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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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静寂な煙のその先で





 その日のアズレイは、いつも以上に過ごしやすく穏やかな天気であった。家を支える男達が爽やかな気分で仕事に赴き、家を守る女達は家事に精を出し、子供達は遊びに夢中になる。


 昼過ぎになってもそれは続き、自慢の広場はとても賑やかだ。そんな中、仰々しい風景の広がる噴水から少し離れた場所にある質素なベンチで、一人の目見麗しい青年が膝に軽食を置きながら黄昏ている。


 サイードを見た女性の何人かは、声を掛けようかどうか悩む仕草を見せるが、結局誰もが彼の持つ浮世離れた雰囲気に断念しており、そこだけが神聖な静けさを醸し出していた。


「一人とか、久し振りだな」


 サイードの左手にはパコという葉巻があり、煙を吸ってはしかめっ面をしている。煙草自体吸った事が無いというのに、パコはそれ以上に苦味がありお世辞にも美味いわけではないのだが、今のサイードには丁度良かった。


「もしかして、これが世に言う、女を抱きまくる男の心情ってやつか」


 何時もなら、呆れながらも馬鹿かと返ってくるような言葉にも、今は無言しか返ってこない。

 ゼフと喧嘩をし、そのお陰かどうかは微妙だが、自分の立場については揺らがなくなり焦りも消えた。


「……あー。最悪だ」


 しかし、いつの間にか横に誰かがいる環境を当たり前に感じていたことを自覚させられ、今度は腹立たしさに憤る。結果、パコに手を出したのだ。脳みそが揺れれば、それに気を取られると思ったのだろう。


 独りが心地良いと胸を張って主張しても、結局それは勘違いや強がりにしかならない。ただ、一時的に楽に感じるのは確かである。

 サイードの視線の先に映る、一見仲睦まじく見えるカップルや家族。彼等も、時には喧嘩をし暴言を吐き、傷つけあったりするのだろう。

 羨ましいと思うこともあると、サイードは素直に認めた。

 ただ、そうなりたいと思うことは無かったし、これから先も願うことはない。誰かと言葉を交わせば、それだけで孤独では無くなるのだから。例え、売買の会話だけであっても、道を訪ねるだけであっても。

 それでも満たされないのであれば、紛らわし続ければ良い。愚かであっても、その時にその衝動を抑えられれば十分だ。


「気持ち悪く無くなってるのは、予想外だったな」


 だからこそ、呟いたその変化はあまり好ましくなかった。

 本当であれば、自分(・・)は公園や人の多い場所をあまり好まないはずなのだ。それは当然、河内紗那からきているのだが、彼女は生前(・・)穏やかな空気の流れる場所を嫌っていた。

 何故なら、そこに広がる光景が偽りに見えて仕方がなかったのだ。カップルに対しては、どうせ別れる日がくるのだと。家族に対しては、もしかしたら親が浮気をしていたり、子供が影で素行が悪いかもしれないのにと。

