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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第八章:捻くれX意義=紡がれる全て
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自分しか知らぬ自分




「お前の剣がどういったものだったのか、よーく分かった」


 城の裏手にある、親衛隊専用の訓練場にて、仁王立ちするバルバロトの前にサイードが泥だらけで息荒く転がっていた。

 その手には訓練用の木剣が握られていて、どれだけ打ちのめされても決して手放さなかったことを、バルバロトが内心賞賛する。しかし、それでもその表情はかなり険しかった。


「お前の技術は全て、相手を殺すものだ」


「っ――!」


 理由は、手合わせでのサイードの動きが、暗殺者などの急所ばかりを狙うものだったから。蔑む冷たい態度に対してか、言葉そのものになのか、サイードはショックを受けた様子で息を呑んだ。

 その間に、周囲を取り囲む隊員に短剣を持ってくるよう指示したバルバロトは、サイードが立ち上がるのを待たずに、用意されたそれを目の前に放る。


「今度はそれでかかってこい」


 困惑の視線を向けるサイードだったが、バルバロトは余裕そうに笑った。


「でも、これは……」


「しかし、だ。言葉遣いに気を付けろ。それに、いくらお前が殺しの技術を持っていても、そんな体たらくで私を殺せると?」


 今日は、アナスタシヤがサイードを親衛隊の候補生として、正式にバルバロトの部下に置いてから初めての訓練日であった。

 バルバロトはまず始めに、サイードの技術を見極める為、無理矢理に木剣を握らせて試合を行い、周囲は紹介も無しに現れた新人を観察する隊員で見事に囲まれている。

 そんな中、サイードは無残に打ちのめされたのだ。バルバロトが持っているのも木剣とはいえ、それなりの力が込められていれば当然痛みを受ける。訓練初日、しかも数分で、サイードはボロボロな状態であった。


