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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第六章:捻くれX予想外=やりすぎ
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残酷な悪魔と優しい勇者







 悪魔から出た救うという言葉。あまりに似合わないそれは、全員に到底受け入れられない。それだけの所業の数々をしてきたのだから、当然だ。


「ま、それがメインじゃないんだけど」


 リサーナは、誰かに否定される前に自分から肩を竦めて言った。

 しかし、勇者はともかく他の者達は、恨みや恐怖様々持っているのだ。

 せせら笑っている風にしか見えず、一歩リサーナが足を踏み出そうとした瞬間、彼女の頬に赤い線が走った。


「……痛いんだけど」


「動くな」


 勇者のお付きの弓使いが、牽制として矢を放ったのだ。更にすぐさま、新たな矢が構えられる。

 それでもリサーナは、その態度を変えようとはしない。


「殺す気なんて無いくせに」


「何を根拠に」


「そうね。天使軍の彼等は、殺す気はあるかもしれないけど。でも、その力が無い。そして君達は――」


 瞳を夾に向け首を傾げ、嘘だらけの言葉を吐く唇は弧を描く。嘘を放ち続ける瞳は、同じ匂いに気付き易かった。

 そして、嘘を見抜き、真実を言葉にする。その威力を、恐れるが故強大だと知っているのだ。


「私を、殺せない。特に夾くんは、ね」


「どういう、ことだ」


「ふふ、さっきからそればっかりですよ? リューク小隊長」


 否定をせずに唇を噛んだ勇者。

 代わりに問うリュークは、リサーナが振り返った時、それが本当の姿だったのだと悟った。

 冷たい瞳、親しみを込めながら吐かれる空虚。もう、小隊の牽制を担っていた弓使いはいない。

 リュークの剣から、迷いが消えた。


「そう、それで良い」


 リサーナもそれを見て、これで本当にやる事はすんだと頷いた。ここからは、逃げる戦闘を始めるだけである。


「夾くんの世界はここじゃない。だから、帰りたいと思って当たり前でしょ」


「……その為に、あんたを捕まえる」


 夾は否定することなく、寧ろその為に悪魔に用があるのだと言った。

 ということは、だ。お人好しだから勇者でいるのではなく、帰る為に彼は刀を持ったのだ。

 悪魔を捕まえたところでどうにもならず、帰る方法などどこにも無いと知らないままで――

 だからリサーナは、悪魔を捕まえたその後を聞かない。その代わりに、全員に向けて忠告する。特に、死を知らない偽りの勇者に向けて。


「リューク小隊長、言いましたよね」


 今日の様に、雨の中でもがれた翼の痛みを思い起こしながら、腕を組んで幾つもの武器を哂う。


「でも、俺には対抗する術が無いから、それは相応しい人に任せるって」


 その言葉にハッとするリューク。

 とうとうリサーナは、どちらかに背中を向けるのを止めた。

 身体を横にし、左右に視線をやりながら、張り付け続けていた仮面を剥がす。冷たい柔らかさを持つ笑みをスッと引かせ、長く伸びた濡れて鬱陶しい前髪をかき上げる。

 隠れていた右目が、そうして姿を現した。


「その通り。お前等じゃ、止める事もましてや捕まえる事も、出来るわけがない」


 武器は持ち主の心がどうであれ、等しく傷を付ける道具でしか無い。だからこそ、使い手に左右されると言われるのだろうが、切れる刃を持つ者にとって切れない刃に哂いしか生まれない。

