小さな迷子は大きな迷子
結局クランクにとっては謎のままだった女の店から出て、2人は出店が立ち並ぶ広場のベンチに腰を下ろしていた。
とはいっても、穏やかな雰囲気は微塵も無く、珍しくクランクが不機嫌さを表に出してリサーナを睨んでいる。
「で? 説明してよ」
「往来で出来るようなもんじゃないでしょ」
しかも、抜け抜けとそんなことを言うものだから、怒鳴らずに耐えたクランクの忍耐強さに脱帽である。
代わりに、水色の爪が目立つ指は中空で円を描き、彼はこれなら良いでしょと目だけ笑わずに引かない。
これ以上は、流石にまずいとリサーナも感じたのか、手に持ったままだった黒いカードをクランクに渡しながらベンチの上で膝を抱えた。
丈が長いとしても行儀が悪いのだが、道行く人々は気にも留めず、音だけじゃなく認識阻害の結界も掛けられているのだろう。
「……何が聞きたいの」
「全部」
リサーナは、視線を合わせず出店や人を観察しながら言う。間髪入れずの返事に、深い溜息が漏れた。
「仕方ないじゃない。サイードは元々考え無しだし、ルシエも悪魔狩りが成功してからは、自分から目立とうとする始末。でも、大地の国から脱出するのに派手な事したら、追っ手が酷いことになる」
「それは分かってるよ。相談無しに1人で動いてたことに、俺は怒ってるんだ」
美味しそうな一口サイズの菓子を売る店に、リサーナの視線が縫い付けられた。それでも意識はしっかりと話に向いているので、クランクも特に咎めはしない。
そう、そもそも脱出するのも強行突破すれば良いだけの話なのだ。ただ、それができるならの話で、出来ないから彼等はヴァシキナーゼに居る。
天使軍にしても大地の国の騎士にしても、あまりに数が多すぎるのが問題だった。
好き勝手暴れるのは楽だ。そして、結界に穴を開けるのも、分け与えられた精霊王の力を使えば可能である。
ただ、それをすればかなり消耗することになり、問題となるのが逃げ続けること。
ゼフとクランクが交互にルシエを抱えて道中進んだとしても、現在世界中の到る所に存在する天使軍に鉢合わせでもしてしまったら、本人が動けなければ万が一もあり得る。
「だって、1人の方が身軽じゃない」
「もしもの時はどうするの」
「その時はその時よ。でも、それを防ぐのがリサーナの役目なの」
汚れるのも構わず、靴先を無意味に掴んで手遊びをしながら、リサーナは唇を尖らせた。
何やら、いつの間にかリサーナとクランクが親密になっている気もするのだが、これも只のフリなのだろうか。
クランクは、目の前の旋毛に自身の手を置いて「それで、計画は」と聞いた。
例え怒鳴って叩いて、そうやって言い付け様としたところで、彼女も彼等も聞きやしないのだ。必要だと判断すれば、きっと全員が炎の中に飛び込む事を厭わないだろう。
だとすれば、自分がそうさせないように動くしかないのだとクランクは再度心に刻む。
「そもそも、この結界から出れないのは私達だけでしょ? そして、現在自由に動けるのは天使軍のみ。だったら、そこに潜り込めばいいじゃない」
「簡単に言うけどねぇ……」
「だから、そこで軍証が力を発揮するのよ」
そう単純に事が運べば悩んだりはしないと、クランクは難色を示すのだが、それに反してリサーナが自信満々に彼の手にある黒いカードを示した。
それは、本来天使軍所属の者だけが所持する軍証である。自身の魔力を込めることで、名前と年齢、出身国に所属部隊、登録コードと所有武器を示すとても単純なもの。
急ごしらえであった為、初期のものは偽造防止が甘く、然程それ自体は難しい事ではなかった。
難しいのは寧ろ、軍に潜り込むことである。だが、その点をクランクが指摘すれば、あっけらかんとリサーナは言った。
「大丈夫。ここのギルドに忍び込んで、書類をすり替えといたから」
「……はい?」
「天使軍、鎮圧部隊所属、弓使いリサーナ。明後日付けで雷の国へ出立が決定しております」
