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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第八章:捻くれX意義=紡がれる全て
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晴天を飾る天使は歌う





 破壊した城は、穏やかな眠りを望まないという意思表示。降り注ぐ瓦礫を物ともせず、ゼフの風の力によって自身と二人の周囲を包み込みながらルシエは暢気に零す。


「ごめんね。勢い余って、天使軍(エクソシスト)を足止めしていた壁まで壊しちゃった」


 響く破壊音に関係なく、ゼフとクランクに届いたその言葉は、感情を爆発させたことで落ち着いたルシエに対する安堵と呆れ、どちらも含んだ溜め息を吐かせた。


「どうすんの、一気に押し寄せてくるよ?」


「まさか、相手をするとは言わないだろうな」


 本当であれば、城のこと、ルシエの考えを聴ける良い機会なのだろうが、せっかく落ち着いた感情をわざわざ荒らして(・・・・)しまうのは憚られる。結局ゼフとクランクは、普段通り触れず見守るだけに留まり、ルシエの機嫌に合わせた。


「それは、相手の出方次第かな。とりあえず、森に入ろうか」


 足元を注視しつつ、瓦礫から草の上へと辿り着いたルシエの背後では、崩壊の残響とは違うざわめきが聞こえてくる。

 けれども、そちらには視線をやらず、僅かに右の何もないと思われる場所を流し見て淡く笑った。


「どうした?」


「どうもしないよ。さあ、行こう」


 不思議に思ったゼフが尋ねても、手を振って気にするなと言うルシエだったが、その目は城に居た時程では無いが僅かに殺気を帯び、そのくせ楽しそうでもある。しかし、どれだけ目を凝らそうと、そこには変哲のない草木しか無い。

 ゼフは気になりはしたが、結局知るに至らなかった。


 そして三人は、アーチ状に生えた木々をくぐり、人の侵入を今まで拒んできた精霊の森(ティターニア)の奥へと進もうとする。森は精霊の気で溢れ、ゼフとクランクの酷使しすぎて未だ本調子でない力が整っていくのをルシエは感じた。さらに自らの魔力も、とても扱い易くなっていることに気付く。

 けれども、歩きながら掌を見つめ、もう一度淡く微笑んでから再び前を見据えた時、警戒を発しながらピタリと足が止まった。


「ルシエ?」


 並んで歩いていたルシエが突然止まり、尚且つ眼前を鋭く見つめたことで、訝しんだ二人も止まる。

 クランクが顔を覗きこもうとすれば、その背後に城の瓦礫を上り迫ってくる天使軍の影が見えた。ハッとし急いで手を引くが、ルシエは動かない。


「さて、ここからどう転がるか……」


 その囁きで、ルシエの背後に回り念の為天使軍を見据えた二人が、首だけで振り返る。森への道が続いているだけで、特に何かが見えるわけでは無いが、奥で眷属が騒いでいるのをゼフは感じた。

 「二つ同時は、キツイね」そう言って顔を顰め、こめかみを揉み、呻き声まで出すのだから、異変が起こったことだけはクランクも悟る。

 ただ、ルシエが動かないとなると厄介だ。そう、目の前の瓦礫を乗り越えてくる天使軍の軍勢だ。

 生身で上るには無理がある為、ある程度の場所まで悪戯妖精(シルフ)と契約している魔術師が運んでいるのだろうが、時間が経てば経つほど内気な技師(ノーム)での突破も可能になり、数が増える。

 ゼフは一か八か、牽制として声を風に乗せ叫んだ。


「この地への人間の立ち入りは禁じている。今すぐ立ち去れ!」


 シルフィードが直接指揮を取っていれば、まだ幾らでも穏便な手段が取れただろう。けれど、今までそれを安堵していたのだから、土壇場で望みが叶うなど都合が良いにも程がある。すぐさま、同じ様に風に乗った知らない者の声が返ってきた。


