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最終話 始まり

 人々の戦いがまだ刀や槍だった頃。


信濃の国の山間にある小さな城では、ひとつの命の誕生に沸いていた。


領主の初めての子は娘だった。


領主は大いに喜んだが、奥方は世継ぎを産めなかったことを謝るばかりだった。


 1年が過ぎる頃、兼ねてから難航していた隣国との交渉が決裂し戦争が勃発した。


 辛くも勝利を収め城に帰った領主は、城の変わりようを見て愕然とした。


天を焦がす程の炎に包まれて城が燃えていた。


従者が止めるのも聞かず城に駆け込み妻と娘を探すが、炎と煙に阻まれて誰一人救えず、引き返すのが精一杯だった。


 一昼夜燃え続けた城は、翌朝空が白み始める頃ようやく鎮火した。


 真っ黒な瓦礫の中、妻と娘の使っていた部屋に遺体は無く、見たことも無い武器を持った不審な男の遺体が見つかった。


その時初めて、領主は敵国の目的が戦争の勝利ではなく戦力の薄い城だったことに気づく。


 焼け跡からは、娘の気に入っていた鈴の付いたおもちゃの破片が見つかった。


 領主はその鈴のひとつを小さな巾着に入れると、城の再建を家臣の者たちに託し、自身は妻子を探す旅に出た。


身分を隠して必死に探す旅だったが、数ヶ月も経たない裡に噂が広まり、敵対する国々の忍びや賞金稼ぎの素浪人につけ狙われるようになった。


 ある雨の夜、旅籠が襲われた。


同行していた侍は全て討ち取られて、領主自身も深手を負った。


寸での所で逃げ遂せたが、馬も無く、降り注ぐ雨に体力を奪われ、息も絶え絶えに古びた神社に身を隠した。


しかし既に大量の血を失っていて、朽ちるように床に倒れ込むと、我が身の限界を感じた。


 領主は敵国の主を恨み、その兵を恨み、延いてはその家族、そして世の不条理を恨んだ。


「此処では終われん。もう一度、我が子をこの手に抱くまでは」


血を吐きながらの言葉も虚しく意識は薄れていった。


 どの位時が立ったのか、領主はふと目が覚めた。


雨が止んだのか辺りは物静かで虫の声も聞こえない。


天井も暗くて何も見えない。


 暗闇に問いかける。


「死んだのか?それともまだ生きているのか?」


「その際に居る」


何処からとも無く声がした。


「誰だ!際とは何だ!」


「私を呼んだのは貴様だ。一度だけ訊く。娘に会う為ならば世をも敵にするか?」


「何を言っている?誰なんだ」


「・・・」


「この動かない体ではもう何も出来ない。恨めしいばかりだ」


「・・・」


「我が子はまだ幼い。私が守ってやらねば」


「・・・」


「世を適に?笑止、叶わくば神をも敵にしてくれる!」


「・・承知した」


「待て、何者だ?」


「娘への愛情か、世への復讐か。見せてもらおう」


低い声が暗闇に響き足音が離れていった。


 眼は開いているのか閉じているのか、いくら凝らしても何も見えない。


起き上がろうにも指先さえ動かなかった。


 足音が聞こえなくなると体中がぼうっと熱くなってきた。


全身が一度大きく痙攣する、足の先から急速に燃えているかと思う程の激痛が昇ってきた。


口は開ききり、叫び声すら出せない。代わりに喉の奥から焼けるような吐息が沸きあがってきた。


死ぬ


そう思った。


 目の前が急に明るくなる。


真っ白な中に神社の天井がぼんやりと見えてきて、それに気付くと同時に体中の激痛が、水が引くように消えていった。


 大きくため息をついてから、首を起こしてみると不思議な位軽く動いた。


首だけでなく体中が軽く感じた。


 足を振り上げた反動で飛び起きると、辺りの空気を伝って、草木のそよぐ動きまでもが手に取るように分かった。


小さなものが背中で素早く動くのが分かる。


「鼠か」


壁と戸板の隙間から日の光が差し込んでいる。


その遥か向こうから、数人がこちらに向かって走ってくるのが空気の振動と匂いで感じ取れた。


なぜかは分からない。


しかし気のせいではないことはよく判る。


