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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第八章:捻くれX意義=紡がれる全て
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奏者のいないワルツが響く




 人が行動を起す際、そこには動機が存在するとされ、理解出来ないことであればあるほど、他者はそれを問いたがる。だというのに、その答えが衝動的に、思わずといったものであっても納得するのだから、その欲求は無意味さを恐れるが故なのかもしれない。

 そしてそれは、後付けの理由とも言える。楽しかったから、腹が立ったから。こういったものは、動機というよりも、行動を起した後に冷静さを取り戻したからこそ気付けた、自己分析の結果だ。

 ティルダがリュケイムから持ち掛けられた話は、今まで様々な者が尋ねてきたそういった理由ではなく、悪魔が目指す目的によって及ぼされる人への影響を聞き出すということであった。


 騎士として、国王として。彼等は、身知らぬ他人の命をも背負っている。ただし、直接命のやり取りをしなければならないリュケイムはより今を生き、人々が住まう地を統べるティルダは、時に未来へ目を向ける。

 だからこそ、誰かが尋ねそうで誰も尋ねてこなかった点を追及する役割を、リュケイムはティルダに託していた。


 しかし、ティルダにとっていよいよとなる決戦の場で、そんな思惑すらも掌握しているかのように、悪魔は全てを呑み込んでいく。


「シルフィード、だっけ? あんたも、俺が会った時とは見違える美青年になったな」


 ほんの数分前まで、ぴしりと着こなしていた騎士服を脱ぎながら、サイードは呆然とする周囲を無視して笑った。

 変貌についていけず、後ろ姿を眺めることしか出来ていないアナスタシヤは、その笑い方に悪寒を覚えた。目尻を垂らし、柔らかい弧を描くはずの横顔が、目を細めて瞳をぎらつかせ、白い牙を覗かせる。「誰……?」とか細く尋ねても、相手の腰に剣は無かった。


 躊躇無く外された、親衛隊隊員の証明である肩のストール。アナスタシヤの手を何度も取ってくれた細い指が、鬱陶しそうに上着を引っ張りボタンを飛ばす。「私より柔らかくて綺麗ね」そう褒めた髪が乱雑に掻かれ、どこからか取り出した紐で前髪と耳の上の髪が後ろで纏められる。

 うろたえ思考が追いつかず、その様子を眺めるしか出来ないアナスタシヤを、いつの間にか移動していたバルバロトが、豹変したサイードから遠ざけた。


「あー、肩凝った」


「サイードだな」


 バルバロトにそうするよう促したのは、他でも無いサイードだったというのに、本人はお気楽に肩へ手を置き首を回し、今度は確信を持ってティルダが名を呼んだ。

 ティルダを見る金の瞳は、懐かしさを漂わせている。それでいて、若き時代の行動を恥じるような、そんな照れくささも含んでいた。

 小さく肩を揺らしてクツクツと笑ったサイードを前に、ティルダとシルフィードは何とも言えない感情を抱く。二人、特にシルフィードは、救われながら奪われた者だから、仕方が無いのかもしれない。


「あぁ、サイードだ。お前がどちら(・・・)を望んでいるのかは知らないがな」


 そうやって、容赦なく人が直隠しにしたがる感情を抉るのは、確かにサイードだった。ティルダが知り、アナスタシヤの知らないサイード。けれど、そんなティルダも悪魔を知らない。

 ぐるりと周囲を見渡したサイードは、威嚇するように近くのテーブルへと飛び乗り、派手な音を響かせて恐怖を誘った。


「呆けていて良いのか? 悪魔の登場だというのに」


 それは、引き際を見極められない部外者に対する行為だった。サイードが何を考えているのか、それを問う権利を与えられているのは極少数。この舞台に、晩餐会の様な煌びやかさは必要ない。


「殺されたい奴だけ残れ」


 黒い愛剣を唐突に抜き、発した声は、地を這う低さで指揮棒を振った。途端、並ぶ料理やテーブルと変わらない役割をしていた貴族達が、悲鳴という曲を奏でながら我先にと扉へ向かう。グラスの砕ける音がいくつも響き、悪魔の冷笑に追いたてられてその場の掃除が為された。

