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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第四章:捻くれX合せ鏡=共有
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新月から満月へ、時は止まらない



 殆どの人は逃げる事を恥じ、従う事を忠誠心が高いと称賛する。特に、位を持っていれば尚更である。


 サイードと突然現れたレイスとの間に、月が作った雲の影が通った。その後光に当てられたレイスは、酷くやつれている様に思える。


 逃げる者と追う者。その身を自身の為に犠牲にする者と、誰かの為に捧げ従う者。

 たとえ、逃げる事で成し遂げられる何かがあったとしても、両者が与える印象には雲泥の差があることだろう。


 しかしどうだ。爽やかさに溢れていたレイスが今や、クリーム色の髪は無造作とは言い難い乱れ具合で、髭も放置し、濃い隈の出来た瞳をぎらつかせるだけ。輝いていたはずの誇りは、見る陰も無い。


 だからとはいわないが、忠誠心という素晴らしいものも、誰に捧げるかで塵に変わるのだろう。

 つまりは、だ。結局は意志というものが、人の死に様をつくるのかもしれない。


「ここは、大地の国だが?」


 サイードは、焦りも驚きもしなかった。

 気だるげな姿勢でレイスと向き合い、知りたいとも思わない質問を口にする。


「風と大地は同盟を結んでいる」


「あー、そんな情報あったな」


 ただ、頬を掻きながら薄い反応しか返さないが、その表情は思いの外楽しそうだ。

 殺す価値も無いとみなしたレイスが追ってきたからだけでは、そんな反応は示さなかっただろう。彼の有様がきっと、琴線に触れたのだ。


 サイードは、「国とは面倒なものだよな」と笑った。

 国交、同盟、政策、画策。民の為と豪語するそれらは、果たして本当にそうなのだろうか。結果的にそうであるだけで、実際は、体裁を保つために行っているだけなのかもしれない。

 しかし、それが民の平和を維持するのも事実。ただ、だから民は気付いた時には戦火に身を投じなければいけなくなるのだ。


「それに比べれば、お前はかなり恵まれていたのになぁ。気付けば、剣の持ち方も知らないのに人を切らなければいけない、なんて状況になることが無く腕もある。なのに、選ぶ相手が馬鹿王子じゃあ、誰も羨んではくれない」


「……貴様は、どこまで何を知っているのだ」


 意味深な言葉にレイスはたじろぎつつ、その手はしっかりと剣を掴んでいた。

 サイードは、レイスの言葉に「さあねぇ」としか返さず首を傾げる。やけに可愛い子ぶった仕草は、彼を煽るだけである。


「で、だ。何か様か? そもそも、首都があんな事になっているのに、民に大人気の騎士様が国外にいては、不安は広がる一方だろ。それは騎士道に外れてるんじゃないのか」


 ギシリと、レイスが奥歯を噛み締めた音が聞こえた。

 しかし、サイードは、わざとらしく何か音が聞こえなかったかと耳に手を当てている。それを受け、レイスは逆に冷静になれたのかもしれない。今更になって、サイードとの対峙の仕方を学んだ様だ。

 そう、サイードの言動全てを真面目に捉えていては、頭の血管は一時間も持たず破裂してしまう。なので、自身により優しい対処法は真に受けない、それに限る。


「姫様が、お亡くなりになられた。……暗殺されたのだ」


「……は?」


 そうして言ったレイスの言葉に、サイードは耳に手を当てた格好のまま口をポカンと開けることになる。中々に間抜けな姿だが、本人はそれを気にしている場合では無い。

 ただ、レイスの言葉自体に驚いたのではなく、彼がそれを言った事がそうさせた。サイードは風のお姫様との別れをしっかりと済ませてあり、それどころか命令さえ受けた身だ。


「まさかお前、それを言う為だけに俺を探してたとかじゃないよな」


「貴様、知っていたのか? これは民にさえ、まだ公表されていないことだぞ」


「質問したのは俺だ」


 大きな呆れの息と共に手を耳から下ろして揺らし、落胆しているのか僅かに身体が前のめる。そして、「だからお前は嫌いなんだ」と聞かせるわけでもなく呟いた。


 その正義感と、従うだけの自己の無さ。矛盾し、薄っぺらいそれのなんと惨めなことか。白を黒と偽るならまだしも、黒を白と偽り仕方がなかったと装うための原動力にする。そのくせ、言うことだけはお綺麗で道徳的で、重みを感じない。

