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その背に黒の羽根を  作者: 林 りょう
第三章:捻くれX騎士=水と油
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輝きの消えた夜



 闇夜。不吉さを表すかのように、頭上の星はその輝きを隠し月は潜み、身体を撫ぜる風は生暖かく不快だ。それは、ウェントゥス全体を走り回り、王城の正門横の城壁の前も通り過ぎる。

 そして、そこを過ぎた風は生暖かいだけから血生臭いを加えて、再びウェントゥス中に吹いていくのだった。


 城壁の前には、大袈裟な人だかりが出来ていた。いや、状況を見れば大袈裟とは言えないかもしれない。

 平民は口元を押さえてそこにある光景から目を逸らし、慌てて駆け付けてきた城の騎士達は、驚愕と屈辱を浮かべる。

 

 警備を与る騎士だろうか。彼等が必死に周囲を宥め、現場保存をしようと奔走するが、誰もが動けずにいた。


「なんて、こと……」


 人々は、口々にそう呟く。その無残さに、無情さに、残虐さに――

 そして、失われた命が余りに軽く扱われている事で、同情と哀れみを抱くのだ。


「ほら、歯車は狂い始めた。……さぁて、どう出てくるんだろうね。いや、まだ動かないか」


 高く聳える正門の上で寛いで座るルシエは、人々がうろたえる有様を眺めながら呟いていた。短い髪は風に遊ばれ、精霊も嬉しそうにはしゃいでいるようだ。


 右目を隠すように流した前髪を人差し指で弄びながら、ルシエは微笑んで眼下の光景を観察し続ける。

 今居る場所は、相当大掛かりな足場がなければ、只の人が辿り着ける場所ではない。そもそもが、座って景色を眺めるところではなかった。


 誰も、そんな場所に犯人がいるとは思わないだろう。


 ルシエの視線の先、灰色の城壁は、人だかりのある部分だけ紅く染まっていた。それも無造作にでは無く、その色で鮮やかに文字が描かれている。

 そしてその字の下では、もう二度と動くことのない身体が三体、磔にされて壁を飾っていて、彼等はただ人を集めるだけの為に門番という立場のせいでそれを強いられた。


「まぁ、今はただ踊ってあげるよ」


 ルシエはそうして挑戦的に笑い、鉄の棒でしかない高度のありすぎる不安定な椅子の上で、足を無造作にぶらつかせながら何も無い黒だけの空を見上げるのだった。


 片手は髪を弄び、もう片方では暇つぶしにするかのように、指輪と剣とを交互に変化させて。剣の銀だったブレードは、毒々しい黒に変化していた――








 ルシエが王城の正門で優雅に夜空を眺める一時間前。丁度、お姫様との別れを済ませた直後まで時間は遡る。


 サイードは、城の敷地内を堂々と歩いていた。


「お探しの人間が直ぐ傍に居るって知ったら、(ここ)の連中は面白い顔してくれるだろうな」


 顔を隠す布の下からは、くぐもった笑い声が聞こえていた。


 サイードは目的地へと暫く歩き続け、足を止めた時には、目の前に敷地の最南端の古びた塔が闇夜に寂しく伸びている。


「ここか」


 石造りのその塔はそう高いわけでは無く、一度見上げて入り口へと視線を戻す。扉すら簡素な木で造られ、痛んで茶色にくすんでいる。


「王道だと、塔といえば囚われのお姫様なんだけどねぇ」


 サイードは、やれやれといった感じで呟き、片手を扉に添えようとした。


「っ……いってぇ。大した懸想なこった」


 しかし、それは叶わなかった。

 サイードが扉に触れようとした途端、まるで弾かれるように指先に痛みが走り、そこから僅かに血が垂れる。地面に落ちる前にそれを舐め取りながら、サイードはもう一度塔を見上げた。


