Abend 第6幕
ブラックハート
彩香は乱暴に腕をつかまれると、車から引きずり降ろされた。
地下駐車場の中には同じような黒いセダンが次々と雪崩れ込み、ぶつからんばかりに停車する。
ドアが開くと黒装束に身を包んだ人が何十人と降りてきて、皆一様に階段へ向かった。
何かに追い立てられているように足早に、聞いたこともない言葉を叫びながら彼らは何かの作業をしている。
「来るんだ」
彩香は両脇を柳と芹沢に挟まれ無理やり歩かされた。
階段への途中で、鎧を載せた数台の台車や、大きなジュラルミンケースをいくつも運ぶ人達とすれ違った。
皆同じような灰色の、足元までがすっぽり入る何処かの民族衣装にも似た服を着ている。
頭には同じ素材の布を巻きつけているので顔がよく見えないが、唇は紫色で頬は灰色っぽく見えた。
「何なのここは!?」
彩香は異様な雰囲気に息を呑んだ。
「諸外国ではPMCと呼ぶ。(P)プライベート、(M)ミリタリー、(C)カンパニー。
民間の軍隊だ。
我々は通常のそれとは一線を画すがね。
日本では民間人が銃器を持つことは原則禁止されているので、銃の装備は無い。
我々の武器は、殺傷能力は高いが法には触れないものばかりだ。
まぁ、今更法律など関係ないがな」
芹沢が自慢たらしい顔で説明しながら彩香を引っ張っる。
何十人もの灰色の人が慌ただしく動き回る廊下を進んでいくと、行く先に少し広い空間が現れた。
天井までの背の高い扉が正面に見える。
貨物用のエレベーターのような大きなものだが、その造りは周りの壁などと違って、随分頑丈に作られていた。
建設の事など全く知らない中学生の彩香にも分かるほど仰々しい造りだ。
柳と芹沢、それに挟まれた彩香の三人がレベーターに近づくと、そばにいた警備員らしき者がボタンを押し、扉が開かれた。
柳たちは当然のように乗り込む。
すれ違い様、警備員は柳に鞄サイズのジュラルミンケースを手渡した。
外の黒い色彩とは打って変わって、真っ白な壁は眼が痛くなる程まぶしく見える。
そこには三人が乗り込んだだけで他には誰も乗ってこない。
ドアがゆっくり閉まると、柳はパネルの上層階のボタンを押した。
モーターの回る音が、僅かな振動と一緒に響いて、体がにわかに重くなった。
ものすごい速さで上昇しているのが分かる。
「あなた達は警官じゃないのね、一体何なの?」
2人は無言で顔を見合わせると、柳が小さく頷いた。
「ブラックハート、我々の組織の名だ」
芹沢が階を表示しているパネルを見ながら答えた。
「ブラックハート・・」
彩香は交互に2人の顔を見比べた。
「落ち着けとは言わないが、此処まで来たんだ、諦めたまえ」
芹沢が正面を見たまま無感情な声で言う。
「私もこの方が、都合がいいのよね」
とは口に出来ず、彩香は大きな眼で芹沢を睨んだ。
が、残念なことに迫力は全くない。
柳はしゃがみ込んでジュラルミンケースを開けた。
中には白い生地が折畳まれて入っている。
絹だろうか、とても高価なものに見えたが、柳はそれを徐に掴んで持ち上げると彩香を見上げた。
「特性の生地で作ってある、お前の儀式用の着物だ。日本円にして約8000万円、高価な品だ」
「そんなもの絶対に着ないから!」
彩香は断固拒否した。
「そうか・・じゃあ捨ててしまおう」
余りにあっさりと、柳は断念して壁際に無造作に投げ捨てた。
むしろ、その答えを待っていたかの様でも有る。
ケースの中、生地の下からはクッションで模られた型にピタリと収まるガラス瓶と、変形した注射器が入っていた。
ガラス瓶には青白く鈍い光を放つ透明な液体が入っている。
彩香は嫌な予感に眼を逸らした。
「流石に鋭いな、この娘は。これがなんだか判ったらしい」
「まぁこの状況でこれを見て、何も感じない訳が無いがな。クックック」
芹沢の笑い声を初めて聞いたが、とても奇妙な響きだった。
「だが予定変更だ。これは別の使い方をする」
パネルが52階を表示すると、芹沢はパネルの非常ボタンを押してエレベーターを急停止させた。
彩香は思わずバランスを崩して尻餅をついた。
すぐに扉が開いて、目の前に黒い床が広がる。
冷たい風が通り過ぎていく中、燭台のような照明器具によって照らし出されたフロアには灰色のコートが数人、何かの機械を設置している。
「さぁ、こっちだ」
先程と同じように2人は彩香の両腕を掴むと、持ち上げるようにしてエレベーターから出た。
工事が途中のそこで彼らがしている作業は建物の完成に向けた工事ではなく、何か別の目的のものを設置しているのが雰囲気で分かった。
右脇の柳がその中の一人に呼ばれて、彩香の腕から一瞬力を抜いた。
その瞬間を逃さなかった。
捕まっていた右腕を素早く抜き去り、体を捻るように反転させて芹沢と背中合わせになる。
慌てた柳が手を伸ばすが、芹沢の腕を軸に、回転するようにその下を掻い潜り、その勢いで芹沢の高い腰位置に強烈な膝蹴りを入れた。
芹沢は呻き声を上げて蹲り、掴んでいた彩香の腕を放した。
「悪あがきを!」
柳の声が聞こえるが早いか、彩香は身を屈めたまま走り出した、機材の脇に滑り込み体を隠すと、阿弥陀くじのような進路で、追ってくる柳の視界から逃げた。
「捕まえろ!下へ逃がすな」
芹沢が涎を拭きながら立ち上がり叫んだ。
光に照らされないように、柱や梁の影の中を、腰を落としたまま素早く移動していく。
フロアの角にある非常階段のドアの前で振り返る。
「下へなんか行かないよ」
そう言って舌を出して、ドアノブに手を掛ける。
表情が固まった。
ノブが全く動かない。
鍵が掛かっているのだ。
「工事中なのに何で・・不便でしょうに」
振り返ると、懐中電灯の光が数本、あちこち照らしながら近づいてくる。
瞬時に落ち着きをなくして眼が左右に踊る。
「どうしよう、他に出口は・・!」
資材が積み上げらているのを見上げていくと、天井に点検孔が四角く縁取られているのが見えた。
「はっはぁん」
彩香は不敵に微笑んだ。