〈天星の加護の力〉を持って生まれてきた人間の中でも、特に力の強い一部の人は〈天星をまといしもの〉と呼ばれて区別されている。
〈天星をまといしもの〉たちは強力な〈天星の加護の力〉を足がかりとして、天星の中に存在する技能や知識の集まりが再び人の形をとったかのようなもの――星震体を自身に呼び寄せることができるのだ。
たとえるならば天星とつながっている加護という名の糸の太さに違いがあって、太い糸を持つ人はそれを伝ってより大きな力を呼べる、といったところだろうか。
「ちょっと見ててね」
そう言うとファーリアは椅子からすっと立ち上がった。そしてテーブルをまわって一馬からよく見える位置まで移動をした。
その場で一息入れると、ファーリアはかるく目を伏た。わきを広げて両腕を二つ折りにする。胸の手前でふたつの手のひらが向かい合わせになる格好となった。
「――獲星」
一瞬なにかが吹き上がるような圧力を放ったあと、ファーリアの身体全体が白い光に包まれる。
そしてすぐさま何かの形をかたどるように光の外枠が変化し、少女のすぐ後ろで形態を完成させた。
白い光はほっそりとした人型を保っていて輪郭がわずかずつ揺らめいている。
人型には目鼻のような凹凸や長い髪の毛のような陰影が見てとれた。
さらには背中側から突き出た羽のようなものが、両腕の外側にまで広がっている。
まるで現代世界でいう天使のようななシルエットだ。
淡く光る女性には実体が無くなかば透けるようなからだをしていて、ファーリアに触れるほど近くで空中に浮きながらその形を保っていた。
「……すげえ」
「これが星震体よ」
「この獲星状態だと無黒とでも、ちゃんと戦うことができるわ」
無黒のからだは星震体の力で傷つけることができる。
普通の武器では効果が無く火攻めもあまり期待できない相手だが、星震体の力ならばそれを可能にするのだ。
星震体を呼び寄せている間は自身がふるう武器にもその力が宿るため、無黒のからだにも刃が通じのだという。
〈天星をまといしもの〉の中でも無黒と戦うために、星震体を呼び寄せ直接剣で戦うものたちは「星輝士」と呼ばれている。
彼らは「星撃破」と呼ばれる特殊な技を使いこなし、無黒と戦う上で戦局を左右するほどの重要な存在となっている。
だが残念なことに星輝士の数は非常に少なく、彼らだけで戦争をまかなえるほどの人数をそろえることなどはできなかった。
事実この地で戦っている星輝士の数も現在はたったの二名しかいないというのだ。
いっぽう〈天星をまといしもの〉たちの中にはファーリアのように「星道儀官」と呼ばれる人たちもいる。こちらは星輝士よりも人数が多く、さらに無黒と戦う兵力を増やすことができる特殊な力を持っている。
星道儀官は自分に呼び寄せた星震体を訓練によってコントロールすることで、他人にも星震体の力を送り込むことができるのだ。
力を送り込まれた兵士たちは星撃破も使えず星輝士よりも星震体の力は劣るものの、同じように武器に力を宿すことができるのだ。
そのため星道儀官の補助があるならば、普通の兵士も無黒と戦うことが十分に可能となりえる。
星道儀官によっても個人差はあるのだが、戦場では星道儀官一人で二十人ほどの兵士に力を送り込み無黒と戦うのだという。
他にも星震魔導師というものが存在する。彼らは魔法という特別な力を行使することができるのだが、ここではまだ触れないでおこう。
話を聞いた一馬はファーリアがずいぶん大きな責任を負っている気がしてきた。
――何十人もの兵士に力を送り込み、無黒との戦いを支える仕事なのか。
一馬は自分に救世主としての期待が寄せられているプレッシャーと同じようなものを、ファーリアも感じているのだろうかと思った。
一馬がふとテーブルの方に目をやると、双子が真剣な表情で両手を組み合わせていた。
「いんかーねーしょん!」
椅子に座った二人から強い圧力が広がった。
それぞれの背中に淡く光る紫色の人影が浮かび上がる。
こどもの身体よりは一回り大きな女性の姿が、光によって構築されていく。
――しかし。
いきなり光る女性の姿が崩れ始めた。
いったん崩れ始めると紫色に光る人型は、溶け落ちる雪のようにどんどん形が崩れてゆく。
女性の面影などもはやどこにも見あたらない光は、まるで軟体動物のように大きくからだをくねらせ始めた。
「えええーっ! 変よこれ! 変よ!」
二人の口からは悲鳴が出され、それぞれの足からは手のひらがたたく音が響いた。
「魔導師の素養があるって言っても、まだまだよねー。ちゃーんと練習しないと、もうしばらくは無理なんじゃないかなぁ」
ファーリアは双子が並んで座っている椅子の背もたれに片手をつくと、指先で白金色の髪をもてあそんだ。
二人はぶつぶつと悪態をまき散らすと、星震体になりかけたものを中空に霧散させた。