 馬鹿馬鹿しい妄想で、羨みで妬みでしかない感情だと分かっているから、尚更彼女にそういった場は地獄だったのだろう。


 それを思い出し、サイードは苦笑する。

 空は見上げなかった。仰ぎもしない。その代わり、頭を垂れていた。


「慣れって怖いな」


 乾いた笑いと共にサイードが見つめた掌は、変わらず白味の強い象牙色。

 しかし、実際は赤すぎる朱で、見えない何かをいつの間にか掴んでいたのだと自覚する。


「……だから、嫌だったんだよ。ゼフの野郎」


 大きな溜息は額を押さえた手が邪魔をして風に乗れず、もっと早くに地球を捨てていたらと、無意味な考えが過ぎった。

 サイードにとって、それは弱さでしか無い。辿った道を振り返ることすら許せ無いことだというのに、何かを当たり前に感じるなど、自分を三回は殺したくなる。

 なまじ同行者が力を持っていて、強い自己もあるから腹立たしい。所詮精霊だと思えれば楽なのだろうが、向こうの方が全てにおいて格上だからそれも難しいのだ。


「よっこいせ」


 そうして、サイードがその葛藤を払う解決策を考えていた時だった。何者かが、彼の隣に気の抜ける声と共に腰を下ろした。


 ゆっくりと視線を横にやれば、そこには宿に押し入ってきた、あの老齢の男が朗らかな笑みを向けている。ただし、目を微塵も笑わせずに――


「……なんだよ」


 けれど、男はリサーナしか知らない。今は顔を隠していないので、怪しむ要素は無いはずだ。

 サイードはどこにでもいそうな、少し反抗的な青年を装って反応した。


「これは驚いた。声まで変わって聞こえるぞ」


 しかし、男は豪快に笑いながら、確信を持ってそう言う。はぐらかしても無駄だ、と。


「にしても、どう見ても男だ。しかも、声を掛けるのも憚れる程のな。貧乳に生んでくれた親に感謝せな」


「悪いが人違いだろ。ボケるなら他所でしてくれ」


 それでもサイードは、人違いだと貫き腰を浮かす。心の中で、勘弁してくれとうんざりした様子で。しかし、男はサイードの右腕を取ることで返した。

 何をするんだと眉間に皺を寄せたサイードであるが、その奥の別の意味を男は見逃さない。


「誤魔化しは賢くないな。動きを見れば分かる奴には分かる」


 結構な歳のはずの男は、声も姿勢もしっかりしており、威圧感は重ねた時間と相まってサイードには出せないもの。彼は思わず呑まれそうになり、慌てて耐えた。


「だから――」


「パコを左で吸うのは、リハビリか?」


 そして、尚も人違いだと訴えようとして男の遮りに無駄だと知る。ハッと自分の左手に視線をやり、掴まれている右腕に移す。


「もう、痛みは殆どないはずだろ」


 思わず出かかる舌打ちは、男が一度自分側にサイードを引き寄せてから押した事で、呻き声に変わった。

 膝の上に置いていた軽食が無残に床に落ち、さらに持ち主の足で潰される。

 本人が自発的に立ち上がろうとしたのは止めたくせに、ベンチから押し出される形になり、サイードは体勢を立て直しながら左肩を押さえた。

 よく見れば、立っている足の重心も僅かに右寄りだ。


「てめぇ……」


「はっはは! そうだよなぁ、分かる分かる。傷は治っても、受けた痛みはそう忘れられないもんだ。ましてやあれ程の傷、無意識に庇ってしまうのも無理は無い」


 それは、男の言葉通り無意識の反応で、サイードは悔しそうに男を睨みつける。

 そして、今の言葉は、男がサイードに用があり、しかもどこかで彼を観察していたということだ。無意識の仕草に違和感を持つことは素人でもあることだが、赤の他人に常にアンテナを張っていられるのは武術に長けた者ぐらいだろう。

 バレたこともそうだが、気配に気付けなかったのが、何よりサイードを警戒させた。


 ただ、解せないのが、男の目的は何なのかだ。

 悪魔だと気付いていると考えれば簡単だが、今までとは違い、男は治癒の手配をしてくれた人物。自身も治癒術師だ。

 それに、仮にそうだとしても、包囲されている気配は微塵も無い。騎士でもないような、しかも老人がたった一人、ましてや丸腰で対峙したりはしないだろう。


「ま、座れ」


「立たせたのは誰だよ、糞爺」


「アイツといい、お前といい。最近の若い者は短気で困るわ」


 それでも、軽い態度の裏にある挑発的な視線が、今の状況が良い事では無いと示している。

 男は隣を指差し促すが、サイードは応じなかった。

 ベンチに腰掛けて一見穏やかに笑っている老人と、それを睨みつける青年。第三者が見れば通報ものだろう。


 サイードは、男の契約精霊に語りかけることはしなかった。正確には出来なかった。

 その頭の中は今、いくつもの可能性と危険性をはじき出しており、安易な魔力の消費は控えたい。ゼフが居れば楽なのだが、足を引っ張るのは自分の魔力の大きさだ。

 周囲に映る人間が全員敵で殺気を隠しているだけだとすれば、逃げることに全力を尽くさなければならない。しかも、その場合はこの街を地図から消す形でだ。でないと、サイードの素顔がバレたままになってしまい、後々にそれが尾を引いていくだろう。

 だったらウェントゥスの時は、と思うだろうが、あの時はサイードとルシエの変化(・・)を見た者はおらず、大地の国で見た者は一人を除いて皆死んでいる。その一人も、利益があるからそうしたまでだ。

 大した違いはないようにみえて、それがルシエ達にはとても重要なことだった。


 さらに、そもそもアズレイを消すことが難しいときた。(ゼフ)は攻撃と防御、偵察にも長けるオールマイティな属性だが、ここに居る水の精霊王は、治癒と幻を主とする補助特化の属性。解放時のオーバーヒートをもってしても、破壊は難しい。

 つまり、サイードは男も含めて周囲にバレている考慮をしつつ、サイードと悪魔の繋がりを知らずに男が接触してきていると願い、対処しなければならない。

 万が一前者であれば、その時は腹を括って逃走犯になるしかないだろう。

 勿論、腹など当に括っているのだが、せめて半分の精石を壊すまでは影で動くのがサイードの理想。「君は大胆なのか慎重なのか、面白い性格をしているよね」と、焦るサイードを無視して笑ったルシエに、彼は他人事ではないとその暢気さを恨んだ。


「今度はだんまりか。まだまだ若い。その甘さが今回の怪我に繋がったんじゃないか?」


「関係無いな」


 そして、暫しの沈黙を経て、男が動く。

 ニヤリと、不気味に貫禄のある笑みを浮かべながら、皺の多い唇が告げた。


「まあ、だったら用件だけ伝えようじゃないか。……悪いが、死んでもらおう」


 刹那、空気が震えた。


 長閑だったはずの広場と、幸せそうに歩いていた筈の木偶(ひとびと)

 急に感じた殺気に背後を振り返ったサイードの目の前で、大量の水が濁流と化した攻撃が襲いかかる。

 その奥では、通行人全てがサイードに向けて掌を突き出しており、そこから水が生まれていた。


 そして、老人もろともその身体は濁流の中に消える。


 偽りの安寧。何故ルシエ達は、それを嫌悪するのか。

 崩れ去る平穏。何故彼等は、それに喜悦するのか。


 巨大すぎる攻撃に呑まれる瞬間、サイードは朗らかに笑っていた――




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