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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第九章:捻くれX真実の行方=再会
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消える月と、欺瞞の月。宿すは何色か




 渇愛。抱いた想いを言葉にするとしたら、きっとそれが一番近いのだろう。

 どれだけ与えられても満たされる事が無く、それでも激しく求め続けた欲望は、結局のところ実るどころか多くを歪めていった。

 ただそれは、人間であれば数ある男女の物語の中の一つにしかならず、悲劇として片付けられたものなのだ。

 纏め上げれば、想い人と結ばれない腹いせとして、相手が好意を寄せた者を逆恨みした。この一文で説明がついてしまう。

 その背景にどんな想いがあるかどうかで悲恋か悲劇か、少しばかりの違いは出るが、だとしても少なくとも別々の世界が繋がるという事態には陥らなかった。


 命が失われずに済んだ、とは言わない。

 男女間のいざこざで、人は簡単に死ぬのだ。殺したり、殺されたり――勿論、規格外ではあっただろうが、中心に居るのが力を持った意味ある者達でなければ、紡ぎの民が語り世界を巻き込む出来事にはならなかった。

 全てを引き起こした始まりの男女については語った。この物語の始まり、きっかけの男女についてもそうだ。

 となれば、後一つ無視できない過去がある。一組の精霊王について、我々はまだ知らない。


 世界の象徴である精霊王の中でも、特別に特質で偉大な存在。本人達には訪れない、動く物(どうぶつ)や仲間が生み出す精霊を含んだ、全てを象徴する王。

 生も死も無い精霊王であるが、彼等の意味である精霊は彼等の手によって生み出されるのだから、消える事即ちそれが精霊の死となる。

 生の精霊王と死の精霊王。精霊を持たないこの二人の王は、だからこそ特別だった。

 風を操ることも、何かを癒すことも出来ない代わりに、だからこそ強大な力を有していた。


 この二人は、精霊王の無い命を管理出来たのだ。

 生の精霊王であれば、命を与えることで死を。死の精霊王であれば、死を与えることで生を奪う。

 自らを誇っている精霊王にとって、自身の消失は考えられないものであった。逆らう従う以前に、二人の特別な精霊王も仲間の一人であった。

 それが歪んだのは、恐怖を抱くようになったのは、二つの特別の片割れのたった一言から始まる。


「私ね、この人の愛と私の愛を形にしたいと思っているの」


 背後に人間と名付けた男を引き連れながら、死の象徴である精霊王が放った一言。十一人の精霊王にとって、愛とは彼女だった。

 死の精霊王がその象徴に似合わず、慈悲深くとても多感だったからこそ、他の精霊王もまた様々感じることが出来たのだ。


 生の精霊王は、パートナーとしても当たり前に死の精霊王を愛し、自分達が精霊を生み出すことは出来ないが、その代わり精霊に纏わる全てを背負っているのだと思っていた。

 死の精霊王のパートナーとして、精霊王として、自分を誇って全てとしていたにも関わらず。彼女の言葉を聞いた時の絶望感は計り知れないものだ。


 何度も見てきたはずの幸せそうな笑顔が、どれだけ残酷だったか。きっと、今でも死の精霊王は知らないだろう。

 その瞬間、生の精霊王は与える側から奪う側に身を落とし、呆然と無力で脆弱な人間の男を見る十一の瞳は自身を哀れんだ。


「君は、自分の言っていることが分かっているのか?」


 生の精霊王が静かに責める。死の精霊王は不思議そうに首を傾げた。


「君は精霊王で、この僕の片割れだ。なのに君は、僕以外を……、精霊王以外を愛すると言うのか」


「でもそれは、私では無く精霊王の役割でしょう? 私自身の気持ちじゃないわ」


 食い違った二人の精霊王の意思は、その日を境に暗転していく。周囲を全く省みず、想いのみに従い人間の男と日々を共にした死の精霊王。その様子を、説得しつつ眺め続けた十一人の仲間たち。