「最早、人が精霊の王に従う謂れは非ず! 聖地を荒らされたくなくば、即刻破罪使と悪魔の引渡しを申し入れる!」


 相手はあろうことか、精霊王に取引を持ちかけてきていた。二人の王は、あまりの侮辱さから同時に舌打ちし、「穢れを望むか」地を這う唸りで天使軍を威嚇した。

 しかしそれすら、「穢れを恐れるは人に非ず」こちらは構わないと挑発的なもので返される。

 この場に留まるのであれば戦いは避けられないと、最終的な判断をルシエへと求め、二人は出来ることなら森の奥へ進んで欲しいと訴えた。


「うん。じゃあ、そっちの相手は任せるよ」


 自分の意志を尊重してくれようとする姿に満足しているのか、良く出来ましたと頷いたルシエ。けれど、口から出た言葉は、そんな二人の願いを跳ね除けるものである。「血を流さずにはいられないぞ!」あまりの傍若無人さに憤ったゼフの言葉さえ、「そんなにこの血を穢したくないのなら、血を流さないように頑張れば良いだけでしょ」そう言い捨てるだけだった。

 ルシエの視線は、立ち止まってからずっと森の奥にだけ向けられていた。


「動けない理由があるの?」


「動く理由が無いんだよ」


 確かに気分屋で自分勝手なルシエだが、窮地での判断が常に怪我の功名でもあると分かっている。クランクが尋ねれば、いつものはっきりしない答えを零し、ルシエはさらに強い呻き声を上げた。

 破罪使が動くのは、精石の破壊でのみだ。そして、そんな者が動かないと言った。流石に一年近く共に行動していた二人は、答えの無い言葉から答えを導く手段とルシエの思考を、ある程度把握している。

 瞠目し、よりルシエの視線の先へ目を凝らせば、森特有の薄暗さに二つの影が現れたのに気付き、頷き合ってからゼフが天使軍の方へと駆け出す。


「一人で大丈夫?」


「こっちも戦闘が避けられないとなれば、合流しようか。まあ、相手は二人だけみたいだから、そっちに集中していて構わないよ」


 数の多さで、たとえ最強の精霊王だとしても一人任せにするには荷が重すぎると、警戒の促しも兼ねて問えば、今度は安心出来る答えが得られ、クランクは「分かった」とゼフの後を追った。

 これで、背後は気にしなくて済む。そう思った途端、まるで準備が整うのを待っていたかのように、「破罪使で、間違い無いでしょうか」と何千年も生きた大樹のように厳かな男の声がルシエの耳に響いた。

 これまで、多くの者と会話してきたルシエだが、可憐さを秘めた美しい声とは出会っても、永遠に聴いていたいと思えるものは無かった。

 どんな歌姫も、どんな吟遊詩人も、この男の声の前では雑音にしかならない。ルシエだけでは無い、全ての者がそう思うだろう。しかもそれは人間に限らず、事実男の声が森に響いた途端、周囲に居る精霊は酔った様に騒いでいた。


「破罪使のお客様かな」


 そんな声の持ち主に、自分の声を届けるのには心底度胸が必要だった。とはいえ、元来羞恥も遠慮も持ち合わせていないルシエは、それ以上に「破罪使のお客に、苦労しない事は無かったんだけど」と警戒を言葉で伝える。

 天使軍然り、フィザーレイロ然り。会いたいと望んだ者は、風の国の王女でさえ苦労させてきたのだから、当然だろう。

 さて、どう返してくるか。相手の出方を窺うルシエだったが、響いたのは言葉では無く笑声だった。しかも、男ではなく女の。鈴よりも高い、生気に満ち溢れる声も確かに美しいのだろうが、男のものを聴いた後では霞んでしまう。


残念ながら(・・・・・)、お客ではありません。寧ろ、お客様はあなたの方ですよ」


 ルシエは、女の返答に違和感を覚えた。自分が迎えられる側、と言った時点で、二人は闇と光の国に関係した者であろうことは分かる。ただ、違和感はそこではなく最初の言葉だ。

