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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第八章:捻くれX意義=紡がれる全て
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星を見上げる蕾は零す





 ワルツが止まった。

 しかし、それを感じる余裕が誰にも、サイードにさえ無い事態が起こる。その原因は、他でも無い、彼の掴む腕の持ち主であった。


「久し振りだな、クランク」


 サイードに声をかけられ、まず動いたのは水色の瞳が慈愛に輝くクランクだ。彼は、腕を掴んでくるサイードの手を恐る恐る握り、その存在を確かめた。

 ひんやりと伝わってくる体温、今までの苦労も知らずに見上げてくる瞳。「少し、逞しくなってないか?」そう茶化してくる様はえらく無邪気だ。


「ゼフは、相当無理したみたいだな」


 クランクが握る力を強める間に、サイードの視線はゼフへと移る。目の下を黒く染めた翡翠が鋭く細められても、サイードは笑みを浮かべていた。

 謝罪が聴けないことは、二人とも分かっていた。その点についてはとっくの昔に割り切っている。

 しかし、包囲されていようとも、今がどんな状態であろうとも、ゼフとクランクは再会したその瞬間、驚愕以上の怒りが湧いて仕方が無かった。


「あまりの感動に、言葉も無いか?」


 ティルダ達は、そんな精霊王の本気の怒気に中てられ、息さえ止まりそうだ。

 サイードも、怒ることは予想していた。だからこそ自分から言葉をかけていたのだが、それは予想の範疇を超えていた。

 しかし、回避しようと思った時には最早遅く、クランクが握る手の骨が悲鳴を上げ、そちらに気を取られた瞬間今度はゼフが肩を容赦なく掴む。


「冗談じゃない……」


「大概にしろ……」


 そして、全員の瞬きが一致し、視界がほんの少し途切れた間に、精霊王が捕まえたはずのサイードが消えた。

 探す必要は無く、消えたと思った次にはけたたましい音が場を支配し、予期できない現状に数人が肩を跳ねさせる。テーブルが壊れ、皿やグラスが砕け、すさまじい力を加えられたそれ等は原因諸共、自慢の庭を一望できる窓にヒビを入れながら押し潰し合う。

 その中心に居る者へ、ゼフとクランクは同時に叫んだ。


「何で、リサーナの気配がするの!?」

「何故、リサーナとお前が重なる!」


 そこには悲愴があった。憤りや後悔、嘆きもあれば憎しみさえ込められていた。

 精霊王の相手を考慮しない本気の力は、肩と腕を少し後ろに引いただけでサイードの身体を吹き飛ばし、その先にあった物をことごとく瓦礫へと変貌させる。ともすれば、死んでもおかしくないというのに、ゼフとクランクはその身を案じたりはしなかった。

 目の当たりにしたティルダやアナスタシヤは、無意識に右手をサイードに向けて伸ばし、足が動いてくれるのならば駆け寄ろうとする。しかしそれは、ゼフが鋭い眼光を向けたせいで、足どころか眼球の動きまで止めさせた。


「今は、脆弱な人間に感けている暇など無い。動いた者から順に、その首を跳ねる」


 ゼフはそう言って、サイードへと視線を戻した。

 瓦礫の中心は微動だにしないが、それが負傷したからだとか気絶したとも思わない。案の定、サイードはゆっくりと右手を頭の後ろへと持っていき首を鳴らした。


「ってー……。疲れてるからって、そんなカリカリすんじゃねーよ」


「本気で言ってないよね?」


 サイードは無傷で暢気に言いはしたが、クランクの言葉で背後の瓦礫が一斉に灰と化す。俯いた顔を上げれば、その瞳に火が点いていた。

 姿そのもの、獰猛さはサイードだ。けれど、ゼフとクランクにはその奥にある柔らかさを無視出来ない。二人だけが分かる変化が、そこにはあった。


「見付けられなかった奴が良く言う」


「見付からないようにしていた、の間違いだろう」


 悪魔と精霊王の雰囲気に、騎士が一人意識を奪われる。その瞬間、風の刃が容赦なくその者に向かうが、それは床から突き出した土の盾によって打ち消された。

 「気絶しただけだ」そう言ったサイードに、ゼフが舌打ちで返す。彼等にとっていつもの立場が、見事に逆転していた。


「リサーナを出して」


「必要ないね」


「良いから出すんだ……!」


 クランクの怒声に合わせ、彼の足元がしゅうしゅうと音を出しながら泡立ったというのに、サイードは、その光景を窓に凭れかかりながら冷めた目で眺め、「人気者だな、リサーナ」と心の中で朗笑した。

