Abend 第7幕 小田桐VS芹沢
小田桐たちは、屋上から3階下の55階のフロアまで降りる間に、膨大な時間と神経、それに犠牲を払うことを強いられた。
ビルの尖がった先端は狭いフロアとはいえ、積み上げられた資材に視界を遮られてライトは意味がない。
可視範囲は自分達の足元だけと言っていい。
何処に何が仕掛けられているのか分からない、まるでジャングルでの戦争のようだ。
神経がすり減っていくのが実感できる気がする。
屋上から階段室へ入った時点で、隊員の中から最初の犠牲者が出た。
足元の配線に引っ掛かると自動で弓矢が放たれる仕組みの単純なブービートラップだったが、先頭を切った隊員が、いとも容易くその白刃に係り、短い悲鳴と共に命を落としてしまった。
想像も及ばないようなトラップに、フロアを一つ降りる毎に2,3人の隊員が尊い命の灯火を消すか、重傷を負わされることになった。
敵の気配が全く無い中、小田桐を含めて11人居た隊員は、このとき既に4人にまで減っていた。
小田桐たちは砂を噛むような想いのまま、重傷者の応急手当と気力の限界で55階に足止めされていた。
「小田桐だ、応援を頼む!トラップだ!敵は傭兵の可能性がある!負傷者も居る!大至急保護してくれ」
「了解、すぐに向かいます」
無線機からノイズ交じりの声が答える。
「君達はここに残れ。応援が来たら負傷者と一緒に地上へ降りろ。ここから先は私独りで行く」
「待って下さい、一人ではとても・・」
「これはもはや戦争だ。後は本職に任せて、君達は撤退しろ。私は遣り残した仕事を終わらせてくる。君達の武運を祈る」
小田桐は懐中電灯を握り締めると腰を上げ、闇の中へと姿を消して行った。
隊員達は小田桐の姿が見えなくなっても、暫くの間敬礼していた。
暗闇の中を慎重に、足を擦るように進めて54階に降りると、辺りの空気が変わったのが解かった。
上の階と同じ暗闇が包む中、生き物の気配がフロア中に溢れている。
足音を忍ばせて、ゆっくりと闇の中へ進む。
8基のエレベーターが両側に並ぶ広いホールを抜け、さらに奥へと通路を行くと、壁の仕上げは途中で切れてその先は下地の骨材が鈍い光を放っていた。
窓ガラスからの光の中に照らされて部屋の中は薄っすら明るく部材や工具がこざっぱりと片付けられているのが分かる。
小田桐は周囲を警戒して、構えた拳銃を左右に振りながら奥へと進んだ。
廻りに気配が無いことを確認しつつ息を殺して足を進める。
ドアが未だはめ込まれていない部屋に足音も立てずに入った。
小田桐の身長よりも高く積み上げられた資材に背中を押し付けて、呼吸を抑え自分以外の気配を探した。
「・・・」
服の擦れる音が大きく聞こえる程静まり返った部屋の中は、時折吹き付ける横殴りの風の甲高い音だけが聞こえてくる。
このフロアに降りた時、重要な何かが此処にあると直感した。
しかし誰もいない。
溜めていた息を大きく吐き出し、踵を返そうとしたまさにその時。
「黙って観ていれば良いものを・・」
突然の声に、小田桐は握り締めた拳銃を振りかざした。
「無駄ですよ。僕らにそんなものは子供のおもちゃ程も効かない」
パイプシャフトの脇の暗闇から聞き覚えのある声が呆れ半分に言った。
暗闇に半身が溶け込んだような芹沢の姿が見える。
小田桐はそれを鬼の形相で睨みつけた。
「お前らは一体何者なんだ?」
「・・・ふふ」
鼻を鳴らす蔑んだ笑い方だった。
「あなたはもう少し賢い方かと思ってましたが、やはりそうではないですね」
言いながらゆっくりと近付いてくる。
「世界の人口は増え過ぎました」
「あん?」
「生きてても意味の無い輩が増え過ぎましたよ」
「お前が選別出来る立場ではないだろ」
「成熟した社会ではセーフティーネットが整い過ぎて、殆どの人間は困難に対して無気力だ。誰かがやってくれる、いつかは何とかなる、としか考えない烏合の衆と成り果てた」
「何を言ってるんだ?」
「誰かがやらなくてはいけないんですよ。過剰生産のツケは必ず廻ってくる。自然破壊がその良い例だ。人間は最早、次のステップに進むべきなのです」
