声高らかに笑おうじゃないか
一回戦はあっけなく終わった。
「勝者、サイード!!」
観客の喉はどれだけ丈夫なんだ。サイードはそんな事を考えながら、足元の対戦相手を見下ろした。
間抜けに気絶しているその魔術師へ救護が駆けつけてくるが、腹部を殴られただけなのでそう焦ることもないだろう。
トーナメント形式の本戦で、サイードはあっさりと二回戦へのキップを手にしたのである。
「試合そのものより、気使わなきゃいけないのに疲れるな……」
魔術師はサイードにとってただの凡人。ただし、それを前面に出して試合をするのは、自分の首を絞めてしまうだけである。
仕方なく、精霊に対して攻撃を当てない様に攻撃してくれと頼むのであるが、こういった複雑な意思を伝えることがどれだけ苦労なものか。それが理解できるのは、極少数しかいないはず。
意思というものはお互いが明確に持っていなければ、より複雑な方が伝わらない。だからといって、複雑だから偉いだとか凄いというわけでもない。弊害とは何と便利な言葉か。
「まぁ、そう簡単にいくわけないわよね」
ステージから自分に向けられ続けた探りの視線の持ち主を笑えば、男装魔術師は観客席からヒラリと手を振った。その余裕から、彼女も勝ち上がったのだろう。
「立ち位置というか、そもそも場所が違うのにねぇ」
サイードは歓声を無視して今日の仕事は終わったと、ざわめく街の限られた静寂を探しに消える。
そうして、二日目を迎えた。
「それでは、ウィーネ杯二日目を開始する!」
高らかな声と雄叫びになりそうな歓声。二日目も、初日と同じく爽やかな快晴だ。
この世界の活動は朝日が基準である。夜もそれなりに蝋燭等の灯りで過ごせなくは無いが、普通の家庭で無駄に浪費しようとは思わない。
ウィーネ杯も平民のリズムに則って進められる為、サイードは今日も欠伸を相棒として控え室に居た。そこは、昨日よりは幾らか人数を減らして出場者で占領されている。
次々と、そして着々と一回戦の試合が消化されていく中、どうやら今日は誰もサイードに関ろうとはしないようだ。
男装魔術師も大剣使いも、ついでを言えば大斧使いも。皆、自己の精神統一を重視したり、武器の最終メンテナンスをしたりと忙しい。
勿論、体力温存の為でもあるのだろう。トーナメント形式ということは、勝ち上がれば上がる程、負担は大きくなっていく。しかも、相手のレベルも最初と比べれば格段に強くなるのだから、消耗戦であることは必至。
強者の多いこの大会でのその条件は、終わりの見えない戦争にも近く感じる。
その中でどれだけ温存、コントロールが出来るか。ペース配分も強者の必須スキルであるということだ。運はくじで、実力は勝敗で。そうして、即戦力となりそうな実力者を国が囲う。
ある意味、純粋な奪い合いが凝縮されていると言っても過言ではない。
「よし、これで二回戦進出者が出揃ったな。ここからは、予選と一回戦目で使ったステージが撤去され、闘技場全てが戦闘エリアになる。作業が終わり次第、順に試合が開始されていくから指示を待つように」
そして、集合時間から二時間と少し経った頃だろうか。僅かに息を荒くした魔術師が控え室に戻ってくると同時に、案内役である騎士がそう言った。
周囲がそれぞれ、室内の者に視線を巡らせる。サイードだけが『武』の出場者だけに限らせていた。
とは言っても十中八九、決勝には大剣使いのローブの男が上ってくるだろう。後は、そこに自分もいけるかどうかだ。
国を挙げて、しかも三年に一度で行われるこの大会。サイードは、決勝だけは毎回国王も観戦しにくるという情報を入手していた。その情報自体は、民にとっても周知の事実なのでそれ程重要ではないし、そう易々と国王が精石を持ち歩くと楽観しているわけでもない。
だからこそ、わざわざ出場して勝ち上がろうとしているのだが、果たしてどの程度まで力を隠しサイードとして動けるのかどうか。それが一番の難関であった。
目標はあくまで入城であり、万一にでも陽の精霊王の力を見られてしまえば、今の何倍も風の精石の破壊が困難になってしまう。
「陽の精霊王がどれだけ無茶振りしてたか、もう少し考えて動きゃよかった」
ひっそりと今更なことを呟いたサイードであるが、その言葉に自身の無謀さは含まれていない。
そうやって、これからの戦いの算段をいくつも考えながら二回戦目はスタートした。
相手はまたもや魔術師。最早、その様子を語るまでも無い。
今日は勝てばそのまま控え室、負ければ救護室へとが繰り返されるので、軽やかな足取りで退場するサイードだが、本人の知らぬところで予想外にその名は民衆へと広がっていった。
