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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第六章:捻くれX予想外=やりすぎ
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怒りの先にある誇り







 時間は僅かに遡り、場所をリサーナが天使軍(エクソシスト)と最後の夜を過ごした小さな村の空き家へと戻す。

 そこでは、リサーナを欠いた小隊の面々と夾が、暗い表情でテーブルを囲んでいた。


「これで、本当に良かったんっすかね……」


「良かったも何も。ヴィスト、俺達は天使軍だよ」


 目の前にあるのは、冷めたハーブティー。頭に包帯を巻いていたり、頬に痣があったりするが、全員怪我は重くない。

 酷いものはリオンに治癒してもらっているので、彼等を苦しめるのは胸のわだかまりだけだった。


 ヴィストが言っているのは、先程リュークが放った筆頭騎士に宛てた緊急の魔法便のこと。彼等が遭遇した一件について、出来る限り事細かに報告した真実である。


「だったら、どうしよう俺……。リサーナを嫌いになれないっす」


 そう零したヴィストの頭に、イジドールの手が乗せられた。

 その重みからだと誤魔化し俯いた視線と、瞳を押さえる腕。さらにヴィストは、「嫌いになれないけど、許せないっす」と震える声で言った。

 黙って様子を見守る夾もまた、様々な苦しみを抱きながらハーブティーに口を付ける。

 許せないのは、何に対してだろう。今までの所業に対してか、裏切りのことか。本人にも判断出来ない感情に、当てはめられる言葉が無い。


「昨日まで、笑って料理を作ってくれてたのに……!」


 リュークとイジドールと違い、若いヴィストとリオンは役目と自身を分ける手段が拙かった。

 小隊長の前でそんなことを言えば、除隊処分を受けても文句は言えないというのに、彼等は本音を吐露する。

 しかし、2人はそんな若者を責めなかった。黙ってそれを聞き、悲しげに微笑むだけである。


「夾も、ヴィスト達と同じ?」


 そしてリュークは、一人蚊帳の外である夾に声を掛けた。

 まさか自分に振られると思ってなかったのか、夾は驚き口ごもったが、リュークの視線が逃げることを許さない。


「君も、仲間に裏切られただろ?」


 さらに、痛い所を突いて夾を追いやる。彼に付いていた2人の仲間は、とっくに自国へと戻っていったのだ。

 役立たずになった勇者に目もくれず、散々気を使ってくれたというのに、別れの言葉も謝罪も無しに。それが、二人は夾の監視役だったと言葉以上に告げていた。

 しかし、悔しさに唇を噛む夾ではあったが、彼はヴィストとリオンのように悲しみは抱いていなかった。


「俺は、そもそもが可笑しかったから、同じじゃない」


「でも、利用されて点では同じだろ」


 夾は、リュークの言葉に首を振った。さらに、リサーナの姿を思い出し、戸惑いながらも全員に向けて言う。


「確かに利用してたんだろうけど、楽しんでたとは思わないよ」


 慰めはいらないと、ヴィストが腕を放して赤い眼で睨み付けてくるが、夾はそんなつもりで言っているわけでは無い。だから彼は、睨み返しながら自分の意見を述べた。


「全員が、顔に出せるわけじゃないだろ。俺は、あんな人を知ってるから……」


 夾がリサーナを悪魔と言った時、彼女の顔は決して悲しんでいなかった。けれど、彼は「だからって、楽しんでいたわけじゃないはずだ」とリュークに告げる。


「湧いた感情を選り分けて、置き換えて、それを出せない人は笑うんだ。リサーナ、だっけ? あの人はあの時、きっと悲しかった。それって、あんた等と一緒にいた時間が楽しかったからだろ」


 「それは、俺の旅には無かったものだ」と夾は言う。

 ただ帰る為だけに、慣れない生活の中で必死に悪魔を追った余裕の無い自分とは違うと首を振る。


「だったら、夾は私達が間違っていたと思うのか?」


 夾の言葉で、堪えていた感情が溢れて泣き始めてしまったリオン。声を押し殺すヴィスト。そんな彼らを労いながらのイジドールの問いに、夾はさらに首を振った。


「俺は、まだこの世界のこと良く知らないし、同じ世界で育ったはずの悪魔が、何であんなことを出来るのかも分からないけど……。あいつ、言ってたじゃん。好きにすれば良いって」