 ティルダやシルフィードはともかく、アナスタシヤはその混乱に乗じてバルバロトに引っ張られるが、それは彼女の意思によって拒絶された。

 そうして、その場に残るのは、ティルダとシルフィード、アナスタシヤにバルバロト、ハーラルトに加えて幾人の騎士(かざり)だけとなる。サイードは満足入ったのか、軽やかにテーブルから降りて、再びティルダへと視線を向けた。


「何のつもりだ?」


「邪魔をされるのは、お互いに困るだろ。直ぐに剣を抜かなかった、賢い選択に対する悪魔からの僅かな褒章だ」


 意図が全く読めず、中々悪魔を引き込めないティルダ。一番最初の獲物に決められてしまった彼は、それでも王として立とうとする。その影で、周囲は必死に観察し、意図で作られた細い()を探っていた。


「それに、まさか会いに来てくれるとも思わなかったしな」


 護衛の騎士の剣を抜こうとする行動を止め、出方を窺っていたティルダだったが、思いの外楽しそうな声で僅かに目を見開く。消えてくれない憧れが、再び顔を覗かせた。

 サイードは、あくまでマイペースに、散らかった料理を摘んだり酒をあおったりと、言葉に間を置く。まるで、時間を稼ぐかのように。


「そうそう。お前にまた会う事があったら、言おうと思っていた言葉があるんだ」


「……何?」


 マリネを手掴みに行儀悪く味わっていたサイードは、ふと思い出したとティルダにグラスを向けた。

 訝しむティルダであったが、その言葉遣いが変わっている。砂に塗れ、必死にもがいていた頃に戻りつつある。次の言葉を待つティルダの前で、サイードが喉を潤し、空になったグラス越しに言った。

 

「陽の国のことは、旅の中で何度か耳にした。荒れ果て後退していくだけだと思っていたが、頑張ったんだな」


「っ――!」


「ちゃんと、自分を決められた様で何よりだ。しかも、並んで歩いてくれる奴まで手に入れたみたいで、お前らしい王様が出来てる」


 グラスで歪んだサイードの顔は、それでもティルダには微笑んで映り、唐突な賛辞に息が詰まる。しかし、思わず「ずるいよ」と呟いてしまった時には、新たな獲物へと残酷に意識は移っていた。

 それまで、一挙一動を分析していた新たな獲物(シルフィード)は、突然視線が合ったことに驚いてしまい、ビクリと身体を震わせる。塔での記憶は、彼の中でひどく朧気だ。

 覚えているのは、激しい痛みと独り言を呟く声。後は、契約している精霊が、自分の許可なく魔法を使っていたということのみ。命の恩人と、こうしてしっかり向かい合うのは初めてだった。


「身体は問題ないか?」


 シルフィードが驚いたからか、一度視線を外してグラスを置いたサイードは、愛剣に触れながら尋ねた。

 質問を上手く呑み込めず、ぎこちなく頷く様子を視界の端で捉える。そして、何故か剣を光に翳した。

 バルバロトが警戒して、剣を鞘から抜こうとする音が聞こえるが、完全に抜かれる前にサイードの剣が消える。目を見張る周囲に対し、「俺から攻撃するつもりは無い」悪魔は断言した。


「それは何より。とはいっても、別に感謝しなくて構わない。俺は俺で、あの剣が手に入れられたから良かったしな」


「……妹が、何故死ななければならなかったか、あなたはご存知ですか」


 張り詰める空気の中、一人暢気に寛ぐサイードへ、言葉を待つだけではいつまで経っても状況は変わらないと、シルフィードが口を開いた。

 出てきた言葉は個人的なものであったが、それがきっかけで、主導権が切り替わる。意外だったのか、サイードが初めて誰にでも分かる驚きを見せた。


「それは、何故助けなかったのかと聞きたいのか?」


「いえ。言葉そのまま、何故死ななければならなかったのかを尋ねています」


 シルフィードは、全快後にウェントゥスを震撼させた出来事の全容を聞いている。ウィーネ杯や王女の暴挙、そして、精石の破壊と首都の壊滅。彼の知る王女は賢く、決して悪魔に賛同するような人間では無かった。

