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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第八章:捻くれX意義=紡がれる全て
93/104

別つ剣は闇に溶け込む



 一つの寝台で窮屈そうに眠りについた三人の寝顔は、かつてない穏やかさだった。

 ゼフは忘れてしまう程の年月、睡眠での嗜好を楽しんでおらず、ルシエもまた人にしては本当に僅かしか眠りにつかないというのに、誰もがぐっすりと深い場所へと落ちたのは、決して言葉にしない彼等の絆を代弁していたのだろう。

 そして、一番初めに目覚めたのはゼフであった。

 覚醒した瞬間、頭がぼやける感覚に驚いたゼフは、繋がれたままであったルシエの手に気付き、起き上がりながらそっと視線をずらす。カーテンをかいくぐって朝日が寝台に侵入し、二つの寝顔を飾っていた。

 上掛けに隠れていないルシエは少し寒そうにしており、クランクが奪い足に絡めていたものを救出したゼフは慎重に掛け直してやる。

 そうすれば、ルシエが小さく安心した様な寝息を漏らし、僅かに刻まれていた眉間の皺が消えた。


「お前達は、そこに皺を寄せてばかりだったな。取れなくなっても知らんぞ」


 そう言いながら爪で傷つけない様注意して触れれば、指の腹を伝ってルシエの温もりがゼフの胸に染みていく。寝ているからだろうか。常に氷のような冷たい身体がとても温かい。温かいのだ。


「今日……か」


 ゼフは呟き、離す気になれないルシエの手を自分の眉間へと持っていく。この温かさが、今日を過ぎればなくなるかもしれないのだ。今まで散々振り回してきた我侭も機嫌も、何もかもが消えてしまう。

 結局、ゼフもクランクも闇の精石を破壊した後、何をしようとしているのか知らされてはいない。消えることだけ、終わりが来ることだけを告げるルシエ。自分に出来る事はまだ残されているのだろうか。

 いや、ルシエが紡ぎの塔に行っている間に、ゼフとクランクは別れに際し一つ決めたことがある。ルシエがしてきたように笑おうと。悲しければ悲しいだけ、苦しければ苦しいだけ微笑んで大丈夫だと伝えようと。

 ウラノスが貶した後に言ったのだ。「本当にルシエを想うのであれば、ルシエがあなた方に望む事が分かるはずだ」その言葉は、ゼフ達の背け続けた目を覚まさせた。諦めと受け入れることは、必ずしも同等では無い。


「頼んで、良いだろうか」


 暫く全身に広がる温もりに溺れたゼフは、ふんわりとルシエの手を離して額を撫で頬を撫で、「私達の解放を」静かに囁いた。そして、喉元で蠢く感情を必死に留めてゆっくりと顔を下げていく。

 言葉にすることがかなわない想いの代わりに、温もりとして。伝えるべきではないと分かり、それでも伝えずにいられない愚かさを笑いながら。花弁に触れるように刹那の口付けを一つ――落とした。


「自由な風の中、お前と共にそよぎたかった」


 ルシエの望みはきっと、繰り返さないことだろう。人間にも精霊にも、繰り返させないようにすることを自分達に望むだろう。

 額にも唇で触れたゼフは、彼としてルシエとの別れを済ませ寝台から立ち上がった。

 心地良い目覚めを訪れさせたいと、静かにサイードが好む紅茶を入れ始めれば、部屋に満ちる香りを敏感に察して鼻をひくつかせる。それはまるきりキーテそのもので、ゼフは自然と笑っていた。


「…………菓子も」


「あぁ、レモネだな」


 のっそりと起き上がり、寝ぼけているのか目を擦りながら年齢を幾つか落としてしまったような掠れた声で言ったサイード。マドレーヌに似たふんわりとした形でクッキーの歯ごたえがするそのお茶請けの菓子は、星の国で再会して以降サイードが好んで食べるもので、ゼフは心得ていると昨日戻る前に街で見つけて買っておいたものを用意する。

 サイードはゼフの動きをぼうっと眺めていたが、手がとても温かいことにふと気付く。目を擦っていた方も同様で、隣に視線を移せばクランクの穏やかではあるがまぬけな寝顔が視界に広がり、自由にさせているはずの手が彼と繋がっていた。


「暑苦しい。……痛って!」


「何事!?」


 恥ずかしがるか機嫌を悪くするかと思われたサイードは、ゼフにチラリと視線を送りつつも何も言わず、普段通りの彼らしくクランクを容赦なく蹴って遠ざけようとした。

 けれど、繋いだ手は予想以上にしっかりと握られていて、クランクが寝台から盛大に落ちるのにつられ、サイードも引き摺られてしまう。


「大丈夫! 俺、サイードが相手なら両刀遣いになれそう!」


 したたか腰と頭を打ち、容赦なく叩き起こされる形となったクランクはさらにサイードが落ちてきたことで驚くが、散々痛めつけられ続けてきたお陰かそう大きな衝撃ではなかったのかもしれない。自分に馬乗りになって引っ張られた腕を摩るサイードへ爽やかな笑顔を向ける。

