星の貴公子
星の国。この国の特徴は、築かれる歴史の中で頑なに他を拒絶していることである。
外交や貿易は勿論のこと、他国の平民が立ち入るのさえ、王直々の許可が無ければ許されない徹底振りは、いつしか周囲に閉ざされた国と囁かせた。
とはいっても、何か重要な技術を隠し持っているだとか、そういった怪しい何かがそのような国にさせたわけではなく、様々な事を懸念した他国が何度も密やかに調査を行ってきたが、送った人間は全て五体満足で戻ってきた上、全員の報告がこれといって不審な点は何も無い、だった。
実際、星の国は愛国心が行き過ぎてしまっただけの、云わば頭の固い国であり、他を延々と排除してきた結果、近しい血ばかりが混じり合い、繁殖能力は弱く、寿命も短く、人口さえも年々減少するばかりの、放っておいても脅威どころかいずれ勝手に滅び行くであろう、哀れな国であった。
しかも、肉体的に弱いせいで、純血種であっても魔力の大部分を生命維持に消費してしまう。星の国には、魔術師と呼べる者もほとんど居ない。
こうして特徴を挙げていくと、悪い点ばかりが目立ってしまうが、当然、それと引き換えに築けているものもある。
この世界に於いては排他的で、つい少し前までであれば理解さえしえもらえなかっただろうが、この国は精霊を尊重し、精霊王を崇めつつも独自の思想の元に成り立っていた。
簡単に説明すれば、太陽と月を対に周囲に散らばる星を人に置き換え、星以外の光を精霊としてその共存の仕方を説いており、その中には自国を持ちあげる内容もありはするが、これは、雷や水の国が目指す新たな思想そのものであった。
さらに、精霊との契約でしか使えない魔法だが、その代償に回せる魔力が少ない星の民は、長きに渡り新しい魔法の開発を行っていたりする。未だにその成果が出ていないのは残念であるが、結局の所、自ら閉じこもり他国と関わらずに成り立っているこの国は、無関心な内に変化した情勢によって、いつの間にか先進国に位置していたのだ。
つまりは、独自の発展の仕方が特に顕著な国だということ。
ただ、それを公に周囲と接点がなければ、いつまでたっても閉ざされた国というのは変わらない。しかも、現在星の国は、深刻な少子化に悩まされており、自国で手一杯な状態であった。
他国の情勢について、ある程度把握はしているが、ぶっちゃけてしまえば、星の国は精石を損失したとしても、そこまで痛手を受けずに、これまで通りの生活が出来る。
星の国王は、風の国王からの魔法便を受け取った際、少子化と悪魔、どちらがより国にとって重き問題か天秤にかけ、前者を取って日々を忙しく過ごしていた。
歳は十三と、外見の幼さはどうしても抜けない星の国王ではあるが、彼女は前王の唯一の子供であり、短命であった父が七歳の時に死去して以降、たった一人で国の為にその命を費やしている。
賢王と呼ぶにはそこまで勤勉でも、頭の回転が速いわけでもない星の国王は、それでも民からとても愛されていた。彼女の持ち味は、独創的な思考とそれを実行する為の努力を惜しまないこと。そして、民との短い距離感のお陰で、人への思いやりに溢れていることだ。
そうして星の国王は、その日も愛する国と民の為、その責務に全力を注いでいた。
揺れる馬車の中、質素なドレスに身を包み、手に持つ書類を睨みつけながら、星の国王は空いた手で肩を揉み、溜め息を吐いた。
後ろにはもう一台、一回り大きい馬車が続いていて、周囲には数人の護衛が並んでいる。
その日の星の国王は、自身が手掛けた大きく新しい試みに向け、城を出ていた帰りであった。
現在、星の国は深刻な少子化に悩まされている。それは、単純に人口が減少しただけではなく、昨年生まれた子供が一桁しか居ないという異常事態。元々繁殖能力が低いとはいっても、明らかな異変であり、存亡の危機に瀕していると言っても過言では無かった。