「分かりました。俺に責任が無いなら、思う存分させてもらいます」


「一丁前に悔しがりやがって。根性だけは、一人前だな」


 悔しいのだろう。大勢の前で醜態を晒されれば、誰だってそうだ。

 真剣では無く短剣を持たされるのも、それしか持てないだろうと馬鹿にされているのだから、怒りだって湧く。バルバロトは、サイードを女として見ていた。

 足に力を入れて立ち上がったサイードは、ふらつくことなくしっかりと構え、バルバロトに向かって走り出した。


「殺す技術しか持たないのは、弱い者が自らを弱いと叫んでいるようなもの。刺せば良いだけだからな」


 馬鹿正直に突っ込んでくる姿を笑いながら、バルバロトがそう言えば、さらに感情が煽られた。

 けれど、その目は冷静さも失っておらず、懐に入ると思わせて片腕で側転を決め、背後に回ってから再び前方に回ってと、サイードは隙を作ろうと動き始める。

 打ちのめされたばかりの身体での行動に、周囲は驚き呻くが、バルバロトはそれを「無駄な動きだ」と一蹴りにして、木剣を振った。


「騎士が何故、正面に剣を構えるかお前に分かるか?」


「痛っ……。そういう型だからでしょう」


 短剣を落とされそうになり、左手で受け止めるしかなかったサイードは、痛みに呻きながら、真剣であればそれで勝負が付いてしまっていたと歯噛みした。

 隙を作る以前に、隙を突かれてしまってリズムは崩れ、それでも視線は必死に好機を探る。その先で、バルバロトは笑うばかりだ。


「馬鹿か。私達は、傷つけるしか出来ない刃物を、守る為に使いたいと真正面に構えているのだ。殺すのでは無く、傷つけるのでは無く、守る為に相手を制する」


「で……しかし、陛下を守るには殺さなければならない時もあるはずです」


「お前は、揚げ足を取るのが上手そうだ。志を教えているのが分からないか?」


 木剣で自身の肩を叩き、溜息混じりなバルバロトの前で、サイードは首を傾げ意味が分からないと訴える。

 「骨の髄に染みこんでしまっているのかね」と呟く姿に、隙以外無いと思ったサイードは、瞬時に背後へと回りその太い首に切っ先を向けた。


「つまり、だ」


 どよめく周囲に、勝ちを確信したサイード。けれど、バルバロトは木剣を捨てて身体をずらし、あっという間に短剣の握られた腕を取る。


「なっ!」


「騎士は、剣を心に宿す。良いか? 小娘。私達の剣は、守る為にある。それを忘れるな」


 それだけでは無く、切っ先がサイード側に向いていて、後一歩でも踏み込んでいれば細い首に埋まっていただろう。冷や汗をかいて固まる様子に、「俺を殺さないようにしていて、よかったな」とバルバロトとの力量の差が明確に示されていた。


「絶対、あんたを抜いてやる」


「これだけの醜態を晒して、それだけ吐ければ期待が持てるな」


 本当に殺す気でかかってきていたのなら、首を掻っ切られていたと分かっていただろうに、それでも負けじと啖呵を切ったサイードへ、こんな顔も出来るのかとバルバロトは思った。上っ面は穏やかに思える美丈夫だが、今の負けず嫌いで対抗心剥き出しな方が好感が持てて良い。

 「さて、どれが本物かね」と取った腕を離しながら呟かれた言葉が届いたかどうかは、サイードにしか分からなかった。


「試合の後は礼を取るのを忘れるな!」


「……ありがとうございました」


 バルバロトの叱責で、向かい合って深々と下げられた頭に表情は隠れてしまったが、胸に当てられた手も腰にぴたりと添えられた手も、強く握られ震えていた。

 そして結局、この後は延々と筋力を上げる訓練をやらされたのだが、敢えて過酷なものをさせられたというのに、サイードは一言も弱音を吐かずにやり遂げて、泥のように眠る。この日だけで無く、それから毎日、繰り返しの日々が始まった。






 サイードが親衛隊候補生となってから、二週間が過ぎ去ったある日。

 執務室にて、アナスタシヤとハーラルト、バルバロトの三人が人払いをし、真剣な顔を並べていた。


「末恐ろしいとは、こういう事を言うのでしょう」


 執務机を挟んでアナスタシヤと向き合うバルバロトは、直立不動の体制で表情を硬くしている。ハーラルトは彼女の隣で、数枚の報告書を目にしながら舌を巻いていた。

 これは、数日置きに行われているサイードの動向を報告するものであった。


「技術や体力は、騎士として最低限しか無く、親衛隊としては役不足です」


 その言葉に、アナスタシヤが残念そうに眉を下げるのだが、バルバロトの報告は始まったばかりだ。彼の脳裏には、この二週間のサイードの姿が映し出されている。


「しかし、最も評価するべきは、その度胸です」


()の者からも、最近では訓練後も自己鍛錬に励んでいると報告が上がっているわ。嘔吐しても、それでも気が済むまでは部屋に戻らないらしいわよ」


 幾ら鍛えたところで、持てる剣も体つきも生まれ持った限界は超えられないだろうに、その向上心は見上げたものがあった。

 けれど、常軌を逸した時点で、評価できるものが恐れへと変わってくる。


「私には、どこか執念めいたものに映って仕方がありません。足りない体力を気で補い、敵わない技量は思考で補い。既に、私でも油断すれば一太刀浴びかける程です」


「まるで、自分を理解している様ですね」


 割っては入ったハーラルトの言葉に、アナスタシヤが思わず驚く。「記憶が戻ったと?」と不安な表情を浮かべた彼女に、彼は「分かりません」と肩を竦めた。


「自分を理解している、というのは、可能と限界の境界線のことです。私が剣を握ったところでたかが知れている様に、サイードはどれだけ努力したところで女性なのです。けれど、男性にはない女性特有の利点というものもあります」


