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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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浴びるのは、悲しみと歓喜の雫




 溢れる水源と、水の精霊王の眷属である虹色の雫(オンディーヌ)の治癒の能力により、憩いの国として知られる水の国。

 そんな国の首都の次に大きく、世界で最も安全な場所としても有名な街アズレイには、自慢の広場がある。

 そこでは、大昔に造られたという大きく美しい噴水を中心に、緑に溢れ花が咲き乱れていた。家族と、友人と、恋人と過ごす有意義な時を与えてくれる場所であり、平和の象徴。

 しかし、現在人々が最も集まる噴水の周囲は、重々しい空気となっている。

 その理由は、噴水の中心で、空に飛ぶ水を楽しそうに浴びる美しい女性が象られた像の右目にあった。

 スカイブルーのクオーツがはめ込まれた美女は、両膝をついて両手を掲げ、空へと想いを馳せている。それは空を映しているのか、水の力を凝縮させているのか。とにかく、そのクオーツこそが水の精石である。


 まさか唯一無二の精石が野ざらしにされているとは、アピスの人々であっても初めて目にした際は驚くことだ。

 しかし、いくら雨風に晒され続けても、その輝きが失われることは無い。美女は常に、水の国の成り立ちをその右目で見てきているのだ。

 そして、最も安全な場所と言われるのは、精石が放つ気配の柔らかさを浴びながら生活している人々の温厚さからきているのだが、勿論、盗み出そうとする不逞の輩は五万といた。

 だが、誰一人として、美女から右目を奪うことは出来ていない。抉り出そうとしても決して抜けず、美女を地に押し倒そうにも、台座にも彼女にもヒビすら入れられない。

 なので、普段は衛兵が定期的に見回りに来る程度だった。


 しかし、とある噂が世界中で囁かれ初めてから、長閑な噴水の周囲は仰々しい場所へと変化する。見回りだけだった管理体制が、衛兵だけでは無く首都から派遣された騎士まで加わり、昼夜問わずの厳重な警備。その数なんと五十人。

 一般人は、近付く所か見る事すら叶わなくなってしまった。


 何故、そんなことになってしまったのか。全ては風の国の首都が半壊した事が原因だ。天災レベルに多くの犠牲者を出した一夜が故意に引き起こされたものだというのは、今や子供でも知っている。

 ただ、だから警戒しているのでは無い。幾つもの不確定な噂の中の一つに、悪魔と呼ばれるその犯人が、精石を破壊する能力を持っているというものがあるのだ。

 それを知った水の国の権力者達は、一部では風の国のデマだと言う者もいたが、それでも即座に精石の警備を命じた。杞憂で終わればそれで良いと。

 精石そのものを安全な場所で保管できればそれが一番だったが、残念ながら我侭な美女が水浴びを止めるつもりは無い。


 水の国は中々に危機管理能力に優れているらしく、それによって人々が不平を漏らすかもしれないとも想定しての警備の数だったのだが、民すら精石の無事と加護の永続を願って、許される範囲まで近付き膝を折った。


 そうして、仰々しくはなったが今までと変わらずの平穏な日々の、ある晴れた昼下がりのこと。精石の間近で任務に当たっていた騎士数名が、ピシリという不吉な音を耳にした。慌てて精石に目をやると、その瞳は普段と変わらず輝いている。

 念の為周囲に怪しい奴がいないか調べさせるが、これといった連絡も無い。


 仰々しい噴水の周囲を除けば、草の上で寛ぐ者、デッサンに励む者、美しい旋律の歌を口ずさむ者、愛を語り合う者。今まで通りの風景だ。


 そして、騎士達が気のせいかと思った矢先であった。


 ――ピシ、ピシ、パリン!


 まるで泡が弾けるように、雛が卵から羽化するように。小さな音を発てながら、水の精石が粉々に砕けて消える。

 光を放つわけでも、突風が生じたわけでもない。その瞬間を見ていた騎士達は、だからこそ呆然とするしか無かった。

 癒しの象徴であり、癒しそのものでもあった精石を、水の国はあまりに呆気なく失った。

 それでも、瞳を失った美女の像は楽しそうに微笑む。いや、もしかしたら、よりいっそう微笑みを深くしたのかもしれない。


 解放を、祝して――








「残念だが、私には無理だよ。諦めて他を当たってくれ」


「誰も完治させろとは言っていない! 出来る範囲で治癒してくれと言っているのだ!」


「しかし、それでは治したとは言えんだろう?」


「くそったれが!」


 苛立ち、憤る声と冷静で冷淡な言葉が、ある宿の一室で交わされていた。

 椅子が派手に蹴られるが、扉は無情に閉まる。ベッドで眠っていた者は、その大きな音で固く閉じていた瞳をうっすら開いた。


「また、なの?」


「これで五人目だ……。これだから人間はっ!」


 禍々しい殺気を放つゼフだが、直接床に座ってベットの脇で項垂れている。弱々しい動きの腕が、彼のフードを優しく落とし髪を撫でた。


「そんなに、焦らなく、ても……。ここは、虹色の雫(オンディーヌ)が多い、から。まだ、頑張れる、よ」


 リサーナは、なんとか出せている声でそう言った。指先は冷たいが、額からは汗が流れて熱があるようだ。


 ゼフは約束通り、あれから四日で腕のある治癒術師が最も集まる街アズレイに辿り着いた。隈はかなり濃くなっており、美しい翡翠も大分輝きを失っているところから、相当無理をしたのだろう。


「これ以上熱があがれば、お前であっても……」


 ゼフがリサーナの額に手をやり、苦々しく零す。そこからは、異常な温もりが伝わってきた。

 熱が出ているということは、傷が化膿してしまっているのだろう。このままでは、体力を失うばかりだ。


 アズレイに着いたのは昨夜の事。宿の女将は、それはもう驚いたことだろう。顔を隠した怪しげな男が、腕に死にかけの女を抱えながら夜遅くに現れたのだから。

 そしてゼフは、それからずっと、街中を治癒術師を探して駆け回っている。

 しかし、その結果は先ほどの会話からも分かるように、全員が全員匙を投げるという最悪のものだった。

 それは、治癒術師には――魔術師全体にいえることだが、明確な資格と体制が無いのが原因だ。その為、腕前は治した数に比例し、流石に擦り傷をいくつ治したところではならないが、ある程度の傷を治し、死者を出さなければ、人の評判と噂が術師のレベルを定めていく。

 だから、リサーナの治癒は拒否され、そしてそれは、紛れもなく彼女が死にかけていると言葉より無情な形で示されている。


 そもそも、普通であれば当に死んでいてもおかしくはなかった。

 水の国には治癒と幻術に秀でた虹色の雫(オンディーヌ)が多く、無償の助けをしてくれているからこそなんとかなっている現状。意識がまだあるだけでも、奇跡である。


「水が起きていれば……!」


 ゼフは、力を持っていながら、何も出来ない自分に苛立って仕方が無かった。

 幸か不幸か、アズレイは水の精石のある場所でもある。しかし、解放はルシエにしか出来ず、今の状態でもし実行しようとしたならば、魔力も体力もほとんど失っている状態故、その先には確実な死しかない。

 他人を頼るほか二人に打つ手は無く、それさえも絶望的であった。


 リサーナは、微かに笑った。


「どうした」


「いや、自業自得、だよなぁ、って」


 弱々しい動きで首を動かし、悪魔が人の助けを欲しているのが皮肉だと言う。ゼフも、思わずそれには苦笑して同意した。

 ただ、それがリサーナの自分への慰めだと理解しつつ、悪魔と言って欲しく無いゼフは、彼女の額のタオルを冷やすために立ち上がりながら口を開いた。


「確かに、お前は正しいことをしていない。しかし、間違いを犯しているわけでもないだろう」


「気休、め?」


 冷やしなおされたタオルが気持ち良いのか、ほっと溜息を吐きながら、今度はリサーナが苦笑する。頬に添えられたゼフの掌の冷たさもまた、彼女の心を穏やかにさせ、ゼフの瞳もとても柔らかにその表情を見守っていた。


「違う。人間からすれば、間違っているのだろう。しかし、精霊(わたしたち)からすれば、それこそ自業自得なのだ」


 しかし、その言葉を聞いたリサーナの瞳は揺れた。一瞬、リサーナでは無い色を持った気もする。


 ――わたしたち

 その中には、リサーナも含まれていた。しかし、彼女は人間である。それは、未来永劫変えられない。

 人間でありながら、精霊側。精霊側でありながら、人間。

 その足場は僅かしかなく、立場はあやふやだ。


「……そう、だね」


 今更な事実に揺れてしまった精神を、傷のせいで弱っているだけだと誤魔化したリサーナは、悟られないよう殊更苦笑を強くした。


「お客さん、少しよろしいですか?」


 そんな時だ。控えめなノックの音と声が、二人の会話に割って入った。

 ゼフはさっとフードを被り、リサーナが気配を探ろうとするのを手で制して指で扉の向こうの人数を示す。


「気配、消して」


「もうやっている」


 敵意の無い気配はどうやら三つ。何が目的だとしても下手に言及されないようゼフに精霊化を命じれば、彼は既にやっていたらしく、どちらにせよ視えてしまうリサーナは頷いて目を閉じた。

 どうやら、寝たふりを決め込む様子だ。


「良い、入れ」


「お客さん、失礼しますね」


 そんな二人を知るわけもない扉の向こう側では、上からの高圧的な男の声に対し、宿の者らしき相手が動揺しながら答えている。

 開いた扉の前には、三人の人間が居た。


 精霊化したお陰で悟られないゼフが監視する中、彼等は了承も得ずに部屋へと入ってくる。一人は、昨夜自分を迎えた宿の女将であったと気付いたが、見覚えの無い残りの二人へ、彼は警戒の目を向けた。