 生の精精王は次第に暗い影を落とし始め、彼に想いを寄せつつも死の精霊王と違い想えるだけで満足していた女たちが慰めた。けれども、溝だけが広がっていく。


 そんな日が続いたある日。

 元凶となった人間の男が、ふと思い出した様に死の精霊王へと囁いた。


「一度、生まれた地へと戻ろうと思うんだ。両親にも会っておきたい」


 その頃には、人間の男も森にて一生を終えるつもりでおり、だからこその申し出だったのだろう。男から人間の暮らしを様々聞いていた死の精霊王は、「まぁ、素敵ね!」と手を叩いて喜びながら一つの提案をする。


「それなら、私も一緒に外を見てみたいわ! あなたをこの世に生み落としてくれた者にも会ってみたいもの」


「けれど、君の友人たちが許してくれるだろうか」


 無邪気にはしゃぐだけの死の精霊王だが、人間の男は自分が他の精霊王に歓迎されておらず、さらに森が彼等の世界の全てだと分かっていた。彼女の提案が、そう簡単に喜べるもので無いこともだ。

 けれど、死の精霊王は何の問題も無いと言い切り、自分も着いて行くと言ってきかなかった。


「皆は、精霊王であることに満足しているのよ。でも、私は違うわ。自分の目で感じ、考え、想って……。そうして世界の中に居たいの」


「そこがきっと、君の魅力なんだろうね」


 優しい手付きで頬を撫ぜる男に身を寄せる死の精霊王。二人は森の中で、愛を景色に輝いていた。

 ただ、死の精霊王の森を出る発言には、二人を見守っていた精霊も流石に黙ってはいられず、彼等の旅の計画はすぐさま他の精霊王たちに露見する。


 そして、生の精霊王の怒りが爆発した――


「君は死の精霊王だ! であれば、君がこの男の死を招いたに他ならない!」


 人間の男が森を出ると告げ、死の精霊王が共に行くと提案した次の日。温かな朝日が降り注ぎ虹が架かる、変わらない森の日常を写し出していた日のことだった。

 精霊王たちが日々を過ごす木々が開けた場所には、初めて森に流れる色があった。

 森に元々居た動く物(どうぶつ)とは少し違う、どす黒い赤――

 それを中心に、十二人の精霊王が其々異なった表情を浮かべながら立っている。神聖な森とは思えない毒々しさ、暗黒さを醸し出していた。


「僕等は精霊王であり、君と相反する僕だけが君の力を打ち消し共に居られる。だから、僕等はパートナーをそれぞれ有しているんじゃないか」


 必死に男の名を呼ぶ声が森に響く。それと同じに、生の精霊王の諭す声が木霊する。

 けれども、死の精霊王は動かなくなった動く物(どうぶつ)の身体に縋り泣くだけで、生の精霊王の言葉には一切耳を貸していなかった。


「意味のある僕等が無価値な存在を求めても、それは世界の意に反することだ。僕等は僕等だけの世界を築かなければならないんだよ」


 それでも生の精霊王は諭し続け、泣き叫ぶ死の精霊王の肩へと手を置く。

 そうして、渇いた音が森に重なった。


「私に触らないで!」


 陽の精霊王に呼ばれ、人間の男から少し離れた間の出来事。その間に、彼は生の精霊王の手に掛かり赤を流した。

 地を染めるその色は、身体から漏れる気配は、森に住む他の動く物(どうぶつ)と同じ最期だ。ただ、一つだけ違うのはその中に強い想いが残っているということ。

 男はどんな最期を想ったのだろう。死の精霊王は必死に感じようとし、悔しさを得る。無念な想いを抱いた。


「私が死を招いたというのなら、あなたは自分を冒涜したということよ、生の精霊王!」


 紡がれる命の象徴として存在するにも関わらず、それを断ち切る行為で森を穢した。そう言って、死の精霊王が男の身体から振り返れば、彼女の目は憎悪に燃えながら生の精霊王を睨みつけていた。


