一人しかいない役者の舞台
焦りだけを募らせて働き続けていたリサーナ。夜も更けて光風の便り亭は、女将からその息子にバトンタッチし酒場へと雰囲気を変え男達で賑わっている。
夜の料理も仕込みは女将なので、酒よし料理よしの店はやはり人気だ。ただ、突然現れた看板娘は、さすがに一日働き続けるのは無理なので、夕食も兼ねてテーブルでまったりとしている。
時たまそこに酔っ払いが絡もうとしてくるが、この十日間で酒場には、食事をしているリサーナには話し掛けないという不思議なルールが出来ており、それは別の客が嗜めて防いでいた。
つまりは、抜け駆け防止策というところだろう。
身なりは全員が美人と評価するわけではないが、可愛らしくて独り身とくれば、放置されるわけがないというのが世の常である。
そういったわけで、喧騒の中静かに食事をするリサーナであったが、内心では爪を噛んで苛立ちを抑えたい衝動に駆られていた。
昼間の焦燥が引き金となったのか、どうやら我慢の限界が来ている様子だ。
たった三日で一つ目の精石を壊した身としては、これ以上は陽の精石の喪失が公に出るまでの猶予も消費され続けている上、十日も収穫無しで自分自身が許せないのだろう。
ただ、言わせてもらえば異世界に来てまだ三週間も経っていないのである。
しかしまあ、ルシエからしてみれば、地球を消させない為に来ているわけで、その現状を知る術が無い分募るものもあるのかもしれない。
それに、苛立ちの理由はまだあった。レイスと一方的な再会をして二日程経った頃から、どうにも監視されている気配がしていたのだ。バレているというよりは、何かを疑われている可能性が考えられ、落ち着いてもいられない。
そういったストレスの限界が今日だったということだ。
最早、顔を晒すのを躊躇っている場合ではないのかもしれない。リサーナは密かにそう唇を噛み、勝手に出そうになる殺気を全力で鎮めた。
「マスター、ご馳走様」
「おう。今日は直ぐに部屋に戻るか?」
食べ終えた食器を厨房へと片付け、息子へと声を掛ける。豪快な女将と違い、とても柔らかく静かな印象を与える息子を見ていると、腹の中で女将にはつらつさを吸い取られたのかと思ってしまう。
ちなみに女将だが、元気の秘訣は早寝早起きらしく、食堂の営業が終わると早々に寝てしまっている。
息子の問いかけに首を振ったリサーナは、「今日も少しお客さんと話をしていくよ」と再びテーブルへと戻った。
それを今か今かと待っていた飢えた狼共は、我先にリサーナを呼ぼうと躍起である。
リサーナも含め、面倒が嫌いな彼等が何故そんな事を自らやっているのか。それは、何時の時代も酒場は情報の宝庫だからである。
進展は無くとも、そういったことだけはしていたのだ。
客の輪に入っていくリサーナを温かく見つめる息子は、よもやその少女がそういった打算を企てているとは思うまい。
ちなみに、これまで得た情報の中には、ティルダのその後も含まれていた。彼はどうやら、リーダーとの戦いに打ち勝ったらしく、今はティルダ王として生きているらしい。
これには純粋に楽しみを抱いていた。もし次に会った時、どのように成長しているのか。会わない方が良いとは思うのだが、汚い世界でお優しい少年が揉まれ、果たしてどうなるのか。そこに興味を惹かれて止まない様だ。
そんな他国の事に関しても知ることが出来るのが酒場なのであるが、実際にリサーナが知りたいのは風の国の、しかも中心に関する事である。当然、レイスについてもそうだ。
どうやら風の国は、現在王位継承権でかなり揉めているらしい。王が三人いる子の内の誰にするのか決められないという。とはいっても、全員が女というわけでも無く、王子が二人と王女が一人。
普通こういったものは、長子が必然的に第一位になるはずなのだが、その長男は病弱で一年の大半をベッドで過ごし、なら代わりの次男はというと、民から馬鹿王子と呼ばれる程に浅慮で傲慢。王女にしても我侭娘だと専らの噂だ。
王の苦労がそれだけで理解できそうだ。民としても、国の先行きが不安だろう。
特にリサーナは、その我侭王女と面識があるので尚更である。ただ、あのお姫様がただの我侭娘だと思えなかったりもするが、それは心の中で呟くのみ。
そして、風の国自慢の騎士団ウィーネの団長であるレイスについてだが、彼は民に慕われる大人気の騎士だった。
生い立ちとしては、平民の出でありながらその剣の腕を買われ、アランドル伯爵家へと養子入りしている。