 サイードの右手が、愛剣を握った。


 張り付く白いシャツがその身体の線をくっきりと映し、サイードの持つ雰囲気がそれにより不気味さを増す。

 突然の変化だったが、悪魔だと分かって対峙しているのだ。夾以外、これが悪魔なのだと思い、その可笑しさを当たり前に受け入れた。


「なん……だよ、これ」


「失礼だな。せめて、誰だよお前って言えよ」


 鬱陶しすぎるのか、剣を片手に前髪も含めて耳から上の髪を纏めながら、サイードは「ちなみに、多重人格じゃないから」と夾だけに分かる言葉で告げた。


「そして、リサーナでもない」


 意味が分からない、と困惑して当然だ。

 そんな夾を無視して、サイードは刀が羨ましいとえらく暢気であった。日本人の男の子にとって刀はロマンだと笑ったところで、誰がそれに乗ってこようか。


「あ、ちなみに俺はサイードね」


 そして、思い出したように左手を挙げてリュークに向けて自己紹介する。

 目を見張る小隊の面々。その名を知らない天使軍などいやしない。調査部隊が今、この瞬間も、必死に探している者なのだから。ただし、破罪使の仮初の姿として。

 リサーナを知り、到底結びつかないサイードと出会った彼等は、考えたところで予想もつかない疑問を抱いた。

 全てが同一人物なのか、それともリサーナ達は破罪使の仲間なのか。そういったものだ。

 だが、それを問おうとした時、サイードが髪を纏め終わって軽く頭を振り剣を構え直した。身体からは、戦いを生む闘志が漂い始める。 

 サイードが持つ自身すら傷つけてしまいそうな鋭利な瞳は、夾にだけ向けられた。

 そして、リサーナでは決して言えない現実を、唐突に遠慮なく、笑いながら言ったのだ。


「そうそう……。悪魔を空の国王の前に引き摺って行った所でお前、帰れないからな」


 柄頭で揺れる翼が鎖を鳴らし、足には軽快な風が乗る。黒い瞳が限界まで開かれて言葉を失う中、サイードの右肩が後ろに引かれた。

 突然の真実と行動に、全員の動きが遅れる。刃は勿論、矢も的外れな場所へ刺さるだけだ。


「夾!」


「勇者様!」


 同じ地球人同士が武器を持つ。同じ故郷を持ち、同じ常識の上で歩いてきた者達ではあるが、両者には知っていることに差がありすぎた。嘘への慣れ方が違った。

 腕で言えば、夾は親が警察官だったこともあり、幼い頃から剣道を習い真剣を扱う技術さえ持っている。

 だが、真の剣はどちらかと問えば、残念ながらサイードの方に分があった。精霊の扱いをとってもだ。


「クランク!」


「はいはーい。外野はまかせてー」


 サイードが地を蹴った瞬間、それでもなんとか周囲が慌ててカバーに回ろうとしたが、それは彼等にとっては予想だにしない悪魔の仲間によって叶わない。

 クランクは、サイードが声を掛けた途端軽やかにその隣へ姿を現し、リサーナが今日まで使用していた弓を用いて足止めをした。

 ふわりと膨らむ水色の髪。殺意こそ無いが、正確に全員の足元へ放たれた矢とクランクの美しさに動きを封じられた外野の前で、サイードの剣が夾を襲う。


「っ――!」


「地球からアピスに渡ることでさえ、偶然以外に方法は無い。まして、アピスから地球に戻るのは、どんな犠牲を払っても無理だ」


「嘘だ!」


 今までの経験が、無意識に夾の腕を動かし、振り上げられた剣を刀で受け止める。腕には精霊の加護を施しておらず、サイードの攻撃はかなり軽かった。

 しかし、急襲であった初撃をなんとか防いだ夾だったが、その後に続いた容赦ない蹴りを脇腹に受け、濡れた地面に倒れて激しく咳き込んだ。

 それでも、その痛み以上に衝撃的なものによって悲痛な叫びがその場に響くのだが、サイードに慈悲など無い。


「嘘じゃない。お前は、空の国王に利用されてるだけだ」


「嘘だっ!」


 殺気など知らない睨みが、拒否をしながら注がれる。

 肩に剣を置いてそれを見つめたサイード。どうしてか一旦夾との距離を開けた彼は、クランクに預けていた荷物の中から黒の外套を取り出して纏いながらもう一度、今度は笑いすら収めて言う。

