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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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混ざり合う時


はっきりとした描写は避けているつもりですが、不適切な表現があればご連絡頂けると幸いです。



「気付いた時にはもう、殺るか殺られるかの二択しかなかったんだ」


 そこには、快楽があった。


「守ってくれる存在なんて、夢のまた夢だった」


 そこには、縋りつく欲望があった。


 男と女、二人きりの暗い部屋。ベッドの上で語り合うとなれば、行われる行為は一つしかない。

 両者が幼ければ朗らかな光景にもなっただろうが、彼等の経験は平凡とは真逆の世界で繰り広げられた事柄によるものだ。


 リサーナは、前戯など必要無いと初めに言ったのだが、少年がしたいのだと訴えた為に甘んじて受け入れていた。

 次第に熱を帯びていく互いの吐息は扇情的だが、その目的はとても利己的だ。


 今の少年は、治癒術師としての彼では無く、今に残る過去の彼である。その為、リサーナの傷に(かま)けるなんてことはなく、彼女はまだ完全には消えていない痛みに時折顔を顰めていた。


「それ以外に食いつなぐ方法なんて知らなくて、余裕も無くて。知り様は幾らでもあったはずなのに、後悔した時にはもう汚れきっていた」


 少年は、同意も否定も、寧ろ届かなくても構わないと、ただただ、今まで秘めていた想いを吐き出しながら温もりを求めて縋りつく。

 リサーナが何かを告げようとすれば唇でそれを塞ぎ、咥内にまで押し入る。そのまま、自分の罪を移すかの様に唾液を与え、組み敷いた身体を配慮も何も無く掴んだ。


「それを、欲しい奴がいるなんて、思ってもみなかった」


 潤んだ瞳は何を意味し、熱い吐息は何を交え、その行為は何を成すのか。

 仮初の茶色い髪が少年を慰め、灰色の髪はリサーナを湧かせ、二人は其々の色を混ぜ合わせて少年の髪より澄んだ灰色を作り上げていく。


「無駄じゃ、無かったんだな」


 そこには、今の自分と昔の自分が混ざり、偽りを捨てた本来の姿があった。

 過去があるからこそ、今の自分がいる。それは尤もな意見であり、当然である。しかし、誰であれ全ての過去を受け入れるには、それこそ人生を通してでないと難しく、IF(もしも)を抱かずにはいられない。