 しかし、爽やかなのは顔だけで、その脳内と口から出た言葉は時間的にも下品極まりなく――


「ゼフ、お湯余ってるか?」


「必要ならば、さらに持ってくるぞ」


「待って、待ってって! ごめん、おはよう!」


 ゼフと素晴らしい連携を発揮したサイードは、ティーポット片手にクランクの額を鷲掴み頬を上げた。そして、注ぎ口を無理矢理口に入れて非道な笑いとお湯を零す。


「――っ、んーっ!」


 暫くして、声にならない悲鳴が途絶えるのに併せ今にも息絶えてしまいそうな者が一人転がった部屋で、サイードはゼフの入れたお茶を呑んで満足そうにしていた。

 エステュイアとウラノスが部屋を訪れるまで、クランクはピクリともしなかったそうだ。

 サイード曰く、穏やかな空気よりも少しぐらい危険が合った方が落ち着くらしいが、何よりも危険なのは彼自身だと誰もが思い、口にしてはならないと判断する。ただし、学習しない一人を除いて。

 せっかく立ち直ったクランクはその後再び床に転がり、今度はさらに長い時間動かなくなったが、何故そうなったのかはご想像にお任せしよう。取り合えず、目撃したウラノスは遠い目をしエステュイアは必死に視線を外して耳を塞いでいた。


「特に用が無いのであれば、狩りに出ても構わないか?」


 最後の一日はこうして騒がしく始まった。

 しかし、精石の破壊を考えず過ごせる嵐の前に与えられた自由を前に、サイードが選んだのはやはり死と隣合わせな場所。ただ、この日だけは死を招くのではなく、生きる為のものだと紡ぎの民は了承する。

 紡ぎの民は狩りが苦手だとルシエを通してサイードは知っていて、彼はウラノスが頼んだ分だけの獲物しか狩らなかったからだ。それを見越してサイードが言ったのか、彼に快楽だけの殺戮をさせたくないとウラノスが頼んだのかは分からない。どれが優しさでどれが非道なのかも、悪魔に対して選別出来ない。

 けれど、二度目の打撃から立ち直り同行したクランクとゼフ。そしてサイードが紡ぎの地の大自然の中狩りを行う姿は、時に少年の様に無邪気であり、獲物に襲いかかる際には凶暴で獰猛な荒々しい獣に成り果ててと、とても彼等らしかったのではないだろうか。

 日中、紡ぎの地では何度も何度もはしゃぐ声やふざける声、楽しそうな笑いが響いていた。

 そして、あっという間に時間は過ぎ去り夕陽は沈む。狩人が眠り、悪魔の舞い降りる刻限が来る。


「じゃあ、俺は先に戻って湯を浴びて来るから、二人は今日の収穫をあの連中に持って行っといてくれ」


 汗と血に塗れ、十分疲労した身体でサイードが言った言葉は、別れの宴の始まりを意味していた。


「魔法を使わずの狩りも良いもんだね」


「クランクは、サイードに狩られていた様なものだろう」


 二人の言葉に笑いサイードは颯爽と戻って行くが、ゼフとクランクは夕陽が沈み切るまで動かず、お互いに背を向けていた。背を向けて静かに泣いた。星の下、涙を流さなくて済むように。

 そして闇が空を完全に支配してから宴は始まった。




 

「肴は必要無かったのか?」


「これがあれば十分だ」


 大きな満月が空に浮び、それを飾る星々が瞬く夜。今まで見てきた夜空でも飛び抜けて美しい景色の下、三人は狩りの際中に見つけていた丁度良い岩場に座っていた。

 ゼフの指摘で三人を囲む瓶の数々に視線をやり、サイードは用意していたグラスに魔法で氷を作り出して入れる。


「魔法、使えたの……?」


「当然だろ」


 当たり前の様にそう言うが、サイードは魔法では無く魔力を用いて剣を使ってきたはずだ。早くも戸惑うゼフとクランクに、サイードは注いだ酒を半ば押し付けグラスを掲げる。

 ゼフが何かを口に含むのは、サイードも今まで見た事が無い。


「頭上には空が、足元には地面が。焚き火が爆ぜて三人がそれを囲む。違うのは、手に持つのが刃では無く酒だってことだけだ」


 それ以外何も変わらない。サイードは「だろ?」と腕を揺らした。


「そうだな」


「そうだねぇ」


 ゼフとクランクもそれに倣い、サイードのグラスへとぶつけた。三つの音が響き合い夜空を飾る。けれども、三人ともが最初の一口を飲もうとしなかった。


「今までの旅に……」


「これまでの戦いに……」


 二人がサイードを見つめ、震える唇を叱咤し呟いた。

 金の瞳は中心で燃える炎に負けない強さがあって、何の憂いも未練も映さない。この宴が始まることで、最も終わりへと近付く者が強く輝く。残される者の葛藤など全く気にしない様子で。

 そして、仕方が無いなと笑った。


「これからの旅にも、乾杯してくれよ」


 グラスを満たす酒は決して高価とはいえないが、それでも優しく氷を溶かしてうつろいでいく。小さな「乾杯」が続き、待ってましたと舌なめずりしたサイードは一気に中身を喉に流した。


「さあ、誰が一番に潰れるか」


 渇きを癒す潤いに愉快だと牙を星で照らせば、まず表情を変えたのはゼフだ。「十中八九お前だろうな」と、以前酔い潰れたサイードを担いだことを思い出す。

 今よりもまだ目付きは若干弱くて、手も剣を持ったばかりで綺麗だった頃だ。今では、厚くなった皮がグラスを固定している。

 体付きも、今以上に筋肉は少なく骨ばかりだった。そんな肉体で、良く逆境を切り抜けてきたものだと感心して笑う。


「クランクには負けたくねぇな」


「無理無理。俺は癒しの王だもん」


 続いてクランクが緊張感の無い笑いを見せ、余裕でグラスを空ける。それが当然のようにサイードを挑発し、二人は次々と瓶をゴミへと変えていった。

 クランクが旅に加わってから、張り詰めるだけだった空気が緩和され、サイードも心なしか余裕を持てた様に思う。それはゼフには決して出来なかったこと。

 けれど、そんな気色の違いを繋げてくれたのが、ルシエでもリサーナでもなくサイードだ。

 残虐性と短気な中でも決して消えない冷静さにゼフは惹かれ、ぶれない無邪気さがクランクと良く合い、正反対の二人を中和させる。でなければ、三人で旅を終えることなど到底無理だった。