「なら、この何の力も持たない人間の男とやらは、君に一体何をしてくれたというんだ!」


 精霊王としての役割を忘れかけ、誤った道へと進もうとしていた死の精霊王を救ったと考える生の精霊王。だというのに、彼の愛するパートナーが向ける想いは辛辣だ。

 何故なのか。今まで長い間共に時間を過ごしてきたにも関わらず、一瞬にも満たない時しか共有していない命に向けられた想いも、生の精霊王には分からなかった。

 一体、人間の男と死の精霊王の間にあった愛と、自分や他の仲間が彼女に向けていた愛の何が違うのか。どうして、人数も多く価値も重い側の愛が報われないのか。

 腹の奥底を蠢く感情のまま、生の精霊王は払われた手で今度は死の精霊王の腕を掴む。


「私を愛してくれたわ!」


「僕等も同じだろう! 寧ろ、僕等の方が数も価値も、重みも何もかもが優っている。君がそれを無碍にして、ちっぽけな命に惑わされていたんだ!」


「そんなわけがないじゃない!」


「いや、そうさ。見た目が似ている、言葉を交わせる。そんな動く物(どうぶつ)発見(・・)して、有頂天になっていただけだろう?」


 その価値観を知らない、精霊王でない者が語ったところで、二人のすれ違いや衝突を前にどちらが正しいかなど理解できはしない。未来を歪めたのは、価値観でも概念でも無かった。

 ただ、少なくとも、精霊王たちにとってこの場での間違いは死の精霊王だったのだろう。誰も、彼女の言葉を理解せず、慰めも同情もしなかった。

 流れるのは、非難の視線とたった一人の悲しみの涙、そして未だに止まらない命の水。傍らにしゃがみこんだままの死の精霊王の足や手は赤黒く染まっていた。


「あなた達は、力に溺れているだけ。私を愛してなんかいないわ!」


「いい加減目を覚ますんだ、死の精霊王!」


「私は――――よ!」


 自身にとって初めての涙を流す、真っ赤になった碧色(セレスト)。人間の男が授けた名を叫ぶ彼女の腕を掴む力が増し、漆黒が元凶だった()に憎悪をぶつける。


「君は死の精霊王だ。君の言う愛とやらが、この男を殺した」


 生の精霊王はそう言って、「君は死の精霊王だ」狂ったように繰り返す。


「あなた達が愛しているのは死の精霊王でしょう!? 私を愛してくれたのは彼だけだわ!」


 取られた腕はそのまま、それでも人間の男の身体に突っ伏した死の精霊王は、味方の居ない一人きりで彼の死を悼んだ。


「返して……! 彼を返してよ……!」


 そして、戻らない命の帰還を願い、巻き戻らない時を請う。

 悲痛な叫びが森へと木霊した。


 ここで、全てが終わればそれで良かったのだろう。けれど、何度も言うが彼等は力を持った精霊王だった。

 死の精霊王が愛した男の死を受け入れなかったことで、全てが狂い歪んでいくのだが、彼女が叫んだ瞬間十一人の精霊王が素早く動く。

 迸る閃光と、爆発し掛けた力を包み込む闇。闇と光の精霊王の咄嗟の判断が、一度目の崩壊の危機を回避していた。


「離して! 離しなさい、水! 風!」


 暴れる死の精霊王を羽交い絞めにしたのは、現在(いま)とは違いまるで別人のように人形のような無表情さを浮かべる水と風の精霊王である。

 二人もまた、死の精霊王を当たり前のように愛していた。

 しかし、パートナーである生の精霊王を無視し、人間の男のように想う愛では無い。ただ慈しみたい相手として、死の精霊王を愛していた。


「そうしたら、お前はあの男の死を払うだろう?」


「払った後は、この森から出て行くじゃないか」


 淡々と二人はそう言って、拘束する力を強めた。

 死の精霊王。彼女は、眷属となる精霊を持たず、自身のみで世界の均衡を保つ一つとしての意味を持つ。そんな存在が使える力もまた、精霊王の中でも別格である。彼女は、世界の均衡が保たれている状態である限り、死を退ける――つまりは、命を蘇生させることが出来た。

 そして、パートナーである生の精霊王も同じ条件下であれば、生を伸ばす――一つの命を転生させることが可能だった。


 どちらも、命あるものからすれば、神となんら変わらない。絶対不可侵である領域で存在しているのだから。

 ただ、本人たちからすれば、二つの力は全く性質が異なり意味合いも違った。

 蘇生することは即ち、死を退けはすれど生を与えるに非ず、結局肉体のダメージが影響してしまう。それでも死の精霊王が男に強行しようとしたのは、その後にすぐさま治癒を頼むつもりだったからだ。

