Xの王道は逆さまに
世界は、混沌の時を迎える。
水の国の精石の破壊。それは、人目のつく場所、もっと言ってしまえば隠せない場所に置かれていたことにより、全ての国にその事実を伝えることになる。
これを受け、風の国は隠蔽するのは得策では無いと判断し、王の名で破壊されたことを正式に名言した。さらには陽の国も、大した被害を受けていなかったからこそ隠し通せていた事実を公に。
何故今頃、真っ先に公表していれば。風の国はまだ、首都の復興を優先したと言い訳できる。しかし陽の国は、それにより非難を浴び、ムスイムの若き王は前王の失態で最近露見したのだとした。
――破罪使ルシエ。
その姿を晒したのは、風の国でのみだ。しかも夜だった為、瞳の色は分からず顔もおぼろげで、銀の髪をしていただとも、緑だったともされはっきりしない。
結局のところ、追うべき悪魔の鱗片も掴めない人々は、これ以上精石を破壊されないように警備を強化するしか策が無いのだ。
しかし各国では、王を集めた協議の場を開くべきだと其々で訴えられ始めた。正確にいうと、八ヶ国の王による会議。
アピスは、技術の先進がまだな為惑星かどうかは定かではないが、海に囲まれた一つの巨大な大陸が八つに分けられ、さらに二つの大陸が空に浮かんだ世界である。
では何故、十ヶ国全てでとならないのか。
海は魚介の宝庫だ。しかし、陸以上に危険が多いせいで航海の概念が無い。
空にある二つの大陸は、大海原のどこかに浮かんでいるとされ、実際に目にした者はおらず文献の中の存在だった。それぞれが光と闇の国とされている。
其々の国に住まう民は、精石の恩恵により日々を過ごせるとその信仰を神より近しい精霊の王に向けており、精石は精霊王が授けてくれた物だと信じきっている。デルの語った始まりは、歴史の中に埋もれ消えて、欠片も残ってはいなかった。
故に、文献でしか知らない国だとしても、精霊王を否定することに繋がる為その存在を否定したりしない。
破壊された三つの精石。精霊王の怒りに怯える民と、破壊に怯える他の民達。
連鎖する負。気付けば、様々な悪行が破罪使によるものだと、ルシエの知らぬ所で罪だけが重なっていく。
しかし、その影で、元々負を多く抱く人々は、自身の不幸を恩恵が足らないからだと被害妄想を掲げ、精霊王に恨みを持っていたりする。
そういった者達は、逆に破罪使へと馬鹿みたいな感謝と期待を浴びせていた。
神がいれば邪神がおり、天使がいれば堕天使がいる。物事には常に表裏あるが、それがまさかルシエにまで向けられようとは驚きだ。
――最期に笑った奴が勝ち。
一体、誰がその権利を奪い取るのか。
ルシエと人。その戦いに思えるこの旅だが、ゼフの様子や事の流れからして、それだけでは無い気がする。
神のみぞ知る真実? いいや、命は常に意志によって回る。
幾つものそれは、絡んで解けない糸の様に。しかしそれにも、端はある。
辿り着く終焉は一体何にあり、始まりはどこからなのだろうか。
煌びやかな一室では、三人の人間が暗い顔をして静かに会話を繰り広げていた。
威厳があり人の上に立つ者の雰囲気を持った壮年の男と、若くはあるが志の強い瞳を宿した少年。そして、身なりは平凡だが腕の立つ雰囲気のある男。
小さな円卓を前に、其々が持つ身分関係無く討論している。
「では、私を訪れた者も同じ人物だと?」
「あの者は、正直底が知れません。偽ることは、間者であれば特別なことではありませんが、それにしてもあれは異常です」
「それ以前に、精石が精霊王だった事実の方が重要だ」
三人は、護衛にすら聴かせられない重要な案件について語り合っていた。中心になる情報のほとんどは、身なりの平凡な男からもたらされたものである。
その男と少年の持つものを元に思案するのが、壮年の男の役目だ。
「確かに、私も気付いた時には驚きでした」
「……気付いた、ということは、リュケイムが彼に直接告げられたわけでは無いということですね」
少年の問いに、リュケイムがはっきりと頷く。
ここは、風の国の首都ウェントゥスにて、奇跡的に無傷で済んだ城の王の私室である。
つまり、今居るのは風の国王と私兵であるリュケイム、そしてサイードによって命を救われた王の長子であった。
「彼……というか、彼女が正解です、王太子殿下」
「女性だったのですか!?」
先程から、部屋には驚きの声が何度も上がっていた。