そして、星の国王がそれに対して取ったのが、他国の血を入れるという、今までの国の歴史をひっくり返してしまう策だ。しかも、公に行うには鎖国状態からの体制変更、外交等様々な変革が必要となってしまい、早急な解決を求められる今、彼女は奴隷を買って教育し、人として自国に迎え入れる方法を見出していた。
その為、今の星の国王は王としてではなく、とある商家の娘として、初めて国外に出かけた帰りである。後ろの馬車には、比較的若い男女の奴隷が十人ほど乗っていて、彼等は自身の行先をまだ知らない。
「一般教養に、仕事先の斡旋、お見合いが一番重要だし……。三月で全て出来るかしら」
鶯のような可愛らしい声には苦悩が滲んでいて、膝の上に書類を落とした星の国王は、背もたれに体重をかけて窓の外の星空へと視線をやる。今日という日にこぎつけるまでに、彼女は既に十分頭を悩ませてきていた。貴族を説得し、古参の了承を得て、やっとスタート地点に立てたのである。
その努力を褒め、今後を応援するように、空では星々が瞬いていた。それを仰ぐ星の国王の目は、歳の割に大人びていて、けれど寂しそうでもあった。
「どこかに、柔らかい頭の者が落っこちていたら良いのに」
ポツリと呟かれた言葉。それを、星の浮ぶ空が聞いていたのか、空に浮ぶ星が聞いていたのかは分からないが、有能な補佐を求めて何の気なしだった星の国王の目は、その瞬間淡く蒼い光に支配された。
騒ぐ護衛と驚き嘶く馬の声。奴隷達は小さな悲鳴を漏らしていて、混乱が広がろうとしていた。
星の国王は、「馬を落ち着かせて止まりなさい」と御者に指示しながら、消えていく光に目を凝らす。すると、彼女には光が人の形に見えてくる。詳しく言えば、輪郭に沿って光り、中心に集まって消えていく様に、だ。
「陛下、そのままでお待ち下さい」
「いいえ、私も行きます。危険はなさそうです」
馬車を降り、急ぎ謎の光が消えた場所に向かおうとすれば、当然ただの護衛に扮した騎士に止められるが、星の国王はそれを強引に押し退けて、自身の腰程まで伸びている草の間を縫っていく。
慌てて先行した騎士に守られる中、案内するように吹いた風は、鉄臭さを彼等に伝えて警戒させてしまい、前後を挟まれる形で歩いていた星の国王の足は、背中の騎士に腕を掴まれて止まってしまった。
「……これは」
けれど、先行していた騎士からは、既に光の正体が見えていた。
報告も忘れて驚き呟くその背中から、必死に背伸びをして覘いた星の国王。彼女は、口に両手を当てながら「まあ!」と悲鳴を零し、慌てて前方の騎士に確認をするよう命じる。
「辛うじて息があります!」
そう叫んだ騎士の指先が触れるのは、真っ赤に染まった細い首筋。月明かりに照らされる髪は、空に浮ぶ星と同じく銀に輝き、雪のように白い星の国王に比べ、肌の色は生気を感じない青白さだった。
当然かもしれない。蒼い光に導かれた先で見つけたのは、全身を真っ赤に染め上げ、呼吸をするのに全ての力を使っている、弱々しい死にかけの人間だったのだから。
「早く、近くの医者に手当てを!」
生きている、と分かった瞬間、星の国王は迅速な指示を飛ばして、騎士にその者を抱きかかえさせた。
力無く垂れ下がる両手足や首は、一刻の猶予も無い状態だと訴えていて、星の国王は急いで馬車に戻り、荷物をひっくり返し始めた。
「血止めの薬を持ってる者が居ないか、探してきます」
「頼みます。後、後ろの馬車は混乱させない様に気を付けて、ゆっくり追ってきなさいと伝えて。護衛を三人付けるのを忘れずに」
決して広いとは言えない馬車だが、座席に膝を立てた状態で寝かせてやり、星の国王は手当てを騎士にまかせる。
素性も知れない死にかけの者など、危険性を考えれば捨て置くべきだ。けれど、星の民の特色として、短命な彼等は命をかなり尊ぶ。
星の国王は、使えそうな物を全て一人の騎士に手渡すと、引き続き指示の側に回り、馬車の入り口からその様子を見守った。
「馬車の中の物は、私のドレスであろうが引き裂いて使って構わないわ。出来る限りの手当てを」
「はい。ですが、急いで医者に診せた方が良さそうです。移動中に、出来る限りやってみますが……」
