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鬼のユメ  作者: 縹まとい
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幕間・幸人

 誰かを憎む事は悪い事だ。

 僕はそう思っている。だからこそ、今まで一生懸命、憎まない様に努力してきた。

 それなのに…心の中にある僕の闇は日増しにその領域を広げていく。もう、僕一人では抱えきれない程に、大きくなっていた。

「母さん、僕、ちょっとコンビニに行って来るよ。何か買ってくる?」

 台所に立ち、夕飯の後片付けをしている母の背中に声を掛けた。忙しく動かしていた手を止めて、にこやかに振り返る。

「大丈夫よ。もう夜も遅いから、気を付けて行くのよ」

「うん。ねぇ…」

 父さんと那岐は?

 その言葉は飲み込んだ。聞かなくても分かっている。

「なあに?」

 不思議そうに首を傾げて聞き返される。

「ううん、なんでもない。行って来ます」

「そう…?いってらっしゃい」

 母は体が丈夫な方ではない。昔も今も顔色は青白く、押したら折れてしまいそうな程に細く…影が薄い。最近はだいぶ良くなったが、ちょっと前までは起きている時間より、布団に横になっている姿の方が遥かに多かった。

 子供の目から見ても、常に消え入りそうに儚く、脆い存在に思える。

 だから、僕は母に心配を掛けたくない。

 僕の中にある醜い心を知られたくない。

 僕は玄関に向かう道中、締め切られた本堂の扉へと一瞬目を遣り、チクリと胸が痛んで直ぐに逸らした。

 父さんは、僕より那岐の方が好きなんだ…。

 ギュッと唇を噛み締める。

 半ば逃げ出すように玄関に着くと、靴を引っ掛けるように外へと飛び出す。

 止まりたくなかった、振り返りたくなかった。

 一気に石段を駆け下り、そのまま走り続けてコンビニに向かう。

 僕は、父さんも那岐も嫌いだ。

 ううん、違う。

 …僕は、那岐に嫉妬しているだけだ。

「はあっ…はあっ…」

 小学校の前まで来た時、息が上がって立ち止まった。暗い校庭の先に、更に深い闇を湛えた校舎がポッカリと大きく口を開けて佇んでいた。

 ゾクリと背筋に悪寒が走る。何だって夜の校舎は何故あんなに不気味なんだろう?小さく身震いをしてその場を足早に通り過ぎる。

 僕は昔から暗闇が言いようもなく怖かった。

 十七になった今でも本当に怖いと思うし、夜のトイレも出来るだけ行かないで済むように、寝る前には水分を取らないようにしている程だ。

 高い塀に囲まれた小学校を抜けると、一つ信号を越えた先に目的地がある。

 あともう少しだ。

 僕は出来るだけ周りに目を遣らないように、足元に視線を落としながら歩いた。

 そう言えば昔、父さんが那岐を拾って来た時…五歳だった僕は喜んだんだっけ。あの時は純粋に兄弟が出来た事が嬉しかった。

 夜のトイレも、僕がお兄ちゃんなのだから怖がっちゃいけない、と思った事を覚えてる。

 父さんは拾ってきた赤ん坊に名前を付ける時、大昔の退魔師で最も力を持ちながら、突然消えてしまった人の名前を付けた。その子を拾った山が、丁度その人が消えた所だからだそうだ。

 ナギ。

 漢字は違うかもしれないけれど、そういう名前だったらしい。今思えば、その時から父さんは那岐を可愛がっていた。僕に教えない事でも、那岐にはどんどん教えていた。

 正直、その事に気が付いた僕は悔しくて泣いた。

 那岐がどんどん成長すればする程、父さんの那岐への肩入れは尋常ではなく思えた。その度に僕は独り、取り残されていく。

 家族なのに、血が繋がっている家族なのに…家の中で僕は独りだった。

「いらっしゃいませ」

 コンビニの店員は目を手元から上げずに、声だけ発する。きっと僕の存在も、他の客の存在も彼には関係ないのだろう。ただ、ひたすら手元だけに集中し、その他の全ての事を排除しているみたいに見えた。