とはいっても、所詮は元平民。肩身の狭い想いをしながらも、それを感じさせない堂々とした立ち振る舞い、分け隔ての無い優しい性格が老若男女問わず受けている。
ルシエの持つイメージとは大分かけ離れているが、ここは黙っていてやるのがレイスの為だろう。
と、いうわけで、様々な情報を得ているので無駄とは言い難くあるのだが、状況的にもそろそろ潮時である。これ以上は、レイス側も何かしら監視だけじゃない行動を起こすだろう。
「ほら、リサーナ。驕ってやるから一杯どうだ?」
「ありがとう」
リサーナは、今日が光風の便り亭で過ごす最後と決めた。常連のおやじの勧めで一杯あおりながら一度、今夜の監視役へ目を向ける。視線の先に居た平民を装う青年は、恐らく報告か何かで知っているのだろう、リサーナが今までで初めて酒を飲んだ事に一瞬驚き、笑顔で自分のグラスを持って席を立つ。
それを確認すると、直ぐに視線が驕ってくれたおやじへと戻った。
「めずらしいな、リサーナが酒を飲むなんて!」
「というか、初めてじゃねーか?」
常連客達も、今までに無いその行動に不思議そうにしながら、それでいて嬉しそうである。リサーナは、楽しそうに笑いながらグラスを傾けておどけた。
「だって、飲んでみないと分からないじゃない。賭けてみる? 飲めるか、飲まれるか」
「いいねぇ。だけど、どう賭けるんだ?」
その提案に客が沸き立つ。そんな中、先程の監視役もいつの間にかその輪におり、値踏みするようにそう言った。
リサーナはグラスに残った半分程度の中身を一気に飲み干し、ダンとテーブルに打ちつける。
「そうね、一賭け一杯。全部飲み干したら私の勝ちで、潰れたら一番多く奢った人が私を一晩独占できる。もしくは奢られた分全部、奢り返す。これでどう?」
どっちがいいかというリサーナの問いかけは、酒場に響いた雄叫びにかき消されてしまった。
二杯、三杯と次々に客がマスターへと注文し、目の前のテーブルは直ぐに酒だらけとなる。監視役の青年は、まさかこう返されるとは思わなかったのか、ヒクリと頬を引きつらせた。
しかし、目の奥で自らも狼を臭わせる。
「大丈夫かい、リサーナ」
「たぶんいけるよ。ちょっとしたお礼みたいなものだから、マスターは気にしないでね」
次々とコップを空け、平気そうに言うリサーナへ肩を竦めたマスターであるが、その顔は楽しそうでそこまで心配している様には見えない。
精霊の力を軽く使えば実際、治癒の要領でアルコールなど簡単に分解できるため、この賭けは既に勝敗が決まっているようなものだ。
女の姿であるからこそ小悪魔といえるが、腹の内は悪魔。可哀想な客達は、この十日で少し荒れてしまった手で転がされていた。
「ふふ。まあ、飲むだけじゃあ楽しくないし、いつもの様にお喋りしながらでいこうよ。騎士様は、皆が賭けた数の記録をよろしくね。たぶん全員、字書けないだろうし」
どちらが接触しているか分からなくなりそうな状況で、リサーナは上手い具合にペースを自分へと持っていく。
指示を受けた青年は、懐から自然に紙を取り出して従っていた。その影で、隠していたリサーナの報告書がこっそり精霊の風によって取られているとも、そして、今の言葉が相手のレベルを計る為のものであったというのにも気付かずに。
騎士だからといって字が書けるわけではない上、この世界での識字率はそう高くは無い。字が書けるというだけで、平民であってもそこそこの地位や立場、環境の中にいる人間だと考えられる。
それに、そもそも青年は平民を装っており、一言も自分が騎士だとは言っていないのだ。
このあからさまな値踏みに気づかないということは、経験が浅いか実力がたかが知れているということだろうが、リサーナの作る場の空気に呑まれているせいなのかもしれない。
「あー、でも念のため、限界決めとくよ? 三十杯が限界ねー!」
「おうよ!」
「まかせとけ!」
ノリに乗った客達。この世界には、地球に比べ娯楽が少ない。だから、こういった小さな賭けは日常茶飯事で、誰かが取り締まるっていうことも無かった。
さらには、いつ死ぬか分からない瀬戸際な日々を送ってもいるわけで、人に残る数少ない本能も手伝って、男女の情事というものにもモラルが薄いというか、寛大というべきか。とにかく、リサーナぐらいの歳であれば、既に咎められたりすることも無い当たり前な事なのである。
こうして、今夜の光風の便り亭はリサーナの独壇場となり舞台が開幕する。
ここで何かしらの活路を見出せなければ、状況は悪くなる一方。それだけ切羽詰っているのだと実感できるのは、当然本人しかいなかった。