「利点……。私には、着飾れるぐらいしか思い浮かばないのだけれど」


 これには思わず、バルバロトが控えめに笑った。アナスタシヤらしい、可愛い思考である。

 ハーラルトは苦笑を浮かべ、「それも、その一つですね」と建前で同意しながら言う。


「男性からしてみれば、女性は精神が別の生き物にも思えたりするのですよ。痛みにも、男性より耐性がありますしね」


「それって、褒めているのかしら……」


 理解以前に、貶していると思えたアナスタシヤだったが、バルバロトはハーラルトに同意して深く頷いている。どうやら二人とも、女性関係で何かしら経験しているらしい。

 男女について、まだまだ疎いアナスタシヤには、到底分からないことである。


「とにかく、ですね。過酷な状況下では、人は通常、逃げたいだとか辞めたいだとか、自然と回避の思考を浮かべるものです。それを抑えつけるのが悔しさや向上心といったものですが、あの者の場合はそれが強い。……いや、強すぎます」


 咳払いで気を引き締め直したバルバロトに、アナスタシヤは再び首を傾げるのだが、尋ねる前に続けられた言葉が部屋の空気をより張り詰めることになる。多くの者を指導し、見てきた彼だからこそ言えたであろうその評価は、かなり的確であった。


「戦火にて、自身の死が打開策になると判断した場合……。それだけでは無く、日常でも腕を失えば効率が上がると考えただけでも、あの者は躊躇いなく切り落とすでしょう」


「そんな……!」


 あり得ないと叫びかけるアナスタシヤであったが、バルバロトの真剣な目がそれを殺し、代わりに唇を噛ませた。

 結局、記憶が混濁していてもそういった精神なのであれば、人の本質というものは覆す事ができないものなのかもしれない。自己犠牲の精神は、時に周囲に褒められることもあるが、サイード達悪魔のそれは、その遥か上までいってしまっている。

 けれど、ここは国の中枢だ。例え、嫌悪する感情や姿勢があったとしても、それが有益であれば黙殺しなくてはいけない場合もある。アナスタシヤが沈黙した隙を突いて、ハーラルトは言った。


「バルバロトにとっては、騎士の道に於いて許せないかもしれませんね。しかし、そんな人間が忠誠を誓ってくれたならば、私としては心強い。実際あの者は、判断力だけで見ても素晴らしいものがありますから」


「私も、騎士より陛下に重点があります。目の者の報告にもある通り、あの者は不審な動きが一切無い。勿論、油断はなりませんが、これでもし一連の出来事が偶然であったなら――」


「使えますね」


 それを聞いたアナスタシヤは、そんなつもりでサイードを救った訳では無いと叫びたくて心が暴れ狂っていた。けれど、彼女の頂点にある王としての自分がそれを殺し、「結局のところ、バルバロトの判断は?」と冷静な言葉が唇から出てくる。

 こんな自分が嫌で、人の命を駒みたいに扱うのが嫌で。それでも王を辞せないのだから、歯痒くて仕方がない。アナスタシヤは、無性にサイードと話をしたくなっていた。どんな感情でも許してくれそうな、「それで良いんですよ」と言ってくれそうな、柔らかな笑みが見たいと――


「あの者は化けますよ。私に一太刀入れれば、隊員として認めてやると、そう言いましたから」


 どんな形であれ手放したくないと思うアナスタシヤにとって、サイードは既に星の使いだったのだろう。

 この一週間後。サイードはバルバロトの言葉どおり、見事な剣筋で彼の身体に木剣を当てた。






 親衛隊といえど、休暇というものは存在する。それは、候補生であれ同じだ。

 アナスタシヤ達が密やかに集まっている間、サイードはこの日、突然の暇でする事も無く、庭の人気の無い場所にて寛いでいた。

 普段であれば、必ずと言って良い程にアナスタシヤが朝一で部屋を訪れ、やれ執務を手伝え、やれ新しいドレスを選べと休むに休めないのだが、今日に限ってそれが無く、持て余したというわけだ。

 とはいっても全身は汗だくで、どうやら鍛錬をしていたらしい。素晴らしい努力家と褒めるべきなのかもしれないが、その量もだが姿勢そのものが、サイードとして見たらおかしい。

