表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第七章:捻くれX鳥籠=特別
77/104

赤い夕陽をベロニカで飾れ



 明るく温かい日差しが降り注ぎ、部屋を煌びやかに飾る。

 出来ることなら風にも当たりたいが、硬く閉ざされた窓がそれを許さず、リサーナは窓に手をつけて静かに外を眺めていた。

 立ち上がって動けるようになったのは、フィザーレイロが精封石を取り外したからではなく、単純に痛みに身体が慣れたからである。


 フィザーレイロは夜明けと共に、「あなたを惑わす存在を消さなければ」そう言って城外に出かけている。十中八九、ゼフとクランクに何かしようとしていると思ったが、彼等が消されることはないだろう。

 そもそも、契約精霊なのだから、別行動をしていると考えること自体アピスの人間にしては可笑しいのだが、そこは二人が精霊王だからか。どちらにせよ、邪魔者がいないのは好都合だ。


「陽が落ちる頃には、なんとか納得させられるかしら」


 くすりと零れた笑いは、リサーナにしては穏やかすぎて違和感があった。

 振り向いて見つめた忌々しい鳥籠の天辺にあるのは、蒼いタンザナイト。あろうことか空の精石は、こんな近くにあったのだ。

 普段であれば頭の中に嫌というほど響いてくる歌は、石自体が精封石の邪気により弱っていて、余程集中しなければ微かにも聞こえない。

 フィザーレイロの頭の良さに、羨ましいを通り越して怖くなりつつ、リサーナは身体に巻いていた黒のシーツを落とし、勝手に部屋を漁って適当な服を纏った。

 とはいっても、用意されていたのは全てドレスで、しかも凝ったものばかり。それを着るのは嫌だったのか、結局選んだのはベビードールのような下着のみである。


「あー……、しんどい」


 そう呟きながら、だらしない恰好でソファに身体を沈めれば、リサーナの目覚めを見計らったかのようにノックの音が響いた。

 一瞬、フィザーレイロが戻ってきたのかと身構えたが、控えめに「失礼します」との声が掛かり、彼では無いと身体の力が抜ける。


「……立ち上がれたのですか」


 そして、開いた扉の先では、寝台に居ると思ったリサーナが見当たらないことで一瞬焦りの表情を浮かべ、彼女がソファで寝ているのに気付いた弓使いが驚きに言葉を零す。

 けれど、直ぐにその恰好に渋い顔をするのだから、本来は表情豊かな者だったのかとリサーナは冷静に観察していた。


「侍女を呼びましょう」


「呼んだら、そいつの目玉を潰してやるから。人に身形を整えられるのも、あんな動き辛い服を着るのも、二度とごめんよ」


 従者としてかなり優秀らしい弓使いは、すぐさまリサーナの恰好の理由を察した。すると、今度は彼女が渋い顔をする。

 声に覇気は無いが、言う事に現実味がありすぎて、下手に殺すと脅すよりも本気に感じた弓使いは、本来の仕事を徹するだけに諦めた。実際、リサーナは本気だったのだから、その行動は正しい選択である。

 仰向けのままソファの端から頭をはみ出した恰好で動きを追えば、弓使いは手早く部屋を整え始めていた。

 かくいう弓使いも、リサーナの額が暑くもないのに汗で光っていることや青白い顔色、浅い呼吸をしていることから、精封石がしっかりと働いているのを確認でき安堵していた。

 フィザーレイロの不在中、万が一にも悪魔に逃げられでもすれば、弓使いだけではなくその親族、友人、今日すれ違っただけの者まで殺されかねない。唯一巻き添えにしたいと思える剣士は、その王と共に城下に出ているのだから、死ぬわけにはいかないと彼は思っている。


「ねぇ、食事はいらないから、紅茶を頂戴」


 ぶるりと不吉な想像に震えた弓使いは、そんな傲慢な声で現実へと引き戻された。

 銀の髪は重力に従い床に向かって流れていて、曝け出されていた細い首には、明らかに人の手で絞められた痣が白い肌で目立っている。ベビードールだけなのだから露出度が高く、至る所に赤い痕も見受けられた。