 そして、憂いた横顔を魅せながら言う。


「消えた」


「何だと……?」


「あるべき形へ、一足先に戻ったとも言えるな。どちらにせよ、もう居ない。出す必要も無いし、出せもしない」


 薄々感付いていたといっても、本人から言葉にされれば愕然とする。クランクのくいしばる音も、ゼフが握った拳の骨が鳴る音も、サイードの耳にはしっかりと届く。

 届くが、現実が変わるわけではない。


「おかげで、空の精石は破壊出来た。精霊化の進行も遅くなったし、ルシエの限界に至っては、心配する必要さえ無くなったな」


 乱れた髪を整えながら、リサーナによって導かれた救いを淡々と語っていくサイード。彼は、窓に広がるヒビの中心を指で突付きながら、まだ視線を合わせない。「これで、勝機がさらに上がった」と囁く姿に、自分が身代わりになろうとした影は微塵も無かった。


「お前達は、自分を何だと思っているのだ!」


「何で俺達を頼らないんだよ!」


 さすがのゼフとクランクでも、サイードの心が読めるわけではない。大したことではないと言う態度に、二人は限界を越える。

 だが、それすらもサイードは、鬱陶しいと溜息のみで跳ね除けた。


「一度答えた問いに、二度も応じてやる義理はない」


 変わったけれど、変わらない。変わらないが、変わった。どちらが相応しいのか、それを当てはめるのはルシエかサイードなのだろうが、結局、変わらないものは変わらないまま。そういうことだ。

 ゆっくりと立ち上がったサイードは、服の汚れを払い、肩を鳴らし、そして再びゼフとクランクの視線を真正面から受けて立つ。彼は嗤っていた。


「お前等に出来なかった事を、リサーナはやってのけたんだよ。それを悲しむ理由がどこにある。自分達の力で出来るというのに、何故他人を頼らなければならないんだ」


 嘘であってくれ、と願わずにいられないだろう。でなければ、この四ヶ月の別行動が全て、ゼフとクランクが不要だったからという理由になってしまう。

 そう思ってしまうのは、ゼフとクランクが空の国でのフィザーレイロとの一件を知らないからで、流石のサイード達もそんな魂胆を持ったりはしない。しかし、理解するのには限度がある。説明があった上でリサーナの消滅を告げるのと、ただ消えたと言うだけでは受け手に湧く感情の差が激しい。

 ゼフは切実な願いを込めて、自分の知るサイードへ言った。


「貴様は、リサーナもルシエも、取るに足らない消耗品だと言うのだな。それで? 次は貴様で、最後にルシエで。一人で全てを出来るとは、子供が大人のふりをする時の言葉だ」


 二人して近付きながら鼻で笑い、クランクが「正しく、その通りだね」と煽る。

 サイードは、口調を変え仕草を変え、そうして相手を惑わすが感情には忠実だ。気に食わなければ怒り、ゼフ達にはあっさりと嘘を嘘だと言ってしまう。その弱点を、二人は利用しようとしたのだ。

 しかし、そんな想いも虚しく、サイードはゼフの言葉に笑声を零す。始めは小さく、次第に大きく。その乾いた声は、おぞましい旋律として場に響いた。


「自分が何でも出来るとは、思ってねぇよ。何も出来なかったから、俺は居るんだからな」


 そう言って、サイードは天井を見上げた。

 さらに引かない笑いを零しつつ、ゼフの肩に手を置く。


「にしても、分かってるじゃねーか。お前、今の言葉はリサーナが消えたことを肯定している言葉だって分かってるか? それに、優先順位の一番上がルシエだってことも」


「仮定の話だ!」


「無意識か。それもまた、面白いから構わないけどな。とにかく、リサーナの混じった今の俺に、揺さぶりは中々効かない」


 そうして、話は終わりだとゼフとクランクの間をすり抜けようとした。

 全く冷静さを失わないその様子に、ゼフは肩に置かれた手を、クランクは逆の腕を慌てて掴んで追い縋る。彼等だって、本当は責めたいわけではない。説明して欲しかっただけなのだ。