どうだ、と言わんばかりに笑ったリサーナに、クランクは今度こそ開いた口が塞がらなかった。
結局、彼女が1ヶ月もの間足止めを食らっても焦る事無く冷静でいたのは、この手段が一番今後に支障を来たさないと判断したからで、でなければ光風の便り亭の時と同じように歯噛みしていたのだ。
ギルドに忍び込むのも、軍証の偽造についても、それに宛てた期間だと考えれば彼女自身納得がいき焦りも湧かない。
「面接とか、諸々の手続きとか、あったんじゃないの」
「それはほら、水は幻術のプロフェッショナルじゃない?」
つまり、クランクと暢気にデートしていると、宿で大人しく待機していると見せかけ、常にアクティブに動き回っていたということか。
確かに水の精霊は幻術を使えるが、使われていることに気付かなかったことがクランクにとって大問題であった。
腐っても彼はルシエの契約精霊という立場である。で、あれば、常に魔法の使用を許可しているとはいえ、自身の力が使われれば少なからず気付くはず。
それが無かったということは、それだけルシエの魔力の扱いが繊細を極めているということだった。
「どうやら私、魔力のコントロールだけは上手いみたい。気付かなかったでしょ」
いや、正確にはリサーナのみが、というのが正しい。
ルシエは自身の魔力容量を知りながら、限界というものを考えない。そして、サイードは何故か極力魔法を使わない。使ったとしても加護と変わらない程度で、戦闘は指輪の剣を主流に戦う。
そこに意味があるのか定かではないが、とにかくだ。リサーナは、めったに出てこなかった分、攻撃よりも影で動くのがサイード以上に上手かった。
勿論、幻術でクランクを誤魔化そうとすれば、流石に彼も気付いたであろう。逆だったから、気付けなかったというわけだ。
「水の人形って、使い勝手が良すぎて。瞳に遠見の鏡をリンクさせれば、遠距離から動かせたしねー」
ふふ、と楽しそうに笑うリサーナの掌には、そう言いつつ小さな水晶がいつの間にか現れていて、そこには見慣れぬ人の顔が映し出されていた。
「……今も、使用中だったのね」
がっくりと項垂れ、精霊王としての何かを失い掛けるクランク。そんなのはお構いなしだと、リサーナは自慢気に語る。
曰く、水の人形というのは幻術の応用であり、蜃気楼の類とはまた違う鏡のようなものらしい。術者の望む姿を取り、本来であれば魔力の糸で操る人形。
リサーナはそれに加え、違和感を感じさせないという認識阻害を施し、尚且つ相手が想像する態度を取ったと勘違いさせる幻術まで掛けていた。
要するに、水の人形は実際には無表情で突っ立っているだけで、話す事も聞く事も出来ない。しかし、「おはよう」と言えば「おはよう」と返ってくるだろうと相手が無意識に思っている事を、言ったと勘違いさせる幻術によって、その場を成り立たせているのだ。移動などの単純な操作も、幾つかの魔法を併用することで、自律とはいえないまでも可能だった。
しかも、聴覚の無い人形の代わりに、重ね掛けした風聴きの魔法により術者がそれを受け取る。簡単に言えば、盗聴である。
「いやー、幻術のお陰で結構放置してられるんだよ、これ」
実際、その一体に掛けられている魔法はかなり多く、だからこそバレずに今も活動できているのであろうが、そうだとしてもそれはかなり規格外であった。
「だろうねぇ。君達じゃなきゃ、まず不可能な魔法だしー」
クランクの言う通り、属性の違う魔法が使われている時点で、それはルシエ達以外に使える者はいないだろう。
術者が違えば魔力の質が違う。その時点で、どれだけ心通った相手同士であれ、決して馴染むことは無い。
気負っていた自分が馬鹿らしくなったのか、クランクはベンチの背に身体を預けながら空を見上げた。
「その魔法、一日じゃあ完成しなかったでしょー?」
「うん」
そして、様々な事に納得しながら、やっぱりリサーナも自身を省みていないのだと悟るが、それでも彼女はあの中で一番人間を失っていないのだ。