 水の精霊王が自分の頼みを断らないと、死の精霊王は自惚れていた。

 ただ、万が一蘇生が叶っても、水の精霊王もこの時ばかりは従わなかっただろう。自分なりに愛していた彼にとって、人間の男は邪魔でしかないのだ。


 そして、転生であるが、その力は蘇生とはまた違う。同じ生を冠しているが、死を退ける蘇生に対して生を与えるのが転生だ。

 ただし、転生の場合は一度死を受け入れなければならない。新しい肉体に新たな魂。それを、訪れた死を用いて作るのが転生であり、再び世界の一因として命を紡ぐには幾らか時間を有してしまう。


 どちらにせよ、その力を使える対象は限りある命を持った魂であり、正直なところ、精霊王にとっては何の役にも立たないもので、生と死の精霊王が彼等の中で特別なのは、そんな力を使える程に強大な魔力を持っている点である。


「君は、現実というものを知るべきだ」


 風と水に動きを封じられながら、それでも必死に蘇生を試みる死の精霊王。

 時間が経過すればするほど、男の身体は腐敗が進みせっかっくの力が無駄になってしまう。

 そんな様子を冷ややかな視線で眺めていた生の精霊王は、今までの興奮を潜めながら静かに言った。彼は、たった一日で、人間について精霊を通して知っていた。

 それもまた、生と死を特別にしている。二人だけは、属性や眷属に関わらず、全ての精霊と関わりが持てた。


「人間は、どれだけ想いが強かろうと現実を前にすれば酷く脆弱で醜悪。その証拠を、この僕の力で教えてあげるよ」


 生の精霊王はそう言って、死の精霊王の為と力を練る。それがどれだけ黒い気配を纏っていたことか。

 死の精霊王は何をしようとしているのか直ぐに察した。生の精霊王は、人間の男を転生させようとしたのだ。


 それは一見、とても魅力的にも思える。けれど、魂の仕組みや世界の理を熟知している存在にとっては、喜ばしいものではない。

 転生すれば、確かに新たな生が宿って世界に再来できるだろう。けれど、生れ落ちた時点で、時を過ごした魂と同じ質を持つとなれば、本来まっさらでなくてはならないものが色付いていることになり、どんな影響が出てしまうか。

 通常の動く物(どうぶつ)であれば、幼いながらに狩りや群れの仕組みを知っているぐらいで、寧ろとても優秀で済む。しかし、精霊王と変わらない思考や意思を持つ人間ともなれば、それだけ魂も複雑。下手をすれば、生まれた時点で精神が崩壊してしまうこともあり得る。