 まるで、先程の警告が自分への皮肉混じりのものだったと、女が知っている風に聴こえた。


「とりあえず、日に当たって溶けたりしなければ、お顔を拝見させては頂けませんか?」


 とにもかくにも、相手がどういった人物なのか、外見からも見極める必要がある。ルシエの申し出に、謎の男女は「これは失礼を」そう言って、姿を現した。


「お初にお目にかかります、破罪使ルシエ。私は、エステュイアと申す者です」


 森を背後に、光の下へと出てきた女は、海の精霊王と同じ様な造りの目をした白を有する光の純血種であった。奇抜な髪型と、顔以外全身を隠す不思議な衣服が、ルシエの頭に神官を思い浮かばせる。

 エステュイアは、右手を胸に当てて目礼する親愛を込めた礼をルシエへと送り、柔らかく微笑んだ。

 大きな口の袖から見えた指が、男の声のようにルシエの視線を釘付けにした。エステュイアは、最早神の手との賞賛に値する完璧な手の持ち主であった。


「お会い出来る日が来ようとは……。私は、ウラノスと申します」


 そして、美しい声を持つ男はウラノスと名乗り、彼もまた同じ様な目をした濃紺な闇の純血種。エステュイアとウラノス、二人が並んで立つ姿は、色は違えど似たような恰好の為か、この世ならざる者の様である。ルシエの背後でゼフ達と睨み合う天使軍など、人間だとは思わなかったかもしれない。

 伝説の民が現れたのだ。信じられなくても仕方が無いだろう。


「それで、何の用かな」


 名を知っているなら、態々名乗り返す必要は無い。指輪を掌で転がしながら、ルシエは何処を見ているのか悟らせない不気味な瞳に向けて小首を傾げる。

 全てが伝説、未知なる相手に、ルシエは一歩も躊躇せずにいた。


「あなたが驚くのは、一体どんな時なのでしょうね」


 エステュイアもそう思ったのか、仕草を真似ながら言えば、キョトンと一瞬呆けたルシエが無表情に落ち着く。


「驚かない時は無いよ。破罪使にとって、この世には驚きしか無い」


 それは、本音であり罠だ。ルシエにとってのこの世はアピスであり、アピスは異界。常識が存在しないのだから、全てが新たな発見となる。

 様々な意味合いを持つ答えに、エステュイアは今度こそ素で首を傾げたが、その代わりに大樹(ウラノス)が笑っていた。多くの誘惑を孕んだ笑声に混じり、「確かに……」そう零したのをルシエはなんとか拾う。

 ルシエの眉間に皺が寄ったのを見て取ったエステュイアが、背中を小突いて嗜めるまで、ウラノスの笑いは治まらなかった。


「それで、何の用かが気になるのですね?」


 ウラノスを黙らせ、気を取り直したエステュイアが改めて言った時、ルシエは待ちくたびれてか背後に視線をやって、ゼフとクランクの様子を窺っていた。

 眉間の皺が深くなっており、結構苛立っていた様だ。纏う雰囲気も、警戒と胡散臭さが最大限混ざっている。


「迎えに来たのでしょう?」


 再びエステュイアとウラノスへ視線を戻した際には、自分の投げた質問に自分で答える始末で、ウラノスのは自身の失態を僅かに後悔した。

 二人は、機嫌の悪いルシエの危険性を把握している。それは何故か。彼等が、光と闇の長だからだ。

 かといって、ここで引くわけにはいかない。伝説と謳われる程、人間でありながら別次元に生きる二人にとって、地上に降りることは大きな意味を持つ。

 ウラノスはエステュイアに頷きで何かを訴え、彼女もそれに応じて美しい手をルシエへと差し出した。


「非礼をお詫びします。確かに我々は、あなたをお迎えに上がりました」


 ウラノスも、エステュイアと同時に手を差し出していて、二人の掌には光に反射する物が乗っていた。

 背後で響いていた音が止み、数多の視線がルシエ達三人へと集中する。目を見張り驚いたのは、ルシエでは無く天使軍の面々であった。

 ウラノスとエステュイアには、ルシエの背後に広がるその様子がさぞ良く見えることだろう。けれども彼等は、それを無いものとして続ける。


「言葉で説明するよりもまず、あなたは行動による誠実さを求めるでしょう?」


 エステュイアの言葉は、ルシエのことを知っているのだと言っており、浮かべる微笑に敵意は無い。彼女の掌の上で、純白のハウラウトが美しいサークレットが、船乗りを惑わす命の踊り子(アウラネルク)の歌の様に存在を主張する。


