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第6話 接触

・00:32 


園茨が車に乗り込んだ時は既に日付が替わっていた。


霧雨の降る中、黒いセダンの覆面パトカーをゆっくり発進させる。


交通量もすっかり少なくなった幹線道路。


雨に濡れて黒光りする道路と夜の町並みが、滲むフロントガラスの向こうで混ざり合う。


交差点の赤信号に停車すると深く息を吐き出した。


現場で発砲したのは初めてだった。


鎧兜の残像がはっきりと残っている。


「あれは何だったんだ」


搬送された子供たちの様子が次々に思い出された。


「一体何が始まった」


脇の歩行者用信号が点滅し始めた。


「――――!」


「ん?」


悲鳴のような声が聞こえたような気がして窓を少し開けてみた。


「・・・」


しかし何も聞こえない。


「気のせいか」


信号が青に変わり、ゆっくりアクセルを踏み込むと今度ははっきりと聞こえた。


「放して!」


進みかけた車を急停車させて外に出た。


辺りを見回すと背後で何かが倒れて割れるような音がした。


驚いて振り返ると、交差点の脇にある店舗に止めてあった自転車が倒れたのが見えた。


その近くで数人が争っている。


よく見ると大柄な男が二人、白い服を着た女性と何やらもめている。


2人掛かりで女性の腕や肩を掴んでいる。


「おい!何してる!」


園茨の声に男たちが顔を上げた。


車内に突っこんだ手でパトカーのサイレン短く鳴らすと、男たちは驚いて女性をその場に突き放し、走って逃げて行った。


「大丈夫か!」


園茨が駆け寄る。


女性はこちらを見て安心したのか、しゃがみ込んだその場に倒れこんだ。


「おい!聞こえるか。おい?!」


園茨は女性を抱え起こして軽く揺らしたが、瞼が痙攣していて返事がない。


「あ!」


思わず声が出た。


その顔に見覚えがあった。


昼間『アーベント』の前で会った女性だ。


昼間と違って、真っ白な薄手のワンピースだけしか着ていない。この季節には少し寒すぎる。


昼間は束ねていた長い髪の毛も、雨に濡れたのかひどく乱れている。


「おい、返事をしろ」


灯りのせいか顔がひどく青白く見えた。


瞼が小刻みに痙攣しているだけで返事はない。


女性を車の後部座席に寝かせると、回転灯を回して車を急発進させた。


「無線」


ハンドル操作が忙しくて通信している余裕は無い。


舌打ちしてアクセルを踏み込む。


ハンドルについているボタンを押して「病院!」と叫んだ。


ナビゲーション画面に数秒で最寄の病院の位置と道順が映し出された。


「5分・・」


ナビの予想到着時間を噛み潰すように言葉にした。


法定速度を超え、赤信号で止まらず車体を左右に激しくロールさせながら、他に車の無い暗い道を飛ばす。


濡れた路面に何度かハンドルを取られたが、病院までは3分で着いた。


甲高い音を立てて急患用入り口に車停めると、サイレンの音を聞いて飛び出してきた受付の担当者に事情を伝えた。


すぐに看護士がストレッチャーを運んで来て、女性をICUへ運んで行った。


「旦那さんですね?何があったんですか?」


ストレッチャーを足早に追う園茨に、年配の女性看護士が歩調を合わせて話しかける。


「いや、違う。突然倒れて・・」


「とりあえず頭部CTと血液検査をします。あちらのベンチで掛けて待っててください」


看護士は園茨の返事を理解したのかどうか、早口で言ってベンチを指差し、何か言おうとする園茨を尻目にICUへ入っていってしまった。


仕方なくベンチに腰掛けて待つことにした。


足音さえも聞こえない薄暗いそこで、園茨は手を組んでうなだれたが、口元は緩んだ。


どのくらい時間がたったのか、園茨は看護士に起こされた。


いつの間にか眠ってしまったらしい。


看護師の隣に担当した若い医者が立っていた。


「CTも血液検査も異常は見当たりませんでした、精神的なものだと思いますが、ただ白血球の数値が少し高いので2,3日入院してください」


「入院ですか?」


「明日また検査して見ましょう。正常値であれば明後日には退院できますよ。しかし・・」


「しかし?」


「腕やひざの擦り傷が痛々しい。ご家庭の問題に口を挟むつもりはありませんが最近はいろいろ裁判沙汰も多い」


「ちょっと待て!夫婦じゃない」


「え?」


「誤解が無いように・・」


言いながら立ち上がると、園茨は胸元から身分証明書を出して医師に提示した。


「警察の方ですか」


若い医師は目を丸くした。


「彼女は重要参考人です。この件は内密にお願いします。担当医の方、看護士の方もできるだけ少数でお願いしたい。それと入院は個室で、少し長くなるかもしれませんが費用は県警が負担します」


