表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼のユメ  作者: 縹まとい
19/31

第八幕:目覚め

 時間が経てば心の傷は癒える?それは本当?

 どうして、私を呼んだの?何で、私を起こしたの?

 私が、こんな姿になったのは誰のせい?誰が、私にこんなに苦しみを与えたの?

 そう…それは生きている人間、だ。

 私が出来なかった事、彼らがしてくれなかった事。

 想う事、想われる事。

 守る事、守られる事。

 それは…支えがあるということ。

 誰かが傍に居る事、誰かの傍に居る事。

 それは、きっと…独りではないこと。

 きっと…全てが……愛すること。

 冷え切った心が…ズタズタに引き裂かれた心が、燃える、熱くなる。

 『私』が『私』を失ってから、『私』が『私』を取り戻すまで…傍に居てくれたのは、誰?

 そう、それはただ一人のひと。私にとって、絶対無二のたった一つの存在…。

「……ただいま…凪」

「うん」

 頷きながら凪は私の体を優しく抱き締める。

 沈黙の下りた、静かで穏やかな部屋。もし、涙に音と香りがあるならば、それは全ての静寂を打ち消し、むせ返る芳香となって世界を埋めるだろう。

 私の心は満ちる潮のように、ひたひたとゆっくり幸せに浸っていた。と、そこへ、ぺたりぺたりと吸い付く様な足音と共に覚えのある姿が現れる。

「ふんしゅー…ほい、なんじゃぁ。そこに居るのは京かいなぁ?」

 私はまさかと思い、慌てて顔を上げて声の主へと向き直る。するとそこには、まぎれもなく時無しの沼の長老である蛙の翁が佇んでいた。

「翁…!どうしてここへ!?」

 驚きの余り、声が少し高くなる。翁は大きく裂けた口元でニンマリと微笑むと、顎を撫でながら言葉を続けた。

「ふんしゅー…なぁに、ここで世話になっとる妖異どもが、わしをせっついてのぉ。なんでも、何かをなんとかせぇとかいっとったわいぃ」

 ギョロリと視線を足元に落とす。その視線を追うと、何匹もの小さな小さな妖異たちが、翁の足元に絡みついていた。

「ふんしゅー…。まぁ…何をどうするのか、は、忘れたのぅ。じゃが…少しは手伝う事が出来そうじゃぁなぁ?」

 今度はギョロリと視線を凪に向けた。ハッと私は凪の体のを離す。翁の言いたい事は分かっていた。

「ね、凪。…傷を、治してもらおう?」

 改めて己のしでかした仕業に血の気が引いていく。幾ら凪でも、こんな深手ではどうしようもない。しかし、凪は私以外の他人に自分の体を触らせるのを極端に嫌がった。

 ましてや、今度は妖異である翁だ。

 私は凪の口から否定の言葉が出る前に、たたみか掛ける。

「お願い、ね?凪」

 凪は不機嫌に顔をしかめると抵抗をせず、無言でその身を床に投げ出した。好きにしろ、と言うことなのだろか?

 翁はぺたりぺたりと体を左右に大きく揺らして凪の傍までやってきた。

「ふんしゅー…。小さいが、なんとしっかりした魂よなぁ?お主ならちぃと荒療治でも大丈夫じゃろうて」

 翁は満足そうに大きく飛び出した目を細めて笑い、べろりと長い舌で己の口元を舐めた。

 人間の体内の殆んどを占めるのは水。

 そして翁の性質は水。

 翁が持っている力の中で、傷の治癒は最も得意とする所だ。

 翁は凪の腹に開いた傷口の外周に、己のばち状に広がった指先を置いていく。

「ぐっ…」

 凪が痛みにビクリと小さく震え、短く呻いた。私は大丈夫だと知っていながらも、凪の傍で彼の手を握る。

「ふんしゅー…こりゃあ、派手にあいたもんじゃぁなぁ?ふぇふぇふぇ。ふんしゅー…まぁ痛いが、大丈夫じゃろうて。すこぉしの我慢じゃぁ」

 翁の手が心となり、傷口全体に青く煌めく光が集まる。それは大小様々な形で蛍みたいに漂い、フワリフワリと輝いていた。そうして次第に光は急速に集まっていくと、いつしか大きな一つの球体となり、とても強い目の眩む様な輝きを放ち、部屋全体を照らし出した。