魔力の侵食による命の危機を脱した後、暫くその生還を隠されていた王子は、妹であり王女であったお姫様の弔いが済んだ後、今まで数々の悪行をしてきた弟の馬鹿王子の幽閉が実行されてから、正式に次期王となることが決定している。
とはいっても、首都も城の内情も荒れに荒れている現在。体制の立て直しは一向に進まず、王子も快気早々忙しく現場で職務に当たらなければならない。
さらには、突然露見したウィーネ騎士団団長レイスと馬鹿王子の繋がり。それを確かめる為に動いていたリュケイムがもたらした真実は、そんな彼等にさらなる追い討ちをかけていた。
「お前の命を救ったのは、本当にその者だったのか?」
王は俄かには信じられなかった。
最早諦め、王子の契約精霊に全てを委ねるしかなかったところでの突然の全快。しかもそれが、謎の人物によるもので、さらに正体が悪魔だったとどうやって信じられるだろう。
しかしリュケイムは、その理由については察しがついていた。
「……王女様の精石盗罪が、関係しているかと」
「あの子は何故……」
王にとっても王子にとっても、お姫様は賢く愛らしい子であった。
二人はリュケイムに、全てを話せと目で訴え、彼は憶測も混ぜつつ自身の持つ情報を包み隠さず言葉にする。――彼がお姫様を手に掛けたことも含め。
落ちる沈黙。支配する悲しみと嘆き。それでも彼等は、人の上に立つ者として考え抜かなければならない。
誰もを救うでは無い。どれだけ犠牲を少なくできるか、をだ。
理想は掲げられるが、現実は待ってなどくれない。例え、自身を置き去りにしてでも彼等は立ち続けなければならなかった。
「あの子は、笑っていたのだな? 望んでそれを……」
「もしかしたら、私の件も」
暫く三人は、消えてしまった小さな身体と、その中にあった大きな想いを受け取って憂いた。
そして、王が重い口を開く。
「リュケイム」
「はっ!」
伏せられた瞳が開いた時、そこに立場が出現する。
立ち上がり跪いたリュケイムは、頭を垂れて王の言葉を待った。
「お前の件は、致し方なかったと不問にしよう。それが、あの子の意志を継ぐことにも成りおうぞ。一生、その罪を抱えて生きるのがお前に下す罰だ」
黙ってそれを受けるリュケイムの脳裏には、宙を舞う幼い身体と涙が蘇り、彼は静かに唇を噛んだ。
「そして、レイスに代わり、再びその任に就け」
「仰せのままに」
王も人である。しかし、人よりも王であらなければならない。そして、騎士はそんな王の剣として生きるのだ。それが彼等の矜持。
王の目の前には、一枚の紙に書かれた綺麗な文字による悲しみと覚悟の羅列があった。
「父上」
現在の頂点と、未来の頂点である二人は黙って頷き合い、そして王が決断を下す。
「確かに、その者はあの子の心と王子の命を救ったのであろう。しかし、我らそのものである民を傷つけ、歴史を壊したのも事実。その罪は重く、償えはしない。償いを求めもせん。――悪魔なのだ」
「そして、精石が精霊王そのものだとしても、我らの世界はそこにある。神は心の拠り所であって、全てでは無いのでしょう」
「我らは我らの生きる場所の為に」
其々の意志により、三人は得た情報を使えるものと隠すべきものに分ける。それは責められるでも、褒められるでも無い。単純に、望み守りたいものの為だ。
「守りたい感情は同じでも、それが繋がるとは限らないのだ」
だからこそ、人の世に争いは絶えないのだろう。悲しいかな、心というものは最大の弱点にも武器にも成り得る。
生だけを真っ当できれば、どれだけ楽なことか。
風の国は破罪使の被害を受けた側として、国を隔てない悪魔討伐の軍勢を築くべきだと各国に訴えることを決める。
その書面は、すぐさま魔術師により各王の元へと渡った。
至る所に傷跡が残り、お世辞にも活気溢れるとは言えない街。しかし、つい最近までの状況を知る者達には、よくぞこの短期間でと感動を与える。
そんな陽の国ムスイムの王が住まう城の一室では、一人の青年がぼんやりと考え事をしていた。
「疲れる……」
ぽつりと零された言葉通り、その響きには大きな疲労が乗っており、青年は豪華な椅子に沈みつつ溜め息を吐いた。無駄に重い服と、常に伸ばしていなければならない姿勢。圧し掛かってくる重圧は、彼の本来の姿を深い谷底へと突き落とす。
「昔は楽だったなぁ」
ティルダは無意識に遠い記憶へ想いを馳せて、慌てて頭を振った。