 だというのに、悪魔へ国の宝を手渡したのは、他ならぬ王女である。シルフィードにとっては、それだけが推測すら出来ない完璧な謎だ。

 答えを待つ視線の先で、サイードがテーブルの上へ座って足を組み、ゆっくりと唇を動かす。そこから放たれた言葉は、哀れだと言っていた。


「知ってしまったからだ。聖女じゃなければ、お前の妹は、今でも健やかだったろうな」


「知って……しまった?」


「そうだ。人が決して知ってはならない事柄を、王女の精霊が信頼しすぎて言ってしまった。精霊が、お前の妹を殺したんだ」


 意味が分からなくも、それが真実だと根拠も無く思った。サイードが、笑いもせずに真っ直ぐな視線を向けて言ったからだ。

 そして、視線はその先を問うことを許さなかった。何を知ってしまったのか、そう口にすれば自分達も同じ末路を辿るのだと、シルフィードが敏感に察する。

 だからといって、ここで落ち込むのは勿論、会話を途切れさせるわけにもいかない。「けれど、あなたはその内容を知って尚、生きているのですね」と追及すれば、サイードは肩を竦めてはぐらかす。

 その違いを、シルフィードは見逃さない。


「では、我が国の首都に牙を向いたのは? 今まで、ほぼ全ての国を渡り歩きながらも、無差別で直接的な虐殺は一度だけ。何故、ウェントゥスでなければならなかったのですか」


 天使軍の司令官としては、悪魔は討つだけの存在であるが、一国の王の子供として明かさなければならない謎が、シルフィードには存在する。例えそれが、無情なものであったとしてもだ。

 その質問に対しサイードが、「納得出来なくても構わないなら答えてやる」と珍しく相手に選択肢を与えた時点で、シルフィードもある程度想像がついた。ただし、それは常識の範囲内。頷いて促せば、返ってきたのは悪魔にしか理解できない言葉だった。


「騙された上に、気付けなかった。そんでもって、方法も間違えた。別に、ウェントゥスじゃなきゃいけなかった理由は無いさ。促されて、同意して、丁度目の前に広がっていたのがウェントゥスだった。それだけだ」


「自分のせいじゃない、と?」


 シルフィードが奥歯を噛みしめる。納得出来ないどころではない。理解出来ないからこそ、それは無責任に聞こえてならなかった。

 しかも、まだ悪魔らしく楽しそうだったからと言ってくれた方が、怒りだけを感じられたというのに、その時のサイードはシルフィード以上に悔しさを滲ませていたのだ。彼の言葉でハッとするのだから、それが無意識だったのだと窺わせる。

 その姿は、人にしか見えなかった。


「違う。騙されはしたが、俺が起こした事に変わり無いし、その時には理由もあった。気付いているかいないかが問題じゃない。ただ……、良い様にされたのが癪に障る」


「だったら、今すぐその首を差し出しなさい……!」


 けれど、それは直ぐに気のせいだと思わされる。

 サイードは、首を振りながら悔やしいと言った。ただし、それは騙された自分に対するもので、行いへの悔やみでは無かった。

 噛みしめた歯の隙間から、並々ならぬ怒気を押さえ込んだ必死の言葉が絞り出され、今度はシルフィードが剣を抜こうとした。


「シルフィード、駄目だ」


 それを止めたのが、先程の失態から立ち直っていたティルダである。

 サイードの目は、剣が抜かれる様子を黙って追っていて、彼の中の獰猛さが今か今かと待ちわびていた。抜いたら確実に、シルフィードは相対する獲物から排除するべき邪魔者になってしまう。

 悪魔の言葉を信用するべきでは無いが、それでもティルダの知るサイードは、嘘を嘘でしたとは決して言わない。そのくせ、それが嘘だったかどうか、真実を本人に見極めさせる不可解な行動ばかりする。

 何か、必ず何か目的があるのだ。ティルダは思った。でなければ、散々人の命を奪って来た者が、突然それを覆したりしない。快楽が理由であれば、こうして会話が成り立ちはしない。

 シルフィードの腕を全力で押さえ込みながら、ティルダはサイードを睨みつける。以前向けたものとは違う冷静さと、自分を上に置く目で――


「死ね、死ねと。どいつもこいつもせっかちで困る。焦らずとも、時は近いさ」


「サイードの目的(・・)が達成されれば、死ぬつもりか」


 ティルダの言葉に、サイードが嬉しそうに嗤う。小さく声を出しながらテーブルを降り、彼はゆっくりと円を描くようにティルダの周囲を歩きながら言った。


「やっと、そう尋ねてくれる奴が出てきたか。今までのは全て、どうしてそんな事をするの? どうしてそんな事が出来るの? 俺は、餓鬼を相手にしているのかと考えざるを得なかった」