 運良く、いくらか成長するまでは前世の魂が眠っていたとしても、現世と前世の魂が混ざった時にどうなってしまうか――


 それはもう、死の精霊王が愛した人間だとは言えない。


「やめて……! ――――!」


 死の精霊王は叫んだ。彼女が愛した相手に教わった名を。

 けれど、最早命の水すら出しつくした身体が答えてくれることは無い。


 全てを歪めたのは、想いでは無く判断だった。


 生の精霊王が力を行使する間際、全力で風と水の拘束から逃れた死の精霊王は、どす黒い力の塊と愛した人間の身体との間に自身を滑りこませ両手を広げた。


「死――!」


 予期せぬその行動に、十一の息を呑む音が森を支配する。

 死を退けるという、慈悲深き空想的な力。死の精霊王にとって、初めて行使した記念すべき時は、自己満足によってもたらされた。

 さらに、生を与えるという神々しいまでに幻想的な生の精霊王の力は、憎悪や嫉妬によってもたらされた。


 そして、精霊王を待つ穏やかな未来は失われる。


 避けることも止めることも出来ず、強大な力を受け止めた死の精霊王の身体は、醜く爛れ破壊される。実体を持てるが精霊である身体に起こったその現象は、消滅を予期させた。


「水、治癒を!」


「それよりもまず、分散する力を留めるのが先だ!」


 倒れゆく美しい四肢。散らばる金の髪に赤い涙を零す碧。それを呆然と眺めるしか出来ない漆黒――

 周囲では、愛する仲間が失われないよう必死に叫ぶ声が飛び交う。


 ある者は、愛する女として。ある者は、愛する男が愛する女として。ある者は、愛する仲間として。ある者は、愛する友として――


 其々、違いがありはすれ、誰もが死の精霊王を愛していた。

 そんな愛を前に、死の精霊王は人間の男を愛した。


「どうして……!」


 消えかける身体を前に、生の精霊王が叫べば、死の精霊王が嗤う。


「私達の愛は、誰にも壊させない」


 命を持たない精霊が、どの条件も満たさないまま転生の力を浴びればどんな影響が出るのか誰にも分からなかった。

 さらに、特別が仇となり、十の精霊王が力を合わせても生の精霊王が行使した力を上回ることができず、さらに死の精霊王が転生の力を受け入れてしまったことにより打つ手が失われる。


 壊れた絆。奪われた想い。様々絡み合った糸は、生の精霊王が起こした凶行、彼にとっては正しい選択を前に収拾不可能までに粉々に千切れ、多くの狂気を生む。

 全ての美しさを壊されながら、死の精霊王は朽ちかけた唇で紡ぐ。


「だって、約束したもの。私達は、ずっと一緒だって。私がずっと、彼の死を引き受け続けるって」


「だったら、僕も約束するよ」


 必死に力を使っても、死の精霊王の力を留められない精霊王たちが絶望に立ちつくす中、嗤う彼女に涙する生の精霊王が言う。

 死の精霊王の憎しみが生の精霊王を貫き、彼の愛が憎悪に変わりながら一つの骸へと向けられる。


 そして、果たしたところで誰も報われない約束が幾つも飛び交った。どれも一方的で自分勝手。中でも、生の精霊王のものは別格だ。

 

「絶対に君を取り戻す。君は僕のモノだ――」


 どちらも、精霊王ともなれば簡単に消えないという驕りがあった。世界に影響を及ぼしすぎる前に、世界がどうにかしてくれるだろうとも。

 そうして、命のないまま転生の力を受けてしまった死の精霊王は美しいとはいえない泡粒となって消えた。


 結果、驕りを見事覆され、世界の異物として弾かれて地球へと流れ着いた死の精霊王を凝縮した塊は、本当に偶然その時生まれ落ちた命の一つに定着する。

 雨が続いた湿った日のことだ。産声を上げたばかりの小さな女児は、そうやって知らぬ内に生と死の狭間に身を落とすことが決まる。


 死の精霊王の力を頼りに、アピスと地球の繋がった道を辿り橋を掛けたのは生の精霊王。パートナーだからこそ、彼はその偉業をなし得た。

 だからこそ、生の精霊王以外が地球で紗那と関わることは無かったのだ。


 それより先に、死の精霊王が消えてからの精霊王たちのその後を語っておこう。

 まず、人間の男の亡骸であるが、彼は精霊王の存在を世界中の人間に知らしめる道具としての道を辿る。

 その頃はまだ、精霊は人の前に姿を現すことを躊躇していなかった。精霊と人間は、存在を認識した上で別の世界に生きる間柄であった。

 しかし、一体の亡骸により、精霊王という存在の神として彼等は君臨する。男はその神に逆らった蛮族として、最後の役割を果たしたのだ。


 しかし、他の精霊王は、死の精霊王が目の前から消えたことにより、最大に冷静さを失った生の精霊王の力の暴発によって歪んだ生に縛られ、その結果精石という()へと成り果てる。

 様々なバランスはそうやって感じられない程にゆっくりと崩れていき、次第に生の精霊王は世界を掌握したという思い違いを抱くのだ。


 死の精霊王の不在によって崩れる均衡も、精霊王が精石になってしまったことによって起こる世界からの警告も、全て自分の采配だと――


 仲間も、想いも、命も、願いも。何もかもが、生の精霊王の前では道具に変わった。

 デルフィニウムにとって、彼を愛する陽と地と空は使い勝手の良い駒。死の精霊王に再び会いたいと願う風と、同じ様に彼女の愛を未だ抱き続け慈悲を真似る水は、利用しやすい捨て駒。その他の精霊王たちは、目障りか邪魔だったから、精石の中で大人しくさせていた。


