幕間・ムジナ
自分以外のものなんて、どうでもいい。
ミンナそうだろう?
誰が誰を利用しようと、誰が何を壊そうと、自分に係わりがなければ、それは、何もなかったと同じコトだ。
見えなければいい、聞こえなければいい、何処で、何が、起ころうとも関係ない。
誰の身にどんな不幸が起ころうとも、自分が他人を苦しめようとも、自分が苦しみを味わわなければ、一向に構わない。
特に人間と云う者は、そこに突出した生き物だ。
本当に、面白い。
恐ろしい程までに、他人に無関心になれる。
そこに誰が居ようとも、目の前で苦しんでいようとも、死に掛けていたって、見なかったコトに、聞こえなかったコトに、居なかったコトにしてしまえるのだから。
だから、誰が俺のしているコトを責められる?
何故、酷いと言える?
お前ら人間の方がよっぽど酷いではないか。
「キ、キ、キ、私が怖いか、え?キヒヒ」
「あ…う…ひ、ひぃっ!」
今、俺の目の前には、ガタガタと震え、正体もなく腰を抜かした男が居た。
服の趣味は、そうだな、悪くはない。しっかりとスーツを着込み、皺一つない真っ白なワイシャツに、穏やかな色合いのネクタイを締めていた。
だが、その男の足元にはこの男に散々利用され、絞りつくされ、苦しめられた女たちが、憎悪の塊となって、この男を逃がすまいとしがみ付いている。
まったく、こういう獲物は大歓迎だ。
「キ、キ、キ、お前はよっぽど酷い男なんだなぁ、え?俺も、良くそういわれるが、キヒヒ、後処理はしっかりやっておくモンだ、え?じゃなきゃ、こういう目に遭うコトになるのさ、キヒヒヒ!」
「や、やめ、助け…ひ、ひやぁぁ!!」
俺は大きく口を開け、男を丸ごと、勿論、足にしがみ付いた女たちの影もろとも飲み込んだ。
クチャリ、クチャリ…。しばらく口の中で獲物を転がす。
俺が喰らうのは人間の魂だ。肉なんかには興味はない。
ゆっくり時間を掛けて魂だけを喰らう。
その間に、俺の足元には肉の処理をする妖異共が集まり始めていた。
クチャリ…クチャリ…ふむ、こんなものか。
ベロリと男の体を吐き出す。
その男は目を剥き出し、喉を掻き毟るような格好で固まっていた。そこへ、小判ザメのように俺について回る妖異共が我先にと群がって行く。
「キ、キ、キ、魂が抜けても、え?痛みは感じるだろう、え?苦しいか、キヒヒ」
男の耳元に口を付けて囁いてみる。当然、男は答えることなど出来はしない。
恐らく肉の一欠けらになっても、喰われる痛みは感じているだろう。
「キ、キ、キ、キャハハハ!ヒーヒッヒッヒ!!」
俺は人間共が獲物として来た、動物や、人間に傷つけられた植物や様々なモノの恨みが澱のように溜まって成った者だ。元から哀れみなどの感情は持ち合わせていない。
人間によって苦しめられた、全てのモノ達の恨みや憎しみや悲しみが、俺を生み出した。
実に、愉快な話じゃないか。人間に獲物とされたモノが、今度は人間を獲物として存在を続けている。
だが…もし純粋に獲物と云うなら、この俺の元に居る妖異共だってその内の一つだ。俺が人間の魂を好むのは、単に他者からの恨みや憎しみが張り付いているからに他ならない。
人間共の恨みや憎しみは俺の力を増す増強剤になる。多く取れば取る程、俺の力はどんどんと増していく。
俺はそれによって相手を手もなく捻り潰せる圧倒的な力を得る。
ソレは俺にとって非常に気持ちの良いコトだ。気に入らなければ力でねじ伏せ、それでも駄目なら消してしまえば良い。
しかし、一度だけ、過去に俺の元から逃げ出したヤツが居た。
チビ。
あいつは特別だ。泣き叫んで、苦しんで、散々のた打ち回らせてから、ゆっくりと味わってやる。
折角、あれだけ目を掛けてやったのに。
あいつは、まだまだ利用できた。それこそ、チビを餌にすれば、殆んどの…いや、全部の人間が再びあいつを見かけた場所に戻って来た。
まずチビを一目見れば、どんな唐変木だろうとその姿が目に焼きついて離れなくなる。そして、四六時中考えてしまう程あいつは人間に欲望を抱かせる容姿をしていた。