声と共に暗闇の中から、鎧兜に身を包んだ芹沢がゆっくりと出てきた。
重い甲冑の擦れる音が動くたびに響き、青白く発光している日本刀を右手にだらりと下げて、一歩ずつ歩み寄ってくる。
小田桐も構えた銃を下げる気は無かった。
「何も考えない人間を、管理、統治する絶対的な立場の者が必要になるのです。
僕らは新たな自然界のピラミッドにおいて、人間の一つ上に君臨する種族になる。
永遠の命と最強の力を手に入れてね。
あなたをきちんと管理してあげますよ。無論、我々に従えばの話だがね」
「貴様が消えろ」
言うが早いか小田桐は引き金を引いた。
続けざまに3発、全ての弾丸が芹沢の体に突き刺る。
しかし、芹沢は姿勢を変えない。
「理解できないのかね。無駄だと言ってるのに」
刀を頭上に大きく構え、左手を突き出した格好で近づいてくる芹沢が窓からの明かりに照らし出さる。
まるで歌舞伎の一場面だ。
小田桐は息を止めてその姿を凝視した。
鎧の心臓の辺りに2つ、兜にも1つ、直径1センチほどの穴が確かに開いている。
が、倒れないどころか流血すらしていない。
「・・何なんだ?」
小田桐の咽喉を、急速に溜まった唾液が音を立てて落ちた。
その驚いた顔を見ると芹沢は立ち止まり、兜を脱ぎ捨てて髪の毛を掻揚げると高笑いした。
「ははは、見せてあげるよ。新しい僕らの姿をね」
額の穴は見る間に小さくなり消えていく。
「浅はかで虚しいだけですよ、人間なんて」
小田桐は息を呑むとまた2回、引き金を引いた。
一つは刀を折ったが、一つは芹沢の体を掠めて後ろの壁で火花を散らした。
「お仕舞いです」
芹沢はせせら笑っている。
「お前に拳銃など必要ない」
小田桐は睨みつけた。
「その意気込みは、ただ消すには惜しいですね。我々の真意を少しでも理解してくれれば・・最後は自分だけがあれば良いということを」
「見解の相違だ。これ以上の議論は必要ない」
「まぁ、その意見には賛同しますよ」
小田桐は素早く警棒を取り出すと、芹沢の首を狙って振り抜いた。
が、芹沢はその動きを見透かしていたように芹沢は瞬間的に視界から消えた。
あなたを殺すことに、なんの躊躇いも感じないよ。
小田桐の頭の中に響く声は、間違いなく芹沢のものだ、しかし姿は見えない。
「そうか。お前もそうだったのか。園茨君から話は聞いたよ。生命波だかなんだか知らないが、ただの使い捨ての兵隊なんだろ。やはりと言うか、哀れと言うか」
言い終わるや否や、小田桐の首に芹沢の指が巻きついていた。
ものすごい力で、数メートル離れているエレベーターシャフトの壁に投げ飛ばされ、叩きつけられた。
まるで車にはねられた様な衝撃に、小田桐は意識が少し遠のいた。
全身の感覚が鈍い中、芹沢がゆっくりと近付いてくるのが見えた。
芹沢は小田桐の襟首を掴むと、軽々とその体を持ち上げて壁に押し付けた。
首の骨が嫌な音を立てて軋み、じりじりと足が床から離れる。
「ふん、園茨には失望させられたよ。何をトチ狂ったのか、我々と敵対する道を選ぶとはね」
芹沢は小田桐を壁に固定したまま、折れた刀を目の前にかざした。
「間も無く、新しい人種が誕生する。解かるか?この僕のことだよ。あなたたちのような中途半端な力を使うものたちは淘汰されるのだ。今後は我々が世界の主だ」
「・・・」
小田桐は意識が霞んでいくのを感じながらも、刀を握る芹沢の手を掴み、体から引き離そうと筋をこわばらせた。
「ご家族が待っていますよ」
その言葉に、小田桐の閉じかけていた眼が見開かれた。
「政子、慶介・・」
2人の顔が小田桐の脳裏にフラッシュバックする。
「まだだ!まだ逝けない!」
語勢と共に、小田桐は体をバネのように躍らせて、芹沢を両足で蹴り飛ばした。
まさかの反撃に、不意を突かれた芹沢の巨体が弾き飛ばされる。
重い体が床を数回転がって倒れ込む。
流石と言うべきか、すぐに立ち上がって脇差を抜くと、それを小田桐に向けた。
しかし驚いたのは芹沢だった。