 一人で越えられるのであれば、人間は孤独を傍らに生きていけるだろう。それが出来ないからこそ、孤独ではいられない。


 では、それに対して人はどう反応しているのか。

 同じような境遇の他人に手を差し伸べ、共に築かれてしまった壁を越えようとするのか。それとも、自分以外を疎んで同じ場所に引き摺り込もうとするのか。

 どちらも、当たり前に見られる光景ではある。

 虐たげる者が虐げられる側に変貌したり、依存し合っていると思える恋人。それは、世界中に転がっている。

 だが、誰だって気付いているはずだ。どうやったって、他人同士が完璧に同じ場所にいられるわけが無い、と。何故なら、自分の中には自分しかいないのだ。


 だから、分かり合いを求め衝突をしていく。共に立てはしないが、交わる事は出来るのだから。

 そして、共通点により何かを共有し、分かち合い、時に踏み台とする。


 そう、今のこの男女のように――


 一度合わさった二人の色は、重なった部分から欲する色だけを取り、再びそれぞれのものへと戻っていく。


「っ、う……あ……」


「あり、っがと、な」


 繋がった瞬間にリサーナに与えられたのは、彼女の大嫌いな言葉だった。全てを放たれた時にはもう、少年との間で共有できる要素は掻き消える。


 哀れだと思う。選択の自由も無く、世界の仕組み、社会の仕組みにより汚れて生きるしかなかった少年の不運さを――


 愚かだと思う。幾らでも方法がある中、わざわざ黒を求めて自分を追いやっていくリサーナ達の姿を――


 それでも、焦がれて止まないのだろう。理由なんてものも無く、ただただ、心のままに。そうやって、染まりきった黒を、染まる事の無い黒を求めるのだ。


「じゃあ、バイバイ」


「ぐっ――!?」


 情事の後、息が整わない状態でリサーナは指輪を瞬時に剣へと変え、その柄頭で少年の鳩尾に衝撃を与えた。

 今の今まで熱を共有し合っていた身体は、虚しく布の上へと倒れる。

 ベッドから床へと立ち上がり、少年を見下ろしたリサーナは、一糸纏わぬ姿で月光を浴びた。


「朝日と共に、新しい自分になれるといいね」


 太股を伝う白に嫌悪を感じながら少年の閉じられた青にキスを落とし、一度だけ頭を撫でる。結構な強さで殴られた彼は、目を覚ますまで時間を要するだろう。


「まぁ、汚れは落とせても穢れは拭えないんだけどね」


 「でも、君は生きているんだから」ひっそりと呟いたリサーナは、気だるい身体に鞭を打ち、余韻の残る熱い内側を無視しながら支度をした。


 そして、行為の効果で回復した肩と腰の調子を確かめ顔を上げれば、そこにはもうリサーナはいない。


「どれぐらい遅れを取り戻せるか。トラブルはもう、懲り懲りだな」


 居たのは、闇夜に紛れる放浪者。――怪しい旅人(サイード)


 望まないものばかり手に入るのは、無いもの強請りだからなのだろうか。この時にはもう、あれだけ苦労させられた魔力抵抗は無くなり、魔力の芽は花を咲かせていた。

 結局、ルシエの持つ魔力は平均程度のものであったが、重要なのは、それがアピスに根付いたのと同義となること。この世界の住人になったということだ。


 だから最早、理由などない。地球を理由には出来なくなってしまった。

 お釈迦様の下ろした蜘蛛の糸は、所詮一本では大した支えにならない蜘蛛の糸。それすら失ったのなら、単純にいこうかとサイードは笑う。


「気にいらない。それで、十分だな」


 さぁ、水の解放を。代わりに枯らすのは、希望という名の生きる源だ。


 颯爽と宿を後にするサイードの背中に、後悔という二文字は存在しなかった。












 魔力抵抗を完全に無くすことは、故意には不可能である。それは、人間に限らず、自己防衛の機能や理性が働く為だ。

 しかし、長い歴史で研究されたりしてきた結果、人間は肉体の成長と合っていない魔力抵抗を低くする術をいくつか見つけていた。

 勿論、それが必ずしも通用するとは限らず、全てが簡単な方法だとも言い難い。ただ、ルシエの様に単純に慣れていないだけであれば、かなり簡単で有効な方法があった。

 唯一の条件が、女であること。そして方法が、精霊と契約している男との交わりだ。


 魔力とは命の結晶であり、それが根源な力である。だからこそ、人の持つ命の源と命の揺りかごを繋げ、放ち満たされることにより、内側から抵抗する必要が無いのだと刻み込む。

 潜在的に魔力抵抗が高かったり、自然の流れを無視して低くするのは無理だが、慣れさせるのはこの方法が一番だ。

 当然デメリットやリスクが無いわけではなく、男には無効だというのと、身篭ってしまう可能性があるというのは言わずもがなだろう。


 治療の一環だとしても、好いてもいない男に抱かれるなんてと拒否する女もいなくは無い。地球だったら、道徳的観点から批判されかねないかもしれない。

 しかし、リサーナは、たったそれだけで倦怠感や解放時の激痛が和らぐのであれば嬉しいものはないと喜び、むしろ少年を唆した。

 何故この方法を知っていたのかは、アズレイに小さいながらも書店があったことと、リサーナが情報に貪欲だから。魔力抵抗という新しい知識を得た彼女は、精霊に頼み、関連する書物をいくらか書店から拝借して地味な障害の解決策を探していた。