人間は見もしない、居もしないチビの恋人に嫉妬の炎を燃やし、憎しみを抱く。それこそ、チビを殺してでも己の手に入れてやる、とさえ思いつめる。
俺にとってそれは好都合だった。
獲物は自ら俺に力を与えにやって来る。
チビさえ居れば腐るほどそんな人間が阿呆面下げてノコノコとやって来る。だから、俺はチビを可愛がってやった。それこそ、役に立たない他の妖異共を全て消去して、あいつだけを俺の元に置いてやるつもりだった。
だが、ある時、突然、チビは俺に歯向かった。
『私は、もう…こんな事は…嫌だ…!』
チビは俺が他の妖異を嬲りながら喰らうコトが許せない、と言う。
泣きながら、命を乞う妖異と人間の姿に耐えられない、と言う。
俺はチビのその生意気な言葉に激昂し、二度と逆らわないようにチビを痛めつけた。まずは右手をもいで喰らい、次に両足を膝下から切り落とし、喰らってやった。
『キ、キ、キ、お前ら、チビの顔以外は好きに喰らっていいぞ、え?』
他の妖異共もけしかける。最悪、首から上さえ残っていれば、幾らでも再生が可能だ。まあ、じわじわと喰われる痛みは、想像を絶する程だろうが…構いはしない。
『キ、キ、キ、どうだ、え?苦しいか?キヒヒ。俺は寛大だ、キヒヒ。謝れば許してやるぞ、ヒャハハハハ!』
だが、チビは謝らなかった。悲鳴すら、上げようとしなかった。
『ムジナ…貴方は…!』
チビはそう言うと、唇をかみ締め、俺を睨み付けやがった。
俺はその言葉を嘲ってやろうと口を開けた。だがその次の瞬間、グワンと音を立てて空間が歪み、魚眼レンズの様な景色がグルグルと回りながら迫って来た。
余りにも唐突に起きたそれは、俺から平衡感覚を奪い、気が付けば、そのまま為す術もなく、地面に叩きつけられていた。気が付けば他の妖異共も同じ有様だ。
俺はその時、思い違いをしていた事に気付く。
チビの能力は、人間を魅惑し、惑わす、その容姿だと思っていた。だが、本来は違う能力を持っていたのだ。
今の今まで俺はその力に気付いていなかった。
それを悟ったとき、俺はかつてない屈辱感と怒りに我を忘れた。
『許さんぞ、チビィィ!!』
炎のように駆け巡る怒りは周囲の景色を変えてしまう程、凄まじい風を起こさせた。
『切り刻む、切り刻んでやるぞぉぉぉ!!チビィィ!』
風を起こしている俺自身ですら、視界も聴覚も全て失う程の暴風が山肌を削り、草木を粉々に砕き、見渡す限りの荒涼とした景色を作り上げる。何もかもが砕け散り、せいぜい残っているのは、俺と辛うじて削られずに済んだ岩ぐらいだっただろう。
変わり果てた辺りを見回し、俺は満足した。
この様子なら、チビも粉々に砕き、完全に消し去っただろう。
しかし、住み心地が良かっただけに残念だが、もうこうなってはこの地に居る事は出来なかった。これだけ派手に暴れれば、人間の五月蝿い退魔師共がやってくるのは目に見えて分かっていた。
危ない橋は、渡らないに限る。
住み慣れた古巣を後ろ髪引かれる思いだったが、それでも俺は心地よい満足感を感じながらその地を後にした。
それからどれ位の年月が流れたのか、ふと、何故だか懐かしいこの地を思い出し、再びこの地を拠点に獲物を狩りを始めるコトにした。
ところが、だ。
今度は思いもよらない退魔師の出現に、思いもよらない痛手を蒙ってしまった。回復するまで、息を殺してココで過ごし、再び別の場所に移動しなければならない。
だが突然、そこに殺した筈のチビが現れた。
千載一遇のチャンスとはこの事だろう。
しかもチビは、辺りを憚らず己の弱点を曝け出していた。俺はその姿に素晴らしいアイディアを思い付く。その余りの面白さに、思わず喉を鳴らして笑ってしまった程だ。
今はまだ不味い。気付かれないように息を潜めて、チビをそっとやり過ごす。
俺は近い未来に手に入れるであろう、その甘美な時を思い描いて、じっとチャンスを窺って その場に潜み続けた。
もう少しだけ、待ってみよう。
楽しみは、最後まで取っておくものさ。
なあ、そうだろう?