「あるんだな? 目的が」


 わざとらしく靴音を鳴らし、もったいぶった素振りをする様子は、尋ねてくれたことが本当に嬉しいと訴えてくる。

 そして、サイードはティルダの周囲を一周すると、真正面で腕を組みながら立つ。一度シルフィードの怒りの篭った目に視線を向け、彼は成長した赤を見た。


「あぁ、あるに決まっている。でなければ、お前の時のようにわざわざ反乱軍に紛れないし、今回だって星の国王様を操ったりしないさ」


「操った?」


「言葉巧みに、乙女心を刺激してな。お前も見ただろ? 俺の紳士っぷり。我ながら傑作だった」


 ティルダの視線が、黙ってサイードを見つめるアナスタシヤに移る。彼女は、その発言で口を開きかけていて、ハーラルトに止められていた。

 しかし、それを疑問に思う前にサイードが視界を占領し、ティルダは、はぐらかされかけている事に気付いて意識を持っていかれる。


「目的とは何だ?」


 人を殺し、歴史を壊し、そうまでして目指される終着点。

 サイードは、指を一本立てて「その前に、一つ言っておく」力を篭めて金色を光らせる。


「俺が、死にたがりじゃないというのだけは、間違うな」


「でも、死ぬつもりなんだろ?」


「それは、目的の為に必要不可欠なだけだ。まぁ、だからといって、死にたくないけど死ぬしかない、ってわけでも無いけどな。俺にとって死とは、……生もか。二つは、別に固執したいものじゃない。特に死は必ず訪れるのだから、より有効活用したいと思う()だ」


 まるで、謎かけをされている気分に陥りながら、ティルダはその言葉を受け入れる。理解した、という方が正しいかもしれない。ウェントゥスについても、悪魔狩りについても、その残虐さを導いた理由はそこにあるのだろう。

 サイードにとって、自身も含めて命というのはすべからく物だからこそ、アピスで多くの者が散ってしまった。


「自分の世界であっても、あんたはそうしたのか?」


 命を冒涜する発言に、押さえていたシルフィードの腕の力が再び増すが、それを両手で留めながら、サイードの知るティルダらしからぬ冷静さで赤を向け続ける。未だに女だというのは信じられないが、異世界人であることを疑う必要は無い。そこに嘘を吐いても、損得は無いからだ。


「しただろうな。仮定の話ではあるが、断言できる。俺は、この世界も人も、個別にしかみない。例えばそう、ティルダは好きだが、陽の国を壊さなければ目的が達成されないのであれば、俺は躊躇無く行動する。お前だってそうだろ? 陽の民の中で、好きになれない人間が居るからって、王の責務を放棄するか? 好き嫌いの比率は、行動の抑制になりはしないさ」


 つまらない質問をするな、と呆れるサイードだったが、ティルダは確信した。目的が、これまでもこれからもを左右する全てなのだ。

 サイードの今の言葉は、そうすることで世界を救えるというのなら、破壊するのも厭わないという意味も持つ。精石と精霊王が同一で、尚且つ破壊したことで精霊王が姿を現しているのだから、事は既に人の問題から外れていた。

 それでも、人にとっては許せないから悪魔は追われているが、もしそれが世界に関わるものであれば、ティルダは悪魔を見逃す選択を取らなければならないかもしれない。許す、許さないでは無く、関わっていいかどうか、心を無視した次元での応酬。

 迷いというよりは、得体のしれない恐れがティルダを襲った。サイードは、その感情の変化を敏感に察して、薄ら笑いを浮かべながら次の質問を待っている。辿りつけ、後少しだと、優しくない煽りでせかした。


「……破罪使に、問いたい。その目的は、世界を壊す要素を持つか否か」


 サイードが笑声を零しながら組んでいた腕を解き、右手を顔の隣に上げて指を鳴らす。「奏でよ、祝福の響きを」その詠唱によって、放置されていた楽器に命が宿る。

 突然、魔法が行使されたことで、警戒しながらも止まっていた者達が一斉に剣を抜いた。この時ばかりは、ティルダもシルフィードを抑制せず、自身も剣に炎を纏わせて構える。

 けれど、その場に響いたのは、緊張を奪うような美しい旋律のワルツだった。


「悪魔が答えよう。目的が見事達成された暁には、世界を滅亡させる要素の一つが回避されるだろう、と」


 最近に比べれば少ない銀の刃に囲まれながら、サイードはティルダに向かって「一曲どうだ?」と茶化していたが、一足遅れで思案された回答の意を全員が汲んだ。

 破罪使に対する質疑に答えたのは、悪魔。否定も肯定もしなかったその発言。全員というのは、騎士(かざり)を抜いた者達だ。嘘ということかと思い、それでいてその先に進めたのは、悪魔が舞台に上がることを許した者達の権利を証明する。

