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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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上辺の後悔






「先輩、いい加減にして下さい! 貴女も、大人しく寝てなきゃだめじゃない」


 長く続いた睨み合いは、様子を黙って見守っていた女の一喝で幕を閉じた。

 男の手を払いのけてリサーナの肩を掴んだ手が、有無を言わさず枕を背もたれにして身体を起こした形にさせる。


「ほら、先輩は後ろを向いて。傷はどこ?」


 そして、自己紹介や自分たちが何故部屋に来たのか等の説明を後回しに、拒否権は無いと強気に聞く。女は一目見ただけで、リサーナの熱は怪我からくるものだと見抜いていた。


「……左肩と左脇腹」


 リサーナとしても、治癒してくれる可能性があるのであれば、警戒しつつも従うべきだと判断する。

 答えながらのろのろと服を脱ごうとすれば、女がそれを制して素早く上着を剥いだ。すると、その下にあるのは素肌ではなく、半分以上の面積を占める包帯だ。そこは、傷の度合いを示すかのように血が薄っすらと滲んでおり、さらに化膿しているのでその色以外にも染まっている。

 想像以上だった傷に、女は思わず息を呑んだ。そして、よく生きていられたと本音を零す。

 リサーナの頭では、まだ傷の言い訳が思い浮かんでおらず、恐る恐る包帯を外そうとしている手に困惑した。


 その様子を、背を向けているはずの男が悟られないように観察している。

 今はまだ、誰かも分からない人物が部屋を訪れて、流れに呑まれて従っている少女でいられているだろうが、それでも、死にかけているはずなのに気丈に振舞い続けていられれば、段々と怪しむものになってしまうだろう。


 気を張れば、安心できるゼフだけが居る時の様に弱々しい姿を晒すことは無い。

 リサーナにとって当たり前のことは、普通であれば出来ない事。傷の度合いは、それほどのものなのだ。


「盗み見る、ぐらいなら、普通にして」


 しかし、それに気付くどころか、リサーナは男に向けてそう言った。彼は、気付かれていたことで僅かに驚き、彼女の言葉によって自分へ非難の目を向けてくる女にバツが悪そうに笑う。


「そりゃ、助かる。大丈夫だ、そんな貧乳見たところで」


「いい加減にしないと、縫いますよ? 色々と」


 驚きを悟られないよう誤魔化せば、仲間である女の方が手痛い反応だ。男が観察するリサーナは、包帯に張り付いた傷が痛むからか眉を顰めて、特に不審な点は無い。

 たまたまか、と男が思っている間に、肩の傷が空気に晒された。


「これ、は」


「もう一方も診てからだ」


 思わず止まった手を男が急かす。傷を見た途端、男の表情が真剣なものに変わり、リサーナは焦った。

 尚更、目を合わせては駄目だと視線を次に外される包帯に縫い付ける。

 実は、始めの睨み合いをリサーナは後悔していたのだ。熱に浮かされた頭は、判断力や思考すらも奪う。

 二人が只の治癒術師では無いと気付き、特に男は歳を食い人生経験がある分、性根を読み取り自分の瞳から何かを感じ取ってしまうかもしれないと危惧する。

 リサーナがいくら平凡で演技に長けているとは言え、何度か瞳に変な評価を受けている身だ。迂闊だったと痛みによるものを装い、唇を噛んで意識をよりはっきりさせようとする。