 自分は必要なのだと、直接でなくとも思わせてくれる理由が欲しかった。

 しかし、現実と対面した時の悲しみと急いてしまう感情によって冷静さを失い、二人は判断を誤った。


「――いい加減に、してくれないかな」


 歩いていく力に反し、引き止める力が大きすぎた為、反動で揺れた首が顔を俯かせる。そして、直ぐに顔が上がった時、その者は姿を現した。

 先程から、長い間訳の分からない悪魔と精霊王のやり取りを見せられていた周囲の者達は、視覚とそこから得た情報を処理する脳との連携が取れず、ゼフとクランクの間に人を見れなかった。

 勿論、身体は見えているのだが、外見以外の印象が何も無い。優しそうだとも、サイードのように冷たそうだとも、幾ら眺めて考えたところで全く浮んでこなかった。


「せっかくの観客を置き去りに、破罪使にとって神聖な精石を破壊する場で、君達はいつまで醜態を晒すのかな」


 抑揚の無い、感情すら浮ばせない声は怒りを言葉で表現するが、だとしても薄く。だからこそ、今まで感じたことの無い恐れが生まれる。

 ルシエは左右の二人を見つめ、ゆっくりと目を細めた。


「君達の気持ちを汲んで、せっかくサイードが付き合ってあげていたというのに。彼の気持ちを考えず、言いたいことばかりを勝手に並べて……。そんなに、物事を誰かの責任にしなければ、立っていられない?」


「ルシエ……」


 クランクが思わず声を漏らし、ルシエの視線が向いたことで身体を震えさせる。最弱な精霊王とて、力関係で言えば負けることはないのだが、狂気でしかない怒りを抱いた時のルシエに対する恐怖はどうにもできない。

 執念を形にしたような、しかも、それを身を持って知っているクランクは、慌てて口を紡ぐ。


「これ以上は、見過ごさないよ。ゼフも、サイードを責めるのこそ、泣き喚き当り散らす駄々っ子と変わらないと気付かないと」


 ルシエは、自分を掴んでいた力がどちらも抜けていくのを感じ、あっさりとその拘束から抜け出ると、少し歩いて後ろを振り返り二人だけにその表情を見せた。


「リサーナは、自分の意思で幕引きを決めたんだ。彼女は、本当に綺麗な微笑みを浮かべながら、終わりを選んだんだよ。それがどれだけ幸せなことか。どれだけ、破罪使と悪魔にとって重要なことか、君達に分かるかい?」


「それ、は……」


「ねぇ、分かる? 君達には無い、当たり前にある死を自分で選べる。それが、どういった意味をもたらすのか」


 アナスタシヤの視界に広がる小さく細い背中の先、そこにあったのは満面の笑顔だった。嬉しさ、楽しみ、希望、愛おしさ。輝かしい感情を形に他人へと伝えられる、そんな表情。しかし、ルシエに初めて浮んだそれは、ゼフとクランクに絶望を与えた。二人の知る選択の結果が、そこにはあった。

 その価値を知りながら、それでも他人にもたらしてしまうサイード。サイードやルシエがもたらすのを、知っていながら後押ししていたリサーナ。だから二人は、自分を悪魔に位置付けたのだ。決して、そこに快楽を覚えない様、自らが定めた堕落に陥らないよう、わざわざ卑下た称号をもってくることで戒めとし、決意とし、高みとした。


「さて、待たせてしまって申し訳ございません。直ぐに舞台を整えますね」


 言葉を失い項垂れる仲間を放置し、ルシエは物腰柔らかに必死で空気になろうとしていた者達の方向へと向く。

 アナスタシヤは勿論、ティルダも含めこの場に居る全員が、破罪使とは初対面だ。そして、悪魔以上に恐ろしい存在。ルシエとサイードを分別できないはずの彼等だったが、一連の様子を眺めていられたおかげで、考える前に違うのだとすんなり理解する。

 つまり、ウェントゥスを破壊したのは、今、目の前に居るルシエなのだとシルフィードは悟った。


「契りの下、許せざる者を拘束せよ」


 ルシエの意識が自分達に向いたことで、その場に居た全員(・・)が緊張に汗を垂らす。その視線を一身に受け、ルシエは人差し指を立てた右手を唇に添え、唐突に詠唱した。

 悪魔も破罪使も、人の意識を操るのがすこぶる上手い。指先に集中してしまった全員が、構えることも対抗することも出来ず、ルシエの魔力を操る技量の前でなす術が無かった。

 ティルダとシルフィードは魔法を使えるが、一流の魔術師とはいえない。詠唱から発動、そして命中までの速度は、使われた魔法が単純なものだったというのもあるが、それでもまるで身体の一部を操るだけのように見事である。