 全ては、一方的に結んだ約束を果たし、再び愛するパートナーと再会する為。一人の人間の少女が捕らえる死の精霊王を取り戻す為――


「私の生が邪魔をして、魂が鎖となって、あの女の意識を浮上させない。河内紗那という存在がある限り、肉体を行使する権利は元の持ち主である私にある。そうだよね」


 行儀悪くテーブルの上に乗り、デルフィニウムの髪を一房握って至近距離で瞳を覗き込んだ紗那は、何故その真実を知っているのだと目を見開く周囲を他所に真実を語っていた。


「それからだ。君が髪を金に、瞳をブルーに変えたのは。そうすることで、常にあの女が傍らに居るよう錯覚した」


 陽の精霊王が脱落し、大地、雷、光、闇の順で(カード)が切られ、ゲームは進む。

 驚けば失格になってしまうと必死に感情を抑える精霊王たちだが、唯一札とならないデルフィニウムは感情のまま表情を映す。


「きっと、私がアピスに渡っても魂が完全に壊れなかったのは予想外だったんだろう。背負わせた義務は、建前で保険だった。まあ、準備を怠らず万が一を想定するその用意周到さは賞賛に値するけれど」


 唇に手を当てクスクスと身体を揺らした拍子に、飲みかけのまま放置されていたグラスが床を叩いた。

 広がる濃い茶色の液体は、真っ白い部屋では酷く異質だ。


「あーあ……。そうだ、せっかくだから君にも一杯ご馳走してあげる」


 忘れていたと零しながら広がる液体を眺めた紗那は、あまり悪びれた素振りもなく右手を振る。

 それだけで、汚れた床が跡形もなく白に戻り、さらにその手には湯気をたてる新たなカップが二つ握られていた。


「だから、私にとってアピスに来られたのはひどく幸運で。こうして、再びこの空間に辿り着けたのには達成感で一杯だ」


 「さぁ、どうぞ」微笑みながら差し出されたカップを、デルフィニウムは一瞥するだけで受け取ろうとしない。

 仕方なく目の前に置き、テーブルの端で足をぶら下げながら自分の分を味わい始めた紗那は、精霊王が隠した真実を人間でありながら明かした。

 昔、死の精霊王と彼女が愛した男を不憫に思い、精霊が密かに人間へと伝え色褪せてしまった歴史。雷の国の聖殿に残されていた壁画こそ、それを語り伝えようとしていた残骸だ。


「その旅も、僕の掌の上にあったんだけどねぇ」


 あくまで自信(・・)自身(・・)も揺らがせない紗那へ、驚きばかりを感じさせられてしまっているデルフィニウム。ここまで彼女が事態を把握していることが、そもそも不自然である。

 地球にいても、アピスに来てからも、真実を知るのは難しい。それでも手札を持ち、それを次々出していく紗那を前に、デルフィニウムも他の精霊王たちも動揺させられっぱなしだ。

 ただ、そうやって札が切られれば切られていくだけ、動揺に反して冷静になれてもくる。

 考えられる理由は、予想というには最早ほとんど限られているからだ。


 紗那がテーブルに乗ったことで、隠されていた右手の爪の異変をデルフィニウムも気付いていた。

 わざとそれを示すように腕を取れば、紗那は不敵に嗤う。


「君が仲間だと思っていた風と水。彼等は僕の伏兵だよ」


「へぇ……、それは知らなかった」


「白々しいね。だったら、アピスの王が集ったことは知っているかい?」


「勿論。歴史上初の理由となった者が知らないはずないじゃないか」


 愛しそうに指を取る動きを追いながら、紗那は面白そうだと攻めを渡す。

 けれどもデルフィニウムは、ぼそり「可愛くない」と呟き舌打ちした。


「うん。流石の僕も面白そうでね、少し参加してみたんだよ」


「参加? 君が人間に化けられる気概を持っていたなんて、そこがまず驚きだよ」


 デルフィニウムの過去を知った今、彼の人間に対する恨みが相当なものだというのは察しがつく。

 けれど、紗那が言うそれは、純粋な驚きも皮肉に変えてしまう。大袈裟に肩を上げれば案の定、デルフィニウムの眉間で盛大に皺が作られ、漆黒の瞳が剣呑に向かってくる。

 ただし、今の話題について、紗那は情報を持っていなかった。純粋に首を傾げてもいたのだ。


精霊の門番(ガーディナー)という存在を知っているかい?」


精霊の森(ティターニア)の守人として、君の駒になってしまった哀れな人間の一族だっけ」


 カップを上下させる手を止め、自身の持つ情報を引き出す紗那。それを「人間としては見事な回答だ」と嗤うデルフィニウム。二人の動きが一瞬止まり、片方は静かに考えを巡らせた。

