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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第一章:捻くれX変態=泥沼
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決めたのは、私


「ねぇ、君は世界が好きかい?」


 幾度もの険悪なムードを乗り越え、二人は苦笑した。

 カミサマの目元は少し赤らんでいて、紗那は彼が近付いてきた際にそっと右側を指で撫ぜる。

 それで良い、と頷きながら。残るピースはほんの僅かとなっていた。


「好きだよ、とても」


 だって、この世界には好きなものが溢れている。唇がそう呟く。

 紗那の境遇は、お世辞にも幸福だとは言えず、色々な闇を見てきていた。

 それでも迷わずそう言える心は、捻くれているからといって汚れていると簡単に言っていいものなのだろうか。


「なら、僕の願いを聞いて欲しい」


 紗那の手に擦り寄り自分の左手を重ね、目を閉じながらそうカミサマ――いや、世界は願った。

 それでも紗那は、照れくさそうにはにかみつつ頷かない。そこは、強さと言っていい気がする。

 無条件に頷かない精神はお人好しではないが、だからといって冷たいとも思えない。しっかりと、現実と向き合っている姿そのものではなかろうか。

 それに、紗那の中ではまだ最大の疑問が解決していなかった。何故自分が選ばれたのかという理由が。


「精石を壊して、精霊王を目覚めさせればいいの?」


 世界は目は閉じたまま頷く。頬と左手に伝わる温かさを、心の底から愛しいと感じた。


「ただ、精石は人間にとって何よりも大事なものなんだ。だから君は、地球とアピス、二つの世界の救世主でありながら、悪にならなきゃいけない。アピス全土の人間が君を敵とみなし、そして敵として立ち塞がるだろう」


 それが最も重要な、知りたかった理由(・・)であった。

 世界は、紗那の右手が震えるのを感じる。恐怖に怯え、何故自分がと恨みを抱いたのかもしれない。


 そっと、拒絶を覚悟して目を開ければ、少し下に落とした視線の先に、左手で口元を押さえ目を見開いて呆然とする少女が映った。

 痛々しい姿だった。贖罪の念に溺れそうになる。しかし、自分の言葉はどうやったって言い訳や取り繕いにしかならないだろう。ぐっと右手で拳を握り、震える唇をこじ開ける。


「断るのなら、今の、内……っ!」


 だが、全てを言い終わる前に握っていた手を振り払われ、どんっと突き飛ばされる。絶望に打ちひしがれながら相手を見れば、口元の手はそのまま、もう一方は腹部を押さえていた。

 若干前に身体を傾け、テーブルに寄りかかることで必死に立っているようだ。

 さらに申し訳なさがこみ上げてくるが、言葉と温もりどちらも拒絶されたばかり。右手が空しく上がるだけで、喉は動いてくれなかった。


 そんな時だ。紗那の肩が一際大きく震え、がばっと突然顔が上がる。


「っ、ぶはっ! あはははははは!」


 白い空間に、盛大な爆笑が響き渡った。

 当然、世界は状況が飲み込めずキョトンとするが、紗那は口元を押さえていた筈の手も下げ、どう見ても腹を抱えて笑っている。

 しかも、世界の呆然と固まる姿までツボに嵌ったのか指を差して引き笑い、最終的には力尽きたのか蹲りながら床を叩いて咳き込んでいた。

 世界にとっては紗那のその反応が予想外であるが、実は彼女にとっては自分が選ばれた理由がそうだったのだ。

 死の危険があるのは十分理解できた。某国の白い屋敷を十回単身で襲撃するのと同じぐらいハイリスクであり、野良猫百匹の中に放り込まれた一匹の鼠という状況が分かりやすい例えだろう。