 それが今回の方法だっただけだと、リサーナは別段深く考えたりしない。獲物が自分から求めてきてくれたのは予想外ではあったが、それもラッキーでしたで終わるのだ。


 ルシエが実行犯だとすれば、サイードが暗躍し、リサーナが2人の為に情報を収集するというところか。

 経験豊富とはお世辞にも言え無いが、冗談でも生娘にはならないリサーナだ。初めから、手段の一つとして身体を使うことも考えていた。

 それは褒められないかもしれないが、責められるものでも無い。


 しかし、宿を出て、薄っすらと明けてきた空の下に立った時、サイードを待っていたのは鬼の形相なゼフだった。


「貴様っ!」


 この時ほど、サイードが状況を掴めなかったことは無いだろう。視線が合ったと思ったら、怒っていると気付く前に胸倉を掴まれ吠えられる。

 何かあったのか、と思えればよかったのかもしれないが、その怒りは明らかにサイードに向けられており、そうなると心当たりは一つだけだった。


「……なにすんだよ」


 身長差から、僅かに身体が浮き上がり息が詰まりながらも、久し振りの瞳だけしか出ていないスタイルで負けじと睨み、すぐさまサイードも売られた喧嘩を買う体勢に入った。

 その際、右手の人差し指と中指を合わせてすっと横にスライドさせていたが、ゼフはその動作に気付いていない。


「人間と交わるなど!」


 ゼフは怒りの声を響かせて、翡翠を燃やす。どうやら、相当許せないことだったらしい。

 しかし、サイードには理解が出来ない。だからといって、何故自分が怒られなければならないのだと。


 ゼフはフードが落ちようが、大声を上げていようが構わず、冷えた目を見下ろした。


「貴様は何がしたいのだ!」


 しかし、そう言われた瞬間、サイードは脱力した溜め息を吐き、「うぜぇ……」とマスクの下で呻く。そして、それはこっちの台詞だとゼフの横腹に足を繰り出しながら言った。


「はっ! 何言ってるんだ? 勘違いするなよ」


 嗤いながらのそれは、残念ながら軽々と避けられるが、二人には僅かな距離が出来る。ゼフが抗議に声を荒げようとするが、その前に舌打ちをしてサイードは言った。


「何か? てめぇは、俺の親になったつもりなのか? ……あぁ、それとも、一緒に旅してるから仲間気分に浸ってるのか。はっ! 冗談じゃない」


 そこに含まれていたのは、呆れと失笑。尚も畳み掛けるように、サイードは一言の邪魔も許さないとゼフを睨んだ。

 その先では、翡翠が大きく揺れている。


「仲間、友人、ましてや恋人でもないだろ。俺にとってお前は、居なかったらそれでいいし、居るなら居るで都合がいいだけの存在なんだよ。誰といつ寝ようが、口出しされる謂れはない」


 聞いていれば大人な修羅場の一ページにも思えてしまうが、嫌なら消えろと言われるよりも冷たい言葉だ。

 しかも、今回はゼフがいなければ確実に死んでいただろう。その問題が解決してすぐのこれだから、ゼフへのダメージは尚の事。

 売り言葉に買い言葉で済ますのは、サイードの瞳の鋭さの前では難しかった。


 ゼフは当然、誰のお陰でと憤り、今にも殴りかかりそうな勢いで拳を握る。

 その手は戸惑いながら開かれたり、再び握られたりを繰り返し、しばらくの後、すぐ側にあった建物の壁にぶつけられた。

 風を纏った衝撃を受けた壁は、大きな音と共に窪んでパラパラと破片を落とす。

 ここまでくると、人が異変を感じないのはおかしいのだが、そこは狡猾なサイードだ。胸倉を掴まれた時にしていた指の動作は、二人の周囲に結界を張るものだった。


 魔法には二種類あり、属性が関係するものは該当する精霊と契約していなければ無理だが、気配を殺したり結界を張ったりと、そういった類はどの精霊と契約していようとも使用できたりする。


 冷静沈着なゼフに似合わない八つ当たりを前に、サイードはうろたえる事なく肩を竦めた。


「おー、怖い怖い。痛いところを突かれて、動揺でもしたか?」


 それどころかさらに煽り、いい加減我慢が限界だったのか、ゼフはサイード目掛けて風の塊を投げつける。

 しかしサイードは、軽々と右手を払うだけで消し去り、それを見たゼフが驚愕していた。動作にも魔力にも無駄がみられず、そもそも今までであれば、その攻撃を回避するのに剣を使っていたはずだ。