 それでもリサーナは、気だるさだけを表に出しつつも挑戦的に笑っているのだから、この女は地に伏しても笑っていそうだと弓使いは感じた。


「なんでも良いのですか?」


「出来れば、そこ等のごろつきが飲みそうな、低レベルなものが良いかな」


 自分の主人ながら、弓使いにはフィザーレイロが悪魔を求める感情を理解出来ない。そもそも、愛を語るぐらいなら、本人にこのような仕打ちをするなど理解もしたくない。

 それでも付き従い続けているのは、それが特別だからと愚かな価値観が根付いてしまっているのと、その対象が悪魔という存在だからなのだろう。

 ただ、そう言った時のリサーナの目に、惹かれてしまう魅力を少しだけ分かってしまった気がした。


「畏まりました」


 上辺だけの恭しい態度でお願いに従った弓使いは、廊下を歩きながらふと考える。彼には、リサーナだけじゃなく悪魔全員が、それぞれで揺らがない自分をしっかりと持っているように映った。

 存分に贅沢が出来る場所で、あろうことか下町の物を望むのは捻くれすぎだろと笑えるが、世界中で追われ、どれだけの暴行や屈辱を受け、何度殺されかけても、それでも悪魔は自分を譲らない。人の中で生きていくには酷く不器用で、孤独になってしまうだろうその自己主張を羨ましく感じる。

 けれど、人は孤独だけでは生きていけない。だからこそ、そんな悪魔の心の中に住まう者がどういった相手なのか知ってみたいと、その欲求だけはフィザーレイロと同じだった。


「あの変質者は、私の仲間を殺しに行ったのでしょ?」


 そして、弓使いが自室から個人で好んで飲む民に馴染み深い紅茶を持ち込み、それをリサーナへと手渡した時、彼女は徐に口を開く。


「……変質者、とは?」


「答えなければ分からない?」


 緩慢な動作で受け取った紅茶を、クッションに凭れかかりながら楽しむ姿は何時もより幼く見え、けれども口元は妖艶を形作る。

 あまり会話を交わすつもりのなかった弓使いは、軽くかわしてさっさと退室するつもりだったのだが、主人を貶されて無視できるほど懐が広い男では無かった。


「目に掛けてもらえただけでも、有難いことだろう」


「そう……。女性を乱暴して閉じ込めるような男を、この国は立派と表現するのね」


 カチャリとソーサーに置かれたカップの中身が揺れたのは、その振動からか部屋を瞬時に満たした冷気からか。

 悠々と微笑むリサーナであったが、フィザーレイロを変質者と言ったことで怒りを向けてくる弓使いに対し、彼女は光栄に思うべきだと牙を覗かせる。

 ――悪魔の一人で、情報収集や誘惑、言葉の剣を武器としていたこの私の、最期(・・)の相手に選ばれたのだから。

 心でそう言ったリサーナの決意を、二人の欠片でさえ知らない。


「相手が精霊王だと、知っているはずなのに。まぁ、殺せるわけがないだろうけど、王が世界を壊そうとしているのに従者として止めなくて良いの?」


「世界を壊そうとした悪魔が、常識を語るのか」


「あら、勝手に過去形にしないでよ。失礼ね」


 リサーナは、鋭い視線に晒されながら、カップを目で示して「おかわり、頂戴よ」と嗤った。

 その姿に弓使いは悪寒を感じる。必要最低限、叶えられる望みには従えとの命令を受けているが、今近付けば首を噛み千切られるような気配が、小さく細い身体から漏れ出ているのだ。

 頭では、本当であれば喋るのも精一杯な程弱っているはずと理解しているのに、浮き出る肋骨が実は武器では無いのか、丸い爪は瞬時に伸びるのでは無いかと、馬鹿な妄想まで浮んでしまう始末だ。


「ふふ、取って食ったりしないわよ。私に出来るのは、このお粗末な身体を使って相手の中身を探り、戦闘脳な獣のカバーに回ることだけだもの。居なくても、今更困らないわ」


 そのうろたえ具合を敏感に感じ取ったリサーナは、今度は女性らしい表情で笑いながらカップを突き出し、そうすることでやっと紅茶で再び喉を潤すことができた。

 