本人からすれば、重すぎて持っていられない、持てても満足に扱えない。加えて、精霊の補助を頼もうにも素材がそれに耐えられないから結果使えない。そんな理由で抜かないでいた剣であるが、他からは、武器を使わずに勝利する青年としてダークホース扱いされたのである。
その拳に篭手でも装備していればまた違っていただろうが、軽装だから尚の事。
俊敏性は華麗な動きに、緊張感の無い構えは優雅さに、見た目の軟弱さは本質を隠す謙虚さに。聴いたら悶絶するであろう表現をされ、期待と娯楽を求められていた。
全ては精霊のおかげでしかないのだが、観客が考えるはずもない。
そもそも、今まで精霊の加護や保護、補助と様々語っているが、それが魔法とどう違うのか。
魔法と人の持つ魔力、精霊については二度も語らないが、短く言えばルシエのそれは取引では無く分け与えられているということである。
今までの人と精霊の契約は、好みだけが全てであった。しかし、現在はそれに加えて精霊が自らを保つ為に取る生存手段の一つでもある。
精霊も生き物なのだ。だとすれば糧が必要となってくる。それが魔力で、今までは世界に溢れる分だけで十分だったのが、穢れに蝕まれたことにより質も量も極減してしまい、生きる為に契約する。
そうすることによって、自らの力を人間に使わせてやる対価に魔力を喰うのだ。
その過程で絆が生まれたら、それはそれで良いだろう。ルシエは精霊を縛る存在では無いのだから。
ただ、生存の理由で契約しているのであれば、精霊はルシエを優先し、自らが戦えない代わりに力を分け与える。
混同してはいけないのが、精霊の力と魔法はまた別モノだということ。
そしてルシエの戦いは、精霊と人間との戦いでもあるということ。――戦争なのだ。
精霊王を解放することでアピスのバランスが安定していけば、今説明したような生きる為だけに契約している精霊は簡単にそれを破棄するだろう。契約は力の大きい方が主導権を持つのだ。
ただ、これは全面的にルシエが優勢とは言えない。
個人を好いて契約している精霊はその破棄を望まないだろうし、相手の意思を尊重しルシエに牙を向く可能性だってある。
一対一であれば、区別をつけて対処出来るだろうが、遠くない未来、大勢と対峙することもあるだろう。そうなれば、一々精霊と意思疎通を図ってなどいられない。
風の精石を破壊する為に参加しているウィーネ杯だったが、気付けばそういった重要なことに気付かされ、ルシエは数少ない容赦の一つを消すに至った。
こんなことばかり考えているから、現在の自分の評判にまで気が向いていないのかもしれない。
「おいおい、次の相手はお前かよ」
無意識なのか、常に壁側に陣取っていたサイード。無表情を装ってその思考は複雑に働いていたのだが、それを邪魔したのは、昨日から何度も無駄に苛立たせてくる野太い声だった。
「どうやら、お互い運が良かったみたいだねぇ」
「あん? 俺様は実力で勝ち上がってんだよ、餓鬼」
ただ鍛えているだけ、と思える大柄な体つきの大斧使いは、しゃがんでいたサイードへ実に好戦的な視線を浴びせる。
それを皮肉で返せば、直ぐにこめかみに青筋を立てるのだから、言葉にしなくとも十分に小物だと教えてくれているはずだ。
「今からそんなにハッスルしてたら、試合中に息切れするよー。ていうか、汗臭いからまず行水でもしてこいって」
どうやらサイードは、苛立ったというよりも関わる事自体無駄だと感じた様子だった。逆上させようが嫌悪されようが、とにかく声を掛けてくるなと視線すら合わせずアピースしている。
しかしだとしたら、もう少し言葉を選ぶべきだ。これでは、相手の性格からして無駄に逆上させるだけ。
しかも、人数が減っている控え室では、現段階でそう大声を出さずとも全員に会話が聴き取られてしまう。
男装魔術師が一際大きく吹き出し「その通りだわ」と笑い、他の参加者も当然、あまり反応しなさそうなローブの大剣使いまでもが、壁に顔を向けて必死に隠そうとしつつ肩を震わせる。
「てめぇ、昨日からその口、躾がなってなさすぎじゃねぇか?」
「俺が不躾だったら、あんたは凄腕の調教師もお手上げなぐらいの野性味溢れる猛獣だろうよ」
毒、毒――毒。筋肉馬鹿と言ってやる方が、何倍も優しい心の持ち主なことだろう。
相変わらず目線を合わせずしゃがんだまま、意味もなく傍らの剣を触りつつ言った言葉で、大斧使いは顔を真っ赤にさせた。
いや、顔だけではない。自慢の筋肉まで同じくそうさせて、わなわなと怒りに震える。その右手も小刻みに震え、必死に武器を取るまいと理性を総動員させていた。
