求める黒と捨てたい黒
「調子はどうだ?」
「大分楽になったかな」
リサーナの元に、謎の治癒術師二人組が押し入って来てから三日。彼女は、その間に食事を取れるまでに回復していた。
高熱も今では微熱にまで下がり、命の危機を脱している。
「頭痛は?」
「痛いのは相変わらずだけど。まあ、寝てれば大丈夫って感じ」
それもこれも、老齢の男がアイツと言っていた、今現在部屋を訪れている者のお陰である。
ベッドの上で身体を起こしているリサーナの身体に、包帯を巻き直している少年。歳は十五程だろうか。
灰色の髪に青い瞳のあどけなさの抜けていない彼は、あの二人組と同じ服を着ていた。
二人組が去った次の日の朝。謎の頭痛とゼフによって眠りへと誘われたリサーナが目を覚ました時、少年は当然のように治癒を施していて、もし彼等が敵であったなら、彼女はとっくに捕まるか殺されていたということになる。
まあ、ゼフが居るので簡単にはそうならないだろうが、取り敢えず、彼等は純粋にリサーナを助けてくれていたのだ。
「そうか」
かといって、友好的なわけではない。リサーナと少年の間には事務的な会話しかなく、例の二人組と同様に素性を探ろうともしなかった。
それはリサーナも同じで、せっかく探られないというのに、相手にその機会を与えようとはしない。
「魔力抵抗はどうしようもできないから、今日も後から頭痛がするからな。安静にしておけよ」
声変わりが終わったばっかりの、見た目との違和感が少し残っている少年がぶっきらぼうに言い、それきり二人の間に会話は無かった。
ちなみに、魔力抵抗というのは、言葉そのまま魔力に抵抗する力のことだ。
肉体という器に備わっている魔力というものは、生まれた時から容量一杯にあるというわけではなく、自然界に溢れるものと内に眠る魔力とで徐々に慣れながら、大体十五歳前後で限界まで満ちていく。だからこそ、命はその不可思議な力と共に生きていくことができ、逆にそうでなければ、人間を例にすると、強大な魔力を持っている子が産まれた際、力に器が耐え切れず外気に触れた瞬間に破裂してしまう。
なので、この抵抗力は、成長していけば自ずと弱まり無くなっていくのがアピスでの常識だ。
極稀に、100%の抵抗力を持っている者も生まれたりもするが、その場合は魔術師にはなれないが、代わりに魔法を打ち消す力を持った存在となる。
そして、リサーナであるが、ついこの間まで地球に生きていた彼女の身体が魔力に慣れているとはいえず、中途半端に高い抵抗力を持ってしまっていた。その為、自身と自然界の魔力両方に身体が反応してしまい、魔法を使ったり使われた場合、何らかの影響が出てしまう。
つまり、治癒を初めて受けた日の夜の激しい頭痛や、異常な顔色の悪さ。さらにいうと、精霊王を解放した際の倦怠感がそれにあたる。
身体の再構築は魔力を宿す為のものでしかなく、種から芽になり、やっと魔力の情報が行き渡ったぐらいなので、当然の不調だったということだ。
ちなみに、懇切丁寧に説明をしてくれた治癒術師の少年だったが、そこに至るまでが大変だったりした。
リサーナが幼い少女だったなら、その魔力抵抗から数回に分けたのだろうが、少年は当たり前に治癒をしようとしたのだ。傷の深さからいって、一度での治癒が可能になると彼の持つ魔力が高いというのもあるのだが、理由は先ほど説明した通り、魔力抵抗なんて皆無だと思ったからだろう。
結果、その途中で目を覚ましたリサーナの身体は激痛となって少年の魔力に反応し、彼女は悲鳴を上げながら飛び起きた。
「あの糞爺……。この女の魔力抵抗が高いから、俺に回してきやがったのか! めんどくさっ」
