第三話 刑事
15:47
6時間目の授業が終わり、残り少ない学校生活を惜しむように教室内に残る生徒たちの中、彩香は自分の席に座ったまま、窓の外を遠い目で見ていた。
ホームルームを待つ間、まだ次の授業があるような気がしていた。
隣の席に座る菜月は、そんな彩香を瞬きもしないでジッと観ている。
昨日の中澤との行動の一部始終を聞きたくて仕方が無かったが、そのキッカケが見つけられない。
エミリとその仲間たちは今日学校を休んでいるし、先生はその件について何も言和ないので、彩香からの情報が唯一の頼みだった。
苛々しているのか、組んだ足が小刻みに揺れている。
教室の戸が勢い良く開きクラス中の視線を集めて中澤公彦が入ってきた。
「一倉いるか?」
彩香はボケッとしたまま眼だけが反応する。
まるでナマケモノのようだ。
「なーに?」声もぼけている。
「一緒に職員室に来てくれ」
教室内が少しざわめいたが、彩香はそんな周りを気にもせず、ゆっくり椅子を引いて立ち上がるとフラフラと廊下に出て行った。
「みんなはもう帰っていいってさ」
公彦は学級委員として担任からの伝言を伝えると、すぐに背を向けて彩香と一緒に廊下に消えていった。
菜月は眼をパチクリさせて、唖然としてそれを見送った。
いつ飛びかかろうかと狙いを定めた矢先に、突然獲物を横取りされた。
そんな気分だった。
あんぐりと口を開いたまましばらく呆然としていると、背後から肩を叩かれた。
「はい、もういいでしょ。今週は理科準備室の掃除当番だよ」と、にこやかに言ったのは、同じ掃除グループの女子だった。
彩香に声をかけるタイミングを見ていた菜月を、掃除に誘うタイミングを見ていたのだった。
「はは、忘れてないよ」
苦笑いしたものの、ウソの下手な菜月の顔はショックを隠せなかった。
部活動の掛け声が遠くに聞こえる廊下を、彩香は公彦の後について歩き職員室の戸の前まで来た。
が、公彦はそこで止まらずさらに奥の校長室へ向かう。
「失礼します」
声と同時に戸を開けると、校長先生の大きな机の前に置かれたソファにはスーツ姿の男の人が2人、座っていた。
校長先生の机の脇に立っていた担任の高田先生が、彩香たちをソファに座るよう手招きする。
一人は若くスーツの生地や着こなし、ネクタイの締め方などでとても生真面目な人に見える。
どこかの学校の先生かな。
しかし、もう一人の方。
チンピラかと思った。
色こそ地味だがネクタイはなくシャツの襟ははだけて、曲がった背中から睨みあげるようような視線は普通の大人のそれとはずいぶん違う。
「こちらは県警の小田桐さんと浅野さんだ。昨日のことで質問があるそうなんで、きちんと答えるように」
「え?警察?」
思わず聞き返した。
とてもそんな風には見えなかった。
きちんとスーツを着た浅野はにこやかに会釈したが、チンピラのような風貌の小田桐はだるそうに体を起こすと背もたれにふんぞり返った。
「昨日は大変だったなぁ」
野太いその声はまるで威嚇のように聞こえる。
「まぁ同級生が無事で何よりだ」
彩香たちは少し緊張した面持ちで、静かに刑事の前に座った。
「その時の様子を教えてほしいんだ」
続いて浅野が少し身を乗り出して、通る声で言った。
公彦と彩香は顔を見合わせたが、お互いに譲り合ったというか、どう切り出していいものかわからず重い沈黙になった。
刑事も先生たちも二人が話し始めるのを黙って待っていた。
暫くの沈黙の後、公彦が口を開き、彩香も一緒に見たことを一部始終説明し始めた。
小田桐は頷きや相槌もなく、ただただ黙って聞いていた。
その姿が、中学生にはさらにプレッシャーをかけているのを知ってか知らずか。
対照的に、浅野は必死にメモを取り、相槌を打ち、表情は話に合わせてころころ変わった。
公彦はとても話しやすかったようだ。
ひとしきり説明が終わると、小田桐は深呼吸しして身を乗り出した。
「ふーん、そんな中で君たちだけは何も無かったのか」
彩香を見る目は決して気持ちのいいものではない。
「いえ、何も・・ただ」
其処まで言いかけて口篭もる。
「ただ?何だ?」
小田桐は下から覗き込む様に見上げる。
「あ、いえ、なんでもないです」
自分自身が昨日の出来事をよく理解していないし、上手く説明できそうもなかったので、レイジのことを話すのはやめておいた。
浅野は続けて質問をしてきたが、そのやり取りは公彦と二人で会話しているような物だった。
彩香と小田桐はそこにいるだけで何を話すこともなく、ただ座ったまま話が終わるのを待っていた。
チリーン
彩香はふと顔を上げた。
気のせいかとも思っているところへまた同じ音が聞こえる。
チリーン
部屋の中を見回しても鈴のようなものはない。
「そうか、ありがとう。近頃は物騒な事件も多いからね、彼女のような可愛い子は特に気をつけてほしいんだ」
浅野はそう付け加えてチラッと彩香に目を移すと、公彦は口をモゴモゴさせて赤くなった。
「別に彼女じゃないですよ」
悪気の無い一言だが、公彦は固まってそれきり何も話さなくなった。
「実は最近、君達ぐらいの年の子が何人か被害にあってイテッ!」
喋っていた浅野の語尾が急に高くなった。小田桐が足を踏んだのだ。
「イッテ〜何すんすかぁ」
恨めしそうで情けない顔の浅野をまるで気にせず、小田桐は簡単な言葉で登下校時には注意するようにと話を始めた。
彩香はなんとなく窓の外に目をやると、薄暗くなり始めた空に厚くのしかかるような灰色の雲が広がって、いつもより暗く見えた。
― 来たよ。
彩香は背中に冷たいのもが走るのを感じた。
「どうした?」
話しを中断した小田桐が訝しげに言った。
「今、なんて言いました?」
「あ?、交通ルールの話だよ」
「いや、あれ?」
「目を開けたまま居眠りしたか?浅野くんもよくやるよそれ」
「そ、そんな事ないですよ」
「そうかい?この前の会議中寝息だったぞ」
「いやいや」
「チョットうるさい!」
突然の事にその場にいた全員がハッとして彩香を見た。
- ・・・。
「菜月!」
彩香は立ち上がり天井の一点を見詰める。
「どうした?」
公彦も驚いて見上げる。
「今の悲鳴みたいな声、聞こえなかったの?」
刑事たちが眼を合わせた。
はじかれたように彩香は駆け出した。
「お、おい!どこ行くんだ!?」
公彦の声に返事もせず、校長室の戸を力任せに開けて飛び出す。
たまたま通りかかった体育の先生にぶつかったが、よろけたのは先生の方だった。
同時に校内の非常ベルが一斉に大きな音で鳴り響いた。
刑事たちは顔色を変えて立ち上がり、先生たちを見た。
ただただ驚くばかりの先生たちを一瞥すると、小田桐は彩香の後を追って走り出した。
「何だ?何事だ?」浅野も一歩遅れてそれに続いた。