 つまり、完璧に魔力が馴染んだということである。

 そして、サイードも実は驚いていた。今の攻撃は威嚇では無く、寧ろ殺す気が無いと放てないものだったのだ。


「……殺したら困るんじゃねぇの? お前等が」


「そうだな。だが、死んだ方が幸せだろう」


 ゼフは哂ってそう言った。自棄になったかに思えるが、そこには慈悲がある。


「確かに、俺は死んでも困りはしない。だけどな、それは違うだろ」


 誰もが幸せを望んでいるなど、夢物語も良いところだ。望む未来が幸せだけであれば、どの死顔も安らかだろう。

 ましてルシエは、幸せになろうとは思っていない。なりたいとすら考えない。ただ、楽に生きたいとは思ったことはある。現在も、出来る限り楽に進みたいと。

 それはある意味怠惰でしかないが、常に気を張って全力で行く動力(エネルギー)を持っていられる生き物はいないだろう。


「お前だって、生きたいから産まれたわけでも、死にたいから生きているわけでもないだろ? ……幸せじゃないといけないと、誰が決めたんだ!?」


 馬鹿にするなと、珍しくサイードは声を揺らした。そして、ゼフから視線を外して己の掌を見つめた。

 何かを必死に留めようと、零さないように、両手の小指を付けてグッと指を折る。マスクの下で、「だから独りが良かったんだ」と呟きが聞こえた。


「今更だ。どうせ俺達は、修正も上書きもされず、零れ落ちて無くなるだけの消耗品なんだからな」


 俺達とは一体誰までを含むのか、見当が付かない。それはゼフも同じで訝しんでいた。

 サイードはきっと、らしくない動揺を抑えたかったのだろう。それも、彼自らでは無く内の誰かに窘められて。

 その証拠に、金の瞳は左右で別の色を持っていた。


 どんなに小さな事柄でも、リスクの無い行動は存在しない。大きなものになれば、むしろリスクしか無い場合さえある。

 全てのことに対し、それを考えながら動けと言われても無理はあるが、少なくともサイード達を取り巻くものはリスクしかない。


 今更ではあるが、地球で一般的な暮らしをしていた者であれば、突然このような環境に飛び込んで平静でいられるわけがなかった。

 ただ、人というものは、これと決めた何かを達成しようと強く誓った時、常識から外れた精神で動けたりする。河内紗那には、それに該当するものがあったのだろう。そして、それを抱きながら自ら消えた。

 であれば、そんな者が作ったサイードもルシエもリサーナも、躓きはすれど立ち止まることを許さない。揺らぐのさえ、許さない。

 それは、自身でどうにか出来るわけではなはずのものだが、だったらその要素全てを持たなければ良いとサイードは思った。


 実際、今回の怪我で、自惚れがどれだけ身を滅ぼすか痛みと共に知り、地球を考えるあまり焦ってしまうことが、どれだけ判断を危めるか気付いた。

 面倒なことに、何も感じずに突き進むのは無理があり、どこかに拠り所が無ければ心というものは簡単に壊れてしまう。廃人になるのは誇り(プライド)が許さず、目的の為に機械人形になるのも無理だ。だからこそ、楽しむという感情だけは捨てられないし、捨ててはいけないが、その代わりに無くしてしまう前に捨ててしまおうと悪魔は決める。