小田桐が目の前に迫っていた。
「おぉぉぉぉぉぉおぉぉ」
間髪入れずに、ラグビーのタックルさながら、芹沢に全体重を掛けて突進した。
両手を芹沢の脇腹に回し、自分よりも体格の良いその体を、勢いだけで浮き上がらかせた。
「何・・を?」
芹沢は唖然として目を丸くした。
そのまま勢いを殺さず、窓ガラスに向かって突進し続ける。
ガラスが急速に近付き、薄っすらと自分の顔と、芹沢の鎧の背中が映り込む。
敵は討つ。
もはや執念だけが小田桐を突き動かしていた。
「お前だけは!」吐血しながら叫んだ。
その直後、背中に熱い刺激が走り、体が意に反して勢いを無くした。
窓まで後1mも無いその場所で、小田桐は芹沢を抱えたまま、床の水たまりの中に倒れ込んだ。
背中の真ん中辺りが猛烈に熱い、膝から下の感覚が痺れながら無くなっていく。
「だから馬鹿だと言ったんですよ」
芹沢のせせら笑う声が聞こえた。
小田桐は体に力が入らない。
芹沢は難無くその腕の中を抜け、緩やかな動作で立ち上がると、手についた水滴を払い、蔑んだ視線を小田桐の背中に落とした。
「さよなら、課長さん」
半笑いの言葉の後に、弾ける音が続いた。
辺りがフラッシュのように数回瞬き、衝撃の直後、背中の感覚がなくなった。
起き上がろうと張っていた小田桐の肘がガクンと崩れる。
すぐ横の水溜りに何かが落とされた。
芹沢が硝煙の立ち上がる拳銃を捨てたのだった。
目の前の風景が黒ずんで、体はもう、言うことを聞かない。
唇を噛み締めた。
「政子・・慶介・・俺は・・」
床に吸い込まれるように倒れる小田桐は頬に水の冷たさを感じた。
すりと、口元が自然に緩んだ。
「ははぁ・・」
溜息のような笑いが、血と一緒に口から漏れる。
眉間にシワを寄せて顔中をゆがめながら唇をかみ締め、最後の力を振り絞って仰向けになった。
感覚のない足が歪に絡んでいるその向こうに、芹沢が高笑いしながら歩いていくのが見える。
「これが、さよならだ」
その背中を睨みながら、小田桐は震える手で、胸元からスタンガンを取り出した。
床に広がる水溜りに放電帯を押し当てる。
この水は二度目の発砲で、小田桐が芹沢を撃つフリをしてパイプシャフトの給水管を撃ち抜いて意図的に作った水溜りだった。
「嫌な奴だが、一緒に逝こうじゃないか」
芹沢はふと足を止めた。
小田桐は不適な笑みを浮かべて睨みつけ、スタンガンのスイッチを押した。
想いを込めた一撃だった、そして体が言うことをきいたのはそれが最後だった。
振り向いた芹沢の顔が、恐怖と怒りから悪魔のような形相になった。
「貴様ぁ」
床全体がはじけるような音と共に青白く輝き、小田桐は眼を細めた。
芹沢の足元まで広がった水は、スタンガンの電流を全て芹沢の体内へと伝え流した。
息を呑むような悲鳴にならない悲鳴を上げて、鎧の背中が小刻みに震え出した。
と思うと、背筋が必要以上に反り返り顔が天井を仰いだ。
「ぐ・・くぁああああ」
芹沢の断末魔の声が響く。
見開かれた目は見る間に赤く染まり、血の涙を流しながら口から白い泡を吹き出し、膝から崩れてうつ伏せに倒れた。
小田桐はその光景を確認すると、ゆっくりと息を吐き出して眼を閉じた。
「終わりだ・・」
薄く開いた唇から洩れる。
そして、そのまま二度と動く事は無くなった。
床に広がる水に小さな放電が数回、ジリッと流れて消えていった。
後には、窓からの光を薄っすらと反射して、揺らめく模様を天井に作っていた。
倒れた芹沢の向こうで小さな影が動いた。
それは芹沢の脇を抜け、小走りに小田桐のそばに近付いて傍らにしゃがみこんだ。
「・・・」
眼を閉じたままの小田桐の顔を覗き込む。
「後もう少し早ければ、ごめんなさい、刑事さん」
彩香は半べそを掻きながらそう言って、小田桐の手に握られていた拳銃をそっと取った。
「関係ないあなたまで巻き込んでしまった。本当にごめんなさい。これ借ります、全部終わらせますから」
彩香は立ち上がり左手で涙を拭うと、踵を返して階段へと走った。