未だに服に着られる状態だが、それでも一国の王として立たなければならない。その胸には、父の様な暴君には絶対にならないという信念と意地、覚悟がある。なにより、迷う時には何時だって、とある者の言葉がティルダの背中を押してくれるのだ。
「俺が、俺を決める」
そうやって、ティルダは決めたのだ。王になることを――
しかし、今まで王たる者の教育をしっかりと受けていない為、彼は他の王に比べれば試行錯誤をしながら政策をするしか無かった。
それ故、常に望むのは信頼のおける補佐であり仲間。
反乱軍に居た時の仲間は、其々が元の生活に戻っており、今やティルダが雲の上の人に近い。それに、あの時の彼は自分を持っていない良い駒でしか無かった。
「……どこ、行ったのかなー」
ただ、そこで出会った一人だけは別だ。
その者だけは、ティルダにとってかけがえの無い存在となっており、隣に居て欲しいと望んでいる。
立ち上がり、重苦しいマントを脱いで椅子に掛けたティルダは、備え付けの小さなワインセラーから適当なものを選んで、自らグラスに注いであおった。
自分には小洒落たワインより、ボロい酒場の不味い酒の方がお似合いだ。自虐しながら薄っすらと笑う。
「今度会った時は、叱られないようにしないとな」
――使われるぐらいなら、使うか使わせてやる。
その言葉通り、ティルダは前王の毒に犯された者を操り、打ち捨てた。
――俺が、俺を決める。
王である彼にとって、それは国そのものに直結する。
だからもう、後戻りはしない。
代わりに追うのだ。真っ直ぐに己の道を進んでいた憧れの人の背中を。
「元気かなー。……サイード」
金の瞳だということしか手がかりは無く、痕跡も掴めない冷静で淡白で不思議な人物。ティルダは、そんな憧れの人物との再会を夢見ながら、今日も王として生きる。
「失礼します」
「入れ」
願わくば、この自己犠牲が褒められるように――
控えめのノックの音に答えたティルダは、少し頼りなさげな青年から生まれたばかりの威厳を携えた王へと表情を変えた。
「風の国から、早急にと魔法便が届きました」
同じ精石を破壊された国として、何か情報があるのだろうか。そう思いながら、書簡を持ってきた騎士に礼を言ってそれを受け取る。
恭しく頭を下げる騎士に退室の許可を与え、再び一人となった。
ティルダは、あの時リーダーと共に陽の精石が破壊される場面を見ている。前王を打ち、その身体が床に倒れると同時に砕けた希望の欠片。それに驚く暇も無く、剣を向けてきた仲間だったはずのリーダー。
だが、ティルダにとって精石は暴君の象徴であり、砕けたことで新しい未来を造る勇気にもなっている。
サイードが不審な動きをしていたことに、彼が気付いていないわけでは無い。
もし、サイードが何かしら関係していたとしても、憧れの人だという事実は変わらないからこそ、ティルダは敵対だけはしたく無いと、書簡を確認するのを躊躇った。
それでも、見ない訳にはいかないのだ。
上質な羊皮紙には、正式な書面の証明となる風の国の紋章。丸められたそれを縛るのは、風の国の王の魔力が込められた緑色の紐だ。
ゆっくりと解かれたのは、ティルダと憧れの人とを結ぶ運命の糸だったのだろうか。
「国を隔てない、……軍の編成!?」
糸は綻ぶものだと、この時ほどティルダが実感したことは無いだろう。彼以外誰も居ない部屋で、王として立ち続ける必要は無い。
今だけは、ティルダがただの青年であっても許してあげよう。
「目的は、金の瞳の破罪使の討伐…………サイードっ!」
ぐしゃりと握り締められた書簡にある名は、破罪使ルシエ。しかし、ティルダは確信した。
それが、サイードでもあるのだと。根拠は、と聞かれれば直感だと答えるしかないだろう。
ティルダにとって、王として初めて直面した重要な決断の時だった。
憧れを取るか、国をとるか。悩む必要など無いといくら他人が言ったところで、王とて人だ。
しかもティルダは、やっと王の自覚が出てきたばかりの新米。それに、国と自身を天秤にかけて死を選んだ者も彼は知らないが他国に居る。
サイードの言った、最期に笑った奴の勝ちだという言葉からすれば、褒められないそれも本人にとっては最高の選択だ。
皺の寄った書簡をきつく握り顔を埋めたティルダの身体は、小さく震えている。
出会いは繋がりだ。すれ違うだけでも縁を持つ。
一人の人物とのそれは、世界を左右する大きな選択となって様々な者に突きつけられた。
どれを選んでも、結局待っているのは破壊と救い。
それはまるで、坂を転がる石のように止まる術を知らなかった。