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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第九章:捻くれX真実の行方=再会
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一の魔術師






「ルールは簡単だよ。お互いに、相手と関係のある情報を真偽問わず(・・・・・)晒し合う。それだけだ」


「その前に、色々と説明しなきゃいけないことがあると思うけどねぇ」


「たとえば?」


「どうして僕が、生の精霊王だと知っていただとか、あの女とは誰なのかとか」


 漆黒の髪と瞳を持つ本当の姿を現したデルフィニウム。

 どことなく女性的にも感じる深奥な美の生の精霊王だが、紗那(・・)が好むのは、艶のない純真な黒。二人は真正面から向き合い、同じ憎悪を孕んだ視線を浴びせ合う。

 紗那の提案を前に、デルフィニウムが上から言えば、彼女は挑発的に笑った。


「だったら、ゲームの中で()から引き出せば良い」


「でも、真偽問わずなんだろう?」


 白と美しさしかない部屋。だからこそ、両者の狂気が良く映える。

 どれだけ視線を奪う精霊王の美しさとて、今の二人の前ではただの置物。勿論、生の精霊王であるデルフィニウムも、デルだった時より何倍もその魅力を増しているのだが、残念ながら最早見慣れてしまっている紗那を動じさせることは出来ない。

 二杯目のコーヒーを出現させながら、紗那は勝負について語った。


「そう、真偽問わず。だから、相手はそれを否定できる。嘘を吐いた側も、さらにそれを否定できるね」


「捻くれた勝負だねぇ」


 呆れたように呟くデルフィニウムへ、紗那が「私達にぴったりだろう?」と返した。

 一つの魂が分かれ、破罪使を中心に三人の悪魔が生まれた。紗那は紗那でなくなり、ルシエがサイードとリサーナを共に世界を駆けた。

 そうしてルシエは、弱さ(リサーナ)強さ(サイード)を糧とし、紗那へと戻る。今の彼女は、デルフィニウムが(いざな)った一人の少女では無く、破罪使(ルシエ)でもある紗那だ。

 多くの人々と精霊王を魅了し、己の領域へと引きずり込んだ恐るべき悪魔。

 紗那は青白い顔を憎悪で飾りながら、もう一度「立場はもう、一緒なんだから」と強調した。


「勝敗は、どちらかが負けたと思うまで。反則として問い質すのは禁止するけれど、問い掛けるのは可としようか」


「面倒くさいなぁ。どうして僕が、今更君の言うことに従わなきゃいけないんだい?」


 しかし、デルフィニウムは呆れたように溜め息を吐き、乗り気でない様子。それだけで、アピスに渡る際の態度が偽りだったと証明している。

 言葉にしなくとも、「どうして僕が、人間如きに従わなければならないんだ」と主張した。


「勘違いしないで欲しいね。芝居をしていたのが、自分だけとは思わない方が良い。それに、メリットならあるよ」


 とはいっても、紗那が引くことも無い。それどころか、デルフィニウムが絶対に乗ると確信していた。

 頬杖をついたまま、もう片方の手を胸に当てて笑い、あくまで対等な立場に身を置いているとしながら宣言する。


「君が勝ったら、私の身体を無抵抗で差し出す」


 中世的な魅力から、女らしさをプラスして妖艶に紗那は言ってのけた。

 そうすると、あきらかにデルフィニウムの目の色が変わる。


「無抵抗に、ただの道具として受け入れると言ったら?」


 逃さないよう捲くし立てれば、尚更色が濃くなった。

 デルフィニウムの目的を、紗那は昔に知っていた。だからこそ、この条件が絶大だとも知っている。

 デルが好きだと言ったのは、紗那そのものでは無く自分の為に存在している一人の人間だ。そして彼女が好きだと言ったデルもまた、知っているのを知らない哀れな男として。

 あの日交わした口付けは、お互いへ宛てたものではなく、交わらない本心を両者が必死に押し留める行為。それだけだった。


「それでもまだ乗り気でないというのなら……。そうだな、後ろの精霊王たちもせっかくだから参加してもらおうか」


 今まで用意された舞台で立つだけだった紗那が、この白い部屋を終わりに相応しい場へと整えていく。彼女はもう、先を考えたりしない。残り少ない自分の全てを用いて、目の前を見る。そんな金の瞳は強く、揺るぎなく、精霊王の美しさを多大に含んでいた。