 出会う順序もそうだ。もし、クランクが一番初めに解放されていれば、ゼフは旅に同行しなかったと断言できる。元々、ゼフは力の貸与で契約を結ぼうと思っていて、ここまで人間(・・)と関わる気も無かった。


「何故、難易度の高いものから破壊しようと思っていたのだ?」


 いつか聞ければと思っていたことを、ゼフは今までを思い出しながら尋ねた。

 考えなしでありながら、常に周囲を圧倒する深遠な生き方。今なら、戸惑いなく聞けるだろう。

 グラスに口を付けながらサイードを見れば、彼は意外そうに肩を竦める。


「大国であれば力も大きい。そうなると、警戒されれば容易では無いと思ったんだよ。特に、精石は必然で永劫だと思われていたから、油断のある内が逆に障害も少ないんじゃないかってな」


「障害は少なくても、危険は大きいのに……。まぁ、無謀が形になったようなサイードなら納得出来ちゃうけどねー」


 「結局、中途半端な場所からになったけどな」とケタケタ笑うサイードに、ゼフもクランクも呆れた溜め息を零した。

 そんな三人を眺める月は、とても楽しそうだ。飲めや語れやと、見事な姿で彼等のグラスを満たし続ける。


「でも、こうして俺は剣と盾、鎧を手に入れる事が出来た。無謀な俺が、無謀なままで朽ちることなく進むのは、容易では無かったはずだ」


 氷が鳴る。それが沈む水が揺れる。それは、三人の在り方をそっくりそのまま作り出す。

 向けられた想いを嘲りかわし氷を溶かすのはサイードで、ぶつかり合って必死に交わろうとするその氷がゼフとクランク。今までの想い全てを語るには、この一晩では難しい。

 様々な事があった。本当に様々な出来事と葛藤が。一つの精石を目指す毎に立ち塞がる壁や刃が引き裂き惑わせ、罪と罰を重ねて圧し掛かった。

 好んで使われたゼフの力は、万能だからという理由で済ますには頻度が多すぎ、反対にクランクの力を使って何かを癒すことは一度として無かった。それが、剣と盾であるゼフ、鎧であるクランクに強いた過酷な現実と過去。

 クランクは、空を見上げながら今まで直接言えなかった言葉を言った。


「知っていたんだよね。……一体いつから?」


 焚き火が爆ぜ、煙が立ち昇り、月がそれを吸い上げる。クランクがサイードに視線を落とせば、彼は隔てる白い幕の奥で冷笑して唇を舐めていた。


「このご託ばかりが並べられた真実に対して、知っていたかどうかを明かすとすれば、知らないことばかりだったぜ? だが、何が嘘かどうかの見分けは付きやすかった。だから俺達は、旅の中で気付いていったのさ」


「そんなこと、到底出来たとは思えないよ。気付くには、それが可能となる種が必要でしょ」


「嘘が二つ並べば矛盾が生まれる。その矛盾を照らして進めば、自ずと真実が見えてくるだろ?」


 返ってきた答えに対し、クランクもゼフも首を傾げる。

 しかし、それ以上に分かりやすくサイードが言葉にしたりはしなかった。どうせ、ルシエが全てを明かすのだから、二度も真実の前に立つ必要は無いだろうと思ったのかもしれない。

 さらに、気付いた事柄そのものも所詮付属品でしかなく、目的はどんな旅になったとしても変わらなかったのだ。

 それを説明すれば、今度はゼフが問う。全ての根源であるその意思は、最後の最後でとうとう明かされた。


「お前達の目的とは、一体何だったのだ」


 例え、人間にとってかけがえのない精石を破壊する宿命を負っていたとしても、救世主として進むことは出来たはず。それでも河内紗那(オリジナル)は始めから、破罪使と名乗り悪魔の道を進むことを決めていた。

 精霊の声を聴けるのだ。聖女として、人々を導くことが可能だと気付かなかったとは思えない。繊細な魔力コントロールが出来たのだ。例え魔力は低くとも、偉大な魔術師として名を馳せれたことだろう。或いは、一国に属して優秀な参謀にだってなれたかもしれない。

