強い光は時に毒となる
サイードは無意味に考え事をしていた。
今までは教科書やニュースの中の出来事である反乱と、そこに属しながらもどこか希薄な感じであった国。実際に目の当たりにするなんて思っていなかったという気持ちも当然あるが、それ以上に抱いたものがあった。
反乱が愚かな行為だとか、戦争はいけないことだとか、自分は思ってもいないし誰かに叫んで訴えかけるつもりもない。
ただ、そこでの罪は正義になり得るのだろうか。そういう疑問を持っていた。
名誉の死、尊い犠牲。お綺麗に謳おうが、地位を授けようが、何も変わらないのではないか。
その肉を糧に変え命を繋ぐというのであればまた別だろうが、結局そこにあるのは死と、殺したという事実だけだ。
だからといって、自分が殺した人間を忘れないだとか、罪悪感を持つといったこともないだろう。単純に認めるのだ。殺したという事実と、殺すという行為を。人肉を食べる必要も趣味も無いし、そういった願望すらもないのだから。
ひけらかすこともなく、誰かに分けることもなく。淡々と自分の中で処理をしていく。
しかし、唯一他人に対しても言えるものがある。
それは善では無い、と――
価値観の違いだ云々言う者は勿論いるだろうが、それを善と偽る奴を絶対に認めない。
自分の家族を守る為に、襲ってきた盗賊を返り討ちにする。何十人もの罪なき者を快楽を理由に惨殺してきた者がいて、これ以上の犠牲者を出さない為に討伐する。忠誠誓った王に仇なす敵を、騎士が殺す。
人が人を殺す理由は千差万別、様々あるが、結局そういった理由は、牛肉、鶏肉、豚肉、鹿肉、種類はあれどどれも同じ肉であるというのと変わり無い。
サイードは右手に残る感触を思い返しながら、ベッドと小さなテーブルと椅子があるだけの部屋にいた。顔を隠したままで寝転んでいるその瞳は、何も無い天井を見つめるだけだ。
リーダーとの駆け引きの後この部屋に引きずり込まれ、それからずっとその状態である。様は暇で仕方無いのだろう。だから、無意味なことばかり考えるのだ。
テレビや携帯があるわけもなく、本も何も無い。部屋に備え付けられている蝋燭の消費具合から、恐らく一日が経過していた。
「これが後二日続くなんて挫けそう。ていうか無理!」
あまりの暇さに我を忘れて転がりながら叫んだ言葉は、捨てた筈の人格の口調だった。
直ぐ気付いたサイードは、慌てて外の気配を窺ってホッと胸を撫で下ろす。
「……危なかった」
聞かれていたら、決して軽くはない心の傷を負っていたはずだ。だが、今度は別の恐怖が脳裏を掠め、サイードの視線が扉に向けられた。
そう、そもそも監禁されているんだろうかという疑念。反乱軍からしてみれば我が者顔でアジト内を歩かれるのは当然困るが、それ以上に、サイードが保険であると仲間へ知られる事の方が避けたいものなのだ。
万が一明るみになれば統率が乱れる原因になってしまうだろう。全員が全員、同じ感性を持つなど不可能は話なので、自信が無いのかとトップを疑う者が出てきてしまう。
国をひっくりかえすかもしれない計画が実行間近で内部分裂により失敗に終われば、何の為に命を賭けているのか。笑い話にもならない。
と、サイードは恐る恐るだが、扉に向かう為に身体を起こしていた。
地味に眼が据わっていたのは、ここで鍵が掛かっていなければ自分が間抜けな事に落ち込むし、開いてなければいないでまた暇を持余すことになるという葛藤からだろう。一歩一歩、着実に近付いていくその距離でゴクリと喉が鳴り緊張から額に汗が滲む。
そしてサイードは、震える手でノブを触ろうとした。
「サイード、まだ寝てんのかぁ? ……うぉ、びっくった!」
「絶対、あのマッチョぶちのめしてやる」
寸前で開いた扉で、絶望と理不尽な怒りが芽生えたサイード。目の前にいるとは思っていなかったティルダが驚いていた。
まさかこんなところでベタな展開とオチがあるとは、流石の神様でも予想できなかっただろう。とはいっても、神様のキーワードで真っ先に浮かぶのはデルなので、彼なら腹を抱えて笑うだろうが。
きょとんとするティルダを置き去りに壁を叩いたサイードは、苛立ちながら大きな動作でベッドへと戻り不貞腐れた。
暫くして、状況を察したティルダが何度か瞬きをして吹き出す。
「ぎゃははははは! やっべ、サイード最高すぎる!」
サイードを指差し腹を抱えながら部屋に入ってきたティルダは、ベッドと向かい合う形に椅子を移動させて座った後も暫く笑っていた。
「……悪かったな」
誰だって無理矢理部屋に押し込まれ、逃げるなよと釘を刺されたら監禁されたと思うだろとぶつくさ呟く姿は、ティルダの抱いていたサイードに対する印象をかなり変えたのだった。
「なんかクールで取っ付きにくいと思ってたけど、意外に天然なんだな。いやー、笑った!」
「て……!? 俺、天然なのか?」
椅子を傾けながら楽しそうに笑うティルダは年相応に見え、相手をするサイードもその反応だけは可愛らしい。
「天然だろー。後は、顔を見せてくれたら最高なんだけどな」
「断る」
しかし、ティルダのお願いを聞いた途端、そんな雰囲気は紛散した。金の瞳にはきっぱりとした拒絶が見て取れる。
圧されたティルダがそれ以上追求することは無い。
それにしても、ティルダはどことなくサイードに懐いている気がする。
けれどサイードにとっては、このままティルダの相手をするかどうか、暇つぶしと面倒の究極の選択である。
「にしてもさ、サイード。めちゃくちゃリーダーに嫌われてるけど、何したんだよ」
「別に……。交渉しただけだ」
しかも話題がリーダーの話になり、絶対零度の微笑みを思わずティルダへ向けていた。この部屋全体が凍りそうな程の冷たい瞳を見た彼は、ヒッと小さく悲鳴をあげて口元をひくつかせる。
「で、何の用だ? 大好きなリーダーに俺の見張りでも命じられたか?」
それに気付きながらもフォローせず、結局サイードは暇つぶしを選ぶ事にしたらしい。
その言葉はどうやら図星だったようだ。さっきまでの雰囲気はどこへやら、ティルダは目を泳がせて暗い表情を浮かべる。
壁に寄りかかりベッドの上で片膝を立てる形で座ってくつろぎ、それを眺めるサイードは、言うなれば獰猛な獣。哀れティルダは、その獣に狙われた小動物といったところか。
昨日の店から何も口にしておらず、ここでは満足な食事にありつける期待も持てず空腹なので言い得て妙である。
「悪いな。俺があんたを選んだばっかりに」
「別に構わない。俺にもメリットはあるからな」
サイードと視線を合わせず俯いて言うティルダは、この荒んだ国では大分優しい心を持った青年だった。そんな彼が何故、反乱軍にいるのかは謎であるが、サイードからすれば今回のイベントには結果助けられている。
精石がある場所は事前に全て知っている。だからといって、いくら崩れかけている国といえど、そこのトップが居る場所に忍び込んで精石を壊すのは難しい。一人で実行するのと反乱による混乱に乗じてするのでは、成功率にかなりの差がでてくる。
「サイードってさ、掴めない奴だよな」
そうやって、思いの外自分が行き当たりばったりな行動をしていると気付き失笑していると、存在を忘れていたティルダがいきなり呟いて現実に引き戻された。明らかに愚痴とか告白とか、そういった類のものを吐き出しますというオーラを滲ませながら、彼はサイードを見ていた。
その気配を感じたサイードの眉間に皺が寄るが気付いてはもらえない。
「俺、無駄に強い精霊と契約してるから、力だけは半端無いんだよ。だから、副リーダーの地位を与えられてんの。でも、実際は本当の副リーダーがちゃんといて、良い様に使われてんだ」