「じゃあ夾は、どっちでも無いと言いたいってことか」


 リュークは、それが一番堪えると笑った。そしてその場に、すすり泣きだけが響く。

 夾も、悪魔の所業は大体は必要な情報として知っている。

 精石の破壊は勿論のこと、風の国ではウェントゥスの襲撃に王女の暗殺。前ウィーネ騎士団長の殺害もそうだ。一番非道なのは、悪魔狩りを起こさせたことだろう。

 夾の持つ情報が、全て真実とは限らない。

 王女の暗殺や、レイスの殺害など、嘘も良い所である。このように、各国での都合の悪い事の殆どが、今では悪魔の仕業として公表されたり処理されているのだ。

 だからこそ、夾は自分に出来るのであればと刀を持ち、帰る為に悪魔を追うのに何の疑問も抱かなかったわけで、罪悪感など湧きようもない。

 ただ、今は違う。悪魔と出会い、心を感じ、その結果、悪魔に救われたと夾は思っていた。

 

「あんた等、ずっと悪魔と一緒だったんだろ?」


「まぁ、そうだね」


 そう大した期間じゃないけれど、と言うリュークだったが、それでも夾は考える。

 リオンの先程の言葉からも、ある程度の自信を持ちながら予想した。


「だったら、尚更、殺そうと思ってたら何時でも出来たってわけだ」


 それには、誰も否定できない。何せ、彼等だけでなくギルドで大人数の料理を作ったことだってあったのだ。

 天使軍を内側から攻撃しようと思えば、リサーナには簡単に出来たのである。

 だというのに、殺そうとするどころか笑い合い、協力し合い、あまつさえ説教さえ受けていた悪魔。

 リュークは、リサーナと語った雨の日の事を一人思い出していた。彼女は、どんな気持ちであの時の言葉を聞いていたのだろうか、と。

 反論したかったのかもしれないし、殺したくなっていたかもしれない。けれど、殺気が漏れることは微塵も無くて、リサーナは心から尋ねていた。


「救うって、何なんだろう」


 救おうとしたと言った悪魔。自分を、と付け加えた悪魔。

 自然と零れたその言葉に、夾がまた首を振る。世界を跨げば常識が違い、認識も違うだろう。

 「分からない」とはっきり言えるのは、夾が今までそこまでの感情を持ったことが無かったからだ。

 夢のきっかけも、アピスで勇者になろうと思ったのも、救いたいからでは無く助けたいと思ったからである。それは、似ているくせに違う言葉。


「でも、俺は悪魔に救われた」


 自身の掌を見つめれば、そこは僅かに震えていた。


「悪魔がただ楽しむ為だけに不幸を撒き散らしてるんなら、俺は刀の怖さを今でも知らずにいて、取り返しがつかなくなってから後悔したと思う」


 我を忘れて刀を振り下ろした時、掌に伝わった感触は本当に気持ち悪いものだった。噴き出した血の生暖かさや、傷口から覗いた肉や骨。思い出すだけで吐き気が襲う。

 何より、自分が殺意を持てたことが夾にとってはショックだった。


「もし、本当に悪魔だったなら、それを楽しいと思ってたんなら、それをわざわざ誰かに分けるような事をするわけないだろ?」


 強く拳を握った夾は、悪魔の出会った偽りの勇者じゃない彼自身の強さを瞳に宿していた。


「あいつは、俺を止めてくれたんだ。残酷な真実を吐いて、激痛を感じながら」


 黙って夾の話を聞いていた小隊の面々。その中で、イジドールが「優しさが目に見えれば、誰も悲しまないのかもしれないな」と呟く。

 夾も「そうだな」と、切なく笑った。


「ただ、だからって俺は悪魔を褒めたいとは思えない」


「それは、全員同じだよ」


 感謝はしている。けれど、許すつもりは無いし、許したいとも思わない。好きにはなれないが、嫌いになれない。

 矛盾しているが、そのままで良いじゃないかと夾は思う。


「……きっと、まだ間に合う」


 そして、何よりも悪魔に対し想った。


「まだ、止められるはずだ」


 例え、本人が後悔や贖罪の念を抱いていないとしても、そんな不器用な優しさも持っている悪魔に、これ以上罪を侵させないことは出来るんだと、夾は希望を持つ。

 何故なら、相手は夾のイメージにある悪魔では無く、正真正銘人間なのだ。ただ、だからこそ不安な点も、同じ地球人な彼にはあった。