 以前までのサイードと、今のサイード。この二人には、共通点も相違点も多いからこそ、記憶の混濁について半信半疑になってしまう。アナスタシヤ達は、比べる情報を持っていないからだが、結局の所、本当(・・)を知っているのは本人しかいない。医者が喪失では無く混濁と言ったのも、それが理由だろう。

 自信を持って言えるのは、手ごろな木に凭れかかり、本を数冊隣に置いて訓練の後の倦怠感を味わっているサイードの金色に、微塵の鋭さも感じられないということだけだった。


 そうして暫く、風にあたってぼんやりとした後、サイードは静かに読書を始める。数冊の中から選ばれていたのは、精霊と人間による恋物語。アナスタシヤが絶賛していたそれを、穏やかな表情で読み進める姿は、しっかりと張り付いて監視をし続けている目の者に美しく映った。

 穏やかな風に揺れる銀と、長い睫で飾られた伏し目の金。その場には、ページを捲る音と草木の揺れる音だけが響く。この瞬間も、サイードを探して必死に動く二人の仲間が居るというのに、穏やかさだけがそこにはあった。


 しかし、物語の序盤まで読み進めた頃だ。そんな時間を、荒い雑音が邪魔をする。


「……誰か居るんですか?」


 顔を上げて周囲を見渡したサイードだったが、返事は返ってこず、音も止まった。けれど、息を潜めた何者かが居るのを感じ、彼はゆっくりと本を閉じて左右に視線を走らせた。


「残念ながら、私は城仕えじゃなく騎士です。後ろめたい事がなければ出てきなさい」


 その視線は、城壁近くの草陰で止まり、バルバロトの扱きによって言葉遣いも正されたサイードの、丁寧でありながら警戒した声が忠告した。

 とはいっても、半分はったりだ。正確に言えば候補生であり、武器の携帯すら許されていない丸腰な状態なのだから、出てきたとしても戦闘になった場合、分が悪いのはサイードである。

 けれど、そんなサイードには目の者が四六時中張り付いていて、彼等もまた、不審な者に対してはイレギュラーだとしても動かずにはいられない。そこまで考えて、大口を叩いていたのだ。


「出てこないつもりですか」


 それでも相手は動かずに隠れ続けるつもりなのか、サイードは突然刃物が飛び出してきても良い様、姿勢を低くしながら草陰へと向かって行く。風に隠れ、息を殺して緊張からごくりと喉を鳴らす音がしていた。

 足音も出さずに近付く動きは、目の者からすれば同類にしか見えず、けれど不審な事を堂々と見過ごさない姿は騎士。それが、本当に騎士精神からのものだとしたら、食えない奴だと思われているのだから哀れである。


「何者ですか?」


「あ……」


 そんな事など露知らず、サイードは草を分けて隠れていた者を暴く。そこに居たのは、質素な服に身を包んだ二人の女で、彼女たちは抱き合って恐怖した表情で座りこんでおり、一人が小さく声を漏らした。


「……君たちは」


 サイードも予想外だったのか、相手が女二人だったことに驚いていた。

 けれど、その目は全身を観察していて、視線は相手の額で止まる。何者か尋ねなくとも、その立場は明白であった。


「ここで何をしているのかな? いや、何をしようとしていたか、聞いた方が良いね」


 サイードを警戒して、怯えながらも睨みつけてくる二人に対し、張り詰めた空気を消しながら腰を落として柔らかく声を掛ける姿は紳士的だ。目つきが変わるだけで、見た目だけは穏やかで優しく思えるのだから、女子供に対しては有利になる。

 ただ、女達からすれば、相手がどういった印象を持っていようとも、騎士というだけで最悪な状況であった。


「えと、あの、道に迷ってしまって」


「下手な嘘はつくものじゃないよ。素直に言ってくれれば、報告せずに見逃そうとも思ったけど、それが出来なくなってしまう」


 一人は今にも泣き出しそうな表情に変わり、気丈に睨み続ける方の言葉にサイードは苦笑した。

 この謎の女二人の額には、痛々しい火傷の跡が印として刻まれていて、彼女達は二ヶ月半前に星の国へ連れて来られた元奴隷であった。

 そして、そんな者達が城壁の近くで隠れなければならない状況とは、考えれば簡単に察しがつく。

 自分に目の者が付いていることを知っているサイードは、この状態で長居するのは不味いと、有無を言わさずに二人の手を掴み、先程まで休んでいた木の下まで引っ張っていった。