 それが、サイードがレイスに下した評価である。


 自分のペースを乱されたことがお気に召さないサイードは、頭を掻きながらゆっくり身体を直立に戻し、視線をレイスから外した。

 けれど、その先には川の水面に写るレイスが居る。今のやつれた彼では無く、一人の少女が想いを寄せていた騎士が写っていた。


「ま、隠して当然だろうけど。首都はあんな状態で、まさかみんなが大好き騎士様が、みんなが大嫌いな王子の駒として動いていて、実はかなり賢い聖女だった王女様の暗殺に手を貸していたんだからな」


「なっ!?」


 サイードが手をズボンのポケットに入れ、再びレイスに視線をやれば、彼は途端青くなり驚愕の声を上げた。

 それが、レイスが隠していた真実であった。

 お姫様の騎士でありながら、その命を狙う。サイードが知っているのはそれだけであるが、自分に関係の無い継承権争いの情報を知っているだけでも十分である。サイードは再び嗤った。


「私は、ただ国の為に!」


「ホントウに? 俺は賢くはないが、どう考えても馬鹿王子に謙って、国や民の為になる何かを得られるという答えが出せないんだが」


 そして、「お前の言葉はだから空っぽなんだ」と言った。


「信念、意志、あるのは結構。だがな、行動で示せなければ、結果がついてこなければ、何があろうと無意味だ。結局のところお前は、俺以下なんだよ」


 きっと、それはレイスにとって何よりも屈辱な言葉だ。悪魔以下だと言われて喜べる騎士がいるはずない。

 言葉を失うレイスに、サイードは一歩だけ近付いた。


「んで、まじでそれだけを言いに来たのか? 違うだろ?」


 クツクツと、虫の声に代わってサイードの笑い声が月光に飾られる。何度も何度も雲の陰が二人に落ちて、吹き始めた不吉な風が木々を揺らす。

 答えないレイスを置いて、サイードの視線は何度か近くの木々や背後に送られていた。田舎の村にある宿は、裏手を川と林で囲まれている。人が隠れるにはもってこいである。


 レイスにしてみれば、自分は正しいと信じていたのかもしれない。しかし、その結果にあったのは無情な現実のみ。彼の中で女王は存在してはならないものだったのか、馬鹿王子と称される次男が素晴らしい人間に映ったのかは分からない。

 それで国が安泰するのであれば、それはそれで良かったのだろう。しかし、実際はレイスの今の姿が全てを物語っている。やつれた顔、草臥れた服。自身が選んだ選択がそれを作った。

 その責任、その後悔は、レイス以外に持てないものだ。


 分岐点はきっと、サイードとお姫様が出会った森の中。今考えれば、彼女はそうする為に危険を顧みずあそこに居たのだ。


「私は、姫様を手に掛けてはいない」


 黙っていたレイスが発した言葉は、サイードにとってやはりからっぽだった。呆れつつかきあげた前髪から覗く右目は、左と比べさらに鋭い。


 お姫様の最期をサイードが知っているかどうかは別にしても、今の言葉はあまりに酷かった。

 確かに、殺したのはリュケイムである。そして、恐らくリュケイムとレイスに繋がりはないだろう。ただそれは、お姫様の死をレイスが悔やみ、自分の行動や選択を後悔した時、本人以外の誰かが慰める為に使うべきもの。

 少なくとも、それを望んだレイスが自身の為に口にするのは、あまりにおこがましいものだ。目論み、結果が伴った時点で、部外者という言葉が当てはまらない。


「へぇ……。じゃあ、こういうのもそれに当てはまるな」


 サイードが心底呆れた表情をしてそう言うのと、近くの林の闇の奥から、蛙の潰れるような声が聞こえるのは同時であった。


 一瞬の静寂の後、大気が周囲の感情に揺れる。レイスは声の方向に身体を向けながら、真っ青になりつつ驚き、次にサイードの腕と手の形から何が起こったのか悟った。

 平静なサイードと怒りに恐ろしく顔を歪めるレイス。どちらがより狂気じみているか、誰が決められよう。


「あーあ。今死んだ奴、災難だったな」


「貴様が殺したのだろう!」


 この場には二人しかいないと思われた。しかし、サイードは気付いている。林の奥に、少なくは無い気配があることと、全員が自分に殺気を向けていることを。

 そして、それが分かっていて、闇に向かって小剣を投げたのだ。


 レイスは、サイードの行動で剣を抜いて怒鳴る。ばれていることなど百も承知と、警戒を強めた。

 しかしサイードは、潜む者たちにもよく聞こえるよう、わざとらしく面白おかしく声を張る。


「何言ってんだ? 俺は、なんとなく気分的に、林に小剣を投げただけだ。そしたら偶然、木に当たって跳ね返り、たまったまそこに居た奴に刺さった。だから、俺が殺したわけじゃない」


 まるでさも正論だと言わんばかりなサイードであったが、レイスのグリップを握る力は増す。


「貴様が投げなければ、死なずに済んだだろう!」


 そうして、レイスはまたもや怒鳴る。しかし、最早彼には騎士団長の威厳はまったく無い。


「くっ、はははは!」


 サイードは、レイスとの試合の時のように、突然身体をくの字に曲げて笑った。木霊す笑い声は遠慮がなく、宿で寝ている人々の眠りを妨げたかもしれない。

 しかし、それでも止まらない。あまりの馬鹿らしさを、あまりに都合の良い解釈を、サイードは笑う。


「そういや、森での二度目の襲撃の時も、お前は俺が弾いた暗器がお仲間に当たったのを見て憤ってたよな」


「そうだ、貴様のせいでどれだけの者が無念な思いをしたことか」


 一頻り笑ったサイードは、ふと思い出した事を口にしてレイスの反応を見る。そして、予想通りの答えを聞いた途端、まるで今までの笑いが嘘だったかのように無表情になった。

 誰かが、ゴクリと唾を呑む音が聞こえる。剣の抜かれる音もだ。


 サイードは、一際大きな雲が月を隠し光が自分の元に戻ってくるのを待ってから言った。


「なら、何故姫様は死んだんだ?」


 そこには決して、情があるわけではない。同じ様に、責めも貶しも存在しない声。だからこそ、目を背ける逃げ場をレイスから奪う。


「誰が殺したかなんて、俺には興味無い。お前がどうして馬鹿王子に傅いているのかもな。だが、実力だけはあるお前が傍にしっかりついていれば、少なくとも死なない可能性は高かったはずだ」


「貴様が起こした騒動のせいだろうが! そのせいで私は!」


「そりゃ、騎士だからな。民の危険に駆け付けなくては、風上にも置けないだろう。だが、お前(・・)は誰の騎士だ?」


 レイスはサイードの行いを非難し、自分を正当化させようと必死だ。林の奥には、引き連れて来た仲間がいるのだから当然だろう。誤魔化さなければ、士気に関わってくる。

 しかし、どうやってもその立ち位置は変わらない上、先程からサイードは違和感を覚えていた。

 隠れる者達は二人の会話に動揺する気配を何度もみせるが、自分に対する怒りのようなものがまったく衰える様子がない。まるで、今の驚くべき事実をどうでも良いことだと切り捨てている。


 顔を限界まで青くさせたレイスを放置し、暫く思案したサイード。そして、十分彼に屈辱や慄きを堪能させた後、遊びは終わりだと囁いた。


「俺が暗器を弾くのでは無く、叩き落としていれば騎士が死なずに済んだように、姫様もお前が一人にしなければ死ななかったかもしれないな」


 結局、死んだ人間は戻らないのだから、無意味な後悔や仮説でしか無い。所詮、ただの屁理屈なのだ。

 それでも、レイスはまるで初めて気付いたとでも言いたいのか、かなりの衝撃を受けていた。


 この件に関しては、二人は同じだ。それがさらに、レイスにとっては悪夢である。

 死ぬ可能性を分かっていながら、何もしなかったサイード。死ぬ可能性を作るように、その傍から離れたレイス。共通するのは、共に見捨てたということ。

 小さな身体の活動を止めたのは実行犯(リュケイム)だが、その機会(チャンス)を与えた者とて同罪ではないのだろうか。奪う際の行動や関わり方の比重は、計量するものでは無い。


 そして、サイードがレイスを嫌悪する一番の理由は、その姿勢でも言動でも無く、正しくないと指摘されただけで簡単に揺らいでしまう信念にあった。


 後悔の無い人生程、つまらないものは無いだろう。それと同時に、自分を誤魔化してまで突き進む道も充実とは程遠い。時としてそれは、ただの我侭として片付けられてしまうこともあるが、それは結果が他人に理解されてもらえなかっただけのこと。結局、本人の評価次第だ。