「ただし、共に来ていただく為にも、どちらか一方だけを。我々の目的が果たされれば、もう一方もお渡しするとお約束致しましょう」


 そう言ったウラノスの掌にも、彼の声に負けず劣らず厳かで丹精な造りの、ベニトアイトで造られた蝶の羽ばたく、指輪リング腕輪ブレスレットが一体となった装飾品が置かれていた。

 純血種と、持つ血を示す色の石。それが組み合わされば、その装飾品がどのような役割と意味を持つのか、説明せずとも誰もが理解出来る。

 ルシエの背後で、「精石だ……」天使軍の誰かの呟きが静寂を破っていた。


 伝説の民が現れただけでも驚きだというのに、あろうことか破罪使に精石を差し出す光景を目の当たりにした天使軍は、理由を考える暇も置かずにウラノスとエステュイアを敵だと認識した。

 二人の精霊王と対峙し、拮抗を続けていたぎりぎりの状態から一変、そこかしこで剣が抜かれ魔法を詠唱する声が聞こえる。

 誰もが注目する中、ほとんどの殺気を集めるルシエは言った。


「これは、目的を尋ねるのは無粋になりそうだ。けれど、せめてお二人の素性を教えて欲しいかな」


 その時の視線は、ウラノスの腰元へと下りており、彼は一切の武器を持っていない様だった。

 精石を差し出し、破壊という言葉を用いずにそれを了承した二人の純血種。けれどもウラノスは、目的の為にとはっきり言った。精石以外で破罪使に関連するものは無いはずで、そこがルシエの警戒心を持続させる。

 ただ、相手は丸腰で、用心しつつもルシエに対してそこまで警戒はしていない。どちらかといえば背後の天使軍の動向を懸念していると、不気味な瞳から読み取っていたルシエは、肩に掛けている麻袋をゆっくりと下ろして、二人と同じ条件下に身を置いた。

 今度はゼフとクランク、ウラノスとエステュイアがその行動に驚きを示した。相手に合わせる行為を良しとしないはずの破罪使が、天使軍の前で丸腰となる。それは、相手にチャンスを与えるだけだ。


「信用してもらえるのですか?」


 どうやらエステュイアは、考える前に口が出るタイプらしい。

 麻袋を下ろした際、金属のぶつかる音が聞こえており、中身の殆どが凡そ()に必要な物では無いと誰にでも分かった。

 だからこそ、それを捨てるということは、敵意を捨てるに値する。


「あなた達は、今までと違うと思うからね。この袋に入っているのは、僅かな食料と衣服、命を奪う大量の道具だから」


 「迎えだと言ったのは、そちらでしょ」ルシエは肩を竦めながら、「だから、これは必要ない」きっぱりと告げる。ウラノスとエステュイアから、わずかな警戒が消えていった。

 その代わり、丸腰となった破罪使に対して、好機だと天使軍が動き出す。ゼフとクランクが応戦し、悲鳴や怒号、金属音や魔法による騒音が響き渡るが、ルシエは一切振り向かない。