「陛下!」


 バルバロトとハーラルトがアナスタシヤを、シルフィードと天使軍がティルダを。それぞれが、必死に身体で二人を庇おうと動いた。

 けれど、待てども待てども、誰かの苦しみに呻く声は聞こえない。「終わりましたよ」そう軽く言ったルシエの声を合図に、恐る恐る周囲を探れば、全員が二箇所に分かれて視線を止める。


「目の……者……が」


「扉が……」


 それぞれの呟きは、的確で簡潔だ。この四ヶ月、記憶が混濁していた(・・・・・・・・・)サイードを延々と監視し続けていた星の国の目の者が三人、手足を氷に拘束された上、気を失って姿を現す。他の騎士(かざり)も同様で、唯一の出入り口である扉が、光を反射する大きな氷の結晶と化した。

 満足気に、仕上がりに頷くルシエは、徐にホールを闊歩し始め、耳に手を当てる。「雷の神殿では、壁や木が邪魔して聞こえなかったのに」との独り言が、シルフィードとティルダをハッとさせた。


「歌われたら終わりだ!」


 そして、二人はアナスタシヤを見た。バルバロトも、彼女の耳元で「いつでも動きます」そう囁く。

 しかし、アナスタシヤの視線は、ルシエで占領されていた。鋭く強く、何かを探るように目を細める。


「壊したければ、壊せば良いわ」


「陛下……?」


 さらに立ち上がり、小さな身体で虚無かと思える金色を捉えた。

 困惑するハーラルト。今までに無い緊張感と力強い雰囲気は、幼い王ではなく一人の立派な王で、大きく凛としていた。


「どうせ、この先、争いの火種になる可能性の方が大きいですから」


「懸命な判断になるのかな」


 ルシエは、その姿に美しいと微笑む。

 まさか許可が出るとは思っていなかったが、そんな態度はおくびにも出さず、さも思い通りだと感じさせる余裕さがアナスタシヤを苛立たせた。


「勘違いされないことね。(わたくし)は、国の為に判断しているだけです。八番目でなければ、最後まで対抗していますわ」


「だからこそ、八番目に選んだと言ったら? 小さな女王」


「子供扱いしないで頂戴……!」


 思わず叫べば、バルバロトが慌てて背後にアナスタシヤを押しやり全身を隠して、ルシエから護る盾となる。さらにはハーラルトが、落ち着くように促していた。

 けれど、アナスタシヤは、大きな背中を必死に押し退けて破罪使に叫ぶ。彼女らしい、他人を慈悲深く馬鹿みたいに想える言葉を――


「あなたを愛してくれる人を、あなたはどうして貶せるの!」


 ルシエ以外、それを聞いた者達はゼフとクランクについてだと考えた。もっといえば、破罪使を愛せる者などいないだろう、とも。

 しかし、アナスタシヤに言わせれば、誰からも愛されない人はいない。想われない人は、いない。

 そんな奇麗事だったが、嗤うかと思われたルシエは表情を落とした。そして、ボタンの無くなった上着の内側を漁って、ゆっくりと一冊の本を取り出す。アナスタシヤだけに見覚えのある、可愛らしい表紙のものだ。