 だけど、それで怖気づく人間性を、紗那は持ち合わせていなかった。


「いいねぇ、その、救世主なのに悪の響き。めちゃくちゃワクワクするんだけど! これは確かに、私以上に相応しい奴はいないわ」


 未だ尾を引くのかクツクツと笑いながらも、紗那は嬉しそうに言う。

 まさかのワクワク発言に唖然としてしまった世界は、何やら不穏な空気を感じてブルリと身体を震わせた。


「な、何? え、というか、ワクワクすんの? 普通はここで嫌いとか怖いとか、え? え?」


 混乱が最高潮に達して無駄にオロオロする世界を見つめながら、紗那が言った言葉。この時ばかりは、世界に心を読む余裕は無く、当然聴覚で拾うことも無理だっただろう。


「ご愁傷様。面白そうでも、一人で責任を負うつもりは無いからね?」


 悪魔な顔と天使の顔。果たして本当の紗那という少女はどちらなのだろうか。


「で、まだ答えを言って無いんだよね。聴きたいならまず、私の質問に答えて欲しいんだけど?」


 紗那の笑いが収まれば、今度は世界が相当な衝撃だったのか混乱してしまい、暫く会話がままならなかった。

 でも、爆笑するのも仕方ないじゃないかと紗那は憤慨した。なにせ、世界に選ばれた理由がよりにもよって捻くれているからだ。

 これを笑わずにいられるか、というのが本人の心情である。


「何回か聞いたけどさ、あんたは一番何を守りたいの? 人間、精霊、世界、それともその他?」


 しかし、そんな和やかともいえる雰囲気はその言葉で欠片も残さず消え去った。今の質問が、どれだけ悪役台詞で残酷なものか本人は自覚している。

 世界も心の内を理解したのか、絶句して答えを言えない。

 流石に甘ちゃんな精神がすぐにどうにかなるとは考えていない紗那は、ニヤリと笑って無言で催促した。


 この間にも、今までの散々な時間の間にも、紗那の好きなものは現在進行形で壊されている。彼女にとっては下らない理由で、しかも世界も違う奴等によって。

 それは、男に犯されるぐらいに気持悪く、我慢ならないことだった。


「往生際が悪いね。あんたはさ、人に悪になれと言いながら、自分は善でいるつもり?」


 気付いたのなら容赦しない、と紗那は目で語る。傍から見たら始めからそんなことしていないと思うぐらいの冷たさではあるが、甘い言葉は誰でも吐ける。

 何度も繰り返すが、そんなことを言って許される次元の問題ではないのだ。


「僕は……」


 そもそも何故、紗那は世界を追い詰めてまで答えを先延ばしにし、諭すような言葉ばかり言っていたのか。それはとても単純で、しかし彼女にとっては一番重要なもの。

 求めていたのは、唯一これから自分がしていくことを正当化できる共犯者(せかい)であった。


 おそらく、ただ救世主になれ、勇者になれと求めていたのなら、性格からして鰾膠(にべ)も無く断っていただろう。その栄誉に、紗那は価値を見出せない。


「いや、君の言う通りだ。あれも大切、これも大切じゃ何も守れない。君はやっぱり、優しいね」


 嬉しそうに笑う世界に、胸が少しばかり痛んだ。彼は、何をもってそう思うんだろうか。自分が優しいのならば、人類みんな優しいと言える。

 自分の思惑も知らずにいる世界に苦笑を返すのが、紗那にとって精一杯であった。


「僕は、世界(ボク)を守りたい」


 僅かながら葛藤を抱いている間に、世界は紗那の手に堕ちていた。これで彼女は、世界を救うという大義名分の下、破壊の限りを尽くせるだろう。


「なら、私は奪う覚悟を」


 迷いを捨て去るべく頭を小さく振り、紗那は自身の胸に手を当てて言った。

 そして、ゆっくりと腕を動かして再び近付いて来ていた世界を指差す。


「あんたは、見届ける覚悟を」


 それに頷いた世界は、バサリと服を翻して目の前の人間を見下ろす。彼を見上げてくる瞳には、揺らがない不思議な力があった。


「河内紗那に命じる。世界を、救え!」


「……仰せのままに?」


 畏まった世界への正しい返答が分からず、語尾が上がって疑問形になってしまった紗那。一瞬の間の後にくすくすと笑い合った姿は、どこにでもいる男女だった。


 しかし、おそらく紗那が辿り着く先は地獄で、世界を待ちうけるのは生き地獄だろう。それを悟ってるのは、紗那だけであった。

 特別な力も才能もない女子高生。ただ、世界が声を大にして言いたいことが一つ。本人は顔も併々凡々だと言うが、実際にはかなり目鼻立ちがすっきりしていて整っている。残念ながら、女性的では無くかなり中性的で、美少年と美少女の境の不思議な位置ではあるが。