「ぷふっ! も、だめ、止めて……」
「これ以上は、流石に不憫だろう。……くふっ!」
しかし、世の中は無情なものだ。そんな大斧使いの努力は、サイード以外にもしていた自身の傍若無人な態度と浅慮な発言のせいで、部屋全体に笑いをもたらした。
全員がなんとか笑いを沈めようと頑張るのだが、自爆の嵐である。その中でも男装魔術師と大剣使いという勇者が、全力で止めようと間に入ろうとし、それも結局自爆に終わった。
爆笑の渦とはならないだけまだマシなのかもしれないが、それでも自分は強いと感じている大斧使いにとっては十分な屈辱だろう。ただ、彼は知らない。サイードにとっては、こんな侮辱はただの皮肉で序の口だった。
「俺が思うに……」
大斧使いが口を開く寸前、サイードの声が再び響いた。
抑揚が無いところから、そこまで本人は深く考えていないのだろう。
「まあ、全裸を見たわけじゃないから絶対じゃないだろうし、ていうかあんたの裸なんて無駄に吐いて体力消耗するだけだから大金積まれてもお断りだけどさ。背筋はその武器を使うには必要で褒められる付き方だと思う。実に機能性に優れてるね。だけど、上腕のは見た目だけでスピードを損なうし、胸筋も無駄。それならまだ、デブの方がマシって思うぐらいだ。あ、もしかして、大道芸もやってるとか? ふん! って鼻息荒く筋肉だけでシャツを破ったりして。それならまぁ、仕方無いか。大事な資金集めの為でもあるんだろうし」
深く、考えていないのだろう……。たぶん想像して、自分で笑ったのだと思う。小さく吹き出し、サイードはやっと顔を上げて大斧使いを見た。
「やめ――」
ちなみに言われた本人も周囲も、一気に喋られた言葉を理解するのに少しのタイムラグを有したようだ。
ポカンと呆けてる間にまたもや整った唇が動き出すのだが、大剣使いが一番最初に全てを把握し、なんとか静止を掛けようとしたが一歩届かなかったのである。
「ねぇ、俺にも見せてくれね? まじで出来たら、金払うからさ」
「てんめええええええぇ!」
至極真面目に期待の篭った表情を浮かべたサイードだったが、これだけ言われればいくら聖人君主でも平常心ではいられない。
大斧使いみたいな者だと尚更である。彼の必死の理性も空しく、気のせいではあったのだろうが血管の千切れるような音と共に、その手は背中の大斧を掴んでいた。
「待て!」
「落ち着きなさい!」
流石にこれには、周囲も笑ってはいられなかった。控え室担当の騎士も含め、二人の間に入ろうとする。
空気を読まずに一人キラキラした瞳を向け続けるサイードは、放っておいていいだろう。
「うるせぇ! ここまで馬鹿にされて黙ってられっか!」
しっかりと固定されていた大斧が、軽々と右腕一本で構えられる。至近距離で向かい合っていたサイードと大斧使いだ。素早く、そして軽く振るうだけで、定めた狙いへ簡単に突き刺せるだろう。
そうなったが最後、部屋は血の海。観客とは違い、悲鳴を上げて目を瞑るだけしか出来ない面子では無いので、ある者は自身の得物を構えて走り、ある者は魔法の詠唱を始め、ある者は傍観に徹する。
危うい青年を助ける為というよりは、可哀想な未熟者を罪人にさせてはならないと思っての行動の方が強い。
「死ねや小僧が!」
理性も何もあったものではない。その内を占める感情のまま、腕が振り下ろされた。
部屋には轟音が響き渡った。壁が砕けて大斧が突き刺さり、天井にまで亀裂を作る。
「坊ちゃんだったり、餓鬼だったり。小僧って、餓鬼より格上じゃない?」
だが、全員の心配は杞憂に終わった。
柔らかだが抑揚の無い声は微塵も変わらず、充満する砂埃が視覚で無事を確認させてはくれないが、そこに一切の負傷も匂わせていない。
「我願う、清浄な世界を」
誰かが迅速に魔法を使い、砂埃は直ぐに治まった。
そうして、サイードが扉の前で笑っているのを全員が見たのである。
「続きは試合で、ね?」
どうやって。誰かが呟くのだがそれに答えることはせず、サイードと自分が振り下ろした大斧の場所とを呆然と見比べる大斧使いに扉を示して促す。
そうすれば、全員がトーナメント表に視線を移すのだが、二人の一つ前の試合には、既に線が一本付け加えられていた。
「俺に剣を抜けさせてくれよ。やっと、武の奴とかち合ったんだからさ」
どうやら全員が、暇つぶしにと遊ばれたらしい。
ただ、それだけでは無さそうだ。
「良い感じに、狂戦士になれたでしょ?」
悪戯が成功した子供の様な言葉。
刺激を求めていたのか、未だに経験を求め生贄を作りだそうとしていたのか。はたまた、単純に昨日の仕返しか。
ともかくサイードは、楽しみだと笑っていた。