「その、本……」


「サイードは、ちゃんと読みましたよ。とても、素晴らしい本でした」


 精霊と人間による恋物語。読んだのはサイードで、それをルシエが素晴らしいと評価した。

 その本は、比較的有名な女性向けのものだ。作者が不明で、いつの間にか世に存在していた不思議な話。

 アナスタシヤにとっては、軽い気持ちで自分の好きな物をサイードに知って欲しいからと貸しただけだったのだが、そう言ったルシエは無表情ながら寂しそうだった。


「精霊と人間が、結ばれる話だから?」


 人間の中で、最も精霊側にいる破罪使。だから、素晴らしいと言いながら寂しそうなのかと思ったが、ルシエは一度だけ首を振る。

 その背後で、どうしてかゼフとクランクが、そんなものを読ませたのかと顔を青くさせていた。


「いいえ、夢を見れたからです。絶対に叶わない、叶えることができない夢を」


「あなたも、精霊を愛したの?」


 ルシエは、アナスタシヤの質問に一笑すると、バルバロトの剣が届かない場所まで近付き、彼女の目線に合わせて屈んだ。

 きらきらと、潤む瞳は同じ色だが全然違う。床に本を置き、そのままの体勢で数歩下がれば、アナスタシヤの目から恐怖が消えていた。


「まさか。精霊なんて、愛したところで馬鹿を見るだけですよ。良いですか? 確かに愛は美しい。けれど、美しいだけが愛ではないのです」


「美しくない愛……」


「知らないまま、これからもお過ごし下さい。それに、陛下の愛はきっと美しい。王でありながら、あなたは命を一つ一つ手に取れる方ですから」


 そう言って、ルシエはゼフとクランクの方へと立ち上がり歩いていった。二人に対して「落ち着いたかい?」と尋ね、精石を破壊する為精神を集中し始めた。

 アナスタシヤは、バルバロトとハーラルトの制止も聞かず、床に取り残された本を抱きかかえると、瞳を閉じて佇むルシエへと言う。


「あなたは……、あなたに与えられた愛を愛し返せましたか?」


 無意識だとしても、破罪使を人と見たアナスタシヤの言葉にルシエは返す。それが出来ていれば、此処には居ないと――


「では、愛せていればと今はお想いですか?」


「その方が幸せだったでしょう。犠牲は最小限で済んだでしょう。しかし、それを良しとは思いません」


「だったら! これから、愛したいと想いますか?」


 数秒、ルシエの時が止まった。

 閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれながらアナスタシヤへと向けられる。考えたことすら無かったと、驚きとも取れる光を彼女は見た。


「物事に、早いも遅いもありません。そう考えてしまうのは、理不尽な出来事を心が処理できるよう人に備わっている、後悔という回避です」


 そしてアナスタシヤは、もう一度先程の質問を投げ掛ける。

 ルシエは、大きく溜め息を吐いて肩の力を抜くと、クスクスと優雅に笑った。


「ありがとうございます。やっと、彼女(・・)の始まりに気付くことが出来ました。だとしたら、その質問に破罪使が答えることは出来ません」


「……馬鹿な人」


「そうですね、馬鹿だと思います。破罪使も、悪魔も。ですが、馬鹿でなければこんなことしでかしたりしませんよ」


 アナスタシヤは、たった一粒だけ涙を零した。

 破罪使と悪魔の為に涙した、唯一の人。けれど、アナスタシヤが自分に許したのはその一粒だけで、彼女はバルバロトへ「犠牲者を出してはなりませんよ」と凛々しく命を下す。


「ティルダ陛下も、精石の破壊を邪魔することは私が許しません。その後、あなた方が動くことで我が国の者まで巻き込まれるのであれば、それも同様です」


「破罪使と悪魔を前に、何もするなと仰るのですか!?」


 ティルダが叫び、シルフィードがあり得ないとアナスタシヤを睨みつけた。

 けれど状況は、そもそも二人が劣勢だ。戦えるのは、ティルダとシルフィード、そしてバルバロトのたった三人。しかも手練れはバルバロトのみとくる。いくら、戦意が湧かないゼフとクランクであっても、赤子を捻るよりも容易いだろう。そして、頼みの綱になるであろうバルバロトは、アナスタシヤの命令しか聴かない。


「ここは私の治める国です!」


 一輪の華が蕾を少しだけ広げた。

 それが大輪となるかどうかは、まだまだ分からない。けれど、きっと凛と咲き誇ってくれるだろうと、それを願う者は頷く。

 ルシエは、ゼフとクランクに「ティルダ達が攻撃してきても、動くか動かないかは君達が決めれば良いよ」と囁いていた。


「さあ、歌を作ろうか」


 今までと違い、形状の分からない精石。さらに、順序よく聞こえてくるわけでは無く大きな失敗が伴うが、全ての歌に意味がある。その確信があるルシエは堂々と、今回は趣向も凝らして狂想曲を奏でながら息を吸い込んだ。