 人を傷つけることを教え、その恐ろしさを身を持って知らしめたということは、本人も同じような感情を持ったということである。

 なのに、それを行い続けるということは、その嫌悪感を超える何かが悪魔にはあるのだ。


「覚悟って言葉は、恰好良いけどさ」


 しかも夾は、少なからず見当が付いていた。なにせ、悪魔と同じ目をした者を彼は知っているのだ。


「結局、人を突き動かすのは怒りなんだよなぁ。……悲しいけどさ」


 そう、それは原動力を怒りにしたもの。悪魔だけじゃない、天使軍も夾からしたら同じだった。

 悪魔がただ居るだけでは、その存在は生まれなかったはずである。

 戦争も反乱も、欲した側に対して欲された側が怒りを抱くことによって、平行線となり争いとなる。

 被害者が怒り、遺族が怒り、その数が膨れ上がって固まったのが天使軍。その戦いは、怒りと怒りのぶつかり合いでしか無い。


「だから、きっと、切ないことばっかりなんだろうな」


 それを迷いにさせない為に、誇りができたのかもしれないと夾は思った。だから、矜持を持つようになったのかもしれないと。

 そうしなければ、人は立ち続けられないのだ。弱さを強さに変えなければ――


「……相手は、分かってくれないかもしれないよ」


 望んだものの困難さを感じリュークは言うが、夾は立ち上がって力強く頷き深く頭を下げた。


「俺に、この世界のことを教えて下さい」


 誰もがその存在を疎み、排除するのを望む中、夾は止めることを選んだ。

 同じ世界から来た同胞として、「それでも、それは知っている俺達にしか出来ないことだと思うんだ」とアピスで生きる意味を見付けた。

 だから今、最も必要なのは、生きる術である。


 リュークは、その姿に心底優しい子なのだと思った。真っ直ぐにお人好しで、甘い優しさだと。

 何時から自分は、そんな感情を忘れてしまったのだろう。正義感だとか偉そうに構えたり、生活の為と切り捨ててきたり、そうやって失ってしまった愚かさ。

 イジドールも同じような事を考え、苦笑いで顔を見合わせた彼等は、「君達はどうする」と嘆く仲間に尋ねた。


「夾は、決めたぞ。お前達に出来ることは何だ? 泣き寝入りするつもりじゃないだろうな」


 イジドールの言葉に、ヴィストが瞳に押し付けていた腕を力任せに引いた。


「俺、は……」


「ぼ、僕はまた、リサーナさんと一緒にご飯を作りたいです! 手を繋ぎたい! リサーナさんの手、いつも冷たかったから……」


 しかし、言い淀んでしまったヴィスト。代わりに声を張り上げたリオンは、彼らしい優しい言葉で望みを口にした。


「それで、一緒に泣いてあげたい。今なら分かります。あの冷たさは、沢山悲しんでたからなんです。沢山、沢山、話を聞いてあげなきゃいけなかった!」


 潤む紫の懸命さに、夾はハッと顔を上げた。その後悔を、彼は聞いた事がある。そして、彼もまた抱いた事がある。

 ――もっと早くに出会って、俺は沢山話を聞いてやりたかったと思うよ。そしたらもっと、あの優しさを知ってくれる人がいたはずだから。

 頭の中に、嘗て言われた言葉を思い出した。

 ――泣きそうな顔してたのに、どうして俺は声を掛けるだけで満足してたんだろ。

 小さな背中を思い浮かべながら、夾は自分の後悔を思い出した。

 それは、自分が満足していたからだ。声を掛けてやってるんだと、心のどこかで優越を感じていたのかもしれない。

 「馬鹿だ、俺」と、今更になって再び後悔した夾は、その感情と共に「今度こそ」とさらに決意を深くした。


 そしてヴィストも、リオンの言葉に後押しされて笑った。


「じゃあ、俺は叱ってやる。リオンが慰めるなら、俺以外の誰がリサーナを叱るんだよ」


 止めて、叱って、慰めて。形は違えど、どれも想いである。

 三人は、誰からともなくリュークとイジドールの前に立ち、同時に言った。


「協力して下さい!」


 そして、答えを待つ。無言が部屋を包み、暫くして「はあー……」と、二つの呆れた深い溜息が零れ、若者達が肩を跳ねさせる。