残念ながら、リサーナが涙目で痛みに耐えていた横で少年が零した言葉は、身を案じてくれる優しいものでは無かった。だから、この時思わず、痛みによる驚きと怒りで少年を殺そうと思ってしまったのは、まあお相子に出来るだろう。
「顔色が良くなったな」
そして、少年が出て行った後、つい一昨日の事を思い出していれば、気配を殺していたゼフが声を掛けてきていた。
そのゼフも、無茶をしていた疲労がすっかり回復し、二人ともおかしい血色から、血色の悪い人と思われるぐらいの顔色になっている。
「お陰様で。というか、最近の疲れの原因は、ゼフにもあったってことだよね」
リサーナは、新しい情報を整理したことで気付いた点を遠慮なく口にし、ゼフが僅かにバツの悪そうな感じで視線を外す。
その反応から、どうやら魔力抵抗というものを知っていて、尚且つルシエがそれに毒されていると気付いていたらしい。
「……別にいいけどさ。知っていてもどうせ、魔力は消費しただろうし」
リサーナは、これといって負の感情は抱かなかったようだが、それでもゼフにしてみれば後ろめたい部分はあるようだ。
言わなかったのは、意味があるのか無いのか、それか言えなかったかなのだろう。結果が変わらなければ、どちらにせよだとリサーナは思った。
それにしても、治癒術というのは相当なものである。ほんの二~三日前まで死にかけ、身体を動かすどころか息をするのも一苦労だったというのに、短期間で食事も会話も、立ち上がるのはまだ無理だが、身体を自力で起こすのも可能となったのだから。
勿論、魔力抵抗は病では無いので、治癒を受ければ数時間後にはその影響は受けてしまうが、それでも纏わり付いていた死が嘘のようである。
「ねぇ……」
「駄目だ」
だからなのか。突然の改善による気持ちの和らぎからか、リサーナが何かを言おうとすれば、ゼフは予測していたとそれを防いだ。
あまりの早さに若干ふてくされるが、ゼフはさらに大きな溜息を付け加える。そして、強気な態度で窓を閉めた。
「けちだねぇ。大丈夫だって、……たぶん」
「何の為に、私が必死に助けたと思っているんだ。状況は確実に好転している。危ない橋は渡らせん」
閉じられた窓の先には緑豊かな美しい広場があり、そこにはルシエの目的である精石がある。
ただ、今の状態であれば、死ぬか生き残るか五分五分だろう。お世辞にもルシエの魔力は高くて才能があるとは言えず、体力そのものもやっと回復する余裕が生まれた程度。
リサーナもそれは分かっているからか、言ってみただけだと誤魔化して横になる。これから襲ってくるであろう影響を回避するには、眠る以外良い方法が無いのだ。
「おそらく、後一度治癒を施してもらえれば、後は自然に治るのを待っても大丈夫だろう。それまで我慢しろ」
まどろみながらそれを聞いたリサーナは、気付かれないようひっそりと身震いをした。その脳裏に、青い瞳がちらつく。
人だから分からないことがあるように、人だからこそ気付ける部分もあるのだと、リサーナは自身にそう言い聞かせた。自分が何か別のものに変わっていっているから、察しているのでは無いと。
とりあえず言えるのは、眠りに落ちていくリサーナが次に目を開けたとき、彼女はきっと嗤うはずだ。
平和しか知らないようなアズレイの街が、さらに穏やかな月の子守唄に包まれる時間。どうしようもない衝動に駆られ、人気の無い道を息を切らせて走る者が一人居た。
「俺は……」
目的の場所に辿り着いたのか、建物を見上げながら暴れる心臓を落ち着けるように胸を掴み、その者は中へと侵入する。
有り触れた宿、寝静まる廊下。階段を上り、焦がれる相手の居る部屋の扉の前に立ったところで、彼は小さく息を吐いた。
恐る恐る健康的な血が通る手がノブへと伸びていき、軋んだ音が彼の訪問を告げる。
「やっぱり、来たね」