 そう、救う為にと始まった旅は、どちら(・・・)の可能性も含んでいた。そしてそれは、アピスの人々の選択肢にも繋がっている。彼等が選ぶ先にもまた、どちらの可能性も広がっているのだと――

 けれど、そんなものは、何も特別なことではない。有限には、いつだって破壊や消滅が付き纏う。物でも命でも、人にも世界にも。それを恐れていては、未来などに想いを馳せられないだろう。


「では、俺達は、お前が死のうとしていたとしても、殺して良いということだな」


「そもそもがおかしいんだよ。お前達は、俺をどう見ている。人か? 悪魔か?」


「悪魔、だ」


「だったら、人を脅かすその未知なる存在を討てば良いだけだ。竜が村を襲った時、これがもしかしたら世界を救うための行為なのかもしれないだなんて、考えないだろう。それに、人であっても、結局罰しなければならない。秩序を重んじる立場にあるお前等なら、問わずとも分かるだろうに」


 肩にかかる髪を指に絡めながら、サイードは答え続ける。けれど、お互いに言葉の表と裏を読みながらで、誰も表面だけを鵜呑みにしなかった。

 今まで通りで良しとしつつも明言しないということは、言ってはならない現実と言うつもりのない意思が込められていて、声を刃に二本の剣が打ち込み合う。


「それでも知りたい想い、サイードにだって分かるだろ」


「無知は罪だからな」


 答えが出せない。サイードの立ち位置が分からない。現在(いま)に居るのか、未来(さき)を見ているのか、それとも過去(むかし)が縛っているのか。過去であれば、断ち切って人として死なせてやることが出来る。最早生きさせてはやれないが、それでも出来る事が残されている立ち位置をティルダは望み、その答へと誘導しようとする。

 だが、現在であれば悪魔と定め、過去であれば人と定め。それでもし、サイード達が未来へ身を置いていたとしたら、彼等を一体何に位置付けるのだろうか。


 サイードは、ティルダがそれについてどう問い掛けようかと悩んでいる間に、先の言葉を続けた。


「それと同時に、知ってはならない知識というものも存在する。知れば、シルフィードの妹のような運命を強いられるものがな」


 その姿は、知りたくなかったと言っていた。ティルダには、知らなければまた違った現在があっただろう、そんな失笑に見えて仕方がない。

 それでも、必死に惑わされるなと自分を叱責する。心を置いて、言葉だけを分解して分析し、相手を探れと剣を握った。

 けれど、そんな葛藤の前に、悪魔は何時だって揺さぶり嗤う。サイードは手遊びが止まらないのか、今度は皿を指で回しながら言った。


「だが、罪な無知(・・・・)とは、知らなかった現実を前に、知っていればと後悔する知識のことだ。知っていれば、きっと未来は変わっていたと……。さて、勇ましき陽の王よ。ここで、問題だ。悪魔は、自身が持つ知識を無知と定めているのだろうか」


 器用に回されていた皿が、ゆっくりと回転のスピードを弱めてぐらつき、床へと落ちた。

 響き続けるワルツは、その音さえも旋律に変えて奏でるのを止めない。答えによって、サイードが行動に出るかもしれないと警戒するティルダは、直ぐに口を開けなかった。


「定めていませんね」


 すると、思いもよらぬ相手からその回答が出される。

 サイードが少しばかりの期間携えていた剣を持つハーラルトが、何の躊躇もなくブレもなく、自信を持って口を挟む。突然の邪魔であったが、悪魔は寧ろ喜んでいた。


「その通り! 目の前にある道は、どちらにせよ終末が変わらない。だとしたら、回避できなくとも自らの意思があるかないかで、満足の差が生まれる。気に入らなかったんだよ、俺達は」