 精石の為、相手に合わせない破罪使だ。精石の為、相手に合わせることも厭わないのだと、ウラノスは自分達の出方次第で選択は変わると現実(・・)で実感した。

 話を聴く体勢で、黙って先を待つルシエ。一歩を踏み出したのは、気が強く決断力というよりも思い切りの強いエステュイアである。


「私は、光の民。記す役割を持ち、人でありながら産まれた瞬間に意味を担う者」


 視線がエステュイアの中で最も魅力的な部分へと移り、完璧な手が記す者と名乗るに相応しい美しさをルシエに見せる。


「私は、闇の民。語る役割を持ち、人でありながら産まれた瞬間に意味を担う者」


 ウラノスも続き、彼もまたその声で語る者と名乗るに相応しいとルシエを納得させた。

 記す者と語る者。謎しかない民の素性を知ったルシエは、「成る程……、そういうことか」と何か合点がいったのか独りごつ。


「我等は、光と闇のどちらも知る、唯一の民。この世界で創られる物語の全て、世界の記憶を記し生きている紡ぎの民です」


「我々にもどうか、あなたの歌を聞かせて欲しい」


 正直、情報が少なすぎて、光と闇の民の役割についてはあまり理解出来ていない。けれどもルシエは、紡ぎの民の持つ価値を悟り、合点がいっていた。

 不気味な瞳は真摯にルシエを見つめていて、二人の持つ精石は天上へと誘うように空に掲げられている。かといって、頭上に陸が浮んでいるわけではなく、その手段を知り、持っているのは彼等だけなのだ。

 精石が本物であるというのは、脳内で響く二重の歌が証明していくれている。ただ、同意するには目的という言葉が引っかかり過ぎた。

 以前であれば、一も二にもなく飛びついていただろうが、フィザーレイロの二の舞は遠慮したい。ウラノスの言った目的がどういった思惑を含んでいるのか、ルシエの思考がそちらへと行きかけたのを止めたのは、そのウラノス本人であった。


「もし不安があるのであれば、壊さないで頂くという条件で、もう片方をあなたに預けましょう」


 微笑ながらの言葉は、ルシエに今までと違った驚きを感じさせた。壊さない、というのはルシエが壊せると知った上で成り立つものだ。

 紡ぎの民がどういった手段で様々な情報を手に入れているのか、そこに不安はあるが、条件としては十分過ぎるぐらい十分である。


「それは、破罪使が何時でも破壊できることを知っての提案ですか?」


「えぇ。だからこちらも、同意を得るまで壊さない、という条件をお出ししてます」


 暫し、ルシエとウラノスが視線を交差させ、お互いを見極めようとする。嘘、欺瞞、疑念、――危険。濃紺に満ちた瞳は何かを請う様で、金の瞳は昂る感情を抑えている気もした。

 「いいでしょう」再びルシエが口を開いた時、その声は明るかった。


「では、そうさせてもらおうかな。大丈夫、誠意には誠意で返すよ」


 黙って見守っていたエステュイアが安堵を漏らし、ウラノスはルシエの微笑みで一層微笑みを深くする。そんな二人へ、ルシエはゆっくりと掌を差し出した。

 示したのは、ベニトアイトが光る闇の精石。「そちらを預かろう」と出されていた手は、僅かに震えている。早く早く、と指が跳ねた。

 その不可解さに気付いたのはウラノスだった。彼は、騙して破壊するとは考えていない。そうさせない為にも、精石を所持して対面したのだ。奪うのは、隠し立ち塞がるからで、それを自分達が仄めかさなければ、破罪使は然して醜悪では無いと思っている。

 では、何故不可解なのか。ウラノスの頭の中では、今まで破壊した精石の順序と、ルシエの望んでいた順序を知るべきだと訴える声が響いていた。


「せっかくだから、着けさせてもらってもいいかな?」


 ウラノスが何かを思案している、訝しむ気配を察したのか、ルシエが自然を装って微笑み言えば、気付いていないエステュイアが微笑む。彼女はウラノスが物思いに耽りかけているのを察し、急き立てるように頷いた。


「えぇ、きっとお似合いですよ」


 そんなエステュイアの声で漸くウラノスが我に返り、とうとう争いの音が鳴り響く中、破罪使の手に闇の精石が渡った。

 今では、天使軍から紡ぎの民を罵る声すら聞こえている。けれども三人ともがそれを無いものとし、ルシエは歓喜に震える心を押し殺しながら、剣の指輪はそのまま右手を精石で飾った。