「君は、彼等をカードに知りたいことを質問(・・)して良いよ。ただ、それだけだとあまりにハンデがありすぎるからね」


 必死でもあり、余裕でもあり、精霊王にとっては傲慢ともいえる態度。しかもその言葉は、デルフィニウムを甘く見ていると言っているのだから、当然彼が嫌悪を強くした。

 それを嗤い受け流した紗那は、ちらりと後方の三人を窺見る。

 翡翠と水晶と瑠璃。彼等はルシエとして紗那だけを凝視し、その行く末を黙って案じてくれていた。

 それだけで、精霊王の関係が変わっていると分かる。始まりときっかけが同じではなく、だからこそ結末が訪れるのだ。


「私の言葉で彼等が驚いた場合は失格。君の意志で手札を切るか、彼等の判断で質問とタイミングを選ぶか。どちらか先に選んでもらう」


 紗那はどこまでも強かだった。力では敵わないからこそ、その捻くれた性格が精霊王の前で存分に発揮される。

 デルフィニウムの拒否という選択肢を狭め、尚且つ相手の精神をじわじわと侵略していく。

 そして紗那は、デルフィニウムへ手を差し伸ばすようにしながら微笑んだ。


「先攻、後攻、お好きにどうぞ?」


 その表情は絶望から程遠く生き生きとしていて、それはデルフィニウムにとって、二回目のゲームで得られなかった最高な状態でもあった。

 これが絶望に変わった時、デルフィニウムが長きに渡って望んでいた再来を実行できる。永劫を生きる彼の前では、紗那など生まれてもいない赤子同然。勝つことは勿論、万が一負けたとしても負けてやった(・・・・・・)だけにすぎないだろう。

 精霊王の誰もがそう思い、紗那の無謀さを目で見る。デルフィニウムの怖さを知らない彼女を哀れむ。

 ただ、ルシエの姑息さの被害にあったと自覚している精霊王数人は、そんな感情の中で紗那に対しても恐れを抱く。

 先ほどの、精霊王を巻き込むという提案と選択は、デルフィニウムが彼等をどう扱うか本人を前にして言うということだ。

 前者を取れば、今後精霊王はデルフィニウムを精霊王として見れなくなるだろう。特別とはいっても、彼も精霊王だ。たとえ内心で駒だと思っていたとしても、言う言わないで大分差が出てくる。

 かといって、デルフィニウムは神では無い。紗那に対してとは違い、同胞にその嘘は通用しないし、世界を名乗ることも不可能。それでも仮に別の存在として位置付けることになるならば、最も近いものは悪魔――

 自らを縛る存在として精霊王が紗那をそう呼んでいたように、一番憎く思っているデルフィニウムそのものが、そこに身を落とすことになるだろう。

 何故、精霊王やデルフィニウムがちっぽけな存在であるはずの紗那をそんなにも毛嫌いしているのかは、彼女がそれをゲームの中の手札としている限り先に記すべきでは無い。


 答えを待つ紗那の指先から瞳へ、視線を滑らしたデルフィニウム。彼女の何が、そこまで自信を持たせ笑顔を作らせるのか。

 それが気になりはしたが、だからといってデルフィニウムも紗那を絶望へと確実に追いやれる根拠を持っており、最終的に付き合うのも一興だと考える。ルシエ達の旅が楽しませてくれたのは、何をしたいのか掴ませなかった点だったのだから、その終着点を見届ける役目も彼にはあった。


「……少なからず、君には感謝している面もあるからね。その減らず口が閉じる様を見届けてあげようか。当然、彼等も参加するよ? せっかくだから皆で楽しもう」


 苛立ちで紗那の頬が引きつるのを笑いながら、デルフィニウムが先攻を選ぶ。そして、精霊王については彼等の判断で参加すれば良いとし、簡単には罠に嵌らない。

 散々騙し合い、隠し合い。絶望を求め再会した二つの存在。最後のゲームは、そんな二人が最高に輝きそうなものだ。

 今まで通り騙し続けるか、それとも洗いざらい真実を吐くか。どちらを選ぶかは本人次第で、その鼻先をへし折れるかどうかも、自分の手腕ならぬ口腕にかかっている。


「じゃあ、彼等の席も用意しよう」


 ここまでくるのに思いの外手間取ってしまったと、紗那は改めて気を引き締め直しながら、手を軽く振り十の椅子を用意すると精霊王たちに微笑み頷いた。

 どの終焉が訪れるにしろ、誰の望みが叶うにしろ、全てで絶望する者が居る。その数が最も多いのが紗那であり、少ないのがデルフィニウムだ。

 絶望の量で判断されるなら、悪は紗那となる。けれど、延々と絶望し続ける者が生まれる可能性があるのはデルフィニウム。一体どちらの未来が明るいのか、そもそも彼等の間に何があるのか、その謎が明かされる時が来た。