 御伽噺に出てきそうな城に似合わない塔の天辺近くには、しっかりと窓がある。ベッドのシーツなりカーテンなりを使えば、簡単に脱出できるような高さだ。

 それは、先程眺めた時となんら変わらない。

 ただし、今は全体を覆うように薄い風のベールと、肌を刺すような厳かな気配がそこにはあった。


 ――汝、立ち入る、許さん


 さらに響いた声のような音。サイードは驚く事無く静かに目を閉じ、ただの音にも聞こえかねない声を理解しようと集中する。


 声は、そう言っている気がした。


「俺が何か知っていて、そう言うのか」


 咎めるでも命じるでもなく、低く返せばベールが揺れる。


 ――友、為なれば


 恐らくこの声は精霊のものだ。それも、サイードが今まで意思疎通を図ってきた脆弱な存在では無く、精霊王には敵わなくてもティルダのよりは何倍も強い精霊。


 ルシエが借りは作らないという名目で受けたお姫様の命令は、彼女の一番上の兄、本来であれば第一位王位継承権を持つ王子を救えというものだった。

 そして、その王子は目の前の塔で療養という隔離、いや、自身が契約している精霊に護られている。


 正直言えば、こんなことをする必要は無い。命令と言えど、強制力は皆無なのだ。それでもサイードは、面白いと思った。

 簡単に従ってくるだけの精霊よりも、こうやって反抗してくる方が良い退屈凌ぎになり、王子を救えれば、一国に借りを作ることにもなる。

 とはいっても、お姫様に精石を貰ったことでの借りを返すのだから、借りは作れないはずなのだが、その本人が消えてしまうとすればまた別だ。


 王女は死ぬ。それも、もう少しで。


 サイードもルシエも、それは知っていた。それでも救おうとは思わない。

 だから、見捨てる行為だと言ったのだ。


「その友の助けになれるかもしれないから来たとしても?」


 ――それは……真?


 サイードは、断片的に汲み取った精霊の言葉と根気良く会話をしていた。

 精霊が助けという言葉に反応し、ベールが弱まる。それを見逃さず、サイードはゆっくりと警戒させないように顎の下に布をずらし、マスクを片耳にぶらさげて顔を晒す。

 そして、無言で頷いた。


 精霊は思案しているのか反応を返さなかった。

 それでも黙って待ち続け、十数分後ぐらいだろうか、揺らめきながら風のベールは雲散する。

 そうして、扉が頼りない音共に独り手に開き、サイードは薄暗い塔の内部へと足を踏み入れた。


 塔の内部は薄暗く、不安定な階段が螺旋状に続いている。それを黙々と進んでいくサイードだったが、暫くするとベッドだけしかない狭い部屋に辿り着いた。お世辞にも、一国の王子が暮らすような部屋には思えない。生活感はまったく無く、豪華なベッドだけが辛うじてその身分を主張するだけだ。


「ほとんど死にかけだな」


 ――我、なんとか、保っている


 その部屋は階段同様、灯りすらなかった。

 いくら闇夜に慣れた目でも、星の瞬きも月の輝きも無い今日のような夜では、足元とほんの先が見えるだけである。そんな暗闇で、何故王子の様子が分かるのだろうか。

 いくら狭いといっても、塔の天辺のこの部屋の入り口に立つサイードと王子のベッドまでは、十数歩の距離があった。


 ――死、見えるか


 それは、人間だけが抱く疑問では無かったのかもしれない。精霊があり得ないと言う様に、今までの抑揚のない声色から一転、驚きを表に出しながら聞いた。


 サイードは、思い出したかのように耳にぶら下がるマスクを付け直し、布はずらしたままで目を細める。まるで、何かを見極めるかのように――


「……死の可能性なら見える。悪いが風を起こしてくれ」


 それは、サイードにしかない()だった。ただ死に近い人間が分かるという、何の力にもならない邪魔な異質。死期が近ければ近い程、サイードの右目にはその人物の身体を覆う様に黒い靄が映る。それだけである。