 とにかくだ。争いの無い世界で過ごしてきた紗那にとって、武器となり得るのは捻くれた根性と冷静な頭のみだろう。でもそれが、最も誇るべき力でもあると世界は思っている。


「じゃあ、準備したいから一旦帰して?」


「えぇ!? 何でそんなに切り替えが早いの? ていうか、あんまりこっちの世界のものを持っていけないんだけど。……いや、はい。拒否権は無いみたいですね」


 今だって、最大限状況を生かそうと頭を働かせ、半ば脅しを込めながら行動している。それが到底、平常な精神の人間であれば出来ないことだと紗那は気付かない。強かに狡賢く、姑息に生き残る為であれば、彼女はどんな事でもするだろう。


「ね、ねぇ。今更だけどさ、行ったら二度と地球には戻れないんだけど」


 大きな存在なくせに、たった一人の少女におどおどと恐る恐る聞いてくる情けない奴が共犯者だから、尚更気が抜けないはずだ。


「分かってるっつーの。そんなの本当に今更だわ」


「そんな軽く……死ぬかもしれないんだよ!?」


 纏わり付いてくる大きな荷物を足蹴にしつつ、紗那はまた笑う。

 変態と捻くれの相性は、どうやらあまり良くないらしい。でも、ある意味バランスは取れているのだろう。

 まさしく悪役の笑いに見えるソレは、世界に毎回ダメージを与える。


「上等じゃん。そこでゴキブリのように図太く生き残ってやるのが面白いんだよ」


「うわ、まぁ、だから君なんだろうね」


 勇ましい相棒を手に入れた世界は、諦めに似た笑みを返して徐に手を差し出した。意味が分からず頭を傾げた紗那だが、素直にその手に手を乗せれば、自然な動作で甲にキスをされる。


「あんまり時間もないし、一日しかあげられないよ? お別れも、ちゃんとしておいで」


 小さいリップ音の後に告げられた言葉。世界が視線を合わせれば、期待してはいなかったが照れた顔があるわけでもなく、むしろきょとん目を瞬かせる紗那がいた。彼女は、そんなことが頭に全然なくて不覚にも表情に出してしまったのだ。当然呆れられ、淡白すぎるのは美徳じゃないと叱られる。

 それでも、別れを寂しいと思う理由がなかった。


「まぁ、それはそれとして。はい、これ」


「ん?」


 降り注ぐ非難を含んだ視線から逃れるため、一枚の紙を押し付ける。それはノートを切り取ったもので、良く見ればびっしりと細かく色々なものが書かれている。

 紗那がリビングで書類を読んだ時に、こうなることを見越して準備していたものだった。


「うえぇぇぇ! こんなに!?」


 中身はすべて、世界に準備して欲しいもので埋め尽くされていて、しかし、如何せん量的にも内容的にも鬼すぎた。

 流し読みで一通り確認した世界は、あまりの無慈悲さに眩暈を覚える。

 そして当然、全部は無理だと抗議をしたのだ。


「叫ぶな、喚くな。それでも最低限なんだから。あ、後、私の性別変えたりとか出来ない?」


「出来るわけないじゃんっ! 言っとくけど、成長させるのも無理だから!」


 世界からすれば当たり前の反応だというのに、紗那は耳を塞いで心から「使えねぇ奴……」と毒を吐く。しかも舌打ち付きとくれば、ショックに固まるのは無理もない。

 その間紗那はと言えば、さらにこれからのことを、頭をフルに回して考えていた。一体、どれだけ準備を重ねる気なんだろうか。


「あ、後一つ。あっちで違和感の無い名前、男と女どっちも考えておいて」


「えーっ、もう一杯一杯なんですけど!」


「黙れ、やれ。適当にやったら知らないから。……まぁ、その代わり、私もあんたの名前考えといてあげるから」


 文句を垂れまくる世界とそれを容赦なく退ける紗那。やっと泥沼状態から抜け出したというのに、二人は騒がしく会話を続けていた。

 そして、紗那は地球での最後の一日を迎える。寝る暇が無いと気付くのは、家に戻ってコーヒーを用意し終わった時であった。






 こうして、漆黒の羽根を生やした邪悪な天使は誕生した。行うのは、平穏の破壊。しかし、今はまだ、それを知る者は誰も居ない。


 ――幸せとは無縁の旅を語る物語が始まった。







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