 それでも河内紗那は、始めから破罪使(ルシエ)になろうとしていた。

 サイードは、そんな事は決まっていると新たな瓶を開けながら淡々と言う。


「全ての愚かさを嗤い、散々扱き下ろしてくれた報復に全ての約束を壊す。言っただろ、気に入らないからだって」


 目的も動機もそんな単純なことだと、単純だからこそシンプルに楽しめたのだとサイードは振り返った。


「馬鹿にし、道具としか見ていなかったモノに出し抜かれるなんて、俺だったら屈辱で死ねる」


 クツクツと楽しそうに嗤う姿は悪魔だ。

 何度も見てきたはずの笑みは、それでもゼフとクランクを慄かせる。ずっと抱えていたものを混ぜているからだろうか。それは狂気と言っても、なんら差障りが無かった。


「嘘を吐く側には、俺達が何なのか見当も付かないだろうな。でも、お前等はもう分かっているんじゃないか?」


 徐々にだが吐き出されていくお互いの胸の内は、深くなればなるほどきっと全員の傷を抉るだろう。それでも彼等は、閉ざす選択肢を放棄した。

 サイードはまずクランクを見た。酒のせいかほんのりと染まった頬が、彼の人柄をさらに惹き立てる。

 何度も後悔し、何度も嘆き、躓いて慌てふためくばかりの愚かしくも憎めない考えなしな精霊王。それが、クランクだ。


「俺も気付いていた。水の精霊王、お前はこの身体が朽ちない様に、デルフィニウムが差し向けていたんだろ? だからお前を、最初の解放に指定していた」


 クランクの呼吸が止まった。

 口元に上がっていたグラスがゆっくりと岩に置かれ、瞳から感情が消える。

 サイードは、答えを待たずにゼフへと対象を変えた。

 予想外の思惑により解放の時が変わり、興味によって隣を歩むこととなった数奇で残酷な立場を強いられた、最強にして立ち止まり続けた精霊王。ゼフは、瞳を閉じながら黙ってサイードの言葉を待った。


「そして、風の精霊王。お前は、河内紗那の魂を跡形も無く消す役割を負っていたんじゃないのか? だからお前は、一番最後に指定されていた。しかもその役割を果たす時はまだ来ていない」


 リサーナが雨に打たれながら敵だと零した時から、いつ責められても可笑しくは無かった。それでも三人共が、明確に口にすること無く傍に居るのを容認し続けた。

 それを優しさで誤魔化し喜び、責めない残酷さだと罪に感じ、ゼフもクランクも自分から言葉にすることなく今まで来た。ルシエ達は知っているのだとそう思うこと自体が甘さで、それが明かされた今、贖罪の念に苛まれるのも卑怯な証。

 お互い様だと言うのは簡単だろう。サイード達も、今まで散々その強大な力に助けられているのだ。彼等とて、秘密ばかりではぐらかし利用もしている。

 ただ、それでも三人は何時だってゼフとクランクを見ていた。そして自身を魅せていた。これがもし、ゼフとクランクでは無く風と水の精霊王としてであれば、こうして共に酒を酌み交わしてはくれなかっただろう。

 黙りこくった二人に、サイードは何も言わなくて良いと口を潤す。


「だから、別に今もその役割に準じているのであれば、お前達の好きなようにすれば良い。ただ、その時はルシエの前に無様な姿を晒すだろうよ」


 あくまでサイードは、今の言葉をゼフとクランクでは無く、二人の精霊王に対して送っていた。だからこそ、グラス越しに挑戦的で獰猛な瞳を光らせる。

 暫く、パチパチと枝の割れる音とサイードが酒を飲む時に鳴る氷の音だけが響く。ゼフもクランクも瞳を閉じて動かず、サイードはその様子を眺め続ける。

 絶望というものは抱えたくない代表でもあるが、それはただ苦しいからではなく喜びよりも重すぎる故だ。零れ落ちるだけの穴の開いた器では抱えることすら出来ないと、何故誰も気付かなかったのか。サイードの目はそう言っている。

 そしてそんな目を、否定も肯定もせずに水色を開いたクランクは見た。――見て笑った。


「俺はね、どんなものでも癒してきたつもりだった。癒しこそが自分であり、自分こそが癒しであると思って、枯れていくだけの華を愛でてきた。けれど、絶望に打ちひしがれながら聴いた歌と出会い、萎れていきながらも腐敗した泥の中へと必死に種を飛ばす華を見たんだ」


「それで? お前はその華をどう思ったんだよ」


「馬鹿馬鹿しく思ったよ。無意味だと、無駄だとね。けれど、同時に飛んだ種はどうなるんだろうと気にもなった。今では、その種がきっと芽吹くと信じている」


 本当は、枯れていく華も癒し永遠に咲かせたかった。クランクは、その想いだけ心に留め、その一輪に目を細める。

 華は咲くまでが意地らしく、咲き誇れば美しく、枯れていく様を眺める気にはなれなかったが、そうでは無かったのだと旅が教えてくれた。クランクにとっては、そういう旅であった。

 旅の終わりでもその華は枯れきらずに枯れ続け、美しかった頃の姿を様々想像させてくれる。「出来れば咲き誇っていた時に出会い、摘んでしまいたかった」そう言ったクランクへ、サイードは魅惑的な笑みを浮かべながら一本の瓶を投げつけた。


「だったら、腐敗した泥をお前が癒せばいいだけだろ。どちらも持っているということは、誰よりも変化を作れるということだ。違うか? クランク(・・・・)


 そうすれば沈んだ種をクランク自身の手で咲かせる事が出来ると、サイードは「その後をどうするかは、お前の選択に掛かっている」そう永遠に消えない重みを示唆した。


「だからね、サイード。俺は、その華の友にはなれなかったけれど、友になってくれた華の種とは今度こそ逃げずにいたいと思うよ」


 それがクランクの答え。友になりたいと泣いた彼は、友を得たが自分もそうなることは出来なかったと判断したのだ。与えてもらうばかりで、自分に出来たのは持て余す力を使うことだけ。それは、精霊王だというだけで自分自身にはならない。その代わり、この先は与えられた名を名乗り、クランクとして生きると言った。