「逃げようなど、考えないことだな」


「飛んだことの無い鳥であれば、籠の世界で収まれるでしょうけど……。一度空の広さを知ってしまった鳥が、こんなもので大人しく毛繕いできるわけがないでしょ」


 居心地の悪さとリサーナの気迫で、逃げるように去っていく弓使いの背中に纏わりついた声により、彼はすぐさま城の警備を強化して嫌な予感に備えるのだが、それが思う壺だったと気付いたのは、フィザーレイロに殺されかけてからであった。


「泣き寝入りするなら、元より悪魔になんてならないっつーの」


 複数の鍵を閉められる音を聞きながら、リサーナは優雅に紅茶を飲み干した。


「さーってと。説得を開始しますかね」


 気楽に伸びをしていたが、再び窓の前に立って浴びた陽の光は、彼女にとって最期に見た光である。

 その影は、とても薄く部屋に浮んでいた。









 城の正門の直ぐ手前、街と城を結ぶ並木道の影で、険しい表情をしたゼフが身を潜めていた。

 人が通れそうな箇所の全てにクランクが結界を張っているので、例え監視していない裏口から人が出て行ったとしても、虚を突かれることは無い。

 けれど、ゼフもクランクも、長時間待機するにはこの並木道が限界であった。それだけ、精封石というのは精霊に影響を及ぼす邪気の塊だということだが、その存在を精霊王は知らない。


「……ルシエ」


 だからこそ、ゼフは不安だった。

 嫌な予感ばかりが胸で蠢き、安否を確かめるため必死に魔力を感じようとするのだが、その作業ですら乱されて満足に行えず、流石に可笑しすぎると街にて処世術のあるクランクに空の国王についてを調べさせている。

 しかも、朝一番で仰々しい雰囲気の集団が城から街に下りて行っていた。

 その中にルシエが居ないのは確実だが、その代わり集団の中に見覚えのある顔の剣士が居たのを確認している。


「何故、私達を呼ばない」


 今までにない状況と、何の力にも慣れない自分。全てに苛立つゼフの周囲では、不自然な風が草木を揺らしていた。

 二日待つと言いはしたが、二人は夜更けには救出を強行する予定だ。手遅れになるよりかは、恐ろしくともルシエの怒りを買ったほうがマシである。

 ゼフが、その為の算段を幾つか立てていれば、街側からクランクが歩いてくるのが見えた。彼はゼフに向け、ヒラヒラと暢気に手を振って合図するが、その表情も穏やかとは言えない。


「何か得られたか?」


「いやー、この国の人間って、つまんないにも程があったよー」


 クランクは、嫌そうに城を見上げてから、珍しく苛立たしげに報告を行う。

 街に出て、旅人で空の国に興味があると言いながら国王について探りを入れれば、返ってくる言葉の全てが「あのお方は特別ですよ」の一言であった。


「特別を理由に、自分達に言い訳しているとしか、俺には思えなかったんだけど」


「特別だろうが平凡だろうが、関係ないだろう。私達が知りたいのは、この禍々しい気配が何なのかだ」


 ゼフの呆れた叱責に「それはそうだけどー」と返したクランクだが、それだけ馬鹿馬鹿しかったのだ。

 確かに、優秀であればその分栄誉はあるだろう。努力をすれば、誰でも高みにいけるなど幻想で、だからこそ特別が羨ましいのは分かる。ただ、かといって特別そのものが素晴らしいわけでは無い。

 誰もが悩み、誰もが苦しみ、そうして生きるのだ。自分は自分でしかいられないのだから、それを言い訳に何もしないのは、馬鹿の極みだと街の様子にクランクは感じた。


「取り合えず、夕方まで様子を見て、一旦宿に戻ろうよ。結界を張ってるんだから、僕等も休んで備えないと」


「そう……だな」


「ルシエが殺しても死なないタフな子だって、俺達が一番知ってるでしょー?」


 最強の精霊王に似合わない不安そうな横顔に、クランクが軽口で勇気付けようとするが、笑顔で言ったつもりの言葉は弱々しく、笑いも苦しいものだった。


 そして、そのまま夕方まで二人は無言で城を見詰め続けるのだが、その日、城に出入りしていたのは朝の怪しい集団以外は全て、多くても三人組のただの人間だけで、最も待ちかねている者が姿を現すことはなかった。

