そして死が纏う
困惑、賛辞、驚きからの雄叫び。色々なものが混ぜ合わされた歓声が、大きく大きく響き渡った。
それはきっと、精石の奥深くで眠る精霊王さえ叩き起したことだろう。
誰もが、本人さえ想像していなかった光景がそこにはある。
一瞬の静寂の後に響き渡った音を愉快だと思いながら、その者は嗤った。
「負けた奴の言葉は、どれだけありがたいものでも、正しくとも、遠吠えにしかならない。……残念だったな。万が一、俺が人の言葉に心から従うことがあるとすれば、それは負けた時だ」
サイードは、レイスの首に剣を当てながら言った。
レイスは膝をつき、唇を噛み締めながら睨み付けているが反論はしない。
こうしてお互いが武器を手に対峙した時点で、たとえ試合であれ、そこは力がモノを言う世界になる。言葉が不必要だとみなされる場所だ。
幾多の戦いを経験しているレイスは、むしろサイードよりそれを知っている。だから今、何も言えないのだ。
それでいて、試合中にあれ程言葉を発していたのは、勝つと決め付けて侮っていたからに他ならないだろう。
絶対の自信は、ただの自惚れとなったわけだ。
「悔しいだろう?」
その無様な姿に、サイードはくつくつと頬を緩めた。見下ろす目線は冷たく、人の温もりが微塵もない。
試合は終了したのだが、サイードは剣を下ろさなかった。それを不審に思い審判が走り寄ってくるのだが、何故かレイスが手を翳して制す。
馬鹿みたいに周囲が叫ぶ分、その中心である筈の場所がひどく浮いている。そこでふと、レイスの表情が変わった。
「君は、可哀想な子だな」
ピクリ、とサイードの腕が動く。聞き覚えのありすぎる言葉だった。
レイスの瞳には、明らかな哀れみが含まれており、人にしかない強さがある。
「拒む事で檻を造り、それで身を守り、気付かないフリをする。自分は切り離された存在だと装って、そして心を誤魔化す」
首の横にある剣を素手で躊躇なく掴み、それを押しのけ立ち上がる。痛いだろうにそれでも剣は離さず、サイードの胸倉を掴んで至近距離で訴えた。
「怖いだけだろ? 世界に関わるのが。だから君は、壊そうとするんだろ?」
被害者面をして。レイスが掴んだままの剣は、容赦無く彼の手の皮を、肉を断ち、雫が剣身から刃先へと流れ地面に落ちていく。
情けも容赦も無い、まるで見当違いでありながら遠慮の無い言葉である。それが、サイードに、ひいてはルシエに見出した答えなのだろう。
問いかけでは無い、咎めの言葉だった。
あまりにも、身勝手なものである。
勿論、サイードの行動もそうではあるのだが、アピスの人間がそれを言って良いものだろうか。
被害者面――いや、実際にそうなのだ。
最終的な決断は本人が下したものではあるが、無責任な行動が一人の少女を殺し、知らないからとはいえアピスの人間達は、さらにもう一度殺そうとしている。
無知は罪だ。無知で居続けるのは愚かな罪だ。
世界には知が溢れているが、それでも知ろうともしない行為はそれこそが罪そのものである。
知れば善になるわけでも無いが、それでもだ。
サイードは流れる赤を眺めた。その視線はもう、レイスに見向きもしていない。
瞳が語るのは、剣が汚れた、それだけである。
「殺す意味も無い。お前が敵になるなんて、あり得ない」
ぼそりと呟かれた言葉が全てだった。嗤いすら浮かべず、サイードはレイスを捨て置いた。彼が障害になる程壁らしい壁を築ける男では無いと判断し、風の国でこんなにも自分が苦労しているのを馬鹿馬鹿しく思う。
不安要素は排除するべきだが、その不安にすらならないと感じた。
そして、静かに剣を指輪に変え、素早く戻して鞘に収める。そうやって、態々観客の目を誤魔化す行為すら阿呆らしくなった。
レイスがまだ何か言っているが、その耳には声が届く事は無い。
フイッと視線を横に向けたサイードは、来賓席のお姫様を見つめた。
その少女は、自分の騎士が負けたというのに表情を崩さず、むしろ微笑んでいる。そしてまた、サイードに向けて頷きを一つ。
今度は、サイードも同じくそうして何かを交わした。
「カワイソウに。どう見ても、良い王になるだろうに」
届けるつもりの無い言葉は、その意志に反してお姫様へと渡る。彼女は、予想外の賛辞に瞠目しつつも、年相応の花が咲くような笑顔で喜んでいた。
そして、桜色の唇が小さくか弱い言葉を紡いだ。
当然、爆音にも似た歓声にそれはかき消されてサイードまで届かないのだが、それでもしっかりと伝わったのかもう一度頷く。それは、先ほどとは違い、何かを了承するかのような仕草だった。
「この戦いが、今までで一番つまらなかったな」
胸倉を未だ掴まれているというのに、サイードはまるで一人でそこに居るかのように足を動かし、埃を払うような仕草でレイスの腕を外させる。
そして、そのまま背を向けて退場していった。
この後には表彰式が控えており、さらにそれが終われば、サイードに国の重鎮達が押し寄せてくるだろう。ある者は私兵に、ある者は純粋にその力を求めて。ただ、それに応える事は確実に無い。
まだ精石を壊すことと、その為に入城するという目的は果たされていないというのに、その足は控え室どころか闘技場の外へと向かっていた。
「ご主人様に憂いを持たせたくないのであれば、俺なんかよりあのヘタレを監視しろよ」
背後の物陰に隠れる者へとそう吐き捨てながら、サイードは喧騒に紛れて歩く。闘技場を出たときには、全身を黒が覆っていた。
頭の中では、何度も何度も可哀想という言葉がリピートされていて、サイードはすれ違う人を瞳で掠めながら言った。
「だったらあんた等は、オシアワセな奴なんだろうな。精々、泣き喚け」