第一幕:別れ
いつから私はこのような事を繰り返しているのだろう?
はるか昔、ずっと昔、私が…私が………。
「ごめんね、ごめん…。凪、凪、凪、ごめん」
涙が止まらない。胸が張り裂けそうだ。こみ上げる嗚咽が喉を塞ぐ。苦しくて苦しくて堪らない。
「泣くなよ、京。また会える、また直ぐ会えるから」
温かく大きな手が、私の氷の様に冷たくなった頬に触れる。
堪えていた感情が、凪の触れた所から体中に電流のように走り抜けた。
もう、駄目だ。
私は息苦しいほどに締め付ける胸の痛みに突き動かされ、凪の胸に縋り付いた。
「凪、凪、なぎ…」
「また必ず俺を見つけてくれ、京。…ほんの少しの別れだ。だから笑ってくれ、な?」
「凪…」
微笑もうとしてくしゃりとつぶれた瞳から涙が溢れた。
リンリン、リリン…。
午前二時の訪れを壁に掛けたカラクリ時計が告げる。軽快に流れるメロディ。凪が子供のころに欲しがった時計。『この時計、凄いんだぜ!月と太陽が入れ替わったり、馬と鳥が入れ替わったり。な?綺麗だろ?ちゃんと時報も鳴るんだぜ!』凪は知っていたのだろうか?この時計は悲しいお伽話がモデルであることを。
鳥は妖精の王女、馬は人間の青年。
許されぬ恋に落ちた二人。
それ故に、お互いを求めたが故に…王女は昼間は鳥に、青年は夜には馬へと姿を変えられる呪いを受けた。二人は互いを伝え合う言葉を失い、互いに抱き合う腕を失い、夜と昼の狭間、夜明けと夕方の狭間のほんの短い間にしか人の姿で出会うことが出来ない。
共に手を取り合い、愛を言葉を伝え合い、生きることを禁じられた悲しい二人。
そう…それはどこか、私たちのようではないだろうか?
「時間だ、京」
「い、や…嫌だ…!な…ぎ…」
私は己の体の変化を感じ取る。人の形から異形の者へ。だが、瞳から流れ出る涙は決して涸れることはない。
「京、俺は必ずお前の元に帰ってくる。どんなことをしても、必ず。…だから、待っていてくれ」
メキリ、と骨が軋む。激しい体の痛み。だが、それを遥かに上回る心の痛み。私の脆弱な心は今にもその痛みに押しつぶされ、粉々に砕け散ってしまいそうだ。
嫌だ、嫌だ!もう、こんな事はしたくない!!嫌だ!嫌だ!い・や・だ!
「ぐぅぅ…な…ぎィィ…!」
私の狂気の叫びは虚空に響く。どんなに抗い、しがみ付こうとも人間としての理性も自我も全て失われていく。薄れ行く意識の端に、凪の優しい微笑と、その唇が最後の言葉を紡ぎ出しているのが見えた。
その言葉はかつて幾度となく、凪が最後の時に私へと向けてくれたもの。だが、決して私の耳には届かないただひとつの言葉。どんなに時が経っても、どんなに耳元で囁かれても、私の耳にその言葉が届く事は永遠に訪れる事はないだろう。
「グガァァァ…!」
異形の者となり我を忘れた私の口から鋭く伸びた牙が、凪の無防備な喉元に躊躇なく食い込んだ。ゴキン、骨の折れる鈍い音が部屋に響く。その瞬間、妖異となって氷付いていた私の脳裏に眩しい瞬きとなって凪との思い出が甦った。凪の幼い頃の笑顔、初めて歩いた瞬間、凪が記憶を取り戻した日、18回の誕生日、17回のクリスマス、18回の正月。笑って、泣いて、互いの温もりを抱きしめ合って過ごした18年。
ああ、また…また全てを失ってしまった。
様々な記憶が怒涛のように押し寄せ、一瞬にして過ぎ去って行く。私が今の私で居る限り何度も何度も繰り返される凪との出会いと別れ。もし私が人であったならば、人でさえあったならば…と、どんなにそう願ったか。
しかし、どんなにどんなに願い請うても、私は自らの手で、牙で、爪で、凪を引き裂き肉の一片、血の一滴、髪の一筋すら残さず私は己の体に収める。人ではない私がせめてそうすれば、ずっと凪と一緒に居られるのではないかと、共に生きる事が出来るのではないか…とそう思っているかのようだ。
ぴしゃり、ぴしゃり…異様に伸びた舌が全てを舐めとる。
「…な…ぎ…」
凪を喰らい尽くした私は人の心を取り戻し、異形から人の姿に戻りつつあった。長く伸びた爪が、己の所業に怯えて体を抱きしめるようにしている私の両肩に深く食い込む。
「う…うわぁぁぁぁ!!」
私の許されない罪。
未来永劫、その罪は消える事はない。
ごめんね、凪。それでも私は凪と共に生きたい。
「うっ…ひっく…。い、行かなくちゃ」
重い体を引きずりながら、私は凪と共に過ごした部屋を後にした。もとより家財道具は全て処分してある。残っているのは私の記憶のみ。
凪、次にあった時にも私に笑いかけてくれるだろうか?私を思い出してくれるだろうか?
凪、私は必ずキミを見付け出す。それまで待っていてくれるだろうか?
凪、私はもうキミに会いたくて会いたくて堪らない…。