 それを弄びながら、もう一方が口をゆっくりともったいぶりながら開いていく。


「その長はね、代々同じ名を授かる習わしになっているんだ。勿論、表向きはね」


「ということは、本当は違うと」


「当たり前さ。だって、僕等にとって精霊の森は帰るべき家なんだ。そんな場所を、人間如きに任せるはず無いだろう?」


 デルフィニウムの言い分を尤もだとどうしてか紗那も頷き、その後、しまったと一人苛立たしげに舌打ちをしている。それを見た海の精霊王が、不安そうに瞳を揺らしていた。


「スペンサー・ヴィンス・ガーディナー。これが、精霊の門番の長の名であり、僕が僕自身に授けた名。精霊の王たる者に相応しい唯一の名だ。いい加減、デルフィニウムなど陳腐なもので呼ぶのはよしてくれ」


 そうしている間に、唐突に告げられた真名。けれど、紗那にとって生の精霊王はデルフィニウムでしかなく、堂々と言い放った彼とは温度差激しく「ふーん……」と生返事を返すだけだった。

 期待外れ感が否めないと、首をだらしなく垂らし脱力すれば、肩から落ちた髪が忌々しげに引っ張られる。


「っ……、痛いなぁ、もう!」


「君にまともさを期待した僕が馬鹿だったのかな」


「仕方ないじゃないか。今更、終わった旅の中で君がしてきた妨害を教えてもらったところで、どう驚けばいいのさ。それとも、生の精霊王はマゾっ気があったのかな」


 理不尽な八つ当たりでありながら、紗那がされてきたモノに比べれば痛くも痒くもないものに反抗し、振り払いながらやっとのことで椅子へと戻った彼女は、「クランクじゃあるまいし」と呟き笑った。

 生の精霊王が、デルフィニウムではなくスペンサーであろうが、人間に化けて旅を邪魔していたり人間の王と会っていようが、終わったことに興味は無い。それが今に影響しているならまだしも、そこから何かしら隠された真実があるとは感じられなかった。


 仕掛けられた側が仕掛けた側と同じ舞台に並べた時、それはクライマックスでもあり立場が逆転出来る反撃の場でもある。

 紗那があっさりと、攻めを渡したのもそこに理由があった。


 そして、屈辱を与えながらいとも簡単に取り戻す。


「……いい加減、私もこの空間を掌握している一人だと認めるべきだ」


 雰囲気を忙しなく変えながら、目的だけはぶれさせず弄ぶ紗那。しかし、僅かではあるが疲労を見せ始めている気が、分かる者には感じられて仕方が無い。

 疲れているというよりかは、苦しんでいる。海の精霊王は特にそう感じていた。

 そして、見て見ぬフリをしていられなくなり、少しでも分かりやすい応援が出来ないか、彼女は先ほどから考え、紗那が椅子に戻ったのを好機とする。


 紗那の威嚇で言葉の止まった隙を使い、海の精霊王が椅子を降りて音をたてた。

 デルフィニウムが苛立たしげに振り返っても怯まず、紗那がどうしたのだと柔らかい視線を向ければ、海は意を決して言う。


「膝に座っても良い?」


 ただ、さすがのこれには、全員が別の意味で驚いた。

 空気を読まないにしても、海だからにしても、内容が幼く可愛らしすぎる。紗那も驚き固まり、けれど心配そうな視線で察したのかクスリと笑って頷く。


「質問になるけれど、君はそれで良いのかな」


「うん。だって僕には、難しすぎてあまり分からないし。それに、僕はみんなと違ってルシエの味方だって堂々と言えるもん」


 幼さというのは、時に強力な武器にもなり得るのだろう。

 恐ろしげもなく言い切った海に対し、紗那が「それは頼もしいね」と純粋に微笑み、「良いよ。おいで」と膝を示して手を広げた。

 ただし、デルフィニウムの鋭い視線から護るように、向かい合わせの形にするのだけは忘れない。そんな面倒な視線を浴びる苦痛を差し引いても、もらった勇気はとても温かかった。