 サイードは飽きたと大きな欠伸を一つ零す。

 そして、再度、本当の用事を問うた。


「……殿下が貴様を所望している。ここで我々の手に掛かりたくなければ、その力を殿下に捧げろ」


 吹っ切ったのか、それともお得意の逃げに投じたのか。顔を青くさせながらも、本来の目的をやっとのことで告げた。

 おそらく、ルシエの情報のあやふやさは、国王の仕業ではなく馬鹿王子のものだったのだろう。さすがの国王でも、首都の収拾と復興、王女の死の秘匿、それに加えて長男の事についても隠さなければならないだろうから、それだけで精一杯なはず。

 その隙に馬鹿王子は、自分の力をより強固にする為、数千もの死を嘆くのではなくそれを招いた力と存在を喜んだのだ。


「……この世界は、どれだけ俺達を馬鹿にすれば気が済むんだろうな」


 ポツリと呟かれた言葉。唐突に空を見上げた行動の意味。サイードは、これがこの世界の在り方というのであれば、滅んでしまえと心から思った。全て、皆、滅んでしまえと。

 そのくせ、本当にそうなってしまっては地球も道連れになってしまうというジレンマ。だから、焦っていたのかもしれない。


 アピスで時を過ごせば過ごす程、望まなくともルシエもその中に含まれていってしまうのだ。


「だから、壊すんだよ」


 唯一、何故と聞いてくれた今は亡き者に向け、今更ながら答えを与える。勿論、地球に影響が及ばない範囲でと付け足して。

 そして、それでも護りたいと言うならば、思う存分立ち塞がって楽しませてくれと――


 ルシエにとって、たとえ地球があまりアピスと変わらないとしても、見てきた限り此方よりは幾分良いのだ。比べる行為に必要なものさしは、自分の世界しか基準に出来ないのだから。


「答えを言え!」


 唐突に上の空になりかけているサイードに、レイスは怒鳴る。自棄という強気な態度を取りながら焦らすよう詰めより、事実、遠慮無しに向けられた剣が、脅迫で距離を縮めていく。


 生きたければ従え、拒否するのなら死ね。ぎらつく瞳がそう言っている。そのまま、僅かに顎を動かし合図をした。

 そうすると、やっとのことで周囲に隠れていた者が姿を表したのだが、その数は凡そ三十人。一人に対してその数は中々に多い。

 しかし、良く考えてみれば、首都を壊滅させた相手にその数だ。


「……舐めた真似をしてくれる」


 サイードとて、そうほいほいとあの時の魔法を出せるわけでは無い。あの爆発的な魔力は、契約の瞬間に生まれるオーバーヒートだ。

 けれど、その事実をまだ知らない分、怒りや屈辱を抱いてしまう。

 サイードの殺気に中てられながら、レイスだけが怯まずに剣を構えて笑った。


「貴様こそ、さっさと剣を抜け」


 未だに剣を抜かないサイードを見て、たった一つ、自分が上に立てる事を見つけ強気に戻れるレイスは、余程お気楽なのか馬鹿なのか。


「悪魔のくせに馬鹿なのか?」


 悪魔を賢いと思っているんだお前というものと、馬鹿はお前の方だろという二つのつっこみをグッと我慢したサイード。げんなりとした顔でレイスを見れば、彼は鋭い表情のままだ。

 しかし、突然そんな表情が驚きに変わった。瞬間、サイードの胃がざわついて嫌な予感を抱かせる。

 レイスの顔に、初めてはっきりとした余裕と自信が浮かぶ。


「あぁ、思い出した。私としたことが、怒りに思わず忘れてしまっていたようだ」


 構えを解いたレイスに、サイードは怪訝な顔しか出来ない。左右後方を固め、黙って二人の様子を見ている周囲の瞳も、指揮官である彼に集中した。


 お姫様が何故、最期までレイスを傍に置き続けていたのか。聡い彼女は、彼が自分の兄に付いて命を狙っていた事に気付いていたはずだ。

 もしかすると、お姫様は自信の想いと使命の狭間で戸惑い、聖女としての判断を誤ったのかもしれない。


「君は、違う世界……異世界から来た特別な女の子らしいね」


 そしてルシエ自身、最も良しとしない自惚れが密かに潜んでいたのだろう。

 戦友という二人の間柄、そこに裏切りというものが成り立つのかは定かでは無いが、たっぷりと間を空けてレイスが告げた言葉に、サイードは呟いた。


「やらかしてくれた」



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