「二人は、どうしてここに?」


 そして、意識を自分の動きだけに向けさせない様、真正面から聞いた。


「私達は、高位治癒術師なの。丁度、下に食事をしにきて、女将から貴女の話を聞いたのよ」


 聞いたからには放って置けないからと女はすんなりと答えてくれた。

 男は観察の視線から、今度は傷を診るものに変わっており気を抜けるわけではないのだが、それでもリサーナは内心ほっと安堵する。


「っ!」


「……肩でも、十分なのに」


 その隙を狙ったわけでは無いのだが、女は脇腹の包帯を剥がし終え、途端、部屋の空気が変わった。

 高位治癒術師であれば、幾つもの傷を診て治癒してきているはずだ。そんな者でさえ怯んでしまう程のものは、一般人であれば卒倒してもおかしくは無い。

 リサーナの傷は真っ赤に爛れ、血と組織液の混じったものを滲ませながら彼女を蝕んでいた。


「触っては駄目よ!」


 脇腹の包帯を外した際の激痛は、リサーナに大きなダメージを与え、思わずそこを抑えて蹲りかけた。

 女が慌ててそれを止め、背もたれにしている枕に押さえ付けて手で瞳を閉じさせる。その手は淡い水色の光を帯びながら、リサーナの激痛を和らげていった。

 荒くなった熱い息が段々と落ち着いていくが、女は気付かない。その影で、リサーナが薄く笑っていたことに。


 自分が、名も知らない相手になすがままにされる程切羽詰っていることや、治癒術師の二人が何も気付かず悪魔に手を貸していること。その全てがおかしくて、思わず笑う。

 それと同時に、リサーナは何故かアピスに来て初めて泣きそうになった。

 優しさで良心が痛んだわけではない。ルシエやサイードであったなら、ほくそ笑んだことだろう。自分(リサーナ)だからこそ、そうなったのだ。


 ゼフだけが気付き、悲しげにそれを見ていた。


「火傷の下に、……刺し傷? どうしてこんな怪我を」


「え? あ、えっと」


 しかし、その気持ちも、女の零した疑問に気にしていられなくなる。散々困っていたくせに、結局良い案が浮かんでおらず、リサーナはどもるしかない。

 正直に言うわけにはいかないが、かといって単純に襲われましたで済ませるのも不自然。そんな時、途中から黙って傷だけ診ていた男が、徐に容赦なくリサーナの身体を触り出す。

 ぎょっとした女とリサーナだったが、男は気にせずに肩と脇腹の傷を交互に見やり、顎に手をあて考え込む。

 緊張から冷や汗が出てくるリサーナだったが、しばらくすると、男はふむと一人納得して口を開いた。


「無茶な止血をしたものだ。肩と脇腹、出血を止めたのは正解だが、その方法が悪すぎる」


 瞬間、警戒は最大に。流石、高位治癒術師というところか。同時に、下手な誤魔化しをしなくてよかったと、リサーナは心から思った。


「止めなきゃ、死ぬと、思ったから」


 そして、咄嗟に出た言葉は、我ながら厳しいとしか言えないものだった。ゼフも、視線だけでそれは無理があるだろうと非難している。

 しかし、言及されると構えたリサーナの予想を裏切り、女ですらそれに突っ込んでくることは無く、黙って治癒を施し始める。

 何があったのか、どうやって止血したのかも、それ以前に素性さえ聞かずにだ。こうなると、助かる反面、逆に警戒してしまう。


「一度に治すのは無理だな。せっかくだから、アイツを寄越すか」


「はい」


 二人はそれだけ言って、説明もせずに勝手に話を終わらせた。

 戸惑うリサーナとゼフを他所に、彼等は金銭を要求することも無く部屋から出て行き、半ば呆然と見送るしか無かったのである。












 時は僅かに進み、謎の二人組みが訪れてから数時間後。外はすっかり、闇で支配されていた。


「信用するのか?」


 二人きりになった部屋では、小さな言い争いが勃発していた。

 リサーナは、大分具合の良くなった身体を起こして、仁王立ちするゼフを嗤う。


「するわけないじゃん。でも、治癒してくれるのは確かなんだから、それを受けない理由はないでしょ?」


「しかし、何かしら裏があると考えた方が良いだろう」


 ゼフの言い分には、リサーナも勿論同意する。あの二人が何を考えているのか分からない限り、警戒しないわけがない。もしかすると、その正体に気付いている可能性もあるのだ。それは、彼女に常に付き纏う危惧である。

 ただ、治癒をしてくれたのも事実で、会話から想定すれば完治するまで面倒を看てくれるらしい。であれば、まずは最大の障害となっている傷の問題を解決するべきだ。

 それに、誰かを寄越すらしいが、もしそれが治癒ではなく捕縛や討伐を目的としているのであれば、返り討ちにするだけ。その前に密告していると気付ければ逃げれば良い。

 ゼフにはそれが容易く、そうなったとすれば、リサーナはその身を犠牲にして水の精霊王を解放するだけだと考えていた。

 つまりは、なるようにしかならず、なるようになるということだろう。


「どっちにしろ、タダで死ぬつもりは無いから安心しなよ。私がここで死んだとしても、ある程度この世界も地球も持つだろうし。その間に、代用は見つかるでしょ」


 そして、リサーナは、とんでもないことまで言い出した。

 ゼフは、呆れるどころか本気で怒りを抱いたようだ。


「私は、お前以外と契約するつもりはない」


「はは! っ、ゼフはほんと、嘘が吐けないんだねー」


 しかし、リサーナは笑った拍子に傷を痛めながらも、楽しそうである。

 ゼフがより一層表情を歪ませるが、それすら何のダメージにもならないようだ。

 長身すぎる男に仁王立ちで睨まれる迫力は相当なものだというのに、リサーナは軽く、「だって事実でしょ」と返している。


 ルシエが解放した精霊王は、現在二人。本人にとって、たったの二人だ。それでも、世界の均衡はかなり改善されていた。

 精霊を視覚できるまでには至っていないが、それでもルシエは、脆弱だった力が回復してきているのを感じているのだ。

 だからこそ、いくら自分が最後の頼みの綱だとしても、最期にはならないと思っている。ルシエの死と世界の滅亡は比例しない。

 そもそも方法は、状況が変われば幾らでも見つける事ができ、代用なんてものはそこら辺に転がっているものだ。

 

