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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第一章:捻くれX変態=泥沼
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天使は微笑む


「いい加減にしろ! 失う覚悟も、奪う覚悟も、見捨てる覚悟も何にも無いあんたが、何かを求めるなんて烏滸がましいにも程があるんだよ! 何が違うっていうんだ。今のあんたは、欲に溺れた人間と何も変わらないじゃないか!」


 負けじと掴んだ胸倉を引き寄せ、唇が触れ合うぎりぎりの距離で吼える。

 紗那が願うのは、起こった事実と行ないを認め、その上でやるべき事を決めるということだった。

 後悔や懺悔を慰めるなど後からいくらでもできる上、自分がやる必要は無い。

 なのにだ。精神はどろっどろに甘く、足場はぐらっぐら。そんな相手と下らない堂々巡りを先ほどから繰り返し、結果時間だけが過ぎていく。

 本人からしてみれば、怒り狂いたいのは自分の方だと憤慨したいぐらいである。


 身体を支えてくれているのは背中だけで足は空中で揺れ、しかも胸倉を容赦なく掴まれているせいで感じる息苦しさからいい加減解放されたかった紗那は、全身でカミサマを突き飛ばした。突然の衝撃に対応できなかったのか、カミサマは覚束ない足取りで彼女から離れる。


 起き上がった紗那は、締められていた喉を擦り小さく咳をしながら、片手をテーブルに置いて体重をかけた。


 カミサマは、更なる叱責がくるだろうと思っていた。数度咳をして呼吸が落ち着いたのか、鋭い視線が彼へと向く。

 しかし、予想に反して掛けられた言葉は、優しく切なく響いたのだった。


「大丈夫。私が染まるから。だからあんたの気持ちを、何を一番守りたいのかを教えて? 残念だけど、全部を守るなんて無理なんだよ。過ぎたことは仕方がない。仕方がないから、学ぶんだ。学ばなきゃ、いけないんだよ」


「っ――」


「繰り返さない為に。だから、言って?」


 囁かれた言葉は叱責よりも衝撃的で、カミサマはよろめきながら目を見開いた。

 紗那には当然、心を読む術など無い。だからこそ言葉が必要で、言葉は力を持つ。


「僕は……でも、そうしたら君は」


 あぁ、なんて馬鹿なヒトだ。なんて弱いヒトだ。紗那は心で叫ぶ。自らは悟り、そしてついさっき気付いたというのに。


 紗那は、とっくの昔にカミサマのせいで汚されていた。覚悟もせずにした行いにより犯した罪から逃れるなど、到底許されないのだ。


 これだけは言いたくなかったと思いながら、それでも言わずにいられない状況を作り出した目の前の人物に、心の底から溜め息が漏れた。


「この二年、私はあんたに振り回されてきた。奇麗事ばっか色々言ってたけどさ、あんたはちゃっかり私が使いものになるよう仕向けてたんだ。そうだろ?」


 それはもう、車に牽かれそうになったり、頭上から物が落ちてきたりは紗那にとって日常茶飯事だった。それどころか凶悪犯に出くわしたり、強姦魔や強盗に襲われたりだってした。一番酷かった時には入院さえしている。

 体質だと諦めていたそのトラブルへの遭遇率は全部、今日からの為にこのカミサマが起こしてきたことだったのだろう。危険を察知し回避し、対処できる経験を培わせるために。

 今までのやり取りでそう思い至り、カミサマが唇を噛み締めて反論しない姿から確信する。


「また繰り返すの? そうやって中途半端なままで、今度は全てを失うつもりか?」


 冗談じゃないと叫んだ姿は、相当な苦労をしてきたのだと思わせた。

 好きだと言い、そのくせ都合の良い神の試練(・・・・)とやらを経験させるその行為を、ずるいと言わずなんとするか。自身は汚れず、ただ求める姿に何を見出せるというのか。


