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鬼のユメ  作者: 縹まとい
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幕間・風凪

 俺の心に奥深く突き刺さっている、棘。

 とても鋭く、長く……何処までも深く深く突き刺さる、罪悪感と云う、棘。

 俺はあの時以来、まともに眠れたためしが一度たりともない。毎夜、床に入っては同じ夢にうなされる。

 肌が痛む程に風を切る馬蹄ばていの音、男たちの怒声、赤々と燃え上がる炎。俺は泣きながら……振り落とされぬよう、泣きながら必死に馬にしがみ付く。

 何処まで行くのか何処を走っているのか、暗闇をひた走る馬の背に、俺はただ必死にしがみ付く。

 やがて、草原に振り落とされ…………目が覚める。

 実際はどうだったのか記憶はない。

 覚えているのは、あの日、俺が何故馬に乗っていたのかと云う他愛のない事。そう…俺はあの日、牛車に乗るはずだったのを我が儘を言って覚え立ての馬の背に乗った。

 本来なら、しないこと。

 でも、俺はどうしても馬に乗りたかった。

 俺に馬を教えてくれた教育係の男も一緒だった。だから、尚更に俺は馬に乗りたかった。

 上達した、そう言われたかった。薄闇の中でも、馬に上手に乗れると褒められたかった。

 純粋にそう願い、心を躍らせた。だがその時には、それが後の運命を変える事になるなど思いもよらなかった。

 闇の中から湧き上がる怒声を合図に、俺の居た行列は襲われた。母上と “きょうだい”の乗った牛車が瞬く間に囲い込まれる。

 教育係の男は、俺の馬の尻をしたたかに打ちつけ走らせた。俺は何かを叫んだ。男も叫んだ。

『お逃げ下さい、若様!!』

 それが、最後。

 後日、母上たちが襲われた地点よりも、だいぶ離れた場所で俺は発見されたらしい。父上は俺を抱き締め『良かった…良かった…』とやつれ切った顔で咽び泣いた。

『お前だけでも無事で、良かった……』

 俺だけ?

 俺だけって、どう云うこと?

 母上と“きょうだい”は?

 ……助かったのは、馬に乗っていた、俺だけ。

 母上の牛車の周りに居た者は皆殺された。俺の教育係だった男も、牛車に刀で突き刺され、立ったまま絶命していたとの事だった。

 そして、母上も……。

 だが、一人だけ俺以外にも行方不明者が居た。俺のたった一人の歳が離れた幼い“きょうだい”、久遠くおん

 俺は久遠以外の幼子を見た事がない。だから、周りの大人が美しいと云うのだから、そうなのだろうと思っていた。

 透き通ったキラキラと輝く瞳、柔らかく小さな手。まだ言葉が上手く喋れず、俺のことを『にぃあ』と読んでいた。

『にぃあ、にぃあ、どうじょ』

 そう言って、俺に何も持っていない手を差し出した。本人としては、何かをくれているつもりだったのだろう。

『にぃあ、どうじょ』

 幼い“きょうだい”の目を細めたくなる眩しい笑顔。

 何で、久遠が…。

 どうして、俺だけ?

 もし、俺が馬ではなく、牛車に乗っていたら?久遠と母上と一緒に居たなら?

 せめて久遠だけでも助けられたの?

 もしも、俺が久遠の傍に居たのなら……?

 もしも、俺が、強かったら、助けられたの?

 もしも、俺が、賢かったら、助けられたの?

 もしも、俺がーーーー。

 極度の緊張を味わった後に、更なる極度の罪悪感を味わった。そんな俺の胃は、何も食べていないにも関わらず、腹の中の物を全て吐き出した。

 止まらない吐き気。

 自分だけ助かった、その消えない罪悪感。それは次第に俺の心を蝕み、どんどんと深く澱となって堆積たいせきする。

 ……やがて幾つもの季節が過ぎ、久遠の消息は掴めないまま、瞬く間に時は流れて行った。 その中で父上は俺に家督を継がせた後、とてもあっけなくこの世を去り、この浮き世に一人残された俺は、最小限の使用人と共にひっそりと、家と云う残された物を守って生きていた。

 せめて、俺にとって一縷の望みである久遠の消息だけでも掴みたかった。生きているのか、死んでいるのか、それだけでも知りたかった。

 いや、…………違う。

 そんな奇麗事じゃない。

 俺は単に、自分が楽になりたいだけだ。

 俺はなんと浅ましいのだろう。

 せめて久遠が生きて、幸せになっていてくれたら、俺の罪悪感が少しは楽になるのではないかと思っているだけだ。

 人の幸せの為ではない。俺は、自身の苦しみから逃れる為だけにそう願っている。

 けれど、何も知らない他人ひとは、こんな俺の事を理想的な公達だと云う。

 皆、俺の本当の心を知っても、同じ事を言えるだろうか?

