Abend 閉幕
―そのまま真っ直ぐ。
聞き覚えのある声に導かれて駆け上がったフロアの突き当たりに、大きなドアがあった。
周りの壁は工事の途中だったが、其処だけは出来上がっているようだ。
赤茶色に塗られた壁の中に金色の装飾が施されているのが暗闇の中に薄っすらと浮かび上がっている。
特殊な空間を装っているのか、彩香はその趣向を理解できずに緊張感だけが高まった。
鳩胸になる程大きな深呼吸をしてからドアノブに手をかける。
背の高いドアは思ったより軽く開いた。
部屋の中は暗くて、床に敷き詰められている毛足の長い絨毯にドアの形だけが切り取られた様に明るくなる。
部屋の奥の壁は一面ガラス張りになっていて、中の漆黒と外の深い藍色がくっきり分かれ見える。
眼を凝らすと遥か眼下には街の明かりが揺らめいて見えた。
大きな窓の前に置かれた光沢のある机が、外からの僅かな光に照らされていた。
その向こうにある椅子。
それに体を深く預けて座っている人影が、夜空の中に薄いシルエットで浮かびあがっている。
外を向いているようで顔は全く見えないが、それが彩香を呼び寄せた張本人だと確信できた。
「あなたが呼んだのね?」
彩香はゆっくりと部屋の中へ足を進めた。
銃を構えたまま、ゆっくりと慎重に足を進める。
両手で持っているにもかかわらず、その重さに腕が震える。
「・・・」
影は返事もしなければ、動く気配もない。
「なぜ、なぜ私なの」
構わずに彩香は続ける。
「今まで、人がいっぱい死んだのは貴方の所為なの?だとしたら、私はあなたを許さない。絶対に!」
影は窓を向いたまま、彩香を見ようともしない。
「答えて!」
微動だにしない影に顔をしかめて、ゆっくりと摺足で近づいた。
一歩一歩絨毯を踏みしめる。
背もたれに乗せている頭に銃口を向けた。
「・・・」
動かない影に意を決して、影の横に一歩踏み出し更に銃口を突きつけた。
重さと緊張と恐怖で震えているのを懸命に隠そうとしたが、銃口は小刻みにその照準を動かした。
全身に痺れる様な力が入る。
「何とか言いなさいよ!」
悲しみと怒りと、それを覆いつくす恐怖との入り混じった感情の爆発だった。
泣き叫ぶ声にも、影は動かない。
「・・・」
大きな溜息を吐き出すと、彩香は少しだけ冷静になった。
イスの肘掛に両手を乗せて空を見上げる姿勢のままの影は、髪の毛を油で撫で付けた初老の男だった。
彩香は体を強張らせながらその顔を覗き込むと、刹那、息が止まった。
男の見開かれた眼は、瞬きすらしていない。
首から胸元にかけて流れ落ちている何かが、僅かな光を鈍く反射している。
濡れているようだ。
彩香は手を伸ばし恐る恐る触ってみた。
若干粘り気を持った液体だ。
「血!?」
思わず叫び、後退りした。
「私がやったのだよ」
弾かれたように声のした方を見ると、何時から居たのか柳が立っていた。
手には青白く不気味な光を放つ日本刀が握られている。
「この男の役目はもう終わりだ。先人達は誤魔化せても私は違う」
柳は片手でネクタイを緩めながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「結局この男も操られていたに過ぎない、何百年生きたか知らないが、高々その程度、我々が求めるのは永遠だ、恒久なる時と力を手に入れる。それが最終目的だ」
「何を言ってるの?あなたは警察官じゃないの?」
「奴を探し出すのに、警察という組織は非常に都合が良かった。現にこいつのトリックは警察の情報網が無ければ見えなかったからな」
彩香は柳が何を言っているのかさっぱり理解できない。
ゆっくりした動作で1歩ずつ床を踏締め、机を回り込みながら近づいてくる柳と一定の距離を取って後ずさりした。
青白い光がゆっくり振られ、刃先が彩香に向けられる。
「わざと逃がしたのだよ、お前がまるで覚えていないようだったからな。此処に来なければ人違いだが、やはりと言うか、おまえは来た。思い出したかい?この男のことを、そしてその体を与えた張本人のことを」
「あなたが何を言ってるのか、私にはさっぱり解からないわよ。私が何を知ってるというの?」
「そいつの顔に覚えがあるだろ」
彩香は椅子に倒れている男の顔に眼を凝らした。
先程よりも薄っすらと明るくなった空からの光に、その顔の凹凸が影を作っている。
しかし、見覚えも何も始めて見る顔だ。
「この男は、お前の父親だ」
「な!?」
柳の言葉に彩香は眼を丸くした。
「驚くのも無理は無い。教えてやる、この倉賀野と名乗る男は、今から約400年前に生まれた戦国の武将だ。
倉賀野はヤツと出会ったことで、特別な体を手に入れて今日まで生きてきた。