 領主は戸板を蹴り飛ばして社から駆け出した。


階段を飛び越え、雑草の生い茂る参道まで跳び、片膝を着くようにふわりと着地した。


 辺りには朝靄が深く立ち込めている。


気配はさらに向かってきている。


領主は小刀すら無く、近づく気配ははっきり5人分とわかったが、心の中に恐れは皆無だった。


むしろ体中に漲る力が「迎え撃て」と鼓舞しているようにすら感じた。


 傍らに茂る八手の葉を掴み取り、両手に構え気配に向かって駆け出す。


「いたぞ!やつだ」


正面の一人が叫んだ。


両脇に2人ずつ展開している気配がその声に反応したのが解かる。


 領主は目の前の男の頭上を飛び越えた。


男は領主が消えたように見えたのか、慌てて左右を見回すが、すぐに背後から迫る殺気に振り向いた。


「あ・・」


空気の塊が喉に詰まり、男は腰を抜かした。


領主の顔は自身の傷から流れ出した血が残っていて、赤と黒が混ざった恐ろしい形相になっていた。


 八手の葉が風切り音を立て男の喉下を横切ると、真っ赤な鮮血が白い靄の中に吹き上がった。


「化け物だ!」


すぐ横に迫っていた別の男が、悲鳴にも似た声で叫びながら逃げ出した。


領主はその背中に八手の葉を振り下ろすと水を蒔くように血が飛び散り、領主の顔をさらに赤く染めた。


「怯むな!たかが一人だ。両脇を固めろ」


野太い声が、刀を振り上げて領主の背後から駆け寄ってくる、手馴の気配だ。


 領主がしなやかな駒のように体を回転させると、敵にはそれが八手の葉の舞う様に見えた。


大上段に構えた手馴れの両腕が鈍い音を立て朝露に湿る地面に落ちる。


獣のような雄叫びが山間に響き渡った。


残りの2人は逃げ出した。


 両腕をなくした男は、跪き虚ろに言った。


「もう少しだったが・・・天狗になったか」


「娘は何処だ」


「東へ連れられたと訊いている。もはや手遅れだ、あきらめろ」


領主はそれには答えず、無言のまま八手の葉で手馴れの首を落とした。


「もう誰にも止められん」


 その後、追っ手が掛かる事は無かった。


領主はひたすら娘を探し歩いた。


 徐々に手掛かりは少なくなり、幼い娘の噂は誰も知らなくなった。


 時間の観念も無くなり、何も知らない他人を疎ましく思い始めた。


何度も自らの時間を止めようと試みたが、暫らく意識がなくなるだけで、何度でも目覚めてしまう。


 目的を忘れかけ、それでも歩き続けるうちに、轍の道は砂利道になり、やがて大きな戦争を経て、戦いの主役は刀から鉄砲、そして爆弾に変わっていった。


 動乱の後、夜道を照らす明かりが其処彼処に燈った。


人々の装いが変わり、空は鳥だけのものではなくなり、人の住まいは天を目指すようになった。


自動車が走る道はアスファルトが敷かれ、新たな統治が始まると領主は新たな名前を持つようになった。


 倉賀野 蓉膏


 歳を重ねない倉賀野の周りに他人が留まる事は無く、時間から逃げるように各地を転々とし、身を隠しながら遠くで起こる時代の変化を見続けた。


 どの位の時間が流れたのか、町外れにある崩れそうな廃屋に隠れていると、黒塗りの車に分乗した見知らぬ男達が訪ねて来た。


「あなたが娘を探し続けている噂を聞いた」


彼らはそれを手伝うと申し出た。倉賀野の体を調査することを交換条件に。


「あなたは究極の願望を手に入れている、秘密を教えてほしい」


「秘密など無い。が、娘に会うとき、奴はまた来るだろう」


「奴とは?」


「私の運命を変えた男だ」


「我々には力がある、その時まで結社となろう」


 その後、倉賀野は再び城を築き上げた。大衆の目に触れぬようひっそりと、しかし着実に、世の中への根を張り巡らせて。


ふと気付くと、周りには新たな家臣が集まっていた。


この時、倉賀野の目的は世の中への復讐へと変化していた。












最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。

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