「きゃっ……!」


「離して!」


 当然、二人は慌てて抵抗するが、同じ女であればサイードの力の方が強い。

 さらに、小声で告げた言葉が、その動きを弱らせる。


「私には、監視が付いているんだ。だから、私に見つかった時点で、君達の目論見(・・・)は失敗してしまったよ」


 驚いた様にサイードを見上げた二人に、彼は困ったように笑う。「城の探検よりも、是非、私のお茶の相手をしてくれないかな?」とわざとらしく大きな声で言った言葉は、それでも誤魔化してくれるのだと、彼女達に伝わった。

 二人は、警戒したままではあったが、抵抗を止めて小さく頷き、置かれたままだった本の隣に静かに腰を下ろした。


 一括りに奴隷と言っても、その役割には様々ある。額に押される刻印は、奴隷に流れる血や出身地を元に区別されていて、それを基準に買い求められるのだ。

 そして、サイードが出会った二人の元奴隷の刻印は、どちらも水の国を示すものであった。

 水の国に住まう民は温厚な者が多く、だからこそ水の女奴隷には、殆どが慰み者としての役割を求められる。それを、本人も常識として知っていた。


「さてと。まず、私の名はサイード。君達とはまた違う候補生として、親衛隊の隊長に毎日扱かれてる者だよ」


 一旦その場から離れ、簡易のお茶会の場を整えたサイードは、困惑しながらもしっかりとその場に残って彼を待っていた二人に微笑み、お茶の用意を始める。

 そして、三人分の用意が終わって自身も席に着くと、徐にそう切り出した。


「候補、生? 騎士じゃないの?」


「さっきのは、相手が分からなかったからね。ただのはったりだよ」


 カップを手に持ったまま、決して飲もうとしない二人だが、その言葉に安堵したのか顔を見合わせて微かに笑う。それが、何か企んでいる様にしか思えなかったサイードは、一口喉を潤した後にきっぱりと言った。


「だけど、私は陛下と簡単に取り次げる立場に居るんだ。この場は、私が君達を見定める為のものだと思った方が良い」


 今度は自分達にもはったりだと分かると、上がった気持ちのまま睨みつけてくる相手だったが、「残念ながら、これは本当だよ」と告げれば、薄まった警戒が再浮上する。仕方が無いことだと分かりながらも、サイードは自分の立場のおかしさに笑ってしまった。


「……何が、おもしろいの」


「すまない。実は、私も君たちと対して変わらない立場なんだ。状況は、少し違うけれど」


 女二人は、奴隷といえど買われる相手によって扱い方が変わってくることを、嫌というほど見てきていた。自分達水の女奴隷の殆どが、まるで人形のように消耗されて捨てられることもだ。

 陽の男奴隷や、大地は男女どちらも、戦闘や力仕事に長けている為、使える者であれば通常の使用人と同様の人権を持って扱われたりするが、大抵は虐げられやすい。そのせいで、サイードの笑みを、卑下したものだと思った様だ。

 慌てて弁解するも、「結局はったりなんじゃない」と信用は得られないままである。まあ、親衛隊といえど国王と近しいわけでは無く、候補生となれば取り次ぐのすら不可能なのが普通なのだから、サイードの立場とはつくづく不思議だ。