「どの輝きよりも脆弱な灯火」


 シルフィードが、アナスタシヤの選択に対して立場も無く責め立てる。


「何にも勝る光はなく」


 ティルダが説得しようと、必死に言葉を紡ぐ。


「闇がなければ気付けもしない」


 そんな声を押し退け、ルシエの歌が狂想曲に彩られて響いた。


「けれども長き時を経て」


 アナスタシヤは、その歌だけを耳と心に刻んでいく。

 銀の髪が次第に金の輝きを帯び、ルシエの全身を飾った。


「それでも消えず、空から伝う」


 星のようだと、一輪の華になろうとする蕾が見上げる。

 その光を掴みたいと想っても、華には掴む為の腕が無い。見上げても、焼き付ける目が無い。

 だからこそ、華は光を浴びる。必死に身体の一部へ変えようと、葉を広げて面積を大きくする。


「その想いは無、その願いは有」


 茎を伸ばして距離を縮め、一粒の光も浴び損ねないよう風に揺れた。


「ささやかな一粒は」


 一瞬、ルシエに集まる光がアナスタシヤに向かって伸び、彼女の身体を一周した。

 まるで祝福を与えるようなその光は、気のせいかと感じるほどに一瞬で、ルシエへと視線を戻した時には消えていた。

 ルシエは苦痛の表情を浮かべながらも、比較的負担は少ない様である。

 その両隣では、消沈した顔をしつつも二人の精霊王がしっかりと護りを固めていた。


「集まることで形を創り、君を灯す」


 交わる想いがあれば、交わらない想いがある。理解できることもあれば、理解できないこともある。

 けれど、どちらも許されなかったとして、だとしたら想うことも不可能なのだろうか。

 いいえ、とアナスタシヤが首を振った。想うことそのものは、本人の勝手なのだ。何を想うのかも、どう想うのかも。そこに、罪も間違いも無い。


 ルシエがそっと、手を差し伸べた。

 ただの演出だったのだろう。それでもアナスタシヤには、誰かへと必死に伸ばしているとしか映らない。ぎゅっと、腕の中の本を握る力を強めた。


「刮目せよ、創造せし想いを求めるのならば」


 淡く煌びやかさに欠ける光がルシエから発せられた時、城のどこかでパキンと何かが砕ける音が響いた。

 精石が壊れたのだと、誰もが感じる。そして、魔法を知るティルダとシルフィードは、足元から大きな魔力が近付いてくるのに気付く。

 ルシエはといえば、破壊の影響から疲労を浮かべ、膝をついて荒い息を吐いていた。


「手を出すことは許しません! 私の国に居る限り、私には陽の王と時期風の王を護る義務があります!」


 その好機に頷き合い、ティルダとシルフィードが動こうとした。

 それを敏感に察し、剣と弓を構えるゼフとクランク。一気に満ちる殺気と危ない気配だったが、そんな彼等を止めたのは力強い女王の声だ。

 アナスタシヤはバルバロトに目で合図を送ると、彼はティルダとシルフィードの前へと立ち塞がり、軽々と二人を同時に拘束する。


「私は、天使軍司令官であり、王位継承権を破棄しています!」


「屁理屈は結構。破罪使も、目的を果たしたのであれば、即刻この国から立ち去りなさい」


 張り詰めた空気。有無を言わせない女王の気品。しかしルシエは、「残念ながら、まだ最後の一曲が残っています」そう言って床へと視線をやった。


「やーっと! やっと出れたー!」


 そして、ルシエが視線で示した床から、まるで星の輝きを根こそぎ奪ってしまったかのような耀かしい印象の男が現れ、場にそぐわない声が響く。「星ってもっと、儚い気がするんだけど」と思わず苦笑するルシエに、アナスタシヤが無意識に「えぇ……」と同意してしまうぐらい拍子抜けだ。


「お! 風と水じゃん。久し振り! ていうか、海は? 俺の大事な海ちゃんは居ないの?」


 周りの空気をお構いなしに、そうして星の精霊王は額に手を当てて激しく顔を振っていた。







『どの輝きよりも脆弱な灯火

 何にも勝る光はなく

 闇がなければ気付けもしない

 けれども長き時を経て

 それでも消えず 空から伝う

 その想いは無 その願いは有

 ささやかな一粒は 集まることで形を創り 君を灯す


 ――刮目せよ 創造せし想いを求めるのならば』


 残る精石はたったの二個。

 密やかな想いが明かされるまで、もう少し。

 舞台は確実に終幕へと近付き、その結末を語るだろう。

 一つ一つは、輝きも違い強さも違う星だが、それを繋げれば全てを見下ろす大きな星座となる。

 気付く為には、一体どちらが大切なのだろうか。一つ一つを探り、読み取るのが重要なのか、どう繋がっているのかが肝心なのか。


 勝敗はきっとそこにある。

 辿りつけ。さすれば全てが、待っているだろう。







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