「急ぐのは、馬でも馬車でも可能だけれど。揺れても大丈夫かしら?」
「どちらにせよ、かと」
暫く、応急処置をしながら相談し合い、星の国王が乗っていた馬車は走り出した。
中では、二人の騎士が必死に手当てを行い、その隣を騎士に手綱を任せて相乗りをする星の国王が続く。彼女は、何度も窓から中の様子を窺いながら、ひっそりと呟いた。
「まさか、本当に落ちてきたわけでは、無いわよね」
そうであれば、喜べば良いのか申し訳なく思えば良いのか。とりあえず、助かって欲しいと願いながら、星の国王は死にかけていた者の容姿がまるで精霊のようだと、今更ながらに考えていた。
その時、馬車の中でもまた、二人の騎士が死にかけていた者が女性だったと知り慌てていたのだが、それを全員が知るのは医者の元に辿り着いて暫くしてからである。
そして、馬車は一つの街に向けて、急ぎ足で夜の闇を切り裂いて進んだ。
一行が城に戻れたのは、それから三日後のことである。
結果的に言えば、その女性は一命を取りとめて同じく城に部屋を用意された。けれど、彼女はそれから一ヶ月もの間、一度も目を覚まさずに眠り続けた。
星の国王はその間、少子化に対する対策に心血を注いでいて、多忙な毎日から徐々に女性の存在を忘れていき、知らせを受けた時も、彼女は執務室にて山積みの書類と戦っていたのである。
やっとのことで、貴族や古参からの同意を得て、奴隷の買い付けにまでこぎつけ、彼等の教育が始まってから一ヶ月。あっという間に日々は過ぎていった。
星の国王はその日も、執務室にて報告書や民からの嘆願書など、様々な書類に目を通し、執務に明け暮れていた。
執務次官や補佐役、事務官が忙しなく出入りし、書類に目を通しながら指示を出す姿は、十三歳の少女といえど任期六年目としては板に付いた立派な王だ。彼女は、頭の良さや風格よりも、王として必要なのは執務への慣れと体力だと常々豪語している。集中力が大切だと、言いたいのかもしれない。
そして、徐々にだが、執務机に積まれた書類の山が徐々に小さくなっていき、部屋に訪れる者が落ち着いてきた頃、その知らせは侍女によってもたらされた。
「陛下、失礼してもよろしいでしょうか」
「……えぇ。入って良いわ」
控えめなノックが二回。その後に響いた高い声に、「あら?」と顔を上げながら入室の許可を与えれば、入ってきたのは星の国王も良く知る侍女であった。
侍女は深くお辞儀をし、恭しく傍まで来ると、発言の許可を得てから言う。
「例の女性が、先程目を覚まされました」
「例の、女性……?」
けれど、星の国王はその言葉にピンとこず、暫く「誰のことだったかしら」と首を傾げながら必死に思い出そうとする。けれど、中々思い出せない彼女を見かねたのか、背後の近衛が控えめに声を掛けた。あの夜に馬車まで女性を運んだ騎士である。
「一ヶ月前に、蒼い光から見付けた者ですよ、陛下」
「あぁ、思い出したわ。……って、目を覚ましたの!?」
真っ先に蘇ったのは、血塗れの惨い姿では無く、月明かりの反射する銀の髪だった。そこから、目まぐるしく場面は変わり、城の一室にて容態が回復するまで、現在部屋を訪れている侍女に世話を頼んでいたのだと、全てを思い出す。
すっかり忘れていたと、自身の多忙さを自覚してしまい、どっと押し寄せてきた疲労だったが、その知らせに驚き立ち上がった瞬間には何処かへと飛んでいく。そして、補佐の者に少しの間仕事を任せて、彼女はその女性の居る部屋へと侍女を連れ立って向かった。
「意識はしっかりしているの?」
「はい。今は、医師を呼んで診察して頂いている最中かと」
足早に廊下を進みながら、星の国王は矢継ぎ早に侍女へ質問をしていく。そうすると、女性は状況の把握は出来ていないが、意識ははっきりしていて冷静だそうだ。
一ヶ月もの間、横になり続けていた為、体力的には弱ったままだとしても、命の危機が完璧になくなった事にほっとしつつ、二人は部屋の前へと辿り着いた。