「君達がこの国に連れて来られる道中、一騒動あったのは知ってるかい?」


「えぇ……。死にかけを拾ったことでしょ」


「それが、私だよ」


 お茶菓子を手に取りながら、より詳しく自分の事を説明しだすサイード。女達が怪訝そうに視線で会話し、頷けば、間を置かずに告げる。

 そうすると、一度も言葉を発していなかった気弱そうな女が「生きてたんだ……」と驚きを漏らしていた。


「一ヶ月眠っていたけどね。こんな不審者だけど、温情で生かしてもらってる」


「それで、騎士様にまでなれたってわけ」


 けれど、気の強そうな先程からサイードと対峙している方の女は、立場の差しか見ていなかった。

 自分達は奴隷で、相手は騎士。監視や温情といった、引っかかる言葉の全てに気付いていない。

 それも仕方の無いことなのかもしれないと、サイードは思った。ただ、先に自由が待っているのは、元奴隷の二人である。


「それ以外、生きる道がないからね。私は、あの時の怪我か何かのせいで、記憶があやふやだから、戻る場所も知らないし。なにより、真っ当な人間では無かったみたいだから、手放すには危険なんだ。ここで陛下の為に生きるか、この国の為に死ぬしか無い」


「……結局、私達もあなたも、この国に良い様に使われるってわけね」


 忌々しそうに吐き捨てた女だったが、サイードは「それは違う」ときっぱり否定し、咎めの視線を彼女達に送る。既に察しているだろうが、彼女達は逃亡を図ろうとしていた所をサイードに見付かったのだ。


「普通に暮らしていても、立場は皆同じだよ。私達が少し特殊だっただけで、特別でも可哀想(・・・)でも無い。それとも君は、自分をそう思っているのかな」


 そうすると、気の強い方は嫌悪を浮かべて強く机を叩いた。

 あまり頭が良くないのか、監視されているということを既に忘れているようだ。上辺としては一応、穏やかなお茶会をしていなければならず、もう一人が慌てて宥めるのだが、その怒りは治まりそうも無い。


「冗談じゃないわよ。私達は、好きで奴隷になったわけでも、この国に来たわけでもないの」


「それは、私だって同じだよ。この国の民だって、選んで好きに生まれてるわけじゃない。それに、言っては悪いが、君達は今も尚市場で繋がれている、買われて働いている奴隷達に比べれば、何倍も恵まれた環境に居るし、仕事も食べ物も無く飢えに苦しんでいる民からしても羨ましいはずだ」


「そういうのを何て言うか、あなた知ってる? 屁理屈っていうの」


 サイードの言葉も、女の辛辣な反抗も、どちらも間違いでは無いが、残念ながら彼が分からせようとしているのはそんな正論ではなく、彼女達候補生の立場というものである。

 気の強い女が察するには至らなかったが、黙って話を聞くばかりの気弱な女はその分しっかりと考えが回るのか、すぐにハッとし、慌てて同類の口を閉じさせようと身を乗り出す。けれど、それは簡単に払いのけられてしまう。


「感謝しろって言うのかしら。そりゃ、あなたは騎士になれたんだから、幸運だったかもしれないけどね! 私達の刻印は消されていないの。奴隷のまま、子供を生み落とす道具として連れて来られているのよ! 好きでも無い相手の子を生まなきゃいけない女の気持ち、あなたに分かるのかしら?」


 前髪を持ち上げて強調された刻印を見ながら、サイードの取った行動は大きな溜息を吐くこと。彼は、少なくともこの政策については、細かい所まで知っていた。

 審査された日の発言は、アナスタシヤとハーラルト、どちらの意も汲める最善の選択だと採用され、それから何度か意見を求められていたからだ。そして、告げられていない密かな部分も、ある程度予想できるぐらいには情報を得ている。

 つまりだ。サイードが危険視されているのと同様に、候補生もまた、アナスタシヤ達にとって危ない橋を渡る存在だということ。この政策事態が、急を要するからこそ実行までこじつけられたのだ。


「少なくとも、お隣の子は分かったみたいだけどね。君の為にはっきりと言おう。もう少し、立場を理解した方が良い」


「何がよ。私達は奴隷でしょ? えぇ、奴隷だわ!」


「元、奴隷だ。そして、今は候補生。履き違えては駄目だよ」


 未だ気の強い女の隣で、彼女の口を塞ごうと頑張っているのを目で止めたサイードは、卑屈に叫ぶ姿にもう一度溜め息を吐いてから言った。


「慈善事業をしているわけでも、陛下が奴隷解放運動を始めようとしているのでも無いと知っているのなら、もっと頭を使うべきだよ。何の為に、わざわざ教師を付けて一から教育し、寝食を与えていると思っているんだ? 民にさえ、教養が行き渡っていないのに、たかが奴隷にそんなことするとでも? ――君たちは、死にたいのか」