「う…ん……重い…」

 その眩しさに反応したのか、凪の傍で横たわっていた人影が小さく身じろぎをした。その上には、ぐったりともう一人が庇う様に覆いかぶさっている。

「まぶし…」

 手を翳しながら、光源に顔を向けた人物と私は目が合った。お互いに無言で暫く見詰め合う。

「きょ…う…?」

「芳華…?」

「京!!」

 がばっと芳華は起き上がると、上に乗っていた人物を跳ね飛ばして私へ抱きついてきた。

「京!…良かった!!何処か痛くない?気分悪くない?大丈夫?」

 矢継ぎ早に質問される。

「うん、大丈夫。大丈夫だよ」

「よかった、よかったよぉぉ…。会いたかった、ずっと会いたかった。京、本当に会いたかったよぉ…!」

 芳華は嗚咽を漏らしながら、再会を喜んでくれていた。私も驚いたが、嬉しくて涙が滲んだ。芳華は初めて…私に初めて出来た友達だったから。凪に呆れられるぐらい色んな事を話し合って、笑って、遊んで…。

 私に人と触れ合う、もう一つの喜びを教えてくれた大切な大切な友達。

「うん…ごめんね」

 凪に芳華…ここにこうして、大切な人が二人も私の傍に居てくれる。これ以上、私は何を望むだろう?もう何もない、何もない。これ以上の喜びも、幸せも…。

「…ったく、うるせー…。これだから、女ってヤツはよ。芳華、お前なぁ京にベタベタするんじゃねぇ…!」

 凪が苦虫を噛み潰した顔で弱々しく言い放つ。

「うるさい!京は凪だけのモノじゃないんですからねーだ!」

「京は俺んだ!!」

「ちがうもんね!」

「そうだ!」

「い・や・よ!ね?京!」

 芳華は横たわる凪へべえっと舌を突き出して、更に私へ擦り寄った。思わず笑みが零れる。この二人は前からずっとこんな風だった。

「ほんと、二人とも仲いいね」

 嬉しくて思わず口を付いた言葉に、二人は露骨に眉をしかめて同時に声を荒げる。

「違うっ!!」

「ぷっ…あはは!」

「京!!」

 再び声が重なり、二人はお互いにそっぽを向く。その声に刺激されたのか、もう一人が目を覚ました。

「う…ん。一体どうなった、の…?那岐…?」

 右手をこめかみに当てながら、のそりと体を起こす。彼はゆっくりと顔を上げ、私たちの方へと視線を上げた。

「ひっ…!!!」

 一瞬引きつった声を上げると、そのまま口をパクパクと池の鯉の様に開閉し、目を大きく見張りながら、翁を指差した。

 確かに、彼…幸人くんの反応は人間ならば当然のもので、翁を見ておきながら何の反応も示さない凪と芳華が異常なのだ。

 幸人くんは真っ青な顔をしてガクガクと全身を震わせながら、額に汗をして凪の治療を行っている翁を見詰めている。

「あの、ね、大丈夫だから。この人、私の知り合いで、その、今ちょっと凪の治療をしてくれてるだけだから…」

 私は出来るだけ幸人くんを刺激しないようにやんわりと説明する。しかし、妖異を見慣れた芳華にとっては、そんな幸人くんの姿は非常に情けなく、ガッカリするものだったらしい。あからさまに片方の眉を跳ね上げ、冷たい視線を送った。