 僕は真っ直ぐドリンクコーナーに向かい、別に特別欲しかった訳ではないけど、新発売と書いてあったお茶を手に取る。ついでに、レジの傍にあったチョコを一つ。

 無言のまま僕は店員にお金を渡し、店員も虚ろな表情のままお釣りを寄こす。

「ありがとうございましたー」

 静かに自動ドアが開閉し僕は再び夜の闇の中に戻っていた。もと来た道をひたすら足早に、足元を見ながら歩く。

 また学校が見える正門のところまで来る。見なければ良いのだろうけれど、怖いものほど見ずには居られない。

 恐る恐る視線を上げる。その視線の先には暗闇に包まれた校舎が見える筈だった。ところが実際に見えたのは、僕が想像した物とは全然違っていた。

 この時、僕は生まれて初めて息を呑むと云う事を体験した。

 校門の塀にもたれ掛かる人影。その人は苦しげに眉根を寄せ、大粒の涙を零していた。華奢な体付きで、陽炎の様に今にも消えてしまいそうだ。

 でも、僕が本当に息を呑んだのは、その人の美しさにだった。

 黒く艶やかな髪は、夜だというのに光を滑らかに反射し、抜けるように白い肌が一層美しさを増す。スラリと素直に通った鼻筋、形の良いふっくらとした唇は少し色を失っていたが、それでも桜の花を思わせる。涙に濡れた瞳は、長い睫毛に縁取られ、更にその大きさを強調していた。

 全てに於いて均整が取られた、美、と云う文字がそのまま当て嵌まる。

 それこそ、余りにも現実感を欠く程の美しさだ。

「あの、どうしたんですか?大丈夫ですか?」

 思わす声を掛ける。その人は僕が突然声を掛けたために、ビクリと体を振るわせた。

 しまった、驚かせてしまった…と少々後悔する。

「…大丈夫です」

 硬い声だけれど、とりあえず返事をしてくれたので、僕はホッと胸を撫で下ろす。

「誰か人を呼び…ます…か…」

 僕は今度こそ驚かせないようにゆっくりと近づいた。しかし、その人に近づけば近づく程、頭の片隅に妙な違和感が起こった。

 なんだ、コレは…モヤモヤと気持ちが悪い。

 その人も僕を見上げたまま固まっている。お互いに見詰めあったまま何も話せなかった。

 僕は、この人を知っている…?いや、そんな筈はない。こんなに綺麗な人ならば、一度会ったら忘れる筈がない。

「あの…以前、何処かで…?」

 きっと僕の顔は不自然な表情だったに違いない。その人は更に困ったような顔をする。

「いえ…」

 その人はそう答えて後ろに一歩下がる。何故だか僕は釣られるように追って一歩前へ出てしまう。

 どうしよう、何か言わなきゃ、変に思われる。

「あの、大丈夫ですか?顔色が…」

「大丈夫、で…」

 その人がそう答えて後ろへ下がろうとした時、突然倒れるように座り込んだ。

「…いっつ!」

 僕は驚き、思わず駆け寄って体を支えようと手を伸ばした。

 ほんの一瞬、その指先だけが触れる。

「う、あ、あぁぁ!!」

 すると、その人は悲鳴に近い声を上げて、震える手で自分の体を抱き締めてうずくまってしまった。

「ぐ…かはっ…う、うぅ…」

 どうしよう。

 一体僕はどうしたら良いんだろう?僕は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。体はまるで虫ピンに刺されたみたいに動くことが出来ない。

 とにかく、何か言わなくちゃ…!僕は何かに急き立てられるように言葉を捜した。

「あの…本当に大丈夫ですか?あの、これ、本当に余計なお世話かも知れないんですけど…さっき、コンビにで買ったばかりのお茶なんで、良かったら、どうぞ」

 その人は僕に青ざめた顔ではあるが、優しく微笑んでお茶を受け取ってくれた。

「…ありがとう。優しいんだね」

 嬉しさと恥ずかしさで、顔が火照るように熱い。

「いえ、そんなんじゃ…」

「本当に、親切にありがとう。もう大丈夫だから」

 その人はそう言うと、面白そうにクスリと笑ってくれた。僕はとても嬉しくて、本当に嬉しくて、思わず顔がほころんだ。

「そうですか、良かった」

 でも、もう大丈夫とはとても思えない。僕は心配になり、本当は直ぐに自分の家に案内して休んで貰いたかったけど、それではあんまりにも慣れなれしすぎる。それで、考えに考えた言葉がコレだった。