 羽ばたく黒蝶は、太陽に翳せば紺が姿を魅せ、生気さえ感じさせる。


「本当にお似合いだ」


 エステュイアに同意したウラノスも、この時ばかりは精石に見惚れるルシエに息を呑んだ。

 嬉しそうに目を細める姿も、恍惚と頬を赤らめる姿も、腕を戻して蝶を抱き締める姿も全て無邪気さを秘めており、精石へ口付けを落とした際にはそのまま時を止めてしまいたいと思った。

 この光景に名を付けるとすれば、そう考えたのはエステュイアも同じだったのか、ウラノスの隣で「悲願の達成……」心ここにあらずといった様子で呟いている。それが相応しい、いや、それ以外は相応しくないと、ウラノスは無意識に頷いた。


「では、まずは光の歌をお聞かせ致しましょう」


 そんなことを思われているとは露知らず、ルシエはさらに二人を釘付けにする。

 きっと、自分がどんな表情をしているかなど考えていないのだろう。そう言った時のルシエは、恥ずかしさに照れたうら若き乙女の様に、叶わぬ恋へ想いを馳せつつ悲しみを堪える青年の様に、押し隠せない想いを秘めた満面の笑みを浮かべていた。


「ゼフ! クランク!」


 今度こそ、ウラノスとエステュイアは言葉を失った。

 そんな二人を置き去りに、ルシエ達が落ち着いて話が出来るよう奮闘していた仲間を呼べば、彼等もまたその表情にうろたえ閉口する。

 けれども、ルシエの右手に光る精石を見て我に返ったのか、ゼフが一際大きな風を起こして天使軍を抑えつつ、急ぎ駆け付けた。


「ルシエ……、長いよ……」


「この場での解放は難しいぞ」


 ゼフもクランクも、大きな傷は見当たらないが疲弊していた。

 当然だろう。たった二人で、一国の軍隊と争ったに等しいのだから、むしろかすり傷さえ殆ど無い方がおかしいのだ。


「大丈夫。今、最高に機嫌が良いんだ」


 ルシエは労いの言葉もそこそこに、ウラノスとエステュイアへ少し待つよう告げて、風を突破し迫る天使軍へと全身を向けた。


「地上に響く最後の歌への観客としては、最高な数だね」


 そして、小さく詠唱すれば精霊の森に満ちる気が助けとなり、地下から次々と水の縄が出現する。

 一気に身体の自由を奪われていく天使軍の面々だったが、誰一人として血を流す者は居ない。ゼフとクランクが大分気絶させていたとはいっても、それでも大勢残っていたのだが、実にあっさりとした手際だった。


「このまま解放するのか?」


 しかし、使用した魔力は大きい。ただでさえ少なく、解放の際にはほぼ全てを使う必要があるというのに、この拘束により半分以上の魔力を消費してしまったはずだ。

 ゼフとクランクはあり得ないと、その無謀を止める為に動こうとする。腕を掴まれ、殺気にも似た怒気を向けられたルシエだが、その機嫌が落ちることは無い。


「丁度、海が休みに来ていたから。今の魔法は、彼女が請け負ってくれたよ」


 かつて、自らが生み出した小さな旅人。それなら安心だ、と安堵したゼフとクランクは知らない。ルシエがこの為に、先程急ぎ呼びかけて頼んだということを。そして海の精霊王も、たとえ大好きなルシエであっても、自分が都合良く使っていることに気付いていなかった。


「では、光の歌と共に破罪使と悪魔の消滅を宣言しよう!」


 その二つの存在は、精石と共に在る。

 そしてついに、人間と人間を捨てた者との決着がつく時が来た。

 皮肉にも、追うことで立ち会いとなった天使軍の誰もが、ルシエの言葉に耳を疑った。彼等はその存在の消滅を望みながらも、破罪使自ら姿を消すことを望んではいない。剣で蹂躙してその身を引き裂き、首を晒し、醜悪な最後を人の手によってもたらそうと今まで奮闘してきた。