まさか待ち受けられているとは思わなかったのだろう。扉の先で、月に照らされたその部屋の使用者が、ベッドの上で起き上がっているのに驚き固まるが、それでも力を加えられた扉は止まる事無く、内側の壁を叩いた。
「こんばんは。黒を捨てたい白の側の少年」
「……なん、で」
灰色の髪の青い瞳を持つ少年は、自分が受け持った患者であるリサーナに呆然と呟く。彼女は柔らかく微笑み、手招きをしていた。
「ここは、こんな時間にどうしたの? と聞くべきかな」
「気付いてたのか?」
「気付かないほうが、三流でしょう?」
くすくすと、女らしい笑い声が部屋に響く。
少年は、導かれるように部屋へと足を進め、リサーナの目の前に立った。
「俺の身体に染みついている臭いは、無くならないの、かな」
「無くしたいのなら、そもそも罪にならなかったでしょうよ」
何故、少年が夜更けにリサーナの元に訪れたのか。それは、二人にしか分からない何かがあるのだろう。
異変を感じたゼフが、慌てて具現し行動しようとするが、それをリサーナは目線も合わせず制していた。
少年は、浮かされたようにベッドの横に跪き、リサーナの頬へと手を伸ばしている。それを彼女は、拒否したりしない。
「お前からも、同じ臭いがする。……こべりついた、血の」
「そうだろうね。同類だね」
それは、堕ちた者にしか分からない感覚なのだろう。
少年にもいえることだが、リサーナは、彼が部屋に初めて訪れた際、真っ先にそれに気付いていた。
何故なのだろうか。浴びた返り血は、流せば臭いも色も消えるはずなのだが、数が増す毎にそれは濃くなり纏わり付く。
それこそが、奪うことそのものなのかもしれない。穢れ、なのだろう。
とにかく、二人はお互いに穢れているのだと知っていた。
「気付いてたなら、どうして」
どうして、追求しなかったのか。焦点が定まらなくなってきた瞳で、純粋に綺麗なだけだった青い瞳を濁らせながら少年は聞いた。
しかし、逆にリサーナが問いたかった。彼女は傷を治す為に、少年は自分の技を磨くために利用し、共通点はお互いに真っ当では無いということだけだ。そこに、素性や過去は不必要である。
とりわけ美人では無い目の前の少女を見て、少年は何かに惹かれていた。
「頼みが」
「それは私の台詞」
触れた場所からは温もりが奪われ、冷たさが少年に移る。
少年は、リサーナの茶色の瞳を見て、違うと思っていた。
そしてリサーナは、少年の青い瞳が、月明かりに照らされる辺境の湖のように綺麗に映っている。
ただ、部屋を満たすのは嗅ぎ慣れてしまった、嫌悪を通り越してしまった生臭いもの。しかし、共通点は共有点にはならない。
最初にリサーナが言ったように、二人は同じにみえて同じではない。彼等は違うのだ。
頬に触れる腕を取ったリサーナは、ゆっくりと身体を起こしてベッドの上で膝立ちになり、少年に顔を近付ける。
警戒してビクリと揺れる彼を無視し、彼女は吐息を混ぜ合わせながら笑う。
「理解出来ても、同じでは無いんだからさ」
ハッと瞬く少年の頭をリサーナは撫でた。
血の臭いが纏わり付いているということは、少年もまた、誰かを殺めたことがあるということだろう。
こべりついているのならば、その数は決して少なくは無い。
ただ、二人の違いは、堕ちた所から這い出たか、現在進行形で奈落の底へと堕ち続けているか。勿論、後者がリサーナである。
治癒術師の少年は、その称号の通り救うことを職としている。それが善人であれ悪人であれ、だ。
「それに、君がするべきは治療すること。私が求めるのは、治療してもらうこと。憐れんで欲しいのなら、嘆けばいいだけ。償いたいのであれば、この先も今まで通り、持った力を使い続ければ良い。それ以上も以下も無い、でしょう?」
「でも、俺は」
