Abend 第4幕
追跡
「ねぇここはマズイんじゃない?警察って」
「・・・」
「こんな時間だし、中澤だってもう帰ってるよ・・・多分」
「まだ出てきてないでしょ!もう少しだけ付き合ってよ」
寒さに耐え切れなくなりブツブツ言う二人をエミリは睨みつけた。
本気で怒った公彦を追いかけてここに来たのはもう数時間前。
公彦は怖気づく様子もなく警察署内へ入っていったが、エミリは通報した後ろめたさもあって署の出入り口前を行ったり来たりしていたが、時間を持て余し取り巻きを呼んだのだった。
道路の反対側のコンビニで暖を取ったり、辺りをウロウロしているうちに時計の針は深夜に近くなっていた。
三人は警察署の道路脇に有る電光掲示板の前で寄り添っていた。
ちょっとした猿山のようでもある。
突然、怪獣の悲鳴のような音が響く。
「きゃぁ」
「なに?!」
三人そろって顔を上げると、黒いセダンがタイヤを軋ませながら、猛スピードで警察署から飛び出して来る。
リアタイヤを滑らせながら通りに出ると、一層エンジンを唸らせ物凄い加速をして行く。
エミリは唖然とそれを眼で追った。
「あれ今の、一倉じゃない?」
いつもエミリの左にいる田村静香が眉間にしわを寄せて、遠ざかる車を見ながらボソッと言った。
「見えたの?」
「多分だけど、後ろの席にいた様に見えたんだけど」
エミリは自分がしたことで、何かとんでもないことが始まってしまったような気がして背筋に冷たいものが走った。
すると背後から再びエンジン音が響いた。
今度は少し軽く甲高いエキゾーストを響かせて黒いバイクが疾走して来る。
シートにまたがっている体は少し華奢で、黒いツナギはバイクