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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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美女の憑依、悪魔の光臨





「……何者だ、糞爺」


「まさか動じないとはねぇ。老いぼれは驚きだ」


 サイードがゆっくりと振り返れば、男は手を叩きながら目を丸くして笑っている。


 二人は無傷だった。

 それどころか、身体も周囲も水が襲った痕跡はなく、仕掛けてきた通行人はまるで何事も無かったかのように其々の行動を続行する。戻った平穏は、二人を置き去りにしていた。


 あの時サイードは、突然の、その瞬間まで殺気すら感じさせなかった奇襲を全力で防御しようとし、目前で止めた。その時彼は、改めて自分に魔法が染み込んでいることを実感する。


「何が目的だ?」


 先程の攻撃は、水の精霊の得意とする幻術。だからこそ、印象(インパクト)を与える大規模な攻撃だったのである。殺すことも不可能では無いが、もし本物であれば、確認の手間が大きい上に確実性に欠けている。


 この期に及んではぐらかす男に、サイードは警戒するのも馬鹿らしくなり、真っ向から対抗することにした。


「俺を試したな」


 何より、今ので悪魔と気付いていたわけでは無いと分かった。

 そうなると、サイードの言った通り、男が彼に何かを求めていることになる。

 案の定、男はその言葉に満足気に頷き笑いを沈めて、真っ直ぐにサイードを見る。


「悪いな。アイツの壁を取っ払うのに、お前を利用させてもらった」


「別に。それは構わない」


 こっちも利用した側だから、とは言わない。男は分かりつつ、そこには触れずに先程の幻術に対する地味な非難を笑った。


「まあ、まさか誑かすとは思わんかったがな」


 そして、大人気無く対抗する。二人を繋げるのは、捨てたがりな治癒術師の少年。ただし、サイード側にとっては既に過去の者だ。


「色々な意味で一皮向けたってところか!」


「下品な爺だな」


 にしても、本当に歳の割に元気な男だ。警戒が薄まり、再びベンチに腰掛けて心底脱力したのか項垂れるサイードの隣で、生涯現役だとかなんとか言っており、さらに精神的な疲労が増す。

 その様子を実は、男が悲しそうな目で見ていたことに、サイードは気付かなかった。


「アイツは、過去を捨てる必要があったのだ」


「……治癒術は、迷いに敏感だからな」


 決してリサーナに、善意があったわけではない。感謝すら持たず、取引にも似た行為だった。

 ただ、それが結果的に、今後の少年の方向性に多大な貢献となったらしい。


「綺麗なものだけじゃあ、皮肉なことに人は生きてはいけん。だが、引き摺るぐらいなら他人に押し付けた方が成長する上に、負担も減る」


 突然二人は、ぽつりぽつりとまともな会話を始めた。

 先人の言葉には、不思議な魔力が宿る。これは諺に似た訓えであり、一人分の人生の軌跡が形になっているという意味でもある。

 サイードは、自分が正しいと驕っているつもりはない。意味があると感じれば、それが王様であれ子供であれ、しっかり耳を傾ける事が出来る。重要なのは中身であり、誰が言っているかは関係無いのだ。

 今だと、目的の知れない治癒術師の男がそうである。彼が語ろうとしているものは、少なくとも無駄じゃなさそうだと判断した。


「お前は、抜け出さない道を選んだと思えてな。そして、アイツは抜け出したいと思っていた」


「馬鹿正直な治癒術師じゃ無かったんだな、あんた」

 