 同情も優しさも、何も抱いていない視線は、それでもしっかり夾へ向いた。


「この世界にいる地球人の誰一人として、帰ることは不可能だ」


 夾にとっては自分を考えるので精一杯だったが、他は動けないからこそ良く頭が働いた。

 悪魔の言った、悪魔として降り立ったという言葉。それに今の発言を混ぜれば、一つの驚愕に辿り着く。

 故に、息を呑んだのは夾だけでは無かった。そして、代表してイジドールがそれを問うた。


「では、貴様は自分から……」


 サイードは答えはしなかったが、チラリとイジドールに視線を向けて微かに笑った。

 それが肯定だと誰もが思い、リュークは受け入れられないままに大きく叫ぶ。

 思わず出た足は、涼しい顔をしたままのクランクに再び止められたが、リュークの剣が震えるのは怒りと悲しみ。アピスの人間の叫びが、彼に集結した。


「だからって! 今までのお前の所業を見逃せとでも言うのか!? 何が救うだ、悪魔のくせに!」


 止まないスノーノイズ。それを発する大きい雨粒が、僅かに顔を上げたサイードの額を容赦なく叩く。

 戦いが始まりかけている最中、おもむろに瞳を閉じたその唇はやはり上がっているのだが、その表情はこれまでで一番柔らかい印象を与える気がした。


「そうなんだよなぁ。自分で言ってたくせに、俺も馬鹿だわ」


 隠れた自惚れにまだ気付いてなかった頃、何処にでもある酒場でゼフに言った言葉。雨と雪の正体を思い出して笑いながら、守る想いと救う志を語ったのは他でもないサイードだった。

 なのに気付かなかったその事実。心とは本人にさえ理解不能なのだと知ったのは、リュークと出会ったからこそだ。


「救うという言葉は、自分(・・)にだって使えんだよ。だからこそ、自己満足。だから俺達は悪魔。お前等だって、悪魔予備軍だ」


「ふざけ――」


「それは、こっちの台詞だ」


 サイードのその言葉を、リュークだけじゃなくヴィストも罵倒しようとした。

 しかし、それは冷たい音に遮られて続かない。未だに瞳を閉じたまま、サイードは静かに続ける。


「じゃあ、勇者様は何故勇者をやってる? 自分が帰る為だと、本人がさっき言葉にしなくとも言っていただろうが」


「それでも、彼はこの世界を救う手助けをしながらではないか!」


 夾のお付きは彼に構うのに必死で、サイードとの応酬は天使軍が担っていた。

 イジドールの突っ込みは当然で、だからこそ勇者は敬われるのだが、残念ながら彼等の言う世界はそのものじゃなく人間の社会を指す。

 サイードの唇から、白い歯が見えた。


「自分達に都合の良いものじゃなきゃ、救いにはならないって? あぁ、そうだよな。だから俺達は、自分を救おうとしてんだよ」


 ゆっくりと首が通常の位置へと戻り、閉じられていた瞼が金色(こんじき)を魅せる。

 それは、リュークやイジドール、ヴィストに向けられない。「お前は賢いって、リサーナが言ってたな」と、雨に濡れる子犬を捉えていて、リオンは震えていた。

 声にならない声を唇から漏らして、頭を抱えながらサイードを見ていた。


「……リオン?」


「へぇー。流石あの子、俺の眷属の中でも力を持ってるのと契約してるだけあるね」


 サイードが意識を向けて初めて、リューク達もリオンの様子に気付き声を掛けるのだが、彼はクランクを凝視している。

 クランクは察したのか、サイードと同じように感心しながら面白そうに笑った。


「リューク、さん。違う、違ったんです! 僕達は、大きな間違いを――!」


 世界を救う為と言ったリサーナ。彼女は、精霊が何故重要なのかと彼等に尋ねていた。

 そして現れたクランクという存在は、その姿と魔力は、勤勉なリオンにある者を彷彿とさせる。

 水色の髪と瞳。逸脱した美。圧倒させる程の魔力も、人間にはそれこそ魔術師の頂点でさえ辿り着けないと感じる。

 契約する精霊の力が増している事を、魔術師は全員感じているのだ。ただそれを、自身の鍛錬のお陰だと勘違いして不思議に思わなかっただけなのである。


 リオンは、クランクに恐怖しながら、精霊の気配がするという勇者の言葉を思い出し、サイードの中のリサーナに涙する。

 そうして、可愛らしい唇は言った。


「彼には、彼は、精霊王様と契約しているんです!」


 神よりも近い神に君臨するその存在と契約しているということは、世界を担っているのと同義なのだと、位置付けた人間が誰よりも知っていた。

 リオンの言葉を呑み込めない者達に、神の一人は言う。「だから、救うのは自己満足なんだよ」と。恐ろしいほどの優しい微笑みと共に。


「そんな悪魔に、お前等はどう動く? 理不尽を自分で処理できないただの人間な悪魔に、この世界を成り立たせる精霊王を従える人間な悪魔に対し、その罪をどうやって突きつける?」