 先攻を選んだデルフィニウムが椅子の背に身体を預け、ゆっくりと右手を紗那へ突き出す。

 開始の合図は両者の微笑み。見た目で言えば、黒を取り戻した男と黒を捨てた女の。中身で言えば、黒を嫌悪する男と黒を望む女の。そんな二人が牙を剥き出しに、醜く恐ろしく笑えばゲームが始まる。


「いつでもどうぞ?」


 紗那の言葉がデルフィニウムの初撃を急かし、挑発する。

 「相変わらず、せっかちだねぇ」そう溜息を吐いた時、デルフィニウムはデルの顔をしていた。

 その変化を素早く察知した紗那であるが、彼女は何も言わずに突き出された手を見つめて待つ。デルフィニウムの唇が動いた。


「君は逃げ道があると知っていたら、どうもやる気を出さないように思えていたからね。実は、一つ嘘を吐かせてもらっていたんだよ」


 優しい柔らかな表情と、気の抜ける言葉遣い。紗那が出会った当時、不思議な外国人だったどの世界にも居ない偽りの存在。その真実を知った時、彼女は確かに絶望(・・)していた。

 誰も気付かない一瞬の悲しみの後、だから好きと思えたのだと納得し、それ以降は哀れみの対象でもある。それを知ってか知らずか、デルフィニウムが今更デルを装って、掌の上に遠見の鏡を出現させた。


「知ってるよね。これは、遠くを映し出せる魔法。そして、君に見せたいのが……」


 紗那の顔より一回り大きい揺らめく鏡は水面を思わせ、その一面に二人の人物を映し出す。

 一組の男女。二人は大勢の行き交う人々へ、必死に一枚の紙を差し出し配っている。

 それを見た紗那は、無言で指を伸ばしてその二人へ這わせた。無表情で、静かに見つめる。


「本当は、全てが終わったら帰れたんだよ。ほら、君の両親もこうして必死に君を探してる」


 デルフィニウムは鏡を覗きこみながら、「早く、二人を安心させてあげよう?」と誘った張本人にしては無責任に言った。

 だが、その言葉が真実かどうかは一先ず、帰還が可能だと知っていたら紗那は確かにやる気どころか行く気すら持たなかったかもしれない。

 ただ、そうだとしたらデルフィニウムも、もっと力や知識、才能だってある者を選べば良かったはず。

 先攻を選んだにしては内容が陳腐すぎると思いながら、紗那の指がまず母親に触れ、ピチャンと水よりも粘りのある音を発てた。父親に指がずれれば、さらにピチャンと鏡が揺れる。そして視線がデルフィニウムへと移動し、無表情のまま彼女の指が鏡から外れて彼へと差し出された。


「帰れるの?」


「あぁ、帰れるよ。けれど、君は知っていれば行かないと言い出しそうだったから」


 首を傾け、デルフィニウムの漆黒の瞳を見つめる紗那が何を考えているのか、分かる精霊王は居ない。

 しかし、ルシエと旅をした二人の人物は感じている。今の彼女は、呆れと怒りによって込み上げる笑いを堪えていた。


「どこに?」


「当然、地球さ。本当は君を愛していた両親が居る、青い世界」


 今更そんなことを言っても、紗那という人間が喜ぶわけがないと分かるだろうに。それ以上に、彼女は自分のことを良く分かっている。いや、知っていた。

 問い掛けた後、デルフィニウムの応答に反応を返さず、紗那はゆっくりと同じく遠見の鏡を出現させた。彼の鏡が白い水だとしたら、その隣に並んだのは黒。深い闇が綺麗な黒だった。