 女で弱っているから助けてくれたと思っていたと暴露したサイードに、男は愉快だと笑う。長く生きれば、嫌でも人の内側を感じられるのだと。


「治癒はな、癒しであり罪でもある。存命させればその者の未来を伸ばし、そこにある苦しみの種にもなるということだ」


 そして男は、だから自分は患者を選ばないと言った。相手が悪人であれ善人であれ、大人であれ子供であれ、自分の力が及ぶのであれば功績は二の次で良いらしい。

 気が付けば、サイードは顔を横に向けて男と視線を合わせていた。

 皺の刻まれた皮膚にはめられた青い瞳と、血色の無い肌で引き立つ金の瞳。繋ぐ者と断つ者と立場は正反対だが、どちらも背負っているのは変わらない。

 歳が違えば同じ目で物事を見れないが、だからといってそれが必ず偉いとは限らないのだ。


「傷の度合いで患者を選ぶのは、当然三流だ。しかし、誰も彼もを治せば、お前の言う通りに馬鹿正直にしかなれず、結局良い様に使われてしまう。だから、一流な老いぼれはお前を利用した」


「良いじゃん、それ。どっちみち、患者も治癒術師を使っているわけだし? 治癒するにも傷を診ない事には魔力の調整が出来無いから、治癒術師だって学ぶ為に患者を診る。そこに正当な報酬があれば、利用していようが善意であろうが、利益なのは一緒だ。……一流かどうかは置いといてな」


 サイードの反応は、男に大きな興味を抱かせた。この若造には、世界がどう映っているのだろうか。どうやら、最近の若者から生意気な小娘ぐらいには格上げになったようだ。

 ただ、尚の事、男の目的が分からない。そう思っているのであれば、わざわざ利用した事実を告げる必要は無いし、態度からは謝罪する様子が微塵も感じられない。

 

 しかし、サイードは薄々理解したようだった。「変わり者な爺さんだ」と笑い、男が来る前までの葛藤を忘れていたことに気付く。


「生き道とは、斯くも無情なことか。丁度、治癒術師団の人員を求め、国中を回っていた際にあの小僧に出会った」


「んで、素質があったと」


 頷いた男は、ここで何故か申し訳なさを漂わせながらサイードを見る。その姿は、治癒術師から一人の老人へと変わっていた。


「表があれば裏があり、善人がいるなら悪人もいなくては世界は成り立たない。だがな、老いぼれは関わりを持たれてきた分、関わっていく必要があるのだ」


 それが後は消えていくだけの者の役割なのだと言い、そしてサイードを探していた目的の一つでもあった。

 サイードの生き方が、人として生きるにはその道から外れていると諭す必要があったのだろう。

 内容としては、レイスの言っていた言葉と似ている。しかし、言い回しと経験が違うだけで、こんなにも重みが変わってしまう。これこそが、魔力と比喩された経験の違いだ。

 しかも、男がそれを当たり前に進んできたからでは無く、逆を歩き今があるからこそ、サイードは素直に受け入れられた。


「まあ、老いぼれの戯言として」


「そうだな。余計なお世話だと言いたいところだ」

 

 男の言葉を遮り、言い放ったサイード。しかし彼は、ベンチから立ち上がり男に背を向け、精石のある方向に視線をやりながら考えを述べた。


「結局、タイミングとか、辿ってきた道の違いだと俺は思う。……運命、って言ってしまえばそれだけかもしれないが、それだと聞こえが良いだけで、今までの苦労とか努力とか、感じてきたもの全てが軽薄になって空っぽで、虚しくならねぇ?」


 瞬間、男は瞠目した。それは経験談とかでは無く、だからこそのものだと感じたからだ。

 そして、男が返事も忘れてサイードの背中を見ていれば、彼はさらに続ける。前髪を弄り、軽い調子で、自分達はそれで良いんだと思いながら。


「あの少年がラッキーで、だからあんたと出会って、抜け出す切っ掛けを見つけて、……掴んだ。そういう奴だったから出会えた、と思った方が何倍も楽しいじゃん。そして、少年がそうだったから俺も俺でいられる。善人がいれば悪人も、ってあんたが言ったんだ」


 自分を不幸だとは思っていないし、後悔もしていない。だから、切っ掛けを見つけても選んだりはしないと、サイードは恥じる事無く語り、左肩を軽く回していた。

 男は、どこか胸の痞えが取れるような、肩の荷が下りるような、そんな不思議な感覚を抱く。

 もしかすると、自分の弱さに後ろめたさを感じていたのかもしれない。もっと違う悩みだとしても、男は誇れない生き方の中で歩き続ける背中に、何か新しいものを見たのだろう。