 仕方なく二人は一度宿に戻るのだが、夕陽に支配された部屋には、思いもしない相手が待ち構えていた。


「……なんか、宿が騒がしいね」


「構えておけ」


 変哲の無い宿の前まで辿り着いた時、その入り口には一般人を装ってはいるが、立ち振舞いが明らかに戦いへ身を置いている者が居り、それを見極めたゼフがクランクに指示をだす。

 警戒しながらその者の隣を通り過ぎれば、相手も二人へ鋭い疑いの目を向けていた。

 今の彼等は、認識阻害の魔法によって、普通の人間に見えているはずなのだ。美しすぎる容姿も、ゼフの尖った耳も、興味を惹いたり怪しさを感じたりする要素は映っていないはずである。

 ただ、声を掛けられることは無く、それがさらに不信感を募らせ、二人が戻って来たのを確認した宿の主人が、青ざめた表情を浮かべたことにより、彼等の足は速まった。


「ルシエじゃ、ないよね」


「そうだったら、拳骨だけで済むのだがな」


 不気味なほど静まり返った宿の階段を昇っていれば、甲高い笛の音が響く。それは、明らかに何かを誰かに知らせる為のものだ。このタイミングだと、ゼフとクランクの出現を誰かに伝える笛、といって良い気がする。

 二人はそれぞれ武器を手に、辿り着いた部屋の扉に張り付いて頷き合った。


「わー。全員がメイドさんだったら良いのにな」


「アホが。殺気で主人を出迎える侍女がどこにいる」


「だよねー。……全員で、六人かな」


 ルシエが分裂しているわけもなく、部屋に満ちる殺気と気配を敏感に察した二人。ゼフが勢い良く扉を蹴破り、即応戦できるよう風の刃を構えながら部屋の前に立った。その後ろでクランクが、部屋に矢を向けて続く。


「待ちくたびれましたよ」


 そこに居たのは、一人の人間にしては整った顔の男と、五人の騎士らしき者達だった。


「空の……純血種?」


 見覚えの無い相手に二人は首を傾げるが、直ぐにその男からルシエの気配を感じて、一気に緊張した顔付きとなる。


「人の部屋で、貴様らは一体何をしている」


「誰かと約束してた覚えは無いんだけどなー」


 一瞬即発な雰囲気が満ちる中、一応旅人として人間を装っているのだから、それらしい言葉で探りを入れようとするが、相手はつまらないと言いたげに冷たい視線を二人に送る。

 分からない者からすれば、ルシエのするその視線と同じに思えるが、ゼフとクランクは受け取った瞬間、認識阻害の魔法を解いて立場の違いを示した。

 まるで、物を見るかのような下劣な視線であった。ルシエのそれは、確かに震え上がる程冷たいが、男のように対象を認めないわけではない。冷たいながらも真っ直ぐで力強く、どちらかといえば内側を暴かれるような、逸らしたいのに逸らせない不思議な魅力が恐怖を感じさせるというのに、男のは恐怖よりも嫌悪を覚える。


「我等が精霊王だと知っての、その態度か」


「これは、これは。やはり認識阻害を使っていたのですね。これ程までに、美しい存在だったとは」


 ゼフの向ける風の刃の先で、男は嘲笑を浮かべた。

 一人だけ椅子に腰掛け、優雅に足を組み、二人が精霊王だと告げてもその態度を崩さない。

 騎士達は全員、ゼフとクランクの神々しさに圧倒されていたというのにだ。


「人風情が、えらく傲慢な態度だね」


「ふ……ははっ! 人真似が出来るだけのたかが精霊のくせに、実に可笑しな事を言う」


 クランクの頬が引きつり、ゼフのこめかみに青筋が浮ぶ。あろうことか男は、彼等の姿を人の真似をしていると言ったのだ。

 傲慢どころの話では無い。精霊がいなければ魔法は使えないし、世界さえ崩壊してしまうというのに、その頂点である王に敬意を払うどころか侮辱を与える等、到底正気とは思えなかった。