「だかーら、最近反動の来るペースが早かったのかー」
「いやぁ、集中しすぎて抑え込むのを忘れちゃう時があったからね」
ベンチから足を下ろしたリサーナは、無意味にそれを揺らしながら前を見据える。
水晶――遠見の鏡を消した手は、身体の横に置かれていた。
「お願いだから、せめてサイードとリサーナは魔法使わないでよ」
偽りのカップルは、足元に寄ってきた鳥に目もくれず、それぞれが思い思いの景色に視線を向ける。
口調は何て事ない感じを装うが、それでも切実な訴えに、リサーナは唇を舌で濡らした。
「そもそもが、既に3人の精霊王に魂を喰われてるんだし。食い止めるよりも、間に合わせる方向で頑張るよ」
「俺と風が、絶対にさせないから」
「応援しとくー」
魂の侵食。ルシエが出会った大地の精霊王は、陽と同様にその姿を表すことは無く、交渉の余地無く力のみの契約を結ばざるを得なかった。
それにより、魂には3人の精霊王の力が渦巻いていることになり、海の精霊王は別として、ルシエにあまり良い感情を持っていないらしい陽と大地の力は、容赦なく暴れまわって負担を掛けている。
魔力抵抗値が高かった頃のように、その2属性の力を使えば体力がごっそりと奪われるなんてのは序の口だ。魔力をコントロールしようとしただけでも、吐き気や頭痛に見舞われることもあり、もしかしたらそれは、その2人の精霊王が故意に引き起こしているとも限らない。
好意的な海の精霊王の力が無ければ、寝込んでいても可笑しくはないだろう。
彼等はそれを反動と呼んで、クランクとゼフは特に気を付けて観察している。決して不調を訴えないリサーナ達が、無理をしないわけがないからだ。
そして、喰われ続けるルシエの魂であるが、今の所は河内紗那の人格の残骸が消えていっているだけだと本人は言っていた。
その言葉が、どこまで本当か知る手段も無いのだから信じる他無いのだが、少なくともアピスに来てからの記憶と自身が異世界人だと覚えているのは確か。出来るだけ、通常の契約を結ぶしか回避する手段は無い。
とはいっても、それも精霊王の意思に左右されるので、ルシエにもどうしようもない部分があるからこそ、先程のリサーナの言葉に繋がるのだろう。
渋い顔をするクランクだが、そういった理由でリサーナを責めきれなかった。
そして話は、先ほどの女についてへと変化する。
悪魔崇拝。それは、言い変えればルシエを崇める者達の事である。
様々な理由で、国や精霊そのものに反感を持つ者達が勝手に作り上げた思想で、悪魔は世界を正常化する存在だと訴え、その行動は各地で目立ち始めていた。
悪魔狩りの被害者を救い、そして囲い、天使軍の妨害をしたり、怪しげな集会を開いてはルシエに見えようとしたり。
本人は、くだらないと無視しているのだが、人間にとっては新たな問題として上がっているのだ。
悪魔狩りを阻止する点では、寧ろ褒められるのだろうが、中には生贄と称して人を殺し、怪しげな術を使ったりもする。そんなことをしたところで、悪魔が召還できるわけは無いのだが、犠牲になる側はたまったものではないだろう。
「言ったじゃない。彼女は、情報屋で武器屋をやってるって。悪魔崇拝は、ジョークだよ。ジョーク」
「だけど、こんな依頼をしたら、万が一もあり得るでしょ」
軍証を示せば、リサーナはそれは無いと断言した。だが、根拠があるとは思えず、クランクは信用が出来ない。
「……殺した方が無難じゃない?」
「わー、まさかクランクからそんな言葉が聞ける日が来るとは」
クランク自身、出来ればそんな事を考えたく無いのだが、優先順位は既に定まっている。
で、あれば、1人2人の犠牲は止むを得ないことだと割り切ろうとそう提案した。しかし、本人は実にあっけらかんと茶化すのだから、彼は思わずその頭を小突く。
「いたっ! もう、念の為精霊に監視をさせてるし。それに、彼女は殺したら逆に不味いよ」
「そんなに有名な情報屋だったりするの?」