 作り上げるのではなく、なりきるのでもなく。自分を悪魔にすれば、悩む必要も無いのだと――


 腕を下げたサイードは今までとは違う鋭さと、僅かな間で改めた考え方によって出来た余裕を携えてゼフを見た。

 そして、徐に布を剥いでマントを脱ぎ、マスクを引っ張る。強引にしたせいで、マスクと一体化しているピアスが耳朶を傷つけるが、その痛みさえ覚悟に変わる。

 ゼフは、その行動が姿を隠すのを辞める為のものだとは思わなかった。本当の意味で、宣言する為だと気付く。


 目の前に立っている青年は、そうして挑戦的に嗤った。


「ここまで来て、今更死んでやるものか。馬鹿にするなよ? 風の国で悪魔だとルシエ(あいつ)が宣言し、魔力抵抗をリサーナが解消してくれた今、俺はもう前の(・・)世界を理由には出来ない。お前の思っている俺達はもういないってことだ」


 サイードはそう言って、麻袋に入っている変装用の道具の一切を地面にぶちまけた。

 その中には当然、リサーナになる為のものもあるのだが、それさえ不必要だと気にせず足蹴にする。


「俺達は、俺達の好きな様にする。嫌いだから壊し、必要だから壊し、気に入らないから壊す。世界を、人を、精石を。それが結果的に、前の世界を救うことにもなるだけだ。悪魔な救世主? はっ! 冗談じゃないね」


「だったら、何になろうと言うのだ」


 使命まで放棄するつもりか、とゼフは凄んだ。それに対し、サイードは俺の話を理解できてるのかと、小馬鹿にしながら否定する。


「お前等にとって必要なことが、俺達の欲望に一番副えるんだ。だから、共犯者(・・・)になるんだよ。そっちも、結果が伴えば、道具が何を考えていようがどうでもいいだろ」


 サイードは、いつの間にか完全に明けていた空を見上げた。そして、「青い星が異世界だ」と、清々しい気持ちと共に呟く。

 そうすれば、昇る朝日の眩しさを掌で遮りながら、「好きだと言っていたものには二度と触れることは無いんだ」とルシエが微笑む。

 「携帯では無く剣を傍らに、赤ばかりのこの世界で歩いていくんだね」と、リサーナが二人の背中を押した。


 本の中の輝かしい主人公は何故、直向に生きられるのだろう。優等にしろ劣等にしろ、周りとの違いばかりに気付き、それでも染まらずにいられるのか。

 お人好しを理解出来はしないが、だからこそ護られ、知らないままで物語が進んでいけるのかもしれない。

 しかし、三人は知っている。知ってしまっていた。

 剣を振りすぎれば肉刺が出来て皮は厚くなり、人を切れば想像以上に血が噴き出してくる。気持ちが無くても演技をしながら、交わらない感情を持って温もりを混ぜることができ、褒められない所業によって楽しめる事を――


「奪う側からすれば、ハッピーエンドなんてすぐそこに転がっている石ころと同じなんだよ」


 サイードは足下の石を拾い、投げて掴んでを繰り返しながら、乾いた笑いを漏らして「こんなにも軽い」と言った。


「……虚しいな。()を哀れむことなど無いと思っていた」


 その姿がどう映ったのか、誰に見えたのかはゼフにしか分からない。ただ、呟くように言った後、暫く傍を離れると告げたところから、同情はしなかったのだろう。


「虚しい、か。……可哀想なら、言われ慣れてた(・・・・)んだけどな」


 ゼフが消える様子を見届けた後、ぽつりと零されたものは、悲しみよりも新鮮で驚いた感じであった。


 仰ぐように見た朝日に染まった空は、二度と晴れることが無い。何かを刻むように強く握られた拳の中では、小石(しあわせ)が砕けていて、掌を下に向けて開けばパラパラと散っていく。


 脱いだマントとマスクを拾い麻袋に入れ歩き出した背中は何も語らない。ばら撒かれた持ち物(ちきゅう)は、踏まれた瞬間炎に包まれて灰と化した。そして、今まで張られていた結界は砕け、パキンと乾いた音が出発の合図となる。


 その数時間後にアズレイに響いた歌は、とても透き通った美しいものだった。






 ――可哀想は見下されている、だから良かったんだ。だけど、虚しいは同じ目線でいようとしてくれているからこその言葉だったんだよね。


 ――そうだよ、この内は空っぽだ。空っぽだったし、空っぽになった。


 ――何も無い。何も、無かったんだ。




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