「うん、風の。こいつ殺そう。跡形も無く、四肢をもいで恐怖という恐怖を与えて、さらに殺してやろうよ」


「珍しく、意見が一致したな。この赤子と同じ()呼ばわりされるだけで、私も我慢がならん」


 人が生まれる遥か昔からアピスに存在し、永遠とも言える時を過ごしてきているのだから、どちらかといえば人が精霊王に倣って造られたと考えた方が論理的である。

 名を伏せながら、クランクが残虐な言葉を口にして怒りを顕にすれば、足元の床が小さな音をたてつつ朽ち始めた。ゼフもまた、鬼の形相で風を纏い哂う。

 二人は、男が空の国王だと察していた。元々王が歳若い事を知っていて、純血種で騎士を引き連れ、自身は剣を携えていなければ、身分が高いと直ぐに分かる。さらにルシエの気配を纏っているとくれば、嫌でも察するしかない。

 精霊王の怒気に当てられても、フィザーレイロは飄々とおどけ、首を傾げた。


「良いのですか? 契約主が万全で無い状態で精霊が自発的に力を使えば、例え主人の魔力を使わなくとも影響が及ぶらしいですが」


「貴様っ!」


「ルシエに何をした!」


 フィザーレイロの言葉に、床の腐食と風が止まった。

 けれど、その分怒気が上乗せされて、人には出せない殺気に二人の騎士が気絶してしまう。チラリと隣で倒れた者を見た視線も、壊れた物に向けるものであった。


「そう、怒らなくても。たかが精霊に名乗る名など、生憎持ち合わせてないんですが、これだけは言っておきましょう」


「我等とて、貴様に名乗る下劣な名など無い!」


 立ち上がったフィザーレイロは、あくまで上目線でゼフとクランクに対峙し、自身の胸に手を当てた。

 今すぐにでも殺してやりたいと強く感じた二人であるが、彼等はルシエについての情報を得るまではと、薄れる理性で何とか衝動を押さえ込む。


「彼女に()は与えてませんよ」


「だったら、今すぐ返してもらおう」


 至極当然のようにフィザーレイロは言うが、ゼフとクランクもルシエが生きているのを、言われずとも知っている。

 契約主が死んだ時、精霊もそれを感じ取れる繋がりがあるからだ。

 これだけ心配しているのに、それでも二人が直ぐに動いていないのは、ルシエに計画があると分かっていてタイミングが掴みきれないから。けれど、こうして敵と対峙してみて、その選択が間違っていたのだと彼等は感じていた。


 ゼフの要求に、フィザーレイロが哂った。


「返す? それは、僕の台詞ですよ。彼女の心が、一欠片程度、下等な精霊二匹に奪われているみたいなので、この僕が直々に返してもらいに来たというのに」


「俺達に敵うと思っているんだ」


 屈辱に、クランクの構える矢が揺れる。ゼフの持つ風が荒れる。

 通常の精霊と違い、自然界の魔力を使って強大な力を行使できる精霊王にとって、人間を殺すのは赤子を捻るのと同じに容易い。ただ、先程のフィザーレイロの言葉の通り、契約者が弱っていた場合には、魔力を使わずとも繋がりのせいで負担が生まれる。

 とはいっても、それを抜きにした武力のみでも、二人に敵う人間はそう居ないだろう。

 だからこそ、ゼフもクランクも警戒した。フィザーレイロは、それを分かっていながら、勝ちを確信しているように思えたからだ。


 一挙一動見逃すまいと気を研ぎ澄ます二人の前で、蒼い瞳を細めてフィザーレイロは言った。


「この僕に、精霊が勝てるとでも?」


「水の!」


「だあーいじょうぶっ! なめんじゃねーよ!」


 途端、ゼフは城に感じていた禍々しい気を近くで察知し、クランクを振り返る。その時に、フィザーレイロ側の騎士が攻撃を仕掛けてきたのだが、それは一振りするだけで事足りた。

 そしてクランクだが、彼も同じものを感じ、その方向に弓を盾として使い奇襲を防いでいた。


「昨日ぶりの剣士君じゃん。俺も軽く見られたもんだ」


 どこか男らしい口調に変わっているクランクと弓を挟んで顔を合わせたのは、天空の巫女(エアリア)と契約している剣士。彼は、限りなく自力で気配を消して奇襲の役目を担っていた。

 けれど、朝の集団の中に居たのを確認していたゼフは、それがフィザーレイロ達だったのだと気付き直ぐに奇襲を狙っていると予測しており、クランクも事前に情報を伝えてもらっていたから分かっていた。