 サイードであれルシエであれ、髪の下に隠す方の目が可笑しいのは分かっている。ルシエになった時には決して見えない光景が、サイードの時にだけ映るのだから当然だ。

 ただ、分かっていたから髪で隠していたわけではない。かといって、隠したからそうなったというのも違うだろう。

 だからこそ、意味の無いものとはどうしても思えない。


「まぁ、お告げみたいなもんだ」


 精霊は深く追求しなかったが、部屋に吹いた緩やかな風に乗せて呟かれた言葉には、誰かに宛てた明らかな挑発が含まれていた。


 それはともかく、サイードの右目には部屋に入った時、何も映らなかったのだ。部屋全体が黒い靄で覆われていて、だからこそ、死にかけだと言えたのである。


 そして、風により一瞬靄が払われ、その隙に王子のベッドの横へと移動する。

 土色の顔色をし脂汗を額に浮かべ、苦しそうに顔を顰める意識の無い新緑の髪が美しい青年がそこには居た。


「起こし続けろ」


 ――承知


 闇夜が得意な左目はその有様を、右目はそうさせる場所を脳へと送る。死の靄は、ただ本人を覆うわけでは無く、原因へも手を伸ばすのだ。

 例えば、サイードがリルを殺した時、身体を覆っていた彼女の死は、その靄をサイードの剣、変化させる前だったので指輪にだが、まるで結びつけるかのように伸びていた。

 だからサイードは自分が殺すのかと予想して、事実そうなった。


 そして、何故可能性なだけで死そのものでは無いのかというと、靄は本人の行動や周囲の事柄によって、簡単にその濃さを変化させるのだ。

 またしてもリルの時を例にすれば、サイードが初めて彼女と出会ったその時はまだ、僅かに薄く纏うぐらいにしか靄は見えていなかった。


 だから、可能性なのである。


 真実は違うのかもしれないし、本当はもっと違う力なのかもしれない。しかし現状では、サイードにはそれ以上の説明がつけられない。


「……へぇ」


 絶え間なく王子を包もうとする靄は、契約している精霊の起こす風で次々に流され、その間にサイードは彼を観察する。

 靄は、王子の左手を中心に湧き出ており、それを視認して遠慮なく服を巻くり腕を晒した時、サイードは思わず声を漏らした。


 王子の腕は、左目で見てもどす黒く変色していたのだ。


 ――魔、友に毒。友、綺麗


 ざわりと部屋を通る風が乱れるが、サイードは相手にしない。まるで王子を染める黒を辿るように黙々と服を剥いで、その肌に指を滑らせていた。


「お前の友は、魔力が高すぎるのが仇となって、悪意に満ちた精神を持つ者の魔力に毒されたってことだな」


 されるがまま、サイードに剥かれていた王子は、判断をつける頃には上半身裸の状態にまでなっていた。その晒された身体の首から下の左半身は全てどす黒い。


 サイードの、精霊との意思疎通のスムーズさには正直脱帽である。先程の、精霊にとっては全力の状況説明。あれは、しっかりと精霊の価値観を理解し、魔力や魔法といったものの本質により近い認識が無ければ、恐らく意味不明な言葉の羅列となったことだろう。


 ――友、頼む。任せた、友


「あぁ。その代わり、俺がどんな行動しても騒ぐなよ? 後、俺はお前の友になるつもりはねぇ」


 今だってそうだ。私達には、始めの友も終わりの友も、王子を指していると思えてしまう。なのに、サイードは当たり前のように会話をし続けていた。

 それはきっと、一朝一夜で可能なことではないのだろう。


 現に、こうして精霊と会話をするにも魔力が必要なのだ。何度も精霊と会話をしていなければこうスムーズに事は運べないと、何も苦労せずに進んでいるのではないと、そう感じるのは間違いなのだろうか。


「つっても、原因が魔力の侵食? だと分かっただけで、どう対処したらいいのかね」


 ちなみに、サイードがこの部屋を訪れたからといって、王子の死の可能性が薄まる気配はなかった。左の掌を最大に、王子からは靄が噴出し続けており、それは今のままでは何の力にもなれないと、それこそ視覚で突き付けられている。

 サイードは、自身の持つ知識を洗って、効果的なものが無いかどうか探した。


 靄は可能性を示唆するが、恐らくサイードはそれを逆手に取ったのだろう。可能性が低くなるのに、言動だけが効果を及ぼすわけでは無い。有効なアイディアが湧き出た時点で、靄は薄くなるはずだ。


 半ば確信を持っているサイードは、靄の出所である掌を持って思案をした。


 ――魔、取り出す。(ぬし)、吸える?


 精霊も、少しでも力になれないかどうか、自分の持つアイディアで問いかけた。王子を苦しめるのが魔力なのだから、それを取り出すもしくは吸えないか。そんなところだろう。


「魔力を吸い出す?」


 すると、サイードがハッとする。そして、ぶつぶつと小声で呟く。ほとんどが誰にも聞き取れないぐらいの声だったが、奪うという単語だけは辛うじて精霊にも伝わった。


「そうか、単純に奪えばいいのか」


 何かに行き着いたのだろう。そう言って自身の指輪に視線をやると、今まで変化することの無かった王子の死の可能性の噴出が止まった。


 ――委ねる


 精霊の合図にも似た言葉を受け、サイードの手には愛剣が現われる。競うものが無い輝きは、何時にも増して美しかった。


「風で一応、押さえておいてくれ」


 止めるのを忘れていた為部屋に吹き続けていた風だったが、サイードの意を了承したのか、それは王子とサイードの髪を浮かせつつ周囲を圧迫する。


 「俺はいい」と言いたいサイードだったが、面倒だったのか気にしない方向で、剣を王子の左の掌の上に垂直に掲げてゆっくりと落としていく。その切っ先が王子の中へと沈む際、彼の身体は大きく跳ねて苦痛に歪む顔をさらに濃くさせた。