「しっかりしなさい、幸人くん。こんなのでビビッてたら、お父さんの手伝いなんて夢のまたゆ…」

 私は慌てて芳華の口を塞いだ。

「…ばか。幸人はいいんだよ。普段は見えないんだから」

 更に、凪は冷たく言い放つ。

 別に見えないのは幸人くんが悪いわけじゃない。見えるから良いと言う物でもない筈なのだ。気が付けば、幸人くんは下唇をギュッと強くかみ締めて俯いていた。

「ちょっと、二人とも…!」

 私は二人を止めようと、口を開きかけた。すると、今まで黙っていた翁が口を開く。

「ふんしゅー…人間とは面倒な生き物じゃぁなぁ?実に面倒じゃぁ。わしに言わせれば、人間なんて皆おんなじに見えよる。つるっとして、みぃんなたてにひょろ長いだけじゃぁ。わしら妖異にすりゃ、見えようが見えまいが、人間は人間じゃぁ。無視しようが、騒ごうが、怖がろうが、泣こうが、何にもかわりゃぁせんわいぃ」

 翁の手が、光と共に凪の腹の中にめり込んでいく。

「あ…クッ…!」

「ふんしゅー…生きる上で最も大事な事は、見える事でも、特殊な能力を持っていることでもないのぉ。いかに普通に、いかに己と周りの者とを大事に出来るかだけじゃぁ。人間だけじゃぁなぁそんなことで互いにいがみ合うのはのぉふぇふぇふぇ…」

 他の人の目にどう映るか分からないが、翁はとても楽しそうだった。凪、芳華、幸人くん、ひょっとしたら私も、みんな翁にしたら足の生えかけ位のおたまじゃくしに見えるのかもしれない。

 翁の目は優しく、慈しむに様にさえ見えた。

「ふんしゅー…まぁ大体これでよかろう。小さいの、もう起きて大丈夫じゃぁ」

 ずるり、と凪の腹から手を引き出しながら翁は満足げにニンマリと微笑む。凪はその腹の不快感に顔をしかめた。

「翁、ありがとう」

 私は精一杯の感謝の心を込めてお礼を言う。

「ふんしゅー…なぁに、構わん構わん。ふぇふぇふぇ」

 ところが、柔和に笑った翁の顔が一瞬、鋭く引き締まった。

「伏せるんじゃ!!」

 今まで一度も聞いた事のない、鋭く響き渡る翁の怒鳴り声。翁はそのぼってりした体からは想像も出来ない素早さで私たちを背に庇うと、大きな水球で全員を包み込んだ。

 首の後ろの毛がゾワリと逆立った。とても嫌な感じだ。

 途端に、水球の周りに鋭く切り込む様な無数の小波さざなみが立ち、激しく水の飛沫を飛び散らせる。

「キ、キ、キ、ジジイ…歳の割りに素早いじゃねぇか、え?キヒヒ」

「ふんしゅー…。ふむ…お主は相変わらず、えげつないのぉ」

 私たちは水の壁越しに、招かれざる客と見詰め合う。

「ムジナ…!!」

「……!!」

「なに…あれ!?」

 何故ムジナほどの禍々しい妖異に誰も気付かなかったのだろうか。私は冷たい汗が背中を伝い落ちるのを感じた。恐らくこの場に居る全員が同じ思いだろう。

「キ、キ、キ、おいチビ。なんだその面は?え?キヒヒヒ…堪んないねぇ、俺が怖いか、え?チビ?どうだ?キヒヒヒ」

 喉の奥がひき付いて、鼻の奥にジンとした痛みが走る。

「キサマ…!!」

 私はギリッと唇をかみ締めた。

 このままでは私は間違いなく負ける。守るものが多過ぎる。

 私は焦りと不安で目の前が真っ暗になって行くのを感じた…。


更新がだいぶ遅くなってしまいました…。次回からは大丈夫かと思いますので、どうぞ見捨てずに最後までお付き合い下さい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