 揺れる水面は中心から徐々に透明となり、紗那が望んだ光景を映し出していく。偽りと並ぶ本当を全員に知らせた。


「もう一度、聞いてもいいかな。私は一体、どこに帰ればいいんだろう?」


 そう言った時、紗那は楽しそうに笑っていた。

 逆にデルフィニウムが小さく舌打ちをする。苛立ち、掌を握り潰して鏡を消し去る。


「遠見の鏡と幻視の鏡の見分けぐらい、今の私には簡単なんだけどな」


「低い魔力で良く言うね」


 忌々しいと毒づくデルフィニウムと、してやったり顔な紗那。彼女はまだ、本当の遠見の鏡を出現させたままである。

 デルフィニウムが出現させていたのは、それと良く似た幻視の鏡という言葉そのまま幻を視せる鏡。二つの鏡は見た目では判断できない、まったく同じ造りをしており、本来の見極め方は魔力の質を感じる方法だ。

 幻視の鏡は相手を騙す際に用いられることが殆どで、だからこそ行使された魔力の中には悪意が含まれる。それを感じられるだけの力量が無くては見破れず、そもそも、幻視の鏡自体そう誰もが使える魔法では無い。

 しかもそれを使うのが精霊王ともなれば見破るなど不可能にも近く、デルフィニウムが紗那に悪意しか持っていないようなものだから、尚更彼女が簡単に否定したのは予想外。しかし、遠見の鏡が映し出している真実を知っていたというのなら、話は別だ。


「今更、この家族の中に入る気は、悪いけれど更々無いよ。だって、君の言った私を愛している両親が居る青い世界など、存在しないのだから」


 そう言いながら、紗那がデルフィニウムへと向けている遠見の鏡を覗きこむ。そこに映し出されていたのは、仲の良さそうな家族が並んで歩く姿だった。

 見るからに働く女な風貌の女性と、厳しそうな男性。けれど二人共が笑顔を浮かべ、真ん中の小さな存在へ温かな視線を向けている。小学生に上がるか上がらないかの、愛らしい顔をした男の子。彼等の息子へと、愛を向けていた。


「姉に比べ、両親の言う事を良く聴き、要領も良い自慢の息子。私とは出来が違う素晴らしい弟。その存在をまさか私が知らないとでも思った?」


「どっちにしろ、可愛くない女だね」


 微笑で返事をし遠見の鏡を消した紗那は、椅子の上で片膝を立ててそれを抱きしめながら、膝に顔を預けて尚も嗤う。


「家に寄り付かなくなったのではなく、出来の悪い娘を置き去りに新しい家を得た。それでもしっかり管理は怠らず、そうすることで堂々とお日様を浴びる。お金があるから出来る、賢い方法だよね」


 紗那は自分を良く知っている。どういった存在で、どういった意味を持ち、周囲がどう思っているか。自身のことでありながら、まるで第三者のような視線で知っていた。

 けれど、デルフィニウムは納得出来ていないのか、苛々とした表情で睨みつけ質問(・・)を我慢していて、目敏く気付いた紗那は「それに……」と攻め手にまわる。


「そもそも、今更地球を引き合いにしたところで、私の中にあるのは最早情報だけ。何の憂いも浮ばない」


「自覚しながら平気でいられるその神経、正気とは思えない」


 デルフィニウムの評価を光栄そうに笑い、紗那は続ける。

 「魂については、ゼフとクランクを通してサイードの説明を聴いているだろうけれど」と前置きし、今の自分を曝け出す。


「魂を喰われ、完全なる空虚を得ようとしている私は、だからといって全ての記憶を失っていくわけではない。魂に刻まれる記憶とは感情を生み出した光景であって、情報としての記憶は脳で刻まれるからね。つまり、残念ながら私にとって、両親という存在は情報でしかない。だからこそ、こうして覚えている」


「つまらない人間だと主張して、何が楽しいんだか」


 早くも飽きてきているデルフィニウムだが、そんなことはお構いなしだと紗那は気にせず、寧ろ先ほどから耳慣れた言葉がちらほらと出てきて嬉しかった。

 可愛げがない、つまらない。それこそが、紗那を示す言葉だ。それが、作られた自分だった――


「じゃあ、逆に聞くけれど……。そんな人間を作って、楽しかった?」


 静かに吐き出された言葉は、勿論問い掛けだ。分かっているからこそ尋ねる言葉。

 そして、その内容が時を止める。

 呆れていたデルフィニウムが驚きに目を見開き、素早い動きで紗那と視線を合わせた。

 背後の精霊王たちも、主に女が息を呑み男は嫌悪を浮かべている。紗那にではなく、今の言葉が示す事柄にたいしてだ。


「可愛げがない、つまらない。当然だよね。だって私の持つ感情は、どれも軽いんだから。他の人たちが自分で経験し、感情や価値観の芽として魂に刻み込みながら生きていく中、私はその光景を見て知ることしか出来なかった。世界も違う、存在すら知らなかった二人の精霊王のせいでね」