 頭を下げていた彼らは気付かなかったが、リュークとイジドールは笑っていた。

 そして、イジドールが三つの頭を厳しく叩く。リュークが「言っている意味を分かっているんだろうね」と、その重さを確認する。


「世話になる身の俺が、贅沢を言っているのは分かってる」


「天使軍の隊員として、間違った選択なのは重々承知っす」


「それでも僕等は、知らないフリが出来る程大人じゃないんです」


 それでも、誰一人として引く様子は無かった。

 自分のしたい事と出来ない事を分かり、協力を求める懐の深さと図々しさは、こそばゆく愚かしく、輝かしい。


「まったく、頼もしい限りだよ」


「とんだはずれクジを引いちまったな」


 立ち上がったリュークは、豪快に笑うイジドールに肩をつつかれながら頭を掻き、勢いよく頭を上げた三人に頼もしく笑った。


「天使軍が悪魔を追うのに、決まった理由は必要か?」


 「明日から忙しくなるな」と、少ない時間でゆっくりと休めと言ったその背中に、三人の心からの感謝の言葉が響いた。

 知ったからこそ、抱けた想い。しかし、尚更抱く想いもまたあるのだと、三人は知らない。

 リュークとイジドールは、優しい心を温かく感じつつも現実を知る者として、彼等が止めて、叱って、慰めた後の役目を負おうとする。

 罪を侵したのなら、それ相応の罰を受けなければならない。悪魔の場合、それは既に、その命をもってしても償いきれない重み。


「あの時の言葉を、撤回するつもりも謝るつもりも無いよ」


 傷つくことを分かりながらも、知ったからこそ出来る役目を成し遂げるべく、彼らもまた駆けた。






 一時の仲間と、嘗ての知り合いがそんな決断をしている頃、その想いの行先である悪魔は僅かな休息を取っていた。

 人気の無い山に流れる小さな川の辺には、魚の焼ける香ばしい匂いが漂っている。


「こんな時だけ、雨が上がってもなぁ」


「助かることには変わり無いだろ」


 全身ずぶ濡れで、彼等は勇者との一戦を終えてから今まで、休まずテリエヌムに向かって移動し続けていたのだ。

 流石に身体が冷えきり、腹が空腹を訴えたことで、クランクとゼフにより半ば無理矢理休む事になったサイード。彼は、着替えをして外套を羽織ながらぼやいた。


「まあまあ。テリエヌムでは、不足してる物を買い足すぐらいで、直ぐに精石を壊すつもりなんだし。ここらで念の為、作戦会議も必要でしょー」


 サイードが脱ぎ散らかした服を腕に掛けながら、クランクが苦笑して彼を宥める。

 火の前に座ったサイードは、魚を豪快に咥え――たりはせず、洗った手ごろな大きさの葉の上に置いてちびちびと摘みながら、「作戦っていってもなぁ」と呟く。

 数口で止まろうとする手を何度もゼフが促しながら、彼等は一先ず精霊に情報を得てくるように命じようとして、言う事を聞かなくなった現実を再び実感した。


「怒ってるねー、大分」


「そりゃあ、思う様にいかないからだろうよ」


「しかし、そうなるとだ」


 だが、それは良い兆しでもあった。

 彼等の見据える本当の敵に対し、確実に勝機が傾いていることを示している。

 当然、絶対の味方であったはずの精霊が牙を向いたことで、新たな障害が様々出てきてはいるが、それでも彼等は喜びにほくそ笑んだ。

 それに、こういった事態に備え、元々サイードの剣は存在している。


あいつ(・・・)の自称完璧なシナリオが、崩れてきてるって証拠だな」


 それに頷く仲間2人に見守られながら、サイードは右手の指輪を薄暗い天に翳した。


 そして彼等は再び地を蹴り、その三日後の早朝にテリエヌムへ到着する。

 午前中は、街を歩いて必要な物を買ったり、可能な限り情報を集めてと忙しく動いたサイードだったが、午後から陽が沈むまでの間は、戦いに備えて静かに眠った。

 

 目を覚ました時には、激しい雨がまるで血を流せと言うように降り注ぎ、そうして深夜、悪魔は聖殿に姿を現したのである。


 様々な再会が、そこには用意されていた――








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