 皆、俺の醜さを知っても、同じ称賛の言葉をいえるだろうか?

 顔で笑いながら、人を気遣う振りをしながら、実はその相手の腹を探って居るのだと知っても?

 あの日以来、俺は父上にも誰にも…人に悟られないように、だが必死に仇を探していた。俺の家族を奪った者たちを俺と同じ様に滅茶苦茶にしてやりたかった。

 息子の俺が言うのも何だが、父上は大変なお人好しだった。だから、あんな事が起こっても誰も疑わなかった。単に通りすがりの盗賊に襲われたと思っていた。そう信じ切っていた。

 だが、俺は違う。

 俺は誰も信じない。

 全てを疑い、ふるいに掛け、信じるに値するモノだけを選び出す。

 俺が知りたいのは真実だ。俺の家族を奪った奴らの姿だ。

 俺は知りたいことを、求めるモノを手に入れる為なら、手段を選ばない。

 例えどんなに自身が傷付いたとしても、他人ひとを傷つけたとしても、構わない。地を這いつくばって草の根を分けてでも俺は必ず見つけ出す。

 だから俺は身分を偽り、野党や山賊たちと接触を持ち、必要とあらば手を汚した。

 貴族と犯罪者との二足の草鞋を器用に履き続ける。屋敷の者たちですら、俺がどこぞの姫へ通っていると思っているに違いない。

 そしてついに、息を潜め、探り続けた俺の一念が実を結ぶ時が来た。

 俺は何時もの様に薄汚れた衣装に身を包み、がさつで粗野な男たちの中に紛れ込む。すると、今まで一度も目にした事のない顔が二つ紛れていた。

 俺は近くの男に話し掛け、男たちの情報を仕入れる。

『ん?ああ、あいつらか。何でも、数年前にどこぞの貴族から儲け話を持ちかけられてよぉ、餓鬼を攫ってたとか何とかいってたなぁ。相当ヤバイ仕事だったらしくて、今まで身を隠してたって噂だぜ?』

 とうとう、見つけた。

 俺は早速、男たちを上手く誘い出してたっぷりの酒を振舞った。男たちの口がどんどん軽くなる。男らは散々言いたい事を勝手に喋り散らして、酔いつぶれた。俺は、怒りを腹に溜め込みながら、その瞬間を待っていた。二人をそれぞれ動けない様に縛り上げると、眠っている男たちへと水をぶちまける。

 男たちは突然の出来事に狼狽していたが、俺が刀をちらつかせると、俺の知りたい情報をペラペラと喋り出した。そして、最後に男たちは口々に命乞いの言葉を並べ立てる。

「その時の子供…久遠が今、どうしているのか喋ったら、助けてやるよ」

 だが、そんな言葉は嘘。

 男たちは色々な場所を上げて言ったが、どれもこれも嘘だと分かるものばかり。

「……もういい」

 俺はわざと急所を外した。じっくりと死の恐怖に晒されるがいい。

 そして、男たちが驚くほどあっさり喋った黒幕……それは以前、父上と懇意にしていた男。 俺が友と呼んでいる男の父親。

 押しも押されぬ大貴族。

 俺は初めて神に感謝をした。その男を失脚させる為ならば、幾らでも協力者は見つかる。一族郎党全てに生き地獄を味あわせる事が出来る。

 俺は久しぶりに心の底から笑う事が出来た。もう直ぐ、もう直ぐ仇が討てる。久遠の行方を知ることが出来る。

 そういえば、今夜はその男の息子に呼ばれていた。宴の笛の吹き手として、俺を呼んだのだ。

 いずれ何かの役に立つだろうと、今までずっと、仲良しゴッコをして来て正解だった。

 幸人、お前が悪いわけではない。怨むなら、お前の父上を怨むがいい。

 俺は何時もの様に通常業務をこなし、一旦、屋敷に帰り着替えて再び出発した。

 だが、俺を呼びつけた本人である幸人は直ぐに出てこなかった。使用人に聞いた幸人の離れへ、何気なく足を向ける。

 声を掛けるが応答はない。入れ違いか?