飲みかけていた紅茶を一口すすると、一馬の笑いも少しは収まってきた。
「ファーリアのは羽の生えた白い女の人なのに、この子たちのは紫色なんだね」
「そうね。一人ずつみんな違ってるの。星震体は呼び出す人によってぜんぶ異なっているのよ。色や形や、その能力と強さも」
「星震体は(アスター)は得意とする分野ごとに、大きく八つの分類に分けられるけど、同じものは一つとして無いって言われているわ」
「そうだ、カズマもやってみせてよ」
「えっ」
ファーリアから何気なくかけられた一声に、一馬はひどくうろたえた。
膝の上で握りしめたこぶしと同じように一馬の表情もかたくなっていた。
そんなことなど知らない双子はテーブルの上に両手をつくと、一馬の方に身を乗り出してきた。
ふたりのきらきらと光る無邪気な関心が一馬にはひどく怖いものに思えた。
「統星者は星震体を自由自在に、最大級の力で使えるんだって伝えられているのよ」
――そうだよな……。はっきりさせないとな。
これはもう逃げられないことなんだなと一馬にも理解できた。
ファーリアに統星者の説明を聞いた時に、自分の頭の中からは除外したある可能性。
力があったとしても上手く使いこなせないとか、じつはもう使い切ってしまっていた、などという恐ろしい推測については一馬はどうしても正面からは考えたくなかったのだ。
だが三人の輝く瞳の前ではごまかしなどできなかった。
ここで救世主なのか、ただの役立たずなのかがはっきりするのだ。
ファーリアに自分のことだと何度も言われていても、一馬は統星者のことなど別の場所にいる誰かの話のように思っていた。
自分とは違う別人の運命だと思い込もうとしていた。
しかしそんなことはもうできなかった。
三人はずっと自分のことを統星者だと信じてくれているのだから。
一馬は自分のどこかに力が存在していることを本気で願った。
己の評価を下げたくないためだけではなかった
何よりも三人の期待を裏切りたくはなかったのだ。
両手の指を組み合わせてつくった思いをあずける塊に、一馬は精神を集中する。
一馬は座ったままゆっくりと目を閉じると、あの輝く人型の光をなんとか自分に呼び寄せてみようと試みた。
――たのむ。来てくれよ。
顔が熱くなり、ひたいに汗がわきそうになる。
心臓の鼓動が早くなってきた。
一馬は自分でもびっくりするほど真剣だった。
身体中から握り合わせた両手に向かって、血液が集まっていくような気がしていた。
それと同時に自分自身の内側からも何かのエネルギーが集まることを、一馬は期待していた。
まるで全力疾走をしているかのように、一馬の中で熱いものがうごめいていた。
体の熱は深く息を吸わなければ倒れてしまうほどの呼吸を消費していた。
真摯という言葉がぴったりと当てはまるほどに一馬は一心に願い続けた。
――なんでだよ。
一馬は心の中で泣きそうになっていた。
指の痛みや身体じゅうで打ち鳴らされる激しい動悸も、まるで気にはならなかった。
あの輝く人型が現われてくれるのならば一馬はどんな苦行にでも耐えられると思えた。
こんなに真剣に願っているというのに何も起こらないというのか。
――おねがいだよ。
もはや一馬は自分のためなどではなく、自分を信じてくれる人のために心の底から祈っていた。
ここには自分が目覚める前から期待を寄せ、いまでもずっと信じてくれている三人の少女たちがいるのだ。
彼女たちの目を失望で曇らせたくなど無かった。
……だが、どれだけ待っても人型の光は現れなかった。
一馬は眉間に深いしわをつくり指の色が変わるほどきつく手を握ってみたが、何も変わらなかった。
双子たちは身体を後ろにねじると、さみしそうな顔をファーリアに向けた。
「……ずっと眠ってたんだもん。まだ調子がもどらないのよ、きっと」
何か言おうとして一馬は口を開きかけたが、けっきょく何も言えずにいた。
一馬の瞳に暗いものを見つけるとファーリアはわざと明るい声を出した。
「調子が悪いだけでちゃんと力はあるんだから、きっとすぐに思い出すわよ」
「だって星震体は同じように力がある人が見ないと、人の姿には見えないって言うし、だいじょうぶよ」
ファーリアの明るいほほえみは一馬の心の影をさらに色濃くするだけだった。失敗の事実を目の当たりにしても迷わない瞳は一馬にはまぶしい。
緑の瞳にはこんな姿を見せたくはなかった。
椅子にもたれて天井をあおぐと、一馬の腕はだらりとたれ下がった。
テーブルに残された紅茶はもうすっかり冷めていた。
作中に「星震体」という単語が出てきますが、現実の星震とは一切関係はありません。
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