「お、おい。流石にペースが早すぎないか?」
「余裕余裕。まだまだいけるよー?」
「そうだぞ小僧! 地味に自分が一番賭けてるくせに、格好つけるんじゃねーよ!」
「リサーナ! 三十じゃなくて四十杯にしてくれねぇか!?」
ガヤガヤと盛り上がる店。下手くそなサイードの似顔絵に見つめられながら飲む酒は美味しいとは言えないが、周りが次々と出来上がっていく姿には笑いが抑えられない。
「風の国の栄華にかんぱーいっ!」
「乾杯!」
「ウィーネ杯の盛り上がりも祈って、だな!」
そうして、周りに合わせ心にもない音頭を取った時、リサーナの望んだ活路への光が一つ灯った。
誰が言ったか、ウィーネ杯という単語。それは、下手な詮索が相手の漬け入る隙となりかねないリサーナにとって、最近最も知りたかった情報そのものであった。
「ウィーネ杯?」
相手が零した単語を拾い聞くのと、自ら進んで質問をするのとでは与える印象が違う。
街に出る暇も無く働かされていても、皆が浮き足立ってる事はずっと前から気付いていた。後はその根源を辿りたかったリサーナであるが、吹っ切れたその頭には慎重というものが欠落し、デメリットが多々あったとしても斬新な手が浮かんでくるのも事実である。
結果、その糸口を掴んだのだ。
「ウィーネ杯は三年に一度ある、武道大会のことさ。騎士団や魔術師団所属の新人の奴等、貴族も出るが、腕に自信のあるそれ以外も参加可能な大会でな。そこでお偉い方の御眼鏡に適った奴は、栄光への道が開けたり、特別に入団が許されたりする。つまり、風の国最大の娯楽であり、出場者にとっては経験を積める良い機会で、国からしたら貴重な人材発掘の場ってわけさ」
「へー……。それっていつあるの?」
知らなかったのかと周りが苦笑するが、「だってお店で忙しかったもの」と答えれば納得し三日後だと教わった。
「三日間の日程で行われるんだが、今年は結構魔術師が多いらしいな。エントリー期間も終わって、総参加者数は百九十人だったか。今年は俺、予選担当だから忙しくてさー」
この場で最も重要な情報を握っていそうな青年は、酒のお陰でかなり口が緩くなっている。次から次に、リサーナに利益のあるものが飛び出てきて、真っ白だった計画が次々と築かれていった。
客は誰も気づかなかったが、青年の言葉に危うくクツクツとサイード寄りの笑いが零れそうになり、目の前のカップの一つを一気に飲んで誤魔化す。
まだまだ平気そうな様子に、客達は残念そうな悲鳴を上げた。
「だから街が浮き足立ってたのね。それだけ大きかったら外からも見物客が来そうだし、良い書き入れ時だわ」
「おうよ!」
「リサーナも、さらに忙しくなっちまうんじゃねーか?」
ニコリ。悪意の無さそうなその笑みが舞台の終わりを告げた。
十分必要な情報は集まり、活路がいくつもの光で明るく灯される。
贅沢を言えば、レイスがどういう目的で自分を監視していたのか探りたくはあったが、酒が入って緩くなったといっても騎士は騎士。しかも、ウィーネ騎士団団長が送ってきた人間だ。これ以上の危ない橋は渡れない。
それに、精石を壊すことに比べれば大抵のトラブルは可愛いもの。ある程度アルコールの回った頭で、リサーナは自信あり気にそう思った。
「あー、肉屋のおじさん潰れちゃってるし。奥さん呼んでくるから、皆で楽しんでおいて」
そして、後は舞台を降りるだけとなる。
不審に思われない様、客の一人だけを故意に眠らせていたリサーナは、自然な流れを装って店を出ようとした。その際の、賭けはどうなるんだという猛抗議に対してはテーブルを指差し――
「ごちそうさまでした!」
「じゃあ行って来る」という声は、マスターさえも唖然としていて誰も聞いていなかっただろう。皆の視線は、いつの間にか空になっていたグラスの山に釘付けだ。
ケタケタと笑う高い声は、そうして闇へ溶けていく。
この後、暫くしても戻ってこないことに疑問を抱いたマスターが酔っ払いの尻を叩いて動かし、慌てて女将も起こして総出で探すのだが、リサーナが光風の便り亭に姿を見せることはもう二度となかった。
当然、見張り役の騎士はレイス直々に手痛い仕置きを受け、悲しみに暮れた女将に息子は責め立てられるのだが、本人はそんな後日談を知らない。
こうして、突然現れ一つの店を大繁盛に導いた少女は風の様に消え去り、それは大きな街の小さな行方不明事件として処理されるのであった。
勿論、表向きとして――