「始めから、記憶は混濁していなかったのですね」


 ハーラルトは使えない剣を抱えたまま、冷酷な目でサイードを見る。そんな彼は、ティルダに対し甘すぎると毒吐いていた。

 目的に関心が傾いている時点で役不足だと判断し、だからこそ出張ったのだ。必要なのは影響のみ。そして、その答えは既に出ている。

 どちらでもあるということは、どちらを選んでも大して差がないということ。ハーラルトはそう考えていた。


「そんなに重要視することか? 安心しろ。悪魔は、国をどうこうすることに興味が無い」


 アナスタシヤが、サイードの言葉で目に見えてショックを浮かべた。眩くも輝かしい日々が崩壊した瞬間であった。

 そして、そんな自分を見て何の言葉も掛けてくれないサイードを、変わって(・・・・)しまったと嘆く馬鹿な心にも失望する。本物はどちらかなど、明白だというのに。


「陽の国王陛下を待っていたのですか? その為に、アナスタシヤ陛下を利用したと?」


「まさか。精石を破壊するのに、時間が掛かっていただけだ。近付くことが不可能だったから、城を動き回って探していたら今日になった」


 予想外と言うが、ハーラルトにはそれだけが、嘘か真実か見極める事が出来なかった。

 星の精石は、遥か昔、この国に精霊の声を聴くことが出来た聖女が居た時代に、どうしてか城の地下奥深くへと封じられている。そこへ辿り着く術は、王族にさえ語り継がれておらず、在るということだけが史実に記されていた。

 だから、サイードの言った言葉は本当なのかもしれないが、しかし真実とは言い難かった。何故なら、その言い回しがまるで、城に留まっていたのはアナスタシヤ達の失態では無い、そうティルダへ示しているように思えたからだ。

 アナスタシヤを操っていたとティルダに告げ、記憶の混濁についても答えを出さず、そうすることで星の国が後々他国から非難される可能性を回避しているとしか考えられない。けれど、それで悪魔にメリットがあるはずも無かった。


「……変わってしまったんだな、サイード」


 何かが引っかかると、ハーラルトが口を噤む。その隙を狙い、再び悪魔の意識を自分へと向けたのはティルダだ。

 「人気者だな、俺」と笑ったサイードに比べ、ティルダの表情は王としての役割は全て果たしたのか、憧れを抱いた相手に対する失望を映していた。


「俺と出会った時はまだ、他人と一線を置きながらも、それを突き放しきれない優しさがあった気がする。自分の意志をはぐらかしたりせず、堂々と、はっきり言葉にする強さを持っていた。俺が憧れたサイードは、そういう人だった」


 そのお陰で、王として生きる道を獲得できたが、今のサイードにあの時と同じ言葉を言ってもらえるとは到底思えない。そう言ったティルダに、サイードはポツリと「変わった、ねぇ」呟く。そして、黒い指輪を新しく手遊びの道具として転がした。


「不変なんて無いのだから、当然だろ。まあ、そうでなくとも今の俺は、混ざった(・・・・)からな。弱さの中の強さを手に入れて、我慢と演技を覚えた新たなサイードだってことで良いだろ」


 上下する指輪が、空気を切り裂く音を立てて剣へと形を変える。そして、その切っ先が唐突にアナスタシヤへと向けられた。

 何も知らず、瀕死だった悪魔を拾った一人の女王。幼さを殺し、女になる前に王としてのみ生き、その胸に叶いはしない残酷な華が咲いてしまった、哀れなアナスタシヤ。やっとのことで交わった視線の中に、彼女の望む微笑があった。あったというのに、その微笑の下で黒い剣が光っていた。


「改めて、お礼を申し上げます。陛下のお陰で、私は負けずに済みました」


「……負け? 今までのこと、全部が嘘だったと言うの?」


「はい。陛下の知るサイードは、精石を破壊する為に生み出した泡沫。目の前に居る者は、変わったのではなく戻ったのですよ」


 違う、と言いたいが言えないアナスタシヤは、せめてもの否定をと首を振った。

 結局の所、真相はというと、アナスタシヤに拾われ眠り続け、目覚めてからの二ヶ月、サイードとルシエはリサーナの残した記憶が馴染まず、確かに混濁していた。けれど、自分が誰であるかと何をすべきか、それを忘れてなどおらず、今まで演技をしていたのだ。記憶が混濁してしまった原因は、精封石の影響が大きかっただけである。

 そういった点を踏まえれば、サイードは変化している。口調や態度は変えようとも、何時だって彼は欲求に対して忠実であった。殺したければ殺し、我慢が出来なくなれば耐えるのを止め、激しく自己主張をし続ける。

