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鬼のユメ  作者: 縹まとい
18/31

幕間・凪ノ参 下段

『…化け物!』

 ヒステリックな女の声。

『気持ちが悪い…何なの、この子。化け物よ!なんで、私の子供が……化け物!!』

 俺は、何も言わない。

『そんな目で、見るんじゃないよ!…化け物、化け物!化け物ー!!』

 俺は…黙って背を向ける。

 俺に親はない。

 そう…俺には親は居ない。

 幼かった頃、俺は小さな手を握り締め、唇をかみ締めて生きていた。

 俺を産んだ女は…俺を化け物と呼んだ。

 俺の周囲には、数え切れない程の常識では考えられない不幸が起きる。

 災害、戦、病、事故…目の前でどんどん人が死んでいく。

 何度も、何度も何度も何度も死にそうになった。

 けれど、俺は生きている。

 親父、兄弟、祖父母…皆、死んだ。

 俺を化け物と呼び続けた女も、死んだ。

 けれど、俺だけは生きている。

 …俺は、独りだ。

 人と生きる事を俺は求めなかった。

 どうせ、皆、死んで行く。

 俺は、独りだ。

 どうせ失うものならば、始めからない方がいい。

 俺は……。

「…寂しいよね?」

 ハッと俺は我に帰った。

 気が付けば京は俺の直ぐ目の前に居る。

「可哀相」

 京の獣の様に長く伸びた爪が、俺の頬を撫でる。

「独りは、嫌?」

 俺の顔を覗き込む様に身を屈め、問いかける。

「嫌?」

 ふ、と俺は笑みを漏らした。京の表情が、初めて戸惑いの色を見せる。

 俺は京と出会うまでは、一度も人として生きた事がなかった。

 それこそ、化け物と忌み嫌われ、俺を拾った師匠にですら異能者扱いされ、ただの一度も人間として扱われた事はなかった。

 日陰へ日陰へ…身を隠すように生きる生活。出会った者の全てが、誰一人として俺を認めてはくれなかった。

 ところがある日、目が眩む程の美しい妖異が、初めて俺を人として声をかけてくれた。

 独り残される俺を見て、ごめん、と言ってくれた。

 俺の心に、初めて光が射した。

 以来、俺はその妖異に恋焦がれ求め続けた。初めて生きる意味を感じる事が出来た。

「京…目を覚ませ。鬼に引きずられるな…」

 俺の生きる意味…。

 温もりの失せた京の首筋に、抱きついて頬を寄せる。

「大丈夫…お前は鬼じゃない…」

 俺の光…。

 そっと耳元に囁きかけた。

「あ…」

 京が与えてくれた俺の人としての命…全てを京の為に。

 京の頬を涙が伝う。

 暖かな雫が俺の首筋にはらはらと零れ落ちる。

「凪…」

「大丈夫」

 思いを込めて、京の心に囁きかける。微かに震える肩。

 しかし、ふいに体にドン、と云う衝撃と激痛が走った。

 京の大きな目は限界まで見開かれ、溢れる涙は止めなく…恐怖に慄いている。その顔からは一層、血の気が失せ、まるで真っ白な紙のようだ。

「いや…嫌だ…凪、助けて…凪…!」

 口内に広がるぬるっとした鉄の味。

「凪、嫌だ…こんなの、いや…」

「…ごふっ」

 軽い咳と共に一筋の血が口から流れ出る。

「いや…いや…やだぁぁ!!」

 京は俺の体を突き飛ばすように離れる。その右手は赤く染まっていた。

 鬼としての京、人としての京…二つが京の体内でせめぎあっている。頭を抱え込むように震えて座り込んだ京の表情は目まぐるしく変わって行く。

 俺は体のほぼ中央に京の腕分の風穴が開いていた。本来なら、この時点で死んでいるだろう。けれども、こんな傷ごときで…俺は死なない。いや、死ねないのだ。

 この程度の痛みなら、幾らでも堪えられる。

 何故なら、俺の体は京に喰らい尽くされるまで、命を失うことはないからだ。当然その間、苦痛は絶え間なく訪れる。

 しかし、それは俺が望んだ事。

 俺が行った京が人としての心を持ち続ける為の術…それが俺の支払う対価。

 俺は口内に溢れる血に邪魔されながらも、口に含む様に呪を唱えた。

「だめ…いやだ…いや…!!」

 歯を食いしばり、京は己の中に潜む狂気と闘っている。

 俺は足が縺れる様にフラリと踏み出す。一歩、二歩…京の傍で両膝をつく。

 震えて身を丸める京の顔を俺は両手で挟んで上を向かせた。

「……っ」

 初めて…俺は初めて京の唇に自分の唇を重ねる。

 こんな時に不謹慎だが…こうする事を何度夢見た事か。

 俺の想像以上に、それはとても冷たく、とても…柔らかかった。今まで、数え切れない程何度も触れ、その形をなぞった唇。

 俺の突然の行動に驚き、それでも俺を傷付ける事を恐れ、力なく抗う京の腕。その腕ごと、抱え込むように京を抱き締める。

 練り込んだ呪を直接、口移しで京の中に流し込んだ。

 京の中で目覚め、荒れ狂う怒り、憎しみ、悲しみ。俺はそれらを全て静める為に、全神経を傾ける。

 誰が好んで抱えきれない怒りを生むだろうか?誰が好んで人を憎むだろうか?誰が好んで悲しみを背負うだろうか?

 流れる涙はそのままに、堅く目を閉じた京は、ぐったりとその体を俺の胸に預けた。

 俺はそっと京から唇を離し、更にもう一度強く…強く抱き締める。

「…お帰り、京」

 穏やかな空気に満ちた部屋に、沈黙が落ちた。

 抱き締めた京の体に、徐々に暖かさが戻ってくる。おずおずと京の腕が俺の背中に回され、縋りつくように爪を立てる。

 泣き腫れた目が重たげに開かれると、再び涙を溢れさせ、京は穏やかな笑みを浮かべた。

「……ただいま…凪」


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