「精霊王とて、魂に干渉は出来ないよ。精霊化以外では、ね」


 すぐさま否定をするデルフィニウムに、紗那が「それはそうだろうね」と素直に同意し、それでいて楽しそうに髪を弄くっている。

 否定を肯定し、その上で否定するのは、ルシエが好む会話だ。


「だからこそ、君は姑息に一人の人間の周囲に干渉し、芽吹きかけた種を根こそぎ抜いていった。アピスと地球が相互関係を持つようになったのは、何よりも君が往来したことが原因だ」


「へぇー……、それは知らなかったよ」


「またまたぁ。でもまあ、私は別に、それを恨んでいるわけじゃあないよ。可愛げがなかろうが、つまらなかろうが、私は自分の捻くれを面倒に思ったことは無いからね」


 デルフィニウムの視線が鋭くなり、紗那が探る。

 無知を装う堕天使に迫るのは、神でも何でもない。かつて捧げられた供物も同然な存在で、面白い冗談だと笑った紗那をデルフィニウムは訝しんだ。


 紗那が言っている事柄はつまり、デルフィニウムが地球とアピスを行き来したことにより今の関係性が築かれ、しかもその理由は自分にあるということ。さらに、そうして何をしたかといえば、一人の人間を意図的に作り上げた。

 そう言っているのだ。


「契約をしていない以上、魂に手出しは出来なかった。何の準備も出来ていなかったのだから、どちらにせよだったけれど、だからこそ君は私を作ったつもりなんだろ?」


 開く蕾はどんな花を咲かせようとしているのか。どんな香りを持っていて、どんな美しさで蝶や蜂を魅了するか。

 それを暗示するように、紗那が両手を合わせて蕾を作り、デルフィニウムを窺いながら開いていく。


「可愛らしい追いかけっこをしていたつもりが、いつの間にかかくれんぼに代わり。やっと見つけたと思ったら、なんてことだろう。大切なお姫様は、自力では出られない固くて軟い檻の中」


 お話を読み聴かせるような言葉を連ね、紗那の蕾は開いて散る。

 そうして再度デルフィニウムへと視線が向けられ、「だから君は、生まれたばかりの私をずっと監視し続けたんだよね」と到底知り得ない事柄を告げた。

 さらに、相手の唇が動いたのを感じ、否定をされる前にもう一言付け加える。


「檻は、魂が満ちれば満ちるほど強固になる。けれどそれは、逆を言えば満たされない限り軟くもなれるということ。君にとっては、対象が出会う色んな相手の耳に天使の如くそっと囁くだけの簡単なお仕事だ」


「……成る程。その檻が君だと言いたいわけだね。けれど、残念ながら僕にお姫様なんて居ないよ? そうなると、一体君は何を捕らえているんだろうね」


 面白いおとぎ話だと小馬鹿に微笑むデルフィニウムと、面白いだろうと胸を張る紗那。けれどもこのゲーム。両者ともが一言一言を吟味し、相手を注視し、様々絡み合う糸の玉から必死に絶望を引き寄せるものを探している。

 どれを肯定し、どれを否定すれば好機を手に入れられるのか。どちらの返答が最も相応しいのか。単純に真実を曝け出すだけであれば楽だが、だからこそ紗那は真偽を問わないとわざと言ったのだ。


「それに、君は僕のことを世界と言っていたけれど、アピスを旅し、再会した時には生の精霊王だと言った。一体、誰がそれを吹聴したんだろう」


 攻守交替の合図もなく、流れを得た分だけ有利だが、それだけでは紗那の手札が多すぎる為、彼女はそこに精霊王たちを巻き込み、よりゲームそのものを楽しめるようにも配慮する。