若い医師は看護士に目を移して頷くと、看護士はすぐに何処かへ走って行った。


「判りました。全面的に協力します」


若い医師は表情を固めて頷いた。


何歳ぐらいだろうか?まだインターンか?あどけなさの残る顔を見て少し不安になる。


「それと歯型やDNAの照合は可能ですか?」


「そこまでの権限は、私には・・」


「これは事件解決のための必要な措置です。柔軟なご理解を」


怜悧な眼で医師を見詰ると、少し間を置いてから返ってきた答えは「判りました」だった。


園茨はニヤリとした。


看護士が戻ってきて医師に耳打ちした。


「7階の個室を用意します」


医師は上目遣いで口元をひきつらせながら言った。


「ありがとう。警護の交代が来るまで私が付き添います」




・夜空


彩香は、ガタンと大きく揺れたのに気がついて薄目を開けた。


いつの間に眠ってしまったのか、なぜここに居るのか記憶が無い。


低く響く音と振動で走っている車に乗っているのは判ったが、何処へ向っているのかわからない。


天井の高い車内の隣の席でハンドルを握っているレイジが遠く感じる。


大きなフロントガラスには、暗闇が切り抜かれたようにライトに照らし出された路面だけが見える。


「まだ寝ていろ。次に眼が覚めたときには、もう少し気分が落ち着いているはずだ」


低い声が耳に心地よかった。


返事をしたのかどうか、また眼を閉じて深い眠りに落ちていく。


そして夢を見た。


昔のこと。


普段は思い出しもしないし、特に気にしたことも無い。


それは彩香が小学校の2年生に上がる春、康代と2人で今の家に引越して来た時のこと。


今では少し窮屈だが暖かい団地の家が、その時はとても広くそして冷たく感じた。


まだ開かれていないダンボールの箱が部屋中に散らばっている中で康代が言った。


「サヤちゃん。これからは此処がお家だよ。2人でがんばろうね」


「うん!」


笑顔が少し悲しそうに見えたので、励ますように笑顔を作って元気に返事をした。


「頑張るぞ!おー」


片手を突き上げる康代の真似をして、上げて「おー」と続いた。


それだけでなんだか楽しくなった。


「この街は人も多いし、新しい学校はお友達が100人ぐらい出来るかもよ。お母さんにはどんなお友達が出来るかなぁ」


「新しいお友達、みんなお家に呼んでいい?」


「入れるだけにしてね・・」


「50人ぐらいなら入れる?」


「ちょっとキツイかな」


・・・その後は良く覚えていないが、康代はいつも、何をするときも笑っていた。


「そんなこと気にしないの」「大丈夫だって」「また良い事もあるから」


そんな言葉をいつも聞いていたから、彩香も辛くなかった。


転校初日の帰り道、ランドセルの肩ベルトを両手でしっかり握り締めて、足元の小石を蹴飛ばしながら歩く彩香の後ろから「あたしもそっちだよ」と声をかけてきた菜月が最初の友達だった。


当時、同じ団地内に住んでいた菜月とはすぐに仲良くなって、いろいろ教えてもらった。


4歳年上のお姉さんが居たので、いろんなことを知っていた。


彩香にとっては菜月がお姉さん的な存在でもあった。


他にも友達は増えていったが、ずっと一番の友達だった。


彩香にとって唯一人の家族、一番の友達。


夢の中で2人の姿が遠ざかっていく。


また暗闇が訪れた。


彩香の長い睫毛から涙が零れ落ち、頬を伝った。


レイジはそれを横目で確認するとアクセルを踏み込み、大型のディーゼルエンジンはその排気音を一段階あげた。


併走する車も無く、トレーラーは一直線に伸びる高速道路をひたすら北へと走り続ける。


東の遥か遠くに見える山の稜線が、薄っすらと青紫の空の色に浮かんできていた。


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