 最後の言葉は冷たく、それだけで二人は黙って息を呑んだ。

 気の強い女でさえ、あまりにはっきりと告げられた言葉によって、恐怖に唇が震える。

 逃亡を図った時点で、サイード以外の者に見つかっていれば拘束された後に、その処遇は変更されただろう。ハーラルトは即座に、この二人を奴隷に格下げしたはずだ。

 そうなると、その先は想像に難くない。それこそ、水の女奴隷が恐れる未来が待っている。


「幸運の捕らえ方を間違ってはいけない。奴隷が自由を得ることの難しさは、私よりも君たちの方が知っているだろう?」


「だったら、何故刻印を消してくれないのですか。城には、専属の治癒術師が居ても可笑しくないでしょう? 私達にとって、これが在ると無しじゃ、信用の度合いが変わってきます」


 気の強い女が黙ってくれたのを良いことに、ようやくしっかりと言葉を発した気弱な女は、「だから、怖くて逃げ出そうとした」そう素直に打ち明けた。

 それには、しっかりと姿勢を正して頭を下げて、サイードが謝罪する。「私の提案だったんだ」その言葉が、再び両者に警戒を持たせるが、それでも彼は堂々と背筋を伸ばした。


「けれど、今回君たちを見付けて、確信した。その判断は間違っていなかった」


「冗談じゃ無いわ! この刻印がどれだけ私達を苦しめていると……!」


「では、連れてきて真っ先に刻印を消していれば、君たちはどうしていた? 大人しく従ったのかな」


「そんなの、直ぐ逃げ出すに決まって…………」


 慌てて口を噤んでももう遅い。サイードは、冷めてしまった紅茶を入れ直し、優雅に口元へ持っていきながら、「やっぱりね」と小声で呟きながら笑った。

 候補生たちの心情を考えれば、それは直ぐにでも消すべきだと誰もが思う。けれど、彼女達が何の為に買われ、自由と引き換えに何故教育されているかを考えれば、逃亡の抑制になるのだから消すわけにはいかない。

 ただ、それは一生では無く、これから街に住処を与えて、仕事をしながら自分に付いていた値段分をしっかりと返済していく意思があると判断されれば、刻印からは無償(・・)で解放してくれる。

 サイードは、淡々と相手が納得するしないに関わらず説明した。


「逃亡したところで、その行く末は一様に悲惨だ。特に、君たち二人は自衛の術すら怪しいのだから、この国を出た途端、野党に襲われ蹂躙された挙句、一糸纏わぬ奴隷の死体(・・・・・)として獣の餌になるだろうね」


 冷たいかもしれないが、それが事実だった。

 気弱な女は、こうもはっきり言ってくれる人の方が少ないと、逆にサイードに優しさを感じ、テーブルの下で打ちひしがれる同類の手を握る。自由を掴む為に必要なのは、環境では無く自身なのだと伝わるだろうかと、その力は徐々に強くなっていった。


「どうせ、帰る場所も無いんだ。私の場合は、知らないだけど、それでも君たちと同じだよ。勿論、私の方が偉いだとか、これが正しいというわけでもないけれど、でも、生きる道はこの方向で合っていると思うね」


「……あなたはそれで、納得しているの?」


「当然。だって、死にたくないからね。自分が何者かなんて、自分にしか分からないんだ。陛下は優しくて穏やかだと良く言うけれど、君たちの感じる私はまた違うだろう?」


「そうね。少し、冷たく感じるもの」


 手厳しいなと肩を竦めるサイードだったが、気分を害したりはしなかった。

 両肘をついて手を組み、顎を乗せて笑えば、罰が悪そうに気の強い女がそっぽを向く。気弱な女が握った手は、今は握り返されていた。


「子供がいくら大人だと叫んでも、相手にしてくれる者はいないけれど、君たち自身が自らを奴隷に落としてしまってどうするんだい? 何が幸運かは人それぞれでも、どの選択の先にそれが多く待ってくれているかは、他人でもある程度は分かるものだ」