100年ほど前、我々はこの男と出会った。
最初は、この男を神の使いと崇めた。首を切り落としても、心臓を貫いても死なないその不死身の体に、羨望と畏怖を持って接した。
彼の発する生態電気や採取した血液は、同胞を不老の超人へと変化させ、組織の兵力向上に貢献してきた。
だが所詮アイツの複製の複製、身体能力は上げられても、寿命を数百年延ばせても、所詮永遠ではない。
倉賀野は、お前の持つ生命波を取り入れれば完全体ができると、我々を先導してお前を探させた、お前が特殊なのだと」
「私は特別じゃない!」彩香は首を振った。
柳はそれを見下すように笑う。
「お前は、400年前の倉賀野の娘の生まれ変わりだ」
「な、何よ、いきなり・・・そんな、そんな訳無いでしょ、何処にそんな証拠が」
「組織内でも信じるものは少なかったよ、でも調べを進めるうちに倉賀野に関係する者は、全て『闇の魂』によって引き寄せ合うことが証明された。眼に見えるものではないが確かにその繋がりは存在していた。実際、我々は数多くの候補対象者を辿ってきて、最後にお前に繋がったわけだからな」
「そんな・・」
「だが、お前が特別なのではなかった」
彩香を見詰める柳の眼が吊り上る。
「実際にはお前を守る存在、それが全ての鍵を握っていることが判った。お前がそれを証明し、倉賀野の秘密を突き止めたのだ。
このことに気が付いた倉賀野は、我々を裏切り幹部を数人殺して、何かを仕掛けた此処へ逃げ込んだ。
あの刑事達も、これだけの兵を引き連れて突入してきた。
下にいる同胞達は、超人的とは言え最早時間の問題だ。組織はもうすぐ終わる」
柳は俯いて肩を小刻みに揺らしたが、笑いながら顔を上げた。
「だがそれはいい、お前がいれば私の目的は果たせるからな。
さあ教えてもらおうか、奴は何処にいる?」
「誰のこと?」
「とぼけるな、レイジだよ。奴がすべての始まりだ!この男を此処まで生き延びさせる力を持つ神の使い、奴の心臓をこの刀で突き刺せば私がレイジになれる。永遠を手に入れられるのだ!」
柳は握り締めている刀を大きく振り上げた。
「レイ兄ちゃんは、そんな特別な人じゃない」
「まだ解からんのか?お前も見ただろ?博物館での出来事、あれこそまさに神の力!」
刀が机に振り下ろされ、バシッと大きな音を立てて机の分厚い天板の角が切り落とされた。
彩香は思わす肩をすくめた。
「さあ、奴を呼べ!」
柳の形相は、既にエリートのそれではなくなっている。
歪な笑みを浮かべた顔が、窓からの薄明かりに照らし出される。
「レイ兄ちゃんはそんなのじゃない!大体あんたなんかには絶対に負けない!」
「いい度胸だ、流石というか、他の娘達とは違う」
柳は刀先を彩香に向けたまま、ゆっくりと距離を縮める。
彩香は手に持っていた拳銃を再び構え、柳の眉間に狙いを定めた。
さっきとは違い、今度は手が震えない。
倉賀野の遺体を挟んで対峙する。
「それ以上近づくと、本当に撃ちます」
「声が震えてるよ。なに、殺しはしない、ただ少し、血流を止めてもらうだけだ、そうすればレイジは必ずお前を助けに此処に来る」
刀身が一層光を強めて振り上げられた。
彩香は反射的に眼を閉じて、引き金にかけた指に力を入れた、
が、思った以上に力が必要で発砲できない。
「少しの我慢だ」
青白い閃光が目の前を縦断する、その瞬間、彩香の体は弾き飛ばされた。
「私の娘に手を出すな」
倉賀野が立ち上がっていた。
彩香を突き飛ばした腕がそのまま残り、もう片方で刀を握る柳の腕を掴んでいる。
「死に損ないが!」
言うが早いか、柳は倉賀野の脇腹に鋭い蹴りを入れる、が倉賀野はビクともしない。
両手で柳の腕を掴み上げて力任せに振り下ろすと、刀はストンと抜け落ちた。
体制を崩した柳の体は、軽々と投げ飛ばされて絨毯の上に転がった。
「何処にそんな力が!」
柳は立ち上がりながら拳銃を取り出した。
倉賀野はゆっくりした動作で床に転がる刀を拾い上げて、柳を見据えてそれを構えた。
「刀はこう使え」
大上段に構えた形から、空気が音を立てて切り裂かれた。
ほぼ同時に拳銃が発砲される。
彩香からは倉賀野の背中しか見えなかったので、何が起こったのか分からなかった。
ボソッと刀が床に落ちて目の前の背中が折れ曲がるように崩れていく。
その向こうに立っている柳が、こちらを見て笑っていた。
彩香は視線を外せないまま、震える膝を押し上げて立ち上がる。
と、柳は表情を変えず後ろへ倒れ、真っ黒に見える血が、その胸から噴水のように吹き上がった。
倉賀野は膝を曲げ、うずくまる様に背中を丸めてはいたが、崩れ落ちる手前で踏みとどまっていた。