 デルフィニウムの絶望は勿論だが、何よりこのゲームを自らが楽しむ事に意味があった。

 それに、監視する側と比べ、監視されていると気付いている対象の方が気付くものは多いものだ。チラリと背後の三人を流し見たデルフィニウムだったが、彼の言葉はすんなりと否定できた。


「一体誰が、だって? 目は口ほどに物を言うらしいけれど、残念ながら君が考えているようなものではないよ。風と水と海の誰からも、君の存在を教えられていないのだから」


「いつの間に君は、僕のように心を読める(・・・・・)ようになったのかな。その三人とは言っていないのだけれど」


 デルフィニウムの言葉で、「なつかしいねぇ」と零した紗那。そうすると、彼女の中からまた一つ、その感情を構成してくれていた記憶がボトリと剥がれ落ちる。

 それでも想いは残るのだから、彷徨い始めた感情を楽しみに変えた。


「いつの間にもなにも……。君だって始めから、心を読んでいたわけではない。生まれた時から見てくれていたんだ。私がどういうことで喜び、楽しみ。どうやって悲しみや苦しみを処理していたか、手に取るように分かっただけだろう?」


「心というものは、他人が操れるものではないはずだけどね」


 徐々にだが、デルフィニウムの機嫌は悪化していき、紗那も苛立ちを強くしていく。

 小手調べをする紗那はあまりにはっきりしない手札ばかりを切り、デルフィニウムも察しようとしない。

 紗那は、自分の言葉から相手がその真相に気付き一人で驚く姿を見たかった。逆にデルフィニウムは、本当に真実を知っているにしろ、だからこそ無力であると彼女が分かるまでを観察し、絶望への最後の一歩を自らで押したがっている。


「でも、その土台を作るのはどうだろう。例えば、目の前で子供が転んだとする。すれ違った一人の女性は、すぐさまその子を助け起こしたけれど、その様子を見ていた彼女の連れの男性は、それを優しいとは思わず甘いと感じ、まったく関係のない別の者が、子供が転んだことを笑った」


「で? 助けた女性は自分が幼い頃、同じ様に助けてもらえて嬉しかったからそういう行動を取る心を持ち、甘いと感じた男性は、自力で立ち上がって褒めてもらえたり、そのお陰で強さを得られたという考えを持っていた。そして笑った者は、自分が笑われる側に居て、それが強く心に残っていたからだとでも言いたいわけか」


 デルフィニウムが続きを言い当てたことで、お見事と手を叩いた紗那だが、その顔は当てて当然だろうと言っていた。

 優しい人がいれば優しくない人も居て、同じ様に様々な心を持って人は日々を巡っている。紗那の言った例え話は、どれが正しい行動かを議論する為のものではなく、心と価値観、行動の関係性を示していた。

 心というものも魂も、生まれた瞬間は誰もが同じ無垢だ。腹が減れば泣き喚き、安心すれば静かに眠り、母の腕の中で微笑む。愛を形に、愛される姿をした新たな生命でしかない。

 そこから、歩く事を覚え言葉を覚え、成長していけばいくほど周囲の影響を受け始め、そこで自身を得ていく。勿論、生まれ持ったものというのもあり、周囲の環境だけが自己を形成するわけではないけれど、少なくとも経験するかしないかで違ってくるというのは確かだ。


 そして、紗那が本当に言いたいのはここからだった。

 ウラノスのようにデルフィニウムの察しが良ければ、ゲームそのものを存分に楽しめるのだが、彼はどちらかといえばエステュイアに似たタイプ。だったら、はっきり言葉を連ねて驚く様を楽しもうと考え直し、まずは「始まりのカード」をテーブルに置いた。

 とはいっても、掌サイズで白いだけのただの紙切れ。デルフィニウムは首を傾げつつも直ぐに紗那へ視線を戻す。


「そう。だから、心も人も千差万別。だからこそ心は操れない。……だから君は、私の経験の殆どを奪った」


「何を言うんだい。そんな素敵な力を持っていれば、僕はもっと優しく君の相手をしてあげるし、君の苦しみを長引かせたりもしないよ?」


 紗那はそう言って、漆黒の瞳の奥を覗いた。

 ただ、はっきり言うと決めたものの、内容を示せる相応しい言葉を見つけられなかった。

 分かりにくくとも、知っていれば分からないはずがない。そう思いつつ諦めずに言葉を探す紗那の視界に、ここでふとゼフが映る。


「けれども君には魔力があり、君のせいで地球に魔力が流れた。だから君は、赤子の私の夜鳴きを防ぎ、歩けるようになったら転ばないように風でバランスを取らせ……。小さな事から大きな事まで、そうやって干渉してきたでしょう? 魔力だけじゃない。時に幻視で人間を装い両親を唆したり、友人だった人を裏切らせたり。幸せに繋がる経験を奪い、そのくせ負の感情ばかりを私に教えてくれた」