「失礼します。陛下が御見えです」
そして、扉が開かれる。この時星の国王は、自身が興奮しているのを自覚していた。
件の女性が、本当に天が自分を思し召されて使わされた者なのではと、期待していたのだ。
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
医師の挨拶を聞きながら入った部屋の中で、その女性は寝台の上に身体を起こしていて、今度は太陽に照らされた銀が輝いていた。
さらに、あの夜には見れなかった瞳が開いていて、少し切れ長の目が星の国王を静かに見つめている。
「あなたが、俺を助けてくれた……方?」
青白い肌に強調される金は、強い力を持っていて、その上で揺れる銀がそれを少し和らげる。すっと引かれた眉は理知的に思わせ、けれど長い睫と薄い唇が、近寄り難い雰囲気を持ってもいた。
そして、低くも高くもない声が、星の国王に降る。彼女は無意識に、恰好良いと頬を染めていたのだが、思考は疑問を抱き口から零れた。
「俺……?」
女性だというのは、今居る医師とはまた違う者が診た際に知っている。けれど彼女は、確かに自分を俺と言った。
そして、その言葉どおり、雰囲気がしなやかな女性さでは無く、完璧に男性の固さを醸し出していて、星の国王は混乱する。
「あなた、お名前は?」
それでも、表面上冷静にそう問えば、女性はここにきて濃い困惑の表情を浮かべ、寝具の隣に立っていた医師までもが渋い顔をし、彼女は使い慣れていなさそうな敬語で弱々しく言った。
「た……ぶん、サイードだと思……います」
「たぶん、とはどういうこと?」
自分の名前を自信の無い様子で言う姿は痛々しく、星の国王は本人ではなく医師に尋ねる。
そうすると、医師が本人を前にして言うのを若干悩み、けれど、身元の分かる者が誰も居ないこの場で知らせないのはより混乱を招くと判断して、重々しく口を開いた。
「怪我の影響か、怪我に至るまでのショックか、はたまた一ヶ月もの昏睡が理由かは分かりませんが……。どうやら、記憶が混濁してしまっているのかと」
「記憶の、混濁……」
その事実を受けきれず、呆然と呟くサイードと名乗った者は、揺れる視線で自分の掌を眺めた。
星の国が、もし風の国の話に乗って精霊の門番の城での協議に参加していたなら、この時に悪魔の旅は終わっていただろう。
銀の髪に金の瞳、女性でありながら男性名を名乗ったこの謎の拾い物は、紛れも無く悪魔の剣であるあのサイードだった。
けれど、寝具の上にて星の国王と対面しているサイードに、今までの図々しさや傲慢な態度は欠片も見られない。それが、彼等の得意とする演技なのか、それとも本当に記憶が混濁していて、自分が何者なのかも掴めない状態なのかは、金の瞳の奥に深く隠されていて、この場でそれを見極められる者は誰も居なかった。
「私は、自分の行いに責任を持つわ。だから、あなたの記憶があやふやだろうと安心なさい」
星の国王は、そっと寝具の脇に立って膝をつくと、すらりと長い指が印象的なひんやりとした手を優しく握る。
必要な肉さえ無い骨の浮いた身体が夜着の胸元から覘き、それが尚更、星の国王の瞳に慈愛を映した。それを恐る恐る見返すサイードに、彼女は微笑む。
「初めまして、サイード。私は、星の国が王、アナスタシヤ。今日から、あなたの家はこの城よ」
それが、一人のか弱い王と悪魔の出会いの瞬間。
命を救われた悪魔は、その代償として限られた時間の多くを消費し、大切に想ってくれていた仲間の不安も知らず、穏やかな日々を過ごすことになる。
そして、アナスタシヤは、短い一生の中で大きな喜びと悲しみを経験する。
その全ては、確かに天が思し召されたものだったと、臨終の際に王は語るが、それでも二人が共に過ごした期間は、四ヶ月程度のあっという間に過ぎ去る時。
「……初めまして、アナスタシヤ様」
この時のサイードの微笑みは、レイスが良く浮かべていた貴公子のような柔らかい笑みであった。