 サイードはそれについては何も触れずグラスを差し出し、クランクが小さくぶつけて想いを渡す。


「私は結局、お前達の影にしか目を向けれなかった」


 その音で深い内から意識を戻したゼフが、ぽつりと寂しげに言う。そして、サイードではなくクランクを見ながら、「お前は気付いたのだろう?」そう呟いた。

 何に気付いたのか。それはルシエ達の存在そのものを指している。河内紗那の魂を消す為とサイードが言い、それをゼフは見付けることさえ出来ずにいたのだ。


「お前は、クランクに消えたと言ったそうだな。そして私は、お前達を個々で見た。彼女には一切興味も湧かず」


「だが俺は、ゼフの考えも俺は肯定したはずだが? どちらも正解だと」


 旅が巡る。終わりに対して、始まりを蘇らせながら。

 月は頂点を過ぎ、サイード達を中心に太陽と繋がって流れていく。永遠に重ならない鬼事を繰り返し、次第にどちらが鬼かも分からなくなってもそれは止まらない。


「個でもあり群でもある。全ては一つで、けれども一つ一つがなければ全てにはならない。そういうことだよね」


 三人共、酔いは一向に回ってこなかった。渇きも満たせず、瓶の中身だけが消費されていく。と、ここで、初めてサイードがグラスを置いて胡坐を組んだまま両手を背もたれの代わりに月へと嗤う。言い得て妙だなと感心しつつ、そんな素晴らしいものでも無いとクランクの言葉を噛んだ。


「三人には、共通点が目的だけ。他は、一つとして同じじゃなかった。俺はそう思うよ。言葉遣いも思考も、好みも力も」


 クランクはゼフにも同意を求め、彼は思案してから躊躇いながらも浮んだことを口にした。

 一番分かりやすいのは、三人の戦い方。ルシエは魔法、サイードは剣、リサーナは弓もそうだが二人の補助が主だったと。サイードはそれを、月と見つめ合いながら静かに聞き流す。


「今更隠そうとは思わない。精霊王全員と契約を結ぶなんて、普通じゃ不可能だ。ただの精霊とだって、人間は一体としか結ばれないんだから」


「だろうな。だが、だからといって俺達を特別だなんて言うなよ?」


「当たり前だよ。口が裂けても言うもんか」


 特別だと言おうものなら、サイードは容赦なく生かしておかないという目をしていた。

 クランクもゼフも思ったりすらしないと分かっているから、その目で二人を見るようなことはなかったが、代わりにそんな視線を向けられた月が恐ろしいと雲に隠れ様子を窺う。

 「月も存外臆病なんだな」サイードが小さく噴き出せば、安心したのか雲は引いた。


「精霊化に苦しんでいたのは、ルシエだけなんだよね?」


影響は(・・・)俺達も受けていた」


「だって、身体は一つだから。それに魔力も一種類。サイードの剣を、リサーナもルシエも握っていたからね。ルシエと契約しているはずの俺達もまた然りだ」


 金の瞳にすっぽりと月が収まった瞬間、クランクの言葉を必死に繋ぎ合わせていたゼフのグラスが岩に落ちて砕け散る。幼い星はそれに驚き弾けてしまい周囲の星がゼフを非難したが、彼は気付いた真実の尋常ではない混沌さを受け入れるのに必死であった。

 そういうことだったのか。ゼフの声にならない声がそう呟く。始まりと現在の違いと、これまで放たれた言葉の数々。気付いた今なら全てが理解できる。出来てしまう。


「お前達は、三人で河内紗那(かわうちさな)なのだな……!」


 そうして絞り出したゼフを前に、クランクが確信を持って見つめる先で、サイードは薄っぺらい笑みと分厚い悪魔の仮面をつけた。夜は更け、宴もそろそろ潮時だ。

 「そうだろう?」サイードの独り言を月が拾う。「逝くのかい?」月は尋ねた。


「世界が巻き込む人間は、世界に許される資格を持った者だ。それすら持たない河内紗那(オリジナル)が世界を渡れば、何が起こっても可笑しくは無い」


 そうしてサイードは、ぽつりぽつりと自らについて、説明しなければ誰もが解けなかったであろう真相を明かす。

 ゆっくりと立ち上がってわざとグラスを岩へ落とし、ゼフが作った染みをさらに濃くさせながら近くの岩の壁へと凭れた。


「俺とリサーナは、河内紗那の魂の中身だ。この身体が地球で満たし、一人の人間を河内紗那(かわうちさな)という人にしていたものが俺達を生んだ」


 サイードは、ゼフとクランクにではなく月へと語っていく。聴くも聴かないも、二人の自由だと言うように。彼等は逃げなかった。


「そしてルシエは、河内紗那となった魂という器。だから、契約できるのはルシエだけだった」


 重複する契約は、力の貸与でなくとも精霊化は免れない。影響の度合いが違うだけで、精石を破壊すればするほど、魂は喰われ穴を開けていく。しかし、サイードとリサーナはその器すら持たない存在だった。

 けれど、二人はそれぞれサイードとリサーナとして旅をしてきたはずだ。その理由をサイードは語る。


「それでも、俺という存在が今までルシエとリサーナではなく俺であれたのは、居場所を失った河内紗那(オリジナル)そのものが仮初の器になっていたからだ」


 瞳の中に移動した月が「ただでさえ空っぽに近かった彼女が、二つの器を作れる程の人だったとは思えないけれど」そう嗤う。サイードは肯定しつつ、「けれども人間とは違う人というものが、それを可能にしたんだよ」挑発的に牙で威嚇した。


「どんな人物であれ、誰しも強さと弱さを兼ね備えている。強いだけでは、弱さと変わらず。弱さは時に強さでもある。そうだろ?」


「つまりは、サイードは河内紗那の強さを器に、リサーナは弱さを元に生まれたということ……?」


 そんなことはあり得ない。何の確証も無い言葉ではあったが、クランクもゼフもそう指摘することは出来なかった。世界がどういったものか、世界の何たるかなど、構成する一部でしかない生命には理解の及ぶ範疇ではない。所詮、精霊王もその生命の一つだということを今の二人は気付いている。