 翡翠を視界の端に残したまま目の前を見続ければ、デルフィニウムの呆れたような表情がスッと落ちていく。彼がもう一度テーブルに置いてある白紙の札を見つめれば、表面がうっすらと色付けされていた。


「……じゃあ教えてあげようか。君にも幻を視せていたことや、どれが幻だったかも」


 声も心なしか低くなりながら、デルフィニウムは肯定(・・)した。

 背後でそれぞれ楽な姿勢で座っている精霊王の内、海以外の殆どが静かに目を見開く。

 嫌悪を浮かべても、辛辣な言葉を放っても、それでも紗那へ殺意を向けなかったデルフィニウムだが、彼は今偽りの全てを取り払った。

 深奥な美はおぞましさを付け加え、紗那の全身に絡み付く。

 そして紗那も、お遊びはおしまいだと放置してある一枚の札の上に手を置き微笑む。


 結局、紗那がまどろっこしく言葉を連ねていたのは、デルフィニウムを本気にさせる為だったのだろう。苛立ちからの不機嫌を上手い事操り、真剣にさせる。

 そうすることで、紗那の持つ全てが効果を発揮してくれる。


「君は他の精霊王と違って、どちらかといえば、まるで魔術師のようだ。誰もが憧れ、誰もが目指し、誰も到達できない一の魔術師(はじまり)


 ゆっくりと手を除けていけば、全身黒を纏って周囲を十の色で飾られている男が杖を手に立つ絵が浮んでいた。その足元は血溜りで、魔術師がそこへ杖を向けている。

 紗那にとっては逆位置に現れたその絵柄。彼女はそこから、不快感を感じる。

 上手くスタート出来なかった最後のゲーム。いつだって、物事がすんなりと済んだことが無かった。


 逆に、デルフィニウムは力強さを感じた。その絵が自分を示しているのは腹が立つが、まるでカードそのものに力が込められているかのように、持ち主の強い意思を感じる。

 こうなると、流石に認めざるを得ない。何を知っているか、何をするつもりか。それを把握する以前に、紗那が何かを出来るのだと。

 だからこそ、デルフィニウムは何もない手をカードに向かって振った。

 そうすると、慌てた様子で紗那が手を引き、それとは別の音が生まれる。カードを縫い付けた、テーブルに小剣が刺さる音――


「冗談じゃない。僕は生の精霊王だ。精霊王の頂点として、全ての生を司る王」


 「危ないなぁ」と抗議しながら、その宣言を嬉しそうに聴いた紗那は、椅子に乗せていた足を下ろして組み直した。

 そして、唇に指を添えて小首を傾げ、遠慮を捨てる。

 ここから今度こそ、本当にゲームが始まる。攻守関係なく、驚く暇も与えない真実と欺瞞の狭間。紗那は言った。


「別に、過ぎたものについて、幻かどうかなんて興味は無いよ。その代わりと言っては何だけれど、魔術師が嫌ならこう呼ばせてもらおうかな」


 取り合えず、同じ様に手札を一枚、悪知恵を働かせながら強引に棄てさせよう。あくまで立場は同等に。――悪魔はそう囁いた。


「こんな心を育ててくれたのは、紛れも無く生の精霊王なんだから。お父さん(・・・・)って――」


「冗談じゃありません!」


 そう叫んだのは、突拍子の無い言葉のせいで固まった目の前の相手ではなく、その後方で揺らめく高貴な美である。


「驚いたら失格だと言ったよね?」


 旋律より強烈に、精霊王たちはたった一人の人間の少女に空間を支配された。

 あの日、ウェントゥスの城壁で夜空を眺めた日。恋文(ラブレター)を送りたかった本当の相手を前に、直接言えずに我慢していた言葉が送られる。


「ゲームスタートだ」


 絶望への階段を、共に上がろう――

 

 


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