純血種が強い魔法を使えるというのは以前説明したが、その理由は力ある精霊に好かれ易いからだ。何故そうなのかはっきりとは分からないが、恐らく精石と関係しているのだろう。
純血ということは、其々の恩恵を多大に受けてきた祖先の血が一種類だけで、精石から授かっている力の純度が高いということになる。精霊にとっては自分の属性の王に近いものを感じるから、純血種をより好むと考えれば納得がいく。
「俺、何がしたいんだろ。このままで良いのかな?」
サイードは精霊と純血種の繋がりを考え、予備知識と照らし合わせて色々と思案していた。その間も、ティルダは胸の内を吐露し続ける。
「……聞いてる?」
「あ、終わったのか?」
しかし、相手が相談に乗ってくれている素振りを見せなかったので、半ば中断する形で問いかけた。するとサイードは、親身のしの字もない態度でやっと終わったのか感を前面に押し出した。
まさに唖然。この短期間でではあるが、サイードは周囲の空気を良く読める人物だとティルダは思っている。かなり重要な事を暴露したというのを分かっていないはずがない。馬鹿にされる覚悟で、勇気を振り絞って彼は吐き出したのだ。
流石にこれは哀れである。サイードも、重要な事を考えていたといっても、可哀想だなと思う部分はあった。事実に気付かなければ楽だっただろうし、気付いてから気付かない振りをするのも楽ではないだろう。
「で、それを俺に言ってどうする? 慰めて、同情して、賛同して欲しいのなら他を当たれ」
しかし、それ以上でも以下でもない。他人事の可哀想の領域から出ることは無い。それに、楽かどうかが重要ではないだろう。
――陽は満ち溢れる勇気を。
良く言ったものである。やはり腐っているなとサイードは呆れた。国も、民も、精霊も腐っていると。
「いや、別に、なんか聞いて欲しかったというか……」
尻込みするティルダに対しても、腐る原因だなと思った。
サイードより遥かに場数を踏んでいるだろうに、何の身にもしていない点はその意見に反論できない。
「俺にお前を語られたところで、何の為にもならない。耳障りなだけだ。そんな下らないものだと尚更な」
サイードは、何故自分に相談をするのだろうかと甚だ疑問であった。デルにしろティルダにしろ、そうして一体何を求めるのだろうかと。
「使われるのが嫌なら、使わせてやるか使えばいいだけだろ。何かしたかったから反乱軍にいて、このままでは良くないと分かっているからそう思うんだろ?」
しかも今回は答えがでまくりな愚痴で、見下すことすら出来ない程だと思っていた。そもそも愚痴とはそういうものなのだが、無駄なことが嫌いなサイードにとっては理解し難いものだった。
サイードはティルダではない。だから、感情の類を知る必要は無いのだ。求めるのは常に情報や策略。サイードにとってそれ以外は全て無価値でしかない。
「俺に他人は決めれない。そんなめんどくさい事、誰がやるか」
ただ、白か黒の感性しか持たないからこそ、相談した相手は決まって言ってくるのだろう。内容にもよるが、求めてもいないのに、突き離しているというのに、それが結果的に背中を押す形となる。
「……俺が、俺を決める?」
思いもしなかったというように心に刺さった言葉を復唱しながら、ティルダはサイードの金で釘付けになる。
そして、自分の赤を揺らして何事かを小さく呟いていた。
「そう、だな……。サイード!」
暫くして、どこかすっきりした顔をしながら消えていた光を再び瞳に宿したティルダは、清清しい笑顔で言った。ありがとう、と――
それを見たサイードはあまりの眩しさに目を細めて、嫌いな言葉を投げられたことに苛立っただけであった。