「……そうね。ねぇ、もし私達を見つけるのが城壁を越えた時だったら、あなたはどうしていたの?」


 この時にやっと、気の強い女は自身のしようとしていた事を後悔し、止めてくれたサイードに感謝したのだが、口から出たのはそんな素直でない言葉だ。

 少しは悩むかと思ったのだが、サイードは即答しつつ断言した。


「殺したよ。人を呼びに行っている間に、逃げられるかもしれないし。陛下を貶める要素は、それが女子供であれ、私は排除するから。とはいっても、私も監視されている身で、城から出るのは禁じられている。だからその場合、監視の者に殺されるだろうけど」


「人を呼びに行けば、生き残れるじゃない」


 驚きの視線を二つ注がれながら、それでもサイードは笑って首を振る。


「さっきの死にたくないは、自分を捨ててまで生きたく無いのと同じだよ。私は、記憶を失った不審者として死にたくない。けれど、陛下の騎士として死ぬのなら本望だろうね」


 変な人だと言われても、「それが、今の私が思う私自身だからね」とサイードは朗らかに笑った。

 そして、これにてお茶会はお開きだと宣言する。あまり長居しても、今度は変に疑われてしまうからだ。

 とはいっても、大体は目の者に悟られているだろうから、これからサイードは、アナスタシヤ達を相手に、二人のフォローをしなければならないだろう。


「戻るんだ。次、今回と同じ状況で見付けたら、容赦なく引き摺って君たちを罰するというのを忘れないように」


「分かっているわ。こうなったら、自分の為にやるべき事をやり遂げて、絶対幸せになってやるんだから。色々と利用しまくって、玉の輿を狙ってやる」


「それは頼もしいね。貴族とのお見合いも計画されてるから、絶好の機会はしっかりと待ってくれているよ」


 本来の調子を取り戻したのか、気の強い女は初めてサイードの前で笑顔を見せ、力強く立ち上がった。

 繋いだままの手のせいで、気弱な女も強制的に立たされ、半ば引き摺られながら城に向かって歩き出す。その際、彼女は小さくサイードに頭を下げて言った。


「あ、あの! もしかしたら、あなたの怪我、悪魔狩りに巻き込まれたせいかもしれません!」


 サイードも、後片付けに取り掛かりながらそれを見送っていたのだが、女の言葉にその手が止まる。「悪魔狩り?」と問い掛ければ、止まってくれない足並みに困惑しながらも、声の大きさが増す。


「今、世界中の精石を破壊している悪魔と同じ、金の瞳に銀の髪の、その……格好良い男性が、悪魔だと疑われて殺されているんです! しかも、残っている精石は確か、この国と伝説の国だけなはずです!」


 途中、恥ずかしさに顔を赤らめながらも告げられた情報に、サイードの表情が固くなった。この時、彼の頭の中を駆け巡ったのが混濁して眠っていた記憶だったのか、それともただの動揺だったのかは分からないが、少なくともその手は微かに震えていた。


「でも、でも! 悪魔は本当は女性らしいので、記憶は無くてもあなたが悪魔だってことはなさそうですから、余計な情報だったらすいません!」


 そう言って見えなくなってしまった候補生の女性二人。彼女達は、サイードが男性だと勘違いしていたらしい。アナスタシヤ達も本人も、わざわざ公言するものではないと騎士にも使用人にも告げておらず、噂にもなっていないので当然かもしれないが、気弱な女のもたらしたその情報は、新たな波紋を生むことだろう。

 その言葉を聞いていたのは、サイードだけではなかったのだから――


「悪魔……ね」


 金の瞳は、聳え立つ城に向けられていた。








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