派手な娼婦にしか見えなかったと言うクランクに、あながち外れじゃないとリサーナが笑う。
リサーナをお嬢と呼んでいたあの女は、情報屋としての腕も有名だが、それ以上に顔が広いそうだ。
「そもそも、どうやって見つけたのさ」
「精霊ってのは、隠密にほんと便利だよね」
それだけで説明が付くのが悲しいと、精霊王クランクは嘆きつつ。どうやらリサーナは、精霊に口が堅く腕も確かな偽造に長ける者を探し出して欲しいと頼んでいたそうだ。
そして、該当したのがあの女だった。
「他にも、娼婦、酒場の女将、貴族の愛人でしょー。後、暗殺者とか色々な顔を持ってるらしいよ」
指を折りながら何の気無しに言いながら、「凄いよねー」とリサーナは言う。
どこの時代、どこの世界にも裏に顔が広い者はいるが、そうなれば彼女の考え通り信用して大丈夫であろう。さらに、殺す方が危険になる。
そういった者は、金で対立しない限りまず口を割らない。腕は勿論だが、信用無くして生き残れない世界だからだ。
「女の子って、どうしてこうも強いのかねぇ」
「あははー。男が単細胞なだけじゃないの?」
笑うリサーナだが、それはきっと弱さを知っているからだとクランクは思った。
例えばルシエが、全てを凌駕する最強だったら、既に死んでいたかもしれない。精霊も精霊王も頼らず、驕りの塊として呆気なく討ち滅ぼされていただろう。
弱いから工夫し、弱いから忍び。それは、どの生物でも持つ生き残る知恵そのものだ。
ただ、リサーナ達は生き残る為にそうしているのではなく、死に場所を決めているからそれを果たそうとしているだけで、だからこそ危険を孕む。
再び、菓子の店に視線を釘付けにし、物欲しそうに眺めている姿は普通の少女に見えても、サイードの右目が見る死の世界を彼女も視ていて、肉を断つ感触や血の生温さを感じているのだ。
「あ、ゼフが明日には戻ってくるってさ」
そんな事を思いながらリサーナの横顔を観察していれば、彼女がクランクに視線をやって悪戯妖精がもたらした報せを告げた。
ハッと、笑顔を作ったクランク。彼は浮かんだ考えを消すように伸びをして、悟られないように誤魔化した。
「にしても、一体何を調べてたのかねぇ」
居なければ、居てくれればと思うというのに、戻ってくると聞けば微妙に面白くない。そんな自分勝手な感覚を隠しながら、クランクはわざとらしく零すのだが、リサーナにはお見通しだ。
子供みたいだと笑いながら、彼女は肩を竦めた。
「さぁ? 最近、精霊が騒いでる原因でも探ってんじゃない?」
広場を見渡しながら「ここもそうだし」と言った途端、彼等は不思議な光景に気付いた。
とある屋台の近くで数人が溜まっていたのだが、大人ばかりのその集団全員が、おろおろと焦りながら何かを必死に宥めようとしているのだ。
「……騒いでるね」
ふざけていると思える言葉だったが、クランクもそう言いながら真剣な目でそこを見た。彼には眷属しか分からないが、騒ぐ中にその水の精霊も居た為、静かに王として何事かと問う。
しかし、意思を受け取ったことで更に頭を捻るのだが、リサーナはまた違った険しい表情で何かを必死に観察していた。
「精霊は何て?」
「何かが興味をひいたらしくて、騒いでるっていうよりはしゃいでる」
ただの騒ぎなら放っておくのだが、精霊が興味を持ったというのが彼等に引っかかった。
現在、5人の精霊王が目覚めた事で、本当であれば素質のある人間にはその姿が見えて当然なまでに世界は安定してきている。
しかし、ルシエがそれを止め、精霊も望んだ事で今までと変わらない状況のままであった。
それ故、1体の精霊が1人の人間に興味を持つならまだしも、集団で関心を示すことは異常である。
リサーナは、妙な胸騒ぎを覚えて無意識に胸を掴みながら、クランクに結界を解くように指示した。
2人にしか分からない微かな割れる音と共に、彼等の存在感が戻る。
謎の集団から目を離さず、喧騒に包まれた広場で必死に耳を澄ませば、子供のか細い泣き声が響いていた。