「だから俺とリサーナが契約するのは一度が限界。ルシエの契約だと誤魔化せるのは、仮初の器がその中身で出来ているからだ」


 それに、と月へ冷笑したサイードは、その器そのものも旅を進めていく内に自らの記憶と入れ替えてルシエへと流し、精霊化から耐え抜く力にしていたと告げた。

 サイードの記憶をルシエに移したところで、それは固まることが出来ずに流れて消えてしまう。けれど、それが器としている河内紗那のものであれば、一時凌ぎにはなるらしい。


「まあどの道、ゼフと出会った時点で消えるしかなかったしな。俺も、最期の為に全てをルシエに押し付けようと決めていた」


「何故……、お前達を駆り立てる想いは一体……」


 ゼフもクランクも、岩に拳を押しつけ表面を削っていた。そんな二人を哀れみ、月がまたしても問う。「それがお前の逝き方かい?」雲で目元を隠しす月に頷くサイードへ、「最後まで非道を貫くか」唇をきつく結んだ。

 知らせないまま旅を終わらせれば、ゼフもクランクも悲しいながらも微笑んで最初で最後のサイードの歌を聴けただろう。しかし、最早それは出来ない。その姿を見届ける強さを彼等は持っていなかった。

 何故なら、これから消えるサイードが委ねる魂の中身は、穴の開いた器の中では永遠に息づくことが出来ない。リサーナから預かった中身諸共、泡沫となって消えていく。ただ死ぬだけであれば、魂は生前に作られた形で天へと昇って行くが、破罪使と悪魔はそれすら出来ないのだ。

 けれど、と月の隣で好奇心溢れる幼い星が首を傾げた。「そもそも魂って(なあに)?」と純粋な光を降らす。


「心が宿る? いや、違う。魂とは、脳で生じるより強い感情、それを生み出した光景の記憶(・・・・・)が収められる箱だ。脳が記憶するのは感情で、心とは魂に収められた記憶によって動き脳へと伝わり、そしてその強さによって魂を満たしていく。だから、ルシエは呪いの島で空っぽを懐かしいと言ったんだ」


 その三つは全てがそれぞれの鍵となり、魂に収める必要が無いと心が判断したものは、そのまま脳に留まり次第に消えていく。そうすることで人は忘れ生きていけるのだ。

 ルシエが徐々に精石を破壊する際にしか表に出てこなかったのは、魂に穴が開いたことでバランスが崩れ、感情の湧きも薄く不安定になっていったから。結果的にサイードが主となったが、彼とリサーナが仮初の器を自身のもので塗り替えルシエへ移す方が効果的だったのだ。


「つまり、俺達は行き場の無い感情のみを持て余し、其々が引き摺られた。俺は河内紗那の殺意や残酷さ。リサーナは無関心さや強かさ。そしてルシエは――」


「……虚無」


「そう、虚無だ。けれど、それだけじゃない。俺達は河内紗那から分岐したことにより、本人が気付かなかった無意識の感情も知っている」


 サイードは一度顔を下げ小さく冷笑し、再び空を見た。今度は、月や星の間を染める闇の中へと視線を送りながら。


「何故、河内紗那は物事を好き嫌いで分けていたか。好意と単純な好みは違うだろ? 永遠に満たされはしないが同様に渇きもしないからこそ、あの女は価値観をその二種類で分類し、完全なる空にならない様上手く調整してたんだよ」


 そうすることで、喜びにも悲しみにも惑わされることなく淡々と日々を謳歌できたのだと、そんなアホらしい考えが嫌いだったとサイードは言った。

 だが、クランクがここである事に気付いた。三人が河内紗那の欠片だとしたら、何故サイードは男でいるのか。その理由にゼフは気付けないだろう。そして、気付いてしまったクランクは嗚咽を耐える為、強く胸を握らなければならなかった。


「けれど、そんな彼女も、男の様に(・・・・)強ければと願わずにはいられない事があった……?」


 闇の中から一粒、ほんの微かな光が「そろそろ許してやろうよ」と語りかけ、「そうだな……」サイードが身体を起こす。

 クランクもゼフも縋るように答えを待ち、気配を察して首を振る。三人の周囲には空になった瓶が多く転がっていたが、宴を締め括るのは悲しみと静けさだ。


「ゼフ、クランク。もしお前達がルシエ側の選択を取るならば、これだけは言っておく」


 サイードは二人に歩み寄り、順に立ち上がらせた。そして、激しく揺れる翡翠と水晶に月を移す。


「決して、デルフィニウムとの会話に口を挟むな。もし、一言でもルシエへ発してみろ。その時点でお前等は、ただの敵としてルシエの最期に刻まれる」


「安らかな最期は、どこにも無いのか?」


 ゼフが腕を掴み零した声。最早聞き取るのも難しい掠れたものに、サイードは「出来るのは見届けることだけだ」きっぱりと告げる。

 ゼフの代わりに頷いたのはクランクだった。長い爪を持つ手の上からサイードに触れた彼は、限界まで垂れ目を下げて弱々しく笑おうとして失敗する。

 それでも必死に言葉を探し、――言った。


「例え、魂さえ天に昇ることなく消えたとしても、俺の魂には三人が永遠に満ちている。だから、君達の誰も消えやしない。消させやしない!」


「言うようになったじゃねーか。これじゃあ、最弱と最強が逆転する日も近いかもしれないな」


 茶化すようにクランクの肩を小突くサイードだけが、いつもと変わらない姿を月へ見せ続け宴は終わる。

 堪え切れなくなったゼフは、反論も忘れて肩下にあるサイードの頭を掴み胸に引き寄せた。今までの想いと、サイードが抱くこれまでの思い出を引き継ごうと必死に強く。精一杯抱き締める。