「僕、この先…って言っても、ちょっとまだ離れてるんですが、神社って言うか、お寺って言うか、変な門構えなんですけど…そこの息子なんです。だからって別に何が出来るって訳じゃないですけど、何か僕に出来ることがあったら何でも言って下さい。って、なんか変ですよね?なんだろう、僕、何言ってるのかな…」

 言っているうちに、何だか急に恥ずかしくなってきた。頭をかいて、つい目を逸らしてしまう。

「えっと、とにかく、僕、守月幸人って言います。何時でも来て下さい、あの、お邪魔しました!」

 とにかく恥ずかしくて、頭を大きく一回下げると、足早にその場を立ち去ってしまった。家に着く前に、あの人の名前を聞く事を忘れた事に気付いたけれど、今更引き返す事は出来なかった。

「はぁ…ばかだなぁ…」

 そう呟きながらも、僕は嬉しかった。初めて、那岐の事も何もかも忘れる事が出来たのだ。今まで、重たく長い鎖のように僕を縛り付けていた物から開放された爽やかな気持ちがとても嬉しかった。

 それなのに。

 翌日、那岐はお父さんと何やら言い争った後、家を飛び出して行ってしまった。そして、それが全ての不幸の始まりだなんて思いもしなかった。

 僕は父さんと手分けして那岐を探す羽目になり、正直、僕は那岐が見つかろうが見つからなかろうが関係ないと思っていた。

 僕の頭の中は夕べ出会った人の事で一杯だった。

 だから、わざと那岐が居なさそうな山を探す事にした。いっそ、本当にこのまま居なくなってくれないかな、とさえ思った。

 しかし、現実はそんなに甘くない。むしろ残酷で冷徹だ。それとも、人を憎んだ報いを僕は受けたのだろうか。

 夕べの人と僕は再会し、それこそ天にも昇る気持ちだった。

 なのに、そこに那岐は現れた。

 僕の目の前でその人の事を、京、と呼び、まるで恋人のように接している。

 許せなかった。

 頭の中で、何かがどんどんと壊れて行く。

 ナンデ、イツモ、ナギ、バカリ…。

 僕が何かを叫んでいる。

 でも何を言っているのか分からない。

 僕は一体何をしようとしているの?

 ナンデ、イツモ、ナギ、バカリ。

 腹の中から湧き上がってくるドス黒い感情が止められない。

 ナンデ、イツモ!!

 那岐が憎い、那岐が憎い!那岐が憎い!!

 パリン…耳の奥で、何かが砕け散る音が聞こえた。

 目で見える映像も、音も、体の感覚も、何処か遠くのスクリーンに映し出せれるように現実感がない。

 叫ぶ、掴む、手を振り下ろす。

 コマ送りで映し出される現実の世界。

 全てが嵐のように過ぎ去り、僕の中に静寂が訪れた。

「京!!」

 叫ぶ那岐の声。

 消えていた音が、感覚が夢から覚めたように、突然洪水のように僕へと流れ込んでくる。

 僕は手元を見下ろす。

 そこには那岐が京と呼んだあの人が、僕の手によって振り下ろされた独鈷杵を背中に受けて苦しんでいた。

「う、う、うわあぁ!!」

 僕は一体何をしてしまったんだ…?

 僕は一体…。

 自分の行った行為が恐ろしくて恐ろしくて震えが止まらない。

 なんて事だ…!

 僕の頭は真っ白になっていた。自分の考えが止まってしまった。

 何も考えられない程、真っ白に。けれどもそこへ、誰かの呟く声が響く。

 今度こそ、こんなことはしないと誓ったのに。今度こそ、誰も傷付けないと決めたのに…!!よりによって、また僕はべにを傷付けた…と。

 紅とは一体誰なのか、誰かを傷付けたとは何のことなのか。

 僕はただ、その場に力なく座り続ける事しか出来なかった。


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