「おや。癒しの王も戦えたのですね」


 暢気に零すフィザーレイロを置いて、剣士に蹴りを入れて距離を取るクランク。馬車での旅で、右利きだったはずの剣士が左手に剣を持っていることを不審に思い、尚且つ邪気を警戒しての判断である。

 狭い廊下を滑り、呻き声を上げる剣士を他所に、ゼフはそちらをクランクに任せてフィザーレイロの居る部屋にやっと足を踏み入れた。


「ルシエはどこだ」


「軽々しく、僕の愛する妻の名を呼ばないで頂きたい」


「……今、何と言った」


 どちらかといえば、戦闘を担った方が良い気がしたが、ゼフはそれ以上にクランクをフィザーレイロと相対させてはならないと直感している。

 けれど、自分もどこまで我慢出来るか自信が無く、既に限界を突破しかけていた。

 ルシエは誰にも靡かないのだから、真偽を問う必要すら無い。ただ、例え一方的だとしても、その言葉を向けること自体がゼフには許容出来なかった。

 愛していると囁くことが、ルシエにとってどれだけ苦痛なのかゼフは知っている。それだけでは無い。どんな誹謗中傷より、死を突きつけるより、残酷な言葉なのだ。


「愛する妻、と言ったんですよ。殺戮の王」


「貴様、それをルシエに言ったのか!」


 怒鳴る以上に青ざめながら問い詰めるゼフへ、フィザーレイロが僅かに顔を歪める。

 その態度を不思議に思いながら、「昨夜は一晩中、伝えさせてもらいましたよ」と言えば、ゼフはフィザーレイロから一切の意識を外して廊下に駆けた。


「水の! 今すぐ引くぞ!」


「え!? でも、それ賛成。この剣士君、かなりやばい物を右手に隠してる」


 廊下では、周囲の壁や物を壊しながら器用に弓を盾に矢を放ち、その狭さをものともせず、器用に戦っているクランクの姿があった。

 かなりやばい物とは、精封石で間違いないだろう。密室で無いことと、未だそれに触れていないことが幸いし、リサーナのように大きな影響を受けずに済んでいるらしい。

 剣士が利き手に剣を持っていないのも、精封石を攻撃に対抗するのが目的だった。


「追いなさい!」


 素早く、近くの部屋に入って窓から脱出しようとするゼフとクランク。満足のいく情報は得られず、邪気の正体すら掴めていない彼等だが、どちらも質問は後回しだと城に急ごうとした。

 その背中でフィザーレイロの声が響き、剣士だろう足音が二人に迫る。

 逃げることを屈辱だとは感じなかった。それ以上に、ゼフはフィザーレイロの言葉で、クランクは剣士の右手に隠し持っていた精封石によって、それぞれでルシエが気懸かりすぎる。

 夕陽は赤々と、アズローレン全体を染めていた。

 そして、ゼフとクランクが窓の淵に足を掛け、外に飛び降りようとした時である。

 剣士もまた、丁度二人が入った部屋の扉を乱暴に開けていたので、しっかりとその光景を目にしていた。


「――っ、ルシエ!」


「あんの、馬鹿娘が!」


 二人の精霊王の怒りと驚き、悲痛さの入り混じった叫びが、城に向けて放たれた。

 さらに、一人ゆったりと窓の外を眺め思い上がっていたフィザーレイロも、それを見た瞬間、言葉を失い驚きを顕にする。


 まるで、血の様に赤く、ルビーの様に煌いていた夕陽。それが突如、タンザナイトの蒼い閃光に塗り替えられたのだ。

 閃光といっても、目を痛めるようなものではなく、泣き叫ぶ赤子を穏やかにさせ、失った悲しみを慰めるような、そんな淡いものがアズローレンの空に広がった。

 城から生まれたその光は、街に居た人間全員に降り注ぎ、強い印象を与えながら薄れていく。


 ある者は柔らかく微笑み、ある者は感動に涙し、その奇跡に言葉を失う。けれど、ゼフとクランク、そしてフィザーレイロの三人だけは、その光に悲しみを抱いた。


 ――さようなら。


 タンザナイトの光は、そう言って笑った。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