 背中にはクランクの温もりが染み渡り、耳元で震え掠れる二つの「ありがとう」が重なった。


「ゼザルフ、クランク」


 そして、中心から名が呼ばれればそれが別れとなり、全ての温もりが離れた。

 サイードは、二人に対して短く「行け」そう言って同時に身体を押す。


「信じてるぞ……」


 あぁ、二人に囁かれた言葉が聴こえただろうか。いや、月にも星にも聴こえたのだ。絶対に伝わった。その中身も含め、全てが伝わったと断言出来る。

 その証拠に、ゼフとクランクはよろけはしたが動こうとしなかった。

 仕方ないとその姿に笑うサイードは、見届けたいと顔で訴えながらも恐れている二人へ「旅を終わらせるつもりは無い」と言い、自らが離れていく。これまでと同じ様に、少しだけ別行動を取るだけだと笑って――


「あ、そうだ。俺にはもう必要ないから、二人にやるわ」


 段々と闇の中に霞む背中。どう頑張っても小さい背中は、揺らめく視界の中で振り返り、二つの塊を風で運び二人へ渡す。反射的に受け取った彼等が、驚きと共に掌に収まる物から視線を戻した時にはもう、銀に輝く絹糸も、獰猛で鋭い獅子の瞳も、不器用で繊細で冷たい中に熱い想いを秘めた指も何もかも無かった。誰も、居なかった。


「……行くぞ」


「うん。見届けて、約束を交わそう」


 そして二人は、一足先に全ての終わりを飾る舞台へと移動した。決意した通り、涙は流さず必死に笑って。笑って歌を聴かずに消えた。


 その日から、二人の精霊王の首には指輪にしては小指にすら嵌らない小さな黒い円の金属が美しく輝き続けた。永遠に、永劫に。風の精霊王は水色が水晶を想わせる紐を、水の精霊王は黒い飾りを映えさせる翡翠の紐だったそうだ。

 二人はそれについて語る際、常に同じ言葉を言ったという。「これは、大切な者から預かった彼の相棒だ」そう言って、月を見上げた――





「別れの言葉は必要無かったの?」


「闇に紛れるつもりが闇に溶けてしまった。俺にはそれで十分だ」


 軽い足取りで獣道を進むサイードの口は小さく動いていた。

 ルシエもサイードも満ち足りた表情をしていて、「再三、別れは絶対にくるとチャンスは与えてたしな」サイードが意地悪く言う。右手に違和感があるのか、しきりに何かを探して指の付け根に触れていた。

 そして身体は、ウラノスからルシエが教えてもらっていた懸崖へと辿り着く。そこは空の中に吸い込まれる様な場所で、歌う時には是非と薦められていたのだ。

 月も星もそれを知っていて、先周りをして静かに観客席で待ちうけている。それとは別に二つの影も見え、「せっかくだ。お前も少し最後の景色を噛み締めれば良い」サイードはそう言って一度ルシエへ身体を譲った。


「見送りに来てくれたんだ」


「別れぐらい言わせてくれ」


 ウラノスとエステュイアへ静かに微笑み、崖の端で空を見上げたルシエ。

 満天の星空は大きさに関係なく全てが眩しく輝いていて、自由な空というキャンバスに雄大な絵画を描く。一つ一つが奪った魂だと考えれば黙ってその光に刺され、築き上げた思い出だと考えれば一つ一つが愛しくなる。