 その考えはとてもお綺麗で、その姿勢はとても愛しい。一見、誰もが大切で優しさの塊みたいなお綺麗な精神は、結局は自分の為でしかないというのに――


「あんたはただの、エゴイストだ」


 責めるでも諭すでもなく、無意識に零れた言葉は聞き取ろうとしても難しいぐらい小さいものだった。

 だけど、カミサマは心が読めるらしい。なので、しっかりと伝わってしまっているかもしれないが、紗那はそれで構わないと思った。


 その行為は許せるものでは決して無い。ただ、ややこしいもので、それが必ず好き嫌いに直結するかといえばそうとは限らない。


「あれは、悪いと、思ってる。あんなことになるなんて、思ってなかったんだ」


 暫くの間、二人は静寂に支配された。しかし、若干青ざめた表情で呟くように零したカミサマの言葉でそれは壊される。


「分かってる。先に言っとくけど、責めたくてこの話を持ち出したんじゃないから」


 抜け出せない泥沼状態に思わず零した溜め息は、カミサマの肩を大げさに跳ねさせた。それを見た紗那は、自分まで泣きたくなる焦燥感に駈られる。

 しまいには頭痛までしてくる始末で、テーブルにかけた体重はそのまま、こめかみを押さえた。


「許す許さないだったら、私はあんたを許さない。だけどさ、好き嫌いでいったら好きだよ? 気付いた今でも」


「……何で?」


 カミサマにとって、その言葉は予想外だった。どうやったらそんな考え方ができるのか、カミサマであるはずの自分にも理解が不能だ。


 だから問うた。何故、と。だけど、紗那からしてみれば理由など無いのだ。ただそう思うだけ。


「私は物事は頭で分析して捉えるけど、好き嫌いだけは感覚まかせなの。だから、理由なんてないよ」


 あれはこうだから好きとか、これはああだから嫌いとか、そうやってわざわざ理由を付けるのは紗那にとってとても面倒くさくて無意味に思えた。

 面倒くさがりで捻くれ者な自分にとって、なんか好きだな、なんか嫌いだなぐらいがらしくて楽で良い。

 それは恐らく、したいからする、したくないからしないといった感情と同じだろう。


「あんたもさ、少しぐらい適当になっていいんじゃないの? 全知全能じゃないんならさ」


「ねぇ、さっきから言ってることがどんどん分からなくなってきてるんだけど」


 カミサマのつっこみは当然だろう。紗那自身、自分が何を言いたいのか良く分かっておらず、言葉が上手くまとまらないでいた。


 「だろうね、私も分かんない」と正直に言えば、カミサマがおかしいくらいポカンとした顔になる。

 紗那は一生懸命なつもりだった。自分の出来うる限りで、届けようとした結果であった。


「んー、つまり何か言いたいのかっていうと……」


 前置きして暫く色々と考える。感情のまま話したおかげか、始めよりは大分まとまってきた感じがし、そして「……あぁそうか」と自分で納得していた。


「結局私が言いたかったのは、あんたは人がカミサマにしただけで、別にカミサマでいる必要は無いでしょってこと。カミサマだからこうでなきゃいけないとか、ああしなきゃいけないとか。あんたの中は、そんなプレッシャーや義務感で蝕まれているんじゃないの? だから、私の声が届かない」


 それを聞いた時のカミサマの顔は、本当に見物だっただろう。

 ようやく紗那の言葉が届き気付いたのか、カミサマは水に打たれたように動かなくなった。そして徐々に驚愕の表情を浮かべ、それが後悔へと変わり、歓喜に震え、遂に揺れが止まる。


 その百面相する姿は、止まっていた時が再び動き始めたかのようだった。


「僕は、神じゃなくて、いいのか?」


 縋るように震える声で尋ねたことは、本来紗那が答えられるようなものではないだろう。何せ、大人が赤ん坊に質問するのと変わらない上とてもとても重要なことで、たかが十六年程度生きただけの少女に出せるものでもない。


 しかし、紗那は柔らかく笑って簡単に言ってのける。


「なりたいのなら目指せばいいんじゃない? だけど、あんたは元々地球とアピスの二つの世界が実体化しただけなんでしょ? なら、カミサマでなくていい。やりたいことを、したいようにすればいい」


 「それは別に、あんたも生きているなら当然持っている権利なんだから」根拠も何もないからっぽな言葉に思えるが、カミサマにとってそれは思いがけない救いだった。


「そして決めて。あんたが最も守りたいものが何か」


 そうして紗那は、さらに屈託無く笑う。その姿はとても愛らしく朗らかで、まるで天使のように温かいものだった。





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