 そう問い掛けながらも、サイードは思った。抗い続けろと。

 それは、彼等が出来なかったこと。理不尽に負け、自分に負けた敗者の望みを、人は選んでくれるのだろうか。

 サイードの視線が夾に戻れば、彼は全身に風を纏い鋭い視線を向けていた。

 それを受け笑えたということは、嘘の物語が終わりかけているのを示している。黒幕も真実の一つに気付き、精霊の救世主はただの邪魔者に戻るのだ。


「さて、柊夾。勇者じゃないお前が、武器を持つ理由を教えてもらおうか」


 夾は、お付きの手を離れゆっくりと立ち上がり、精練された構えをもって刀を向けた。

 サイードも受けて立つと構えるが、強気な態度とは裏腹に眉間に若干皺が寄る。その足を軽快にさせていた加護が消えたのだ。彼とクランクは、同時に頷いて思考を共有し、直ぐに柔らかなクランクの力が注がれる。

 精霊王が寄りそうサイードに対し、精霊が加護を与えるのを唐突に拒否したのだ。何故、と聞いたところで理解不能な言葉しか返ってこないだろうが、どうやら彼等の様子から予想していたことなのだろう。

 

「クランク。お前が居てくれて、まじで助かったわ」


「ほんと、現金な子だねぇ。でも、ふふ、意外と悪くは無い」


 動いたのは、一体誰なのか。羽根が音をたてながら揺れる。

 クランクが精霊王だと知れ、夾以外は動くに動けない状態だった。つまり、逃げる邪魔をするのはたったの一人。


「あんたが……」


「なんだよ」


 夾の表情にお人好しさは微塵も無く、サイードに対しての感情だけがそこにはあり、どちらが先も無く両者同時に地を蹴り火花が散った。


「あんたが言わなければ! 俺は頑張れたのに!」


「はっ! 事実は事実だろうよ」


 上位の精霊と契約している夾の剣戟は強く、クランクの補助を受けたサイードの腕をもってしても痛い痺れが背中を走る。

 刀に纏う風そのものが、武器を合わせた途端に武器となり襲ってくるが、それはサイードの剣が真価を発揮して貪り喰う。それでも押し負けたサイードの身体が飛ぶが、彼は剣を放す事無く上手い具合に受身を取って地面を滑った。

 流石勇者だとの煽りに夾は血走った眼で迫り、何度も何度もお互いの武器が交差する様子は、今までのどの戦いよりも真っ向勝負で白熱している。

 刀は何度も振り下ろされ、構えの独特なサイードの剣は何度も横に振られ。それはまるで、贖罪のクロス。

 