 そんな事を思いながら、もう来た道へ足を向け様とした時、目の端に人影が映った。

「…ん?気のせいか…?」

 もう一度よくよく覗き込んでみる。やはり、何かが動いた。

「人か?誰か、居るのか?」

 気配はある。だが、返事はない。

「おい?」

 俺はひょいと部屋に上がり込んだ。幸人の事だ、これくらいは大目に見るに違いない。

「人形…?いや、お前、人間か?」

 俺は何気なくその人物の顔を見た。その次の瞬間、凍りつく。

 これでは……まるで……母上に生き写しではないか。

 俺は思わずその頬に手を滑らせた。

「…こんなに冷たくなって。それとも、天女は体温が低いのか?」

 俺は一体何を言っている?

 けれど、世の中に似ている人物が居たって可笑しくはない筈だ。それにむしろ母上よりも久遠…久遠が成長したら、こんな感じではないだろうか?俺の心臓は期待と混乱で張り裂けんばかりに鼓動している。

 まさか、もしかしたら………。

「名前は?ないのか?」

 俺の期待していた名は、その人物の口から出る事はなかった。何かを必死に伝えようと眼差しは言っているのに、その喉はひゅうと音を鳴らしただけだった。

「…しゃべれないのか?」

 激しい落胆と共に、勝手に期待をした自分に腹が立った。そうだ、こんな筈はない。久遠が、こんな所で、こんな売女の様な扱いを受ける筈がない。

「悪かった。気が付かなくて、すまない」

 俺は少しの罪悪感と、久遠に面差しが似ている人物を重ね合わせ、思わず頭を撫でていた。 すると相手は驚いたのか、一瞬ビクリと身体を震わせた。だが、どうした事か直ぐに弾かれた様に俺へと縋り付き涙を流し始める。

 正直、俺はうろたえた。どうして良いのか分からなかった。けれど、こみ上げる懐かしさと久遠に対する愛おしさがどうしても重なり、その人物をそっと抱き締めた。

「困ったな…泣かれると、どうして良いか分からなくなる」

風凪かざなぎ!居るのか?風凪?」

 この離れへと続く廊下を走る幸人の足音が聞こえた。途端に、腕の中の身体は怯えて逃げ出そうと身を捩る。

 キラキラ輝く大きな瞳をせわしなく瞬き、可哀相になる程に震える細い身体。俺は益々それが久遠に重なり、どうしても離したくなくなった。

「もう少し…このままじゃ駄目か?すまない…何て言って良いのか言葉が見つからない。ただ、もう少しこうして居てくれ」

 もしも、この人物が本当に久遠だったならば……。

 ずっと渇望していた何かが、俺に囁き掛ける。

「風凪…?」

 ひょいと、幸人が入り口から顔を覗かせる。俺はその機会を逃さず、自然に身体を離した。 何時もより心の篭った笑顔で幸人を出迎える。

 だが、それは友人としてではない。

 この関係を断ち切る、決別の証し。

 幸人からこの子を奪う。久遠に似た者をここに置いておくわけにはいかない。例えそれが単なる自己満足だとしても、だ。

「明日にでも、俺が庭に咲いている椿でも持ってきてやろう」

 理由などどうでも良い事。再び、この子に会う為の口実になればいい。

 その時には、俺はこの子の手を引き、この忌々しい屋敷から姿を消す。生きる術なら既に身に着けた。貴族の身分になど未練はない。

 何処か遠くに行こう。

 復讐の種は既に蒔いてある。放って置いてもそれはやがて芽吹き、全てをおおい隠し飲み込むだろう。

 ならば、俺はそれをこの子と共に見届けるまでの事。

 例え俺のこの行為が畜生にも劣る行為だとしても、それが一体なんだと言うのだ?

 今度こそ、守るのだ。

 永久とわにーーーー。


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