「え……? 何、この気配」
大人達は、その子供を宥めていたのだろう。それだけなら、迷子か何かだと無視できる。
しかし、結界を解いた瞬間2人は困惑した。その集団の中心から、普通とは違った質の魔力が感じられたのだ。
「ま、さか」
リサーナは何か気付いたのか、段々と顔を青くさせながらガタリと立ち上がった。
「どうしたの?」
その珍しく切羽詰った様子に、クランクの視線がリサーナに向いた。
それでもその意識は集団に固定されていて、目を限界まで見開き震える唇は、暫くしてからボソリと「嘘でしょ」と零す。
リサーナは、弾かれた様に掛け出していた。
「リサーナ!?」
慌てて追いかけるクランクを無視し、集団に割り込むリサーナ。
「ちょっと、どいて」
迷子にしては些か大きい人だかりを掻き分け辿り着いた中心には、泣き喚く1人の子供が通りすがりだと思われる女性に必死に宥められていた。
「泣き止んでおくれよ、坊や。今、お母さんを探してくれるよう頼んでやってるから」
しかし、女性が声を掛けるたびに、3歳程の小さな男の子の喚きが増す。お手上げだと、周囲に向け肩を竦めた女性。
そんな中、ただ1人、リサーナだけがその子供に驚愕していた。
「あ、こら、お待ち!」
そうしている間にも、子供は恐怖の限界に達したのか、それとも本能か直感で気付いたのか。突然現れたリサーナに向かって、泣きながら走り縋りつくように足へとしがみ付いた。
「ちょ、ちょっとすいませーん」
後ろから聞こえたクランクの声と、足に受けた衝撃で何とか冷静さを取り戻したリサーナ。彼女は、未だ動揺に手が震えながらも、笑顔を作りその子供に視線を合わせる為しゃがんだ。
「---!」
そこで初めて、子供が泣き声以外の言葉を発する。しかし、その瞬間人々が首を捻る。
やっと追いついたクランクも、子供を見た途端口元を押さえながら驚愕に固まっていた。
「ちょっと待ってね」
何かを必死に訴える子供に、リサーナは安心感を与えるように微笑み続け、そっと頭を撫でる。
その掌が僅かに魔力を帯びていたことに気付いたのは、クランクだけだ。
そして、掌を退けば、途端子供が泣き止み驚いた様子で周囲を見渡す。まるで、襲っていた恐怖が消えたかのように。
「言葉、分かるかな?」
リサーナは、落ち着きなく首を動かす子供に、不安を与えないよう実にゆっくりと声を掛けた。
ハタリ。動きを止めた子供は再び視線を戻し、暫くすると瞳を潤ませて今度は安堵の涙を流したのである。
慌てる周囲に苦笑を見せ、抱き寄せたリサーナ。そっと立ち上がれば、先程から子供を宥めようと頑張っていた女性がほっとした表情を見せている。
「あんたの子供かい?」
「まさか。でも、知り合いの子供です」
当たり障りの無い回答をすれば、安心した大人達がぞろぞろと去っていく。
付いていけないクランクを隣に立たせて放置し、リサーナが女性に頭を下げる。
「私が責任を持って送り届けるので。お手数をお掛けしました」
「いやいや。私は何もしてないさ。ただ、珍しい容姿の子だから、気を付けてあげておくれ」
女性はそう言って、仕事へと戻っていった。後に残ったのは、子供を抱くリサーナとクランクだけである。
一先ず、突っ立っているわけにはいかないと歩き出したリサーナの腕の中で、いつの間にか子供が寝息をたてていた。
「……リサーナ」
「分かってる」
歩く速度は次第に速くなり、顔色も険しく変わる2人。
女性が言った珍しい容姿はその通り、子供は黒い肌に黒い髪、黒い目をしていた。そして、その子が初めに発した言葉。
リサーナの中に、様々な憶測が浮かぶと共に冷たい汗が背を伝う。
無言で宿まで辿り着いた彼等は、静かに扉を閉めながら息を整える。
そうして、腕の中で寝ている子供をもう一度じっくり観察した後、リサーナは言った。
「英語……たぶん、この子、アフリカ系のアメリカ人だ」
安心しきった顔で穏やかに眠る子供は、異世界人――地球人だった。