 けれど、今のサイードは、自己を抑えて自己を偽り、自分では無いサイードを作り出すことが可能となった。それは、リサーナを引き継いでいるとも言えよう。弱いと言った彼女の、真似出来なかった強さ。それが彼に宿った。

 ただ、サイードがこれを混ざったと表現したのが、些か不思議だ。まるで、リサーナは自分達の中で未だ健在しているとも受け取れる。それを尋ねたところで、彼等は絶対に答えないだろうから、些細な疑問として良いだろう。


「だったら、何故、もっと早く行動に移さなかったの? 機会は沢山あった。こうやって、自らを危ぶむ状況になるまで、時間を掛ける必要も無い。密やかに全ては進められた筈だわ!」


 アナスタシヤの指摘は尤もだったが、けれど彼女の中で一番上にあったのは、自身の想い。それを知らないサイードは、「可能であれば、そうしていました」無情にもきっぱりと断言する。

 星の国が閉鎖的なのはサイードも知っていて、目覚めた際に置かれていた状況によって、自分が悪魔と疑われていないことは簡単に推測できた。で、あれば、このまま怪しくとも記憶があやふやだと、身体の回復を最優先にするのが賢い選択というもの。

 同時に記憶の整理を行い、事の成り行きに身を任せて、信用を勝ち取りながら行動を起していくことの重要性と慎重さを、今のサイードは知っている。それに、星の精石については、城の地下奥深くに封印されており、直接破壊するのが不可能だという情報を元から持っていた。

 だからこそサイードは、今までゼフとクランクを呼ばず、魔法にも頼らず、彼にとっては長い時間を掛けて城に留まっていたのだ。断片的かつ微かに聞こえる音を繋げ、歌とする。それだけの為に――


「さて、アナスタシヤ陛下。目の前に居る私は、陛下に頂いたものとは違う剣を持ち、あまつさえ、それをあなたに向けている。そして私は、今から精石を破壊したいと思います」


()の喋り方で、私に話しかけないで!」


「……邪魔を、しますか?」


 アーモンド型の人形の様な瞳から、悲しみの涙を零すアナスタシヤの前で、それでも彼女の大好きだった微笑が浮かぶ。

 ワルツが響く。せっかくだから共に踊ってもらおうと思っていた、楽しみにしていた旋律は、ささやかな願いが崩れ去っても優しく奏でられていた。


「ティルダとシルフィードも、剣を下ろさないのであれば、遠慮無く対抗させてもらう。勿論、下ろすのなら約束は守るぞ」


 必死に耐えようと唇を噛みながら、それでも零れる涙を前に、サイードはこの国での全てに終止符を打つことを躊躇しない。星の精石は、星の国が所有する宝だ。アナスタシヤがどういった状態であれ、ティルダやシルフィードには破壊について発言権が無かった。

 ただし、悪魔を討つことには関与が出来る。そして、この先にチャンスがあった。

 サイードの言葉で、ティルダは勿論、冷静さを取り戻したシルフィード達天使軍側は全員剣を下ろす。破罪使が精石を破壊する際の負担、彼等が狙うのはそこにある大きな隙であった。

 伝説の国にある精石には、どうやっても手出しする手段が見付からない。それ故、今回がシルフィードとティルダに与えられた最初で最後、最大のチャンス。しかも、それを阻む最大の障害である精霊王の姿が無いのだから、絶好な状況である。


「残念。賢い選択だが、良い子ちゃんなティルダは、あの時も今も嫌いだ」


 しかし、ここにきて、サイードがそんなミスを犯すわけが無い。

 そう言って嗤い、一際大きくワルツが奏でられれば、突然サイードの隣に翡翠の風と水晶の雫が現れてそれぞれ形作られていく。そう、ティルダ達が最も懸念する存在が――


「俺が無意味に、ワルツを奏でるなんて器用なことするわけないだろ」


 隣に立つ事を許し、探していると分かりながらも突き放した仲間の腕を一本ずつ取って、そうして悪魔は中心で嘲笑った。

 その表情だけはきっと変わらない。今までも、これからも。サイードの強さは、感情を誤魔化さない良くも悪くも素直な点にあり、宿ったのはそれを抑える我慢強さなのだから。


 アナスタシヤにティルダ、シルフィードは、その表情に凍りつく美しさを感じた。






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