 教えるには知識がいる。教わるのにも、それ相応の姿勢がいる。しかし、訓えは受け手によって様々な角度から、様々な意味を語るのだ。

 治癒術師として男は語り、老人として諭し、サイードがその代わりに述べる。

 言うのでは無い。言葉は、そこに乗る想いによって、伝え方によって、全然違うものに変化していくのだ。


「お前は、過去が今を形成してくれていることを、しっかりと分かってるんだな」


「そんなご大層なもんじゃないさ。幸せをつまんないって、不幸の味に魅了された可哀想な下衆だ」


 水を含んだ爽やかで涼しい風が、二人の間に流れた。

 結局、褒められるにも貶されるにもそれ相応の苦労があり、本人以外どれが良いとは選べないということなのかもしれない。

 サイードはゆっくりと振り返り、男の瞳に小生意気な片方だけ口角を上げる笑みを映した。


「ま、最期に笑った奴が勝ちで良いだろ」


 その姿が余りに切なく美しく、そのくせ幼い可愛らしいものにも感じ、男は一瞬呆けて次に大きく笑った。


 なんとお気楽で、なんと浅はかで、なんと単純な考え方だろう。責任も、意味も何もかもを放り投げた、自分本位な幼稚さ。

 しかし、ややこしくしたのは人であり社会であり、生きるというのは本来そういうものだったのかもしれないと錯覚する。


 どういった生き方をするべきか色々な意見があるが、その基準は全て歴史にあり、完璧な答えはどれだけ人が朽ちても見つからない果てない荒野の中にあるのだ。


「で、あんたの目的は、結局何だったんだよ」


 サイードも、男との時間によって新しい何かを得たのだろうか。

 楽しかったから。それだけだとしても、葛藤を紛らわせたのだから良いのだろう。収まらない笑いを前にして、彼は確認の為に男に尋ねる。

 精石の破壊もサイードを形成するものの一つで、何より彼は悪魔なのだから――


「……アイツの闇を受け取った者が簡単に消えれば、それがさらなる壁を作る。しかも、今度こそ潰されてしまう程のな」


 成る程、とサイードは思わなかった。

 むしろ、何て甘いことをと半ば呆れ、しかしこういった種類のお人好しは嫌いじゃないと感じる。

 男がリサーナの手助けをしてくれたのは、初めから彼女の為というよりも少年へのものだったらしい。それは、利用したと言ったところから明白であり、サイードもその方が警戒せずに済む。

 そして、こうして対峙した理由。それは、少年の闇を引き継いだサイードがこの先も、裏の世界で生きていけるかどうかの確認だ。

 治癒をした人間が、また同じ場所へと戻って死の隣での生活を送ることに対しての懸念では無い。むしろ、選別に近いだろう。

 