「っ、暴れさせるなよ」


 掌から流れ出るのは黒から赤に。鮮やかにシーツを染め上げる血は、王子が生きているということを激しく主張する。

 サイードは、精霊が王子をしっかりと固定するのを待ってから瞳を閉じ、剣の柄頭(ポメル)を両手で包み頭を乗せて祈るように集中した。


「……う、あ゛ぁ!」


 イメージとしてはそのまま、無駄なものを吸い出すように。男装魔術師と戦った時に魔法を吸収した時と同じく、それでいてより精密に、サイードは王子を苦しめる原因を除去しようとする。


 王子は剣が掌を突き刺した時以上に、サイードが魔力を用いてそれを始めた瞬間、か細いうめき声を上げた。


 ――友、耐えろ


 風が狭い部屋をざわつかせ、王子とサイード共に額に大粒の汗を浮かべる。半裸の身体の黒は、まるで生き物のように蠢いていた。


「うわ、きっつ……」


 剣から逃げるようにそれは動くが、サイードは気付かない。思わず素直に零しながらも、瞳は閉じたままだった。

 得体の知れない魔力の侵食というものとの攻防は、数分という短い間であったが、静かながらも熾烈を極めたのだろう。ストローで吸い込むように、王子の身体から剣へと黒い魔力が移動し始めた時には、サイードの顔色は彼ほどでは無いが、ひどく青ざめている。


 ――主、終わった


 地味な戦いは、精霊の淡々とした合図によって終了を告げた。


「あー……、何だこれ。予想以上にきつかった」


 精霊の言葉で魔力の使用を止めたサイード。しかし、暫くは襲ってきた吐き気と眩暈と闘う羽目になり、動くことが出来なかった。

 反対に、王子の方は先程までの状態から一変、肌は健康時の色を取り戻し、呼吸も穏やか、明らかに回復している。


 ――主、剣


 精霊も、サイードの疲労などお構い無しだ。王子の回復に沸き立ち、掌からさっさと剣を抜けと文句をたれる。

 無事、お姫様の命令を遂行出来たのは、デルに造らせた剣による偶然の賜物だろう。こうした使い方も出来ると知れた点では、サイードにとっても素晴らしい事だが、それでも労いぐらい与えてやるべきだ。


「ったく、俺も忙しいっつーのによ」


 自身との闘いに打ち勝てたのか、それとも自棄になりかけているのか。

 サイードは、精霊が騒ぎ始める前に目を開けながら剣を引き抜く。その際、一度ふらついていたのだが、動けるのであれば大丈夫だと気にしていなかった。


 剣の切っ先からは王子の血が、弧を描きながら持ち主への身体へと落ちていった。


「サービスで王子の高すぎる魔力も喰ってやったから、起きれるようになったら制御(コントロール)の仕方教えてやれ。でないと、魔法くらったら次も同じ事になるかもしれない」


 そうして最後に精霊に忠告をし、懐から預かっていたお姫様からの手紙を取り出して王子の胸に置く。その手紙の上で両手を組ませたのは、悪趣味な悪戯であり、ささやかな仕返しだろうか。


 ――心、礼を。ありがとう


 これで役目は終わったと、休む事無く立ち去る背中に掛けられた言葉に、右手では剣を無造作に揺らしながら、左手を挙げて振って答えたのであった。


 サイードが自分の愛剣の変化に気付くのは、塔から出て王城の光が届く場所まで行ってからの事。王子の身に襲いかかっていた魔力の侵食という現象の正確な知識を得るのは、もっと先の事である。


「あぁ……、綺麗だ」


 少なくとも、今回の異例とも思えるまさかの他人を救うという行為が、結果的に本人にも喜びをもたらしたのは確かだろう。


 剣のブレードが漆黒に染まっている事に気付き、誰にでもなく零しながら空に掲げた時のサイードの表情は恍惚としていて、その姿の方が何倍も美しかった。

 同時に、取り憑かれたような危うさもあったのだが、残念ながらそれを指摘できる者は誰も居ない。


 そして、サイードはやっと達成できる目的への大舞台を用意する為、ご機嫌で城門へと向かい、三つの尊い命が失われるのである。





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