 後ろに立った二人も同じ様に月へと祈り、ウラノスは「もう一つ、我々には目的があったんだ」振り向いたルシエに頷く。


「この星空を贈りたかった。少しでも、この世界の良さを知って欲しくて」


 頬へ伸びてくる美しい手に擦り寄りながら、気持ち良さそうに目を細めたルシエは小さく「ありがとう」と呟き、月に捧げるように地面へ精石を置いた。

 月が「自信の程は?」心待ちに尋ねてくるので、「最高に楽しみなぐらいではあるね」ルシエは魔性に微笑んで返す。そして、背後の二人に言った。


「この世界も地球も大好きだよ。始まりでは、こんな最後になるとはとても想像できなかったけれど」


 そして、ルシエは二人に傍を離れる様に告げる。今回はルシエではなくサイードが解放を歌う。彼は、人に見守られながらの最期を望まなかった。

 だからこそ最も語らうべき相手との別れを先に済ませ、ウラノスとエステュイア以外誰も居ない。理解している二人は頷き、エステュイアがルシエの頬にキスの雨を降らす。


「誰が何を言おうとも、我等はあなたを褒めも責めもしません。何故なら、我等はこの身滅びるまで、破罪使と悪魔の羽根なのですから」


 ウラノスはルシエの髪が乱れるのもお構い無しに頭を撫で回し、歓迎の意味を込めて行った挨拶に口付けを加えた別れを告げる。


「どうか、あなたの物語があなたらしい形で紡がれることを祈っております」


 そして二人は、長としての言葉を贈りその場から離れていった。

 見送りながら皮肉だとルシエは嗤う。仲間など望まぬ旅には、初めから共に戦おうとしてくれていた人間が居たのだ。これを笑わずにはいられない。


「さようなら!」


 ウラノスに支えられながら叫ぶエステュイアの言葉に、ルシエはひっそりと呟いてサイードへと変わった。


「――さようなら」


 それが、破罪使がアピスで発した人への最後の声。

 すぐさま鋭い牙で唇を舐める残酷な瞳へと変化し、月を狩らんばかりに睨みつけるサイードは、精石の前に腰を下ろすと躊躇無く吐息を音で吐き出した。


「明けない闇は夜空に非ず」


 他人を嘲り弄び、悲しみばかり招いてきた者は、自らの終わりでも同じ様に冷えた笑みを浮かべ続ける。

 罵詈讒謗(ばりざんぼう)を浴び続けてきた体は、歌を皮肉り闇へと溶け込む。


「霞む闇が朝となり」


 けれど、そんな者でも与えていたのは事実だ。揺るがない姿が時に相手の魂を揺ぶり、剣を魅了し、言葉を望ませた。

 赤い雫で周囲を染めても、それさえも切り裂きながら進まれた道には何が落ちていたのだろう。


「反する理が羽根を紡ぐ」


 一点の曇りもない静かな声。荒々しいサイードの歌は、全ての憂いを沈めるように紡ぎの地で響く。

 それはきっと、彼が追憶せずに奏でているからだろう。ルシエに対し、何の疑いも持っていないからだろう。

 サイードは常に、目の前の瞬間だけを見続けてきた。そうすることで、消えるだけの日々を謳歌した。


「果たされぬ願い、それは試練か」


 最も多くの人と出会い、渦巻く欲望にまみれた旅人よ。君は一体、この世界に何を見たのか。

 サイードは何の邪魔や妨害も無い為か、それともその魂が溢れる程に満たされていたからか、破壊の負担をみせずに笑っているだけである。


「朝焼けを抱くは()(かれ)


 始まりは荒れた地。道のりは喧騒。そんな旅の終わりが静寂とは、(せい)も中々に気が利いている。きっと飽きない日々だったことだろう。

 楽しみを求めていたのは、即ちそういうことだ。悲しみを知り絶望を感じ、だからこそ求め、先が必ずあるのだと分かっていた。


(たい)する想いは(つい)なる番」


 強い光を放ち続けた瞳は月へ冷酷な笑みを贈り、静かに瞼を落としていった。

 君の弱さは他者を寄せ付けなかったことにある。しかし、差し伸ばされる手を無視できるだけの強靭な強さは、弱さでもあったと分かっているはずだ。

 だからこそ、与えられたものが沢山あった。人の頂点となる王を惑わす闇でありながら、その上で燦然と輝く太陽でもありほのかに灯る月でもあった。

 背負ったものは、人が犯せる罪だけだ。悪魔だと叫び、そうやって自らを誤魔化さなければ、ただの人でしかない。

 だからこそ君は、多くと出会ったんだよ。だからこそ、君との別れは惜しまれた。

 破罪使の罪は、破罪使にしか背負えない。河内紗那もそうだ。

 だから、サイードに出来るのはその場所へ導くことだけ。導き手としてこれからも、新たな旅へと歩むだけだ。


「追え――」


 サイードは最期まで、サイードらしい姿を月と星に見せた。涙など流すはずもなく、代わりに星が流星となって流れていく。

 しかし、そんな雄大な光景が目の前に広がっていたなど、瞳を閉じてしまったサイードは知る由もない。

 そうして、最期の言葉は放たれた。


「その先で翼はためく」


 ベニトアイトが砕けると同時に、サイードの魂は消えた。一切の苦痛を感じさせず飄々と余裕に、あっさりと彼はこの世に別れを告げた。

 静かな歌の余韻を残しただけで――


「初めまして、ノアールモ」


 そしてルシエは、命運を左右する者へと微笑み言う。

 一人の人間と一人の精霊王。彼等が結んだ契約がどういったものだったのか、それを知るのは本人達と月のみ。

 ルシエはノアールモの前に手を差し出す。


「さあ、行こうか。最後の精霊王(・・・・・・)へ会いに」


 満面の笑み。月はそれを見るに耐えず、けれども自分には見上げる何かが存在しないことを気付いて雲に隠れる。

 その間に、ノアールモとルシエの手が握られ、破罪使は世界から消えた――








『昇らぬ光は朝日に非ず

 明けない闇は夜空に非ず


 沈む光が夜となり

 霞む闇が朝となり

 

 連なる理は枝を別ち

 反する理が羽根を紡ぐ


 満たされぬ想い それは施しか

 果たされぬ願い それは試練か


 黄昏を歩む彼は誰

 朝焼けを抱くは誰そ彼


 対する願いは対なる番

 対する想いは対なる番


 ――手繰れ その先で羽根が躍る

 ――追え その先で翼はためく』



 その者、全ての始まりと終わりである朝日を嗤い。その名花、訪れを告げる夕陽の涙となり。その獣、全てを包む闇に溶け込む。今日この日という時は、彼等によって創られた。白き御身に黒い翼を宿す時の羽根として、我等はこの地で紡ぎ刻もう。


 この日、紡ぎの地で一つの歌が生まれた。

 そしてそれは地上にて、作者不明でありながらも広まっていく。誰も、それが破罪使と悪魔についてのものだと知らないまま、人々は歌った。


 十の精石を約束通り破壊した破罪使。けれどもその目的は別の場所にある。

 戦いはまだ終わっておらず、ルシエは受け取った記憶で魂を保たせながら最期の地で待ち構える嘲笑う相手の元へと向かった。


 けれど、ルシエは知らない。そして気付かなかった。

 堕天使の罠に落ちた愚かな悪魔は、さらに同じ悪魔の囁きにも堕ちていたということを――





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