 そしてこの海の行動は、紗那とデルフィニウムの間に割って入れず札になるタイミングを逃していた者にとっても有難い隙となる。

 瑠璃を見つめて言葉にしない感謝を紗那が伝えていると、儚く軽い声が降り注いだ。


「もし、語った真実が真実だったとして。だとしたら、あなたはそれをどこでどうやって知ったというの?」


 空の精霊王だった。彼女がデルフィニウムから賜った役割は、紗那の魂を消す手伝いをすることであり、陽や大地もそうであるが、全員が精石から解放された際に魂で契約を結ぶこと。

 それが一番、直接的に魂に関与できる方法で、だから精霊王は精石のままデルフィニウムの目的の一つとして存在し、空の精霊王は結局その役目すらルシエの捻くれを前に果たせず終わった。

 どの道、精霊王が精石のままでは世界の均衡は崩れていくだけだ。紗那の旅は、デルフィニウムの目論見によってのものだとしても、偉業を達成したことに変わりないのだが、彼女が最も存在意義を果たしたのは、地球からアピスに死の精霊王を連れ戻したこと。

 紗那自身の努力は、その真実を前にあまりに小さい。

 空の精霊王は、紗那が先ほど語った過去を知っているのなら、その現実に気付いていないわけが無いと考える。世界を捨ててまで多くの同種を殺し、そうまでして辿り着いた現在。その無意味さを指摘すれば、ともすれば絶望を与えられるのではないかと彼女は思った。


 しかし、それもまた紗那にとっては今更で、もっと言ってしまえば、世界を渡る以前にそのことについて知っていた。受け入れて、旅を終えたのだ。


「質問は一つだけ。例外は認めないよ、空の精霊王」


 紗那は動じる事無く朧気な美を見つめ、淡々と言った。

 今更、そんな稚拙な手に引っかかるはずもなく、空の精霊王も何も無かったかのように「どこでそれを知ったというの?」言い直した。


 その瞬間、小さく鮮やかな頭の上に白紙の札が現れる。

 ただし、今度は表面へと返せば絵柄が直ぐに浮かび上がった。


「残りの札は後三枚。さて、それはどちらにとってのだろうね」


 銀の月と黒の月。二種類の満月が相対し、そんな絵柄の札が悪魔の隣で時と輪廻(うんめい)の輪と同じ向きで並ぶ。

 そして紗那は海の精霊王の旋毛に頬を寄せ、黒く侵食していく爪を惜しげも無く晒しながら囁く。


「どこ、と問われれば場所を答えるべきだからね」


 小さな騎士を腕に抱き、破罪使は生まれを明かす。

 唇は、ゆっくりと強いなまめかしさを醸し出しながらその単語を紡ぐ。


「――地球」


 札としての役目を果たした精霊王の何人かが音をたてて盛大に驚き、デルフィニウムはそれを嘘だと速断して言った。


「それはあり得ない」


 けれど、破罪使は「ふふ……」と楽しそうに微笑み、「私がこの空間に居られるのはどうしてだろう」意味深な言葉と共に群青を流す。

 そのまま視線は漆黒から翡翠へと映り、紗那は言葉を出さずにゼフへ問いかける。


 ――言ったでしょう? 終わっていた、と。


 デルと紗那が結んだものと、生の精霊王と破罪使が結んだものに加え、新たに二つの約束が明かされた。

 人間の男と死の精霊王が結んだものと、死の精霊王が生の精霊王に結ばされたもの。

 その中のどれが、もしくは全てを壊そうとしているのか。さらに、残った約束はまだあるのか。


 海の精霊王が見上げた月は、揺らがない正位置にあるからこそ、とても目まぐるしく満ち欠けを繰り返していた。


 



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