 さらに、男が突然感情を映さない瞳に変わったことから、基準に達していなければ、彼の手によって消されていたかもしれない。

 治癒術師団と、男は言っていた。となれば、当然多くの術師がおり、もしリサーナとして傷を負ったり死んでしまえば、その情報が入るとも限らないのだ。

 だから、少年が耳にする不安を抱き続けるよりかは、自分の手で隠す(・・)方が何倍も安心できる。

 その姿は弟子が可愛い師匠とも、過保護とも言える。そして、行き過ぎた依存にも思える考えだ。

 しかし、サイードは歪んでいると思わなかった。


 才能がありそれを見初め、保管したいという感情。人に当てはめればとても自分勝手だが、かといって全人類を救うなど夢を壊すようで悪いが不可能だ。

 それこそテレビの中のヒーローか、純粋な子供か、現実を知らないオシアワセな自惚れでなければ、全ての人を救うなんてことを豪語出来ない。

 そして、其々が知ってしまっているから、全ての人は無理だが見える範囲は救いたいと叫ぶ者達を尊敬し、共感し、賞賛するのではないだろうか。


「あんた、よく変人って言われるだろ」


 サイードは、男のとても現実的で利己的で、それでいて少年の意志にも副う成り立ちと、自覚しつつも貫き通す潔さが好ましかった。

 少し遠まわしで、それでいて本心を述べた男からすればサイードの反応は予想外で、しかも通じた上でのそれだったから尚更驚く。

 男は、クツクツと印象の悪い笑みを漏らすサイードに、苦笑を返すしかない。


「確かにそうだが。……お前の方が、何倍も変人だ」


 自覚している、と褒められた時にみせるような勘違いの反応をしたサイードは、一度男から視線を外し、肩を軽く竦めて言った。


「それで、あんたの判定は?」


 そろそろ、この不思議な一時が終わるということなのだろう。

 男も理解し、大きな溜息と共に立ち上がる。


 サイードの後ろには、水の美女の浴びる希望の雫が空に上がっており、男の方には日常が広がっていた。

 目を細めて男の背中に広がる光景を見るサイードを、男も同じように見る。


 未来に繋がっているのはどちらかなど、本人達でさえ分からない。しかし、男は色々な形の終わりを見てきた者。

 その時に人が醸し出す雰囲気、臭い、呼吸、思考、言葉。それを自覚無くとも身体が何度も感じ、覚えてきているのだ。

 第6感と言えばいいのだろうか、とにかくそういった経験が視る能力になる。

 治癒術師は生に密接に関係する職だが、その実、死を診ると言った方が近いのだ。医者も勿論そうで、でないと、それを出来る限り遠ざける手段を見つける事は出来ない。

 生を伸ばすだけであれば、極端にはなるが血を止め包帯を巻くだけで良いのだから。


 そして、そんな男がサイードに感じた結果だが、彼は皮肉なことだとおもわず呟く。

 裏の世界、社会から外れた場所を歩いているというのに、死を相棒に生きていると感じた青年は、男が今まで視てきた者の中で誰よりもそこから遠い場所に居るように思えた。


「お前は死なないだろうさ。どれだけ、堕ちていこうともな」


 男の下した判定が絶対ではないが、それでもまるで、世界の終わりを示すお告げのようであった。

 サイードにとっては、目的達成への大きな後押しになるかもしれないが、被害者側がそう感じてしまう程の決意と意志。その動力源は一体何なのか、それが気になって仕方が無い。


「そりゃどうも。……まあ、当然と言えばそうなんだけどな」


 男の判断に、サイードは笑う。

 ただ、後半だけは俯き囁く程度で、男にまで届くことは無かった。

 そして、男を残してサイードはより噴水に近い芝生に向かって歩き出す。


「アイツの前には二度と、現れるんじゃないぞ」


「むしろ、また会ったら奇跡だ」


 次元の視えない背中を見送りながら男が言った忠告に、サイードは振り返ることなく手を振って返し、彼等は別れた。

 これもまた、一つの共有の形だったのだろう。立つ場所は真逆だとしても、生きていれば交わらないことのほうが難しい。


 その直ぐ後。広場に誰も聴いたことの無い歌が響く。

 透き通るスカイブルーの流れるような美しい髪と、全てを受け止めてくれそうな力のある瞳をした人物により紡がれたそれは、行き交う人々の足を止め視線を縫い付けながら希望を枯らす。


「さあ、契約をしようか」


 広がった、切り離された世界。その中で、新たな出会いが生まれた。


「……やっぱり、序盤で運を使い果たしたのかな」


 しかしどうしてか、待ちわびていたと歓喜する言葉に対し、ルシエの声には珍しくこの世の終わりのような絶望があった。



『癒しを求めるのは 腐を抱くが故

 腐には枯れることのない 癒しの一片を

 癒しには止むことのない腐を

 癒しは満たし 腐は蝕み

 降り注ぎ 絡みつく

 選ぶのではない 受け止めよ

 ――いざ示さん 己が根底を』



 残る精石は、後七個。

 孤独を望む旅は、出会いによってその心の砦を強くする。それを繋ぐものが共有。

 でないと、物語は紡がれない。




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