 反対にリサーナは、寝たふりをしているので状況が分からず、しかし気になって仕方がないのか僅かに瞼が痙攣している。


「この子か」


「はい、もう見ていられなくて」


「……可哀想に」


 そうして、リサーナが目を開けたい衝動と葛藤と戦っている間に、訪問者の三人は、彼女のベッドの前まで来て何やら会話をしていた。

 高圧的なのは老齢の男で、もう一人の謎の人物は年若い女。女将はその二人の後ろに付くように立った。

 その女将を抜いた二人は、青いラインが目を引く騎士の軽装に似た白い服を着ており、左胸には水の紋章である半漁の女の刺繍がある。


 女はベッドの脇に片膝をつくと、徐にリサーナの額のタオルを取って手を当てた。

 ゼフは黙って様子を見守っている。


「っ! 凄い熱。どうしてこんなになるまで、放置されているの。術師は呼ばなかったの?」


「それが、この子を連れてきた方が、何人か頼んでいたみたいなんですが」


「断られたのだろうな」


 どうやら全員、敵意を持って部屋を訪れたわけでは無い様子だ。それどころか、リサーナの状態の酷さを憤り、女将の言葉に女が舌打ちまでしている。

 ゼフとリサーナは、もしかしたら、と淡い期待を女将に向けた。――治癒を頼んでくれたのかもしれないと。


「……先輩。これは、普通の治癒術師を探しても無駄かと思います」


「仕方が無いな。取り敢えず、起きてもらおう。判断はそれからだ」


 ただ、予想しろとは無理な話ではあったのだが、リサーナはこの時点で起きるべきであった。女の横に立っていた男が動き、彼女の身体に遠慮なく腕を伸ばす。


「っ――!?」


 リサーナは、声にならない悲鳴を上げながら飛び起き、ゼフも唖然とする。


「先輩!」


「これが一番手っ取り早い」


「一瞬あの世が見えたわ!」


 静かだった部屋は、一瞬で賑やかになった。ただし、男の行動に非難の目が集中する。

 元気を取り戻したかのように起き上がって大声を上げたリサーナであるが、身体が回復したわけではない。そして、寝たふりはやめておけばよかったと、人生で最大の後悔を経験しながら、フラリとベッドへ倒れ込んだ。

 何が起きたかは、あまりの男の奇行に詳しくは控えるが、意識を取り戻させるためだとしても、怪我人にするべきことでは無いとだけ言っておこう。


「そんな気力があれば、後一週間はいけるな」


 危うくベッドから落ちそうになった彼女を支えてくれた男の手は、先ほどの奇行とは打って変わって優しさが籠められていた。


「今ので、三日に、なった」


「十分だ」


 年寄りになると、若者の皮肉も可愛いのだろう。男はリサーナの恨みの視線に笑い、蒼い瞳を揺らした。

 彼女がそのまま横に視線をスライドさせれば、その先には男と同じ色の瞳の女がいる。女将はその後ろで、あんぐりと口を開けて呆然と取り残されていた。


 視覚ではっきりと情報を得ることができるようになったリサーナは、一瞬だが確実にゼフと視線で会話をし、彼は僅かに頷いていつでも動けるように三人の背後に移動する。それを確認し、視線を男に戻した彼女は目を細めて苛立ちを映した。

 どうやら謎の二人が虹色の雫(オンディーヌ)と契約を結んでいると気付いたらしく、そこから情報を得ることが出来ないのが理由なようだ。

 出来る事が出来ないという憤りに、我慢ならないのだろう。尚更、自分の弱さを自覚する。


「で、だ。お前、誰?」


 ただそれも、恨みの視線を無視した男の言葉に消えてしまう。

 それは此方のセリフだと、リサーナとゼフの気持ちがシンクロした。


「じ、じゃあ、私はこれで」


 しかも、女将は空気に耐えられなかったのか、リサーナに「安心していいからね」と言葉を残し、あっという間に逃げてしまった。

 視界の端でその行動を映しながら、リサーナは答えずに男を睨んだ。明らかに、名乗るつもりは無いと瞳は言っていて、男も一歩も引かない。


 その影で、お互いに相手の情報を忙しなく奪おうとするのだから、男が一般人では無いのは確かなのだろう。そうなると、黙って二人の様子を見ている女も同じだ。

 二人とも腰に剣を携えていないので、騎士では無い。虹色の雫(オンディーヌ)と契約をしていると分かった時点で、魔術師であり治癒術師だと気付いてはいるのだが、そうだとしてもそれが安心する要素にはならず、期待はあれど布団に隠れた手が小剣を握っている。


 そして、警戒とは別に、違うことでも頭を働かせなければならなかった。もし、彼等が期待通りだとすれば、それを逃してはならないのだ。

 女が一人、宿で寝ている状態を押しかけてきたのだから、警戒しても言い訳は立つ。だが、怪我そのものを言及されれば、正直に言えるわけがない。

 その誤魔化しも考えなければならず、リサーナは必死で頭を働かすのだが、熱で朦朧とする状態だと情報を得るだけで精一杯であった。






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