「汚れの無い、まっさらな人が居ると思うの? それに、汚れを汚れだと思えるのなら、君は真っ当じゃない。這い出たいのであれば、もがく以外出来る事は無いと思うよ。奪うということは、一つ救えば帳消しになる程甘くは無いと分かっているから、君は捨てたいんでしょ」
二人の会話は、本当に分かる者しか解れないものだった。
リサーナの言葉に口を噤んでしまった少年に、彼女はにこりと笑った。
不幸は、人に心がある限り避けられないものだ。それと幸せが同量に降り注ぐことも、まず無い。
だからこそ人は幸せを求める。そして、不幸を嘆く。だが、不幸こそが幸せを導き、だからこそ幸せは素晴らしいものとなる。
そして、不幸が人の原動力となり、糧となるのだ。
人はどうしてか、幸せだった事を思い浮かべろと言われても、すぐさまこれだと記憶を掘り起こせない。しかし、不幸をと言われれば、いくらでも出てくる。
それこそ、不幸が人を形成しているのだと、言葉にするより分かりやすいものではないか。
リサーナは、その幸せを掴んだ者がわざわざ捨てるようなことをする姿こそ、愚かで醜悪だと感じていた。だから、少年がとても美しく映っていた。
それは、結局淡く弾けて記憶に残りにくいものではあるが、焦がれるのであれば、がむしゃらに喰らいつけと――
「いい加減、やきもきしてたんだよね」
そこまで優しく諭してあげるようなことをしないが、リサーナは瞳の奥でそれを伝え、深夜の訪問を非難するでも、少年の勝手な切望を拒否するでもなく、自分の利益の為に言った。
刻一刻と過ぎていく時間の中で、寝ていることしか出来ない自分。焦りは禁物だと言われる上に自身も思うが、人間であるリサーナだからこそ、精霊には無い物差しで先を計ることが出来る。
猶予なんてものは、ルシエの中に始めから無かった。
少年の過去は、彼にしか分からない。それでもきっと、彼は生きる為に汚れてきたのだろう。アピスはそういう世界である。
生まれた時の白から、現実の中で黒へと。そして、治癒術師として生きている今、黒から白へ――
リサーナにとって、そこに残る黒こそが、とても胸を躍らせるのである。
そして、少年の耳元へと身体を伸ばし、「残り少ない黒を私に頂戴」と囁く。「黒から黒へ移ったところで、誰も咎めたりはしないよ」と。
「出来れば、魔力抵抗を下げる方法で。どうせだから、治癒もしちゃってよ」
拒否させないよう触れるだけのキスを与え、リサーナは同意を求めて首を傾げた。
その姿こそ、リサーナ本来の役割で相応しいもの。されるがままだった少年は、操られるようにゆっくりと彼女の身体を押し倒していく。
青い瞳は、少年が昔宿していた色の残骸を浮かべ、目の前の女に釘付けとなる。
『黙って、消えてな』
一部始終を見守っていたゼフが、これから先に起こる事を察して姿を現そうとしたが、それは少年に抱きしめられるリサーナが声無く放った言葉によって叶わなかった。
ゼフとしては、何が何でも止めたいものだったが、繋がれた契約によって抗う術が無い。
その時の苦渋を噛み殺したような表情が可笑しくて、リサーナは口元を歪めながら、心の中で高笑った。
「私は、黒しかいらないの。だから、代わりに白をあげるよ」
そしたらきっと、誰にも負けない強さが手に入る。彼等は、そう信じて止まない。
「いい、のか?」
最後の確認をする少年だが、リサーナは揺れる瞳に視線を合わせ、真っ直ぐに言った。
「治療の一環だと思えば、何も気にしなくていいよね。今日、君を此処に導いた欲望は、内に残る黒が私を求めているからだよ」
人は、悪魔が怖いのでは無い。誰もが簡単に悪魔になれるからこそ、怖いと感じるのだろう。自分では止められない隠したい本質が怖いのだ。
だからこそ、リサーナは囁く。悪魔として囁く。
「偽りは、いらないんだ」
名も知らない二人の男女は、そうして肌を合わせるのである。