 しかし、周囲が傍観し続けてくれるわけでは無い。夾の仲間の弓使いが、クランクの動きを窺いながらひっそりとサイードに矢を向けていた。

 丁度、サイードは背中を向けていて気付いていない。

 そして、キリキリと的はしぼられて、矢から指が離れ一直線にその背中へと迫る。


「リサーナ!」


 思わず叫んだのはリュークだった。本当に思わずの行動で、彼は自分に驚く。

 気付いていながら止めなかったクランクは、驚きもせず動きもせず、黙って微笑むままだ。

 勇者との接近の知らせをやってから、急いで戻ってきていたもう一人の裏切り者の気配に、クランクは気付いていたのである。


「邪魔をするな」


 その矢を、サイードの背中ぎりぎりで止めたのは、別行動を取っていたはずのゼフだった。

 クランク同様突然現れた人物に驚く周囲を他所に、サイードと夾は武器を交わらせ続ける。


「他の戦いであれば、どれだけ邪魔してこようと構わん。だが、これだけは誰にも邪魔をさせない」


 パキリとへし折られた矢を地面に落としながら、深緑の外套とフードでその全貌を隠すゼフが低い声で脅す。彼が来たことで、サイードの剣にも風が生まれた。

 だが、王がいるというのに、眷属でしかない夾の精霊の力が弱まる様子はまったく無い。


「お前の出した答えだと受け取っていいんだな? ゼフ」


 驚きそうな悪魔側はそれでも承知済みだとあっさり流し、背中越しにサイードが問い掛ければ、ゼフまでもが静かにフードを落として顔を晒した。

 そこには、不器用に笑う翡翠が光っていた。


「あぁ。私は、お前達の行く末を見届けたい」


 それに笑ったサイードは嬉しそうで、そこに(しがらみ)は無い。

 海の国の呪いの島で生まれていた、ゼフとクランクの葛藤に答えが出たのだ。各々が、自分で選んで築き上げた関係が完成した。

 夾の剣を弾きながらサイードが、「なら!」と背中を2人に託したのが何よりも証拠である。


「外野は任せるぞ。裏切り者同士、最高な悪魔になろうぜ」


「俺を無視して、楽しそうに話をするな!」


 理性を失う夾を他所に、余裕とは言えない状態でのサイードの言葉により、ゼフとクランクが初めて自身の武器を抜く。

 翡翠に輝く風で出来た剣と、煌く水晶の弓。人間では決して習得できない雰囲気を纏う2人は、軽い睨みだけで6人の人間の足を後退させる。

 サイードはその様子に安心し、全ての意識を夾だけに向けた。


「大丈夫だって。お前に集中できるように場を整えただけだ」


「お前の都合に俺を巻き込むなよ!」


 夾の魔力は留まることを知らず、大きな力となって刀に込められ続け、彼を勇者に縛ろうとする。

 もう一度剣をぶつけ合った二人は、後方に飛んで間合いを取った。

 正面を向く刀と、地面を向く剣。構えも見事、両者の姿勢を体現している。


「それを言えば、俺を捕まえるのもお前の都合だろ」


 重くなる髪の水滴を飛ばし、「俺は知っていることを言ったまでだ」と真実を軽く言うサイード。冷静なその姿とは違い、夾は「それでも俺は知りたくなかった」と悲しみと怒りに叫ぶ。

 両者ともが優しいと思うのは、盲目なだけだろうか。

 夾の目指した選択は、空気を空気のままで掴もうと一生を掛けて努力するようなものだ。その手が掴めるのは、物体だけであるというのに。

 誰かの幸せも作ろうとしながらだから褒められただけで、そして、他人を放って置けない夾の性格は優しい。

 だが、リサーナやサイードの現実を突きつける行為もまた、優しいと言えないか。

 無駄だという事実と利用されていたという事実。それを知れば、別の道を選ぶきっかけが出来る。理不尽への抗い方は、何もその術を模索するだけとは限らないのだから。

 むしろ、理不尽に翻弄されて理不尽のまま生き様を狭めることこそ、後の後悔が大きいとサイードは思うのだ。


「知らないままは、確かに幸せだ。だが、俺はただでさえ理不尽な状況に陥っているお前が利用されているのを知っていて黙ってられる、優しさってやつを知らないんでな」


「そんなの、フィロを知らないお前に分かるわけが無いだろ!」


 感情が爆発し、素早いスピードでサイードに迫った夾。剣の刃を寝かせ構えるサイードの姿に、言葉とはどうしてうまれたのかと悩んだ。

 ただの声じゃない、様々な言葉達。意味のあるそれらはきっと、見えない心を視たいが為に出来上がったのでは無いだろうか。

 きっかけは、とても原始的だったかもしれない。単純な意思疎通を求めていただけなのかもしれない。それでも、分厚い量に及ぶ言葉は、唯一心を映す。

 だが、だからこそ偽れるし不完全だ。いくら愛を囁き続けても、温もりが欠ければ不安を抱くし、事細かに告げたとしても届かない時は届かない。

 もし、サイードがその真実を告げないまま、仮に夾が彼を空の国王の前に引き摺って行けば、きっと悲しみのままに何も残らないであろう。

 逃げ続けても、お人好しなその心は利用されるだけ利用され、気取られた優しさに操られるがままに汚され続ける。今の夾は、叶わない望みのままに生き方を決められた状態。

 ただただ、将来に悩み、人間関係に悩める環境では無いのだ。

 ならば、せめて夾が夾らしく居られる環境であって欲しいと願う心が、サイードの放つ言葉の中には確かにあった。


 そして、夾の全身から風が吹き荒れ、周囲から二人の姿を隠した。














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