 だというのに、消滅を宣言した破罪使は、恍惚とした表情で勝利に酔いしれながら笑っている。こんな理不尽さがあってたまるか。誰もが拘束する水の縄の中でもがき、その原因となった紡ぎの民をも強く睨みつけた。

 しかし、射殺さんばかりのその視線を向けられたウラノスとエステュイアは、ルシエしか見ておらず、まったくといって良い程意に介していない。

 清き大地、精霊の聖地である精霊の森(ティターニア)にて、頭上に広がる晴天とそれを飾る太陽の恵みに匹敵する歌が響いた日、その場を支配していたのは数多の悔しさや憤り、無念の想いと、たった一つの歓喜であった。


 ルシエは歌う。光のいとし子(イーニファス)に虹を掛けさせながら。

 その声が響いた時、世界中が祝福するような晴天だったという。全て、どんな場所であってもだ。


「昇らぬ光は朝日に非ず」


 天使軍が涙する。彼等はきっと、悔しさ故だと思ったはずだ。


「沈む光が夜となり」


 しかし、虹を映すその涙には、美しさしか無かった。


「連なる理は枝を別ち」


 光の純血種の様に、持つ色の全てを白に変えた破罪使は、悪魔は、本当に美しかった。どんな比喩を用いても、それが陳腐に思えてしまい、誰もが静まり返ってその姿を目に焼き付ける。


「満たされた想い、それは施しか」


 あぁ、白にはどんな色も良く映える。自分も森も、空も白いはずの雲さえも。

 歓喜も欲望も、血も涙も。肉片や臓物でさえ、きっと破罪使を美しく彩るだろう。

 背中で、小さな黒い翼が羽ばたいた。


「黄昏を歩む()(たれ)


 光を放つのではなく、様々な光を吸収しながらルシエは歌う。

 解放の負担による苦悶の表情さえ、人々を魅了しながら地上への別れを告げる。


(たい)する願いは(つい)なる(つがい)


 全てを白に塗り替えた瞳で、旅の終わりはどう映ったのだろうか。

 美しかったのか、何もなかったのか。得たものもあるだろうに。いいや、多くを得てきたというのに止まらなかった坂は、君に何を残したのだろう。

 後少し。後少しで坂は止まる。その終着点で待ちうけているのは、平坦か深淵か。


「手繰れ、その先で羽根が躍る」


 かくして、最後の精石をその手にしつつ、破罪使の旅は終わりを告げる。

 エステュイアが無意識に胸の前で手を組み祈りを捧げる中、ウラノスが唐突にルシエ達三人を含む五人の足元へ陣を出現させれば、天使軍の目の前で彼等は消えた。そして、ルシエの意識も光の中へと堕ちて行く。

 そのせいか、拘束が溶けて自由を取り戻した天使軍だったが、その場は長い間静寂に包まれた。


 誰も、何も、手を出せず、それどころか言葉さえ奪いながら、そうして破罪使は消滅した――




『昇らぬ光は朝日に非ず

 沈む光が夜となり

 連なる理は枝を別ち

 満たされた想い それは施しか

 黄昏を歩む彼は誰

 対する願いは対なる番


 ――手繰れ その先で羽根は躍る』


 精石はついに残り一個となり、その最後も破罪使は手に入れた。

 右手に光る二つの闇は、一体ルシエのどんな望みを叶えてくれるのだろう。

 そして紡ぎの民は、破罪使へ何を望んでいるのだろうか。


 ねぇ、紗那。全てを記し終えたら、送りたい言葉があるんだ。

 もう一つ、勝手に結んだ約束を形に残そうと思う。

 光と闇の民の長である二人の紡ぎの民は、君の知らない秘密を持つ唯一の人。どうか、彼等の声に耳を傾けて欲しい。






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