 ゼフが持つ情報全てを曝け出しているわけでは無いが、事実を口にしない代わりに嘘も言わない。故に、否定をしなければ肯定になるとリサーナは知っている。


 リサーナは、合わせていた視線を窓の外に移しながら膝を抱えた。


「お前は、本当に危ういな」


「……何が?」


 そんなリサーナを窓側に追いやり、同じようにベッドの上に座りながらゼフは言う。彼女が顔を向けずに返すと、彼は無理やり顎を掴んで視線を合わせさせた。

 幾らか美しさを取り戻した翡翠は、真っ直ぐに注がれている。


「私には、生きようとしている様には見えない。死の概念がない私でさえ、それを恐れないその姿が恐ろしく見える」


「ははっ、何それ」


 リサーナは噴出しながら、カツラをずるりと外した。


「んなわけないっつーの。死は当然怖いさ。ただ、それ以上に恐れるものがあるだけだ」


 くるくると、カツラを指で回して遊びながらサイードは呟く。死が、安寧でもあると気付いただけだと。

 ゼフは正直、ここでリサーナからサイードになってくれてホッとした。彼にとってリサーナは、一番表に出て来ないからこそ最も作られていると感じる存在で、何より嘘の塊だ。

 ただ、続けられた言葉は今までで一番サイードらしくないものだった。


「だから(サイード)(リサーナ)であり、あいつ(ルシエ)あの子(紗那)だった者なんだよ」


 明らかに意味が分からないと訴えるゼフを無視し、サイードは頭を振って寝てしまった髪を整える。

 ゼフは夜に浮かぶその姿が美しいと、素直に思った。


「生きる事に意味を求めるのをやめた途端、世界が広がった気がした。そしたら案の定、自分の生きていた場所は狭くて小さかった。様は、受け入れて流されたいだけだな」


「意志に関係なく、か?」


 ゼフが思わず伸ばした指の長い爪が髪を弄び、サイードは気にせず窓の淵に肘をついて、再び外を眺める。

 傍から見れば、男同士で際どい間柄に思える光景で、サイードもそれに気付いたのかゼフの手を払いのけていた。


「意志なんてものは、貫き通せなければ所詮ただの願望で羨望だ。夢も、追い求めて追いつかなければ、ただの幻想。俺は、やりたい事をやるだけだな。それこそ、もう嫌だと思ったら、救世主で悪魔な今の状況だってすぐに投げ出す」


 きっぱりと言いきった言葉に嘘は無かった。

 しかし、それに対し、意外にもゼフは笑う。


「お前は、そんな無責任な放棄はしない」


 ゼフは、サイードが一番素直で不器用だと思っている。

 買い被りだと言おうとした口は、ゼフがあまりに優しい手つきで頬を撫でた事で固まってしまっていた。


「お前の言うやりたい事は、己に出来ることと同義だろう? お前は確かに無鉄砲だが、簡単に投げ出す無責任では決してない」


 そして投げられた言葉は、サイードにそってそれこそ先程以上に買い被りなもの。

 だが、今度こそ反論しようとして笑いながら横を向いた時、まるで世界がそれを認めないかのように、身体に異変が起きた。


「っ!?」


 頭を横に動かしたことでスライドした視界が、そのままぐるぐると回り続け、身体は制御を失いグラリと傾く。それに加え、解放の時に似た激痛が頭に生まれ、無意識にその部分を手で抑える。

 もう片手は、ゼフの身体を掴んでおり、何とか倒れずにすんでいるという状態だ。まるで、内側で何かが暴れているような感覚だった。


 おかしいのが、サイードの異変にゼフが戸惑っていないところだ。彼は、冷静にサイードを支え、さらには線の細い身体で包み込んでくる。


 その時、弱さをみせないサイードから最も弱いリサーナに思考が代わったからだろうか。お互いに伝わる体温に戸惑いを感じたリサーナだったが、それがどちらのものだったのか分からなかった。


「大丈夫だ、眠ってしまえ」


 しかも、考える前に赤子をあやすように囁かれた言葉によって、深い闇へと誘われてしまう。


「……二度も、過ちを犯すつもりはない」


 さらには、頭の片隅で聞こえたものが、心を引き裂くが如く悲しみを抱かせる。髪に落とされた口付けが尚更、そうさせた。


 この時のゼフの表情を見ていたのは、窓の外に浮かぶ細い月だけだ。それは、空が醜く嘲笑っていると思わせるような形をしていて、彼は忌々しげに睨みつける。

 暫く腕の中の身体を抱きしめていたゼフは、そっとベッドに横たえて脇に腰掛けながら、自分の両手を眺め続けた。

 

 伸ばすことの出来なかった手。

 もう二度と離しはしないと思い、やっと伸ばせた手で掴もうとしたものの、それは純粋な想いでなければ届かないのだろうか。代わりを求めてしまったから、掴む事が出来なかったのだろうか。

 後悔を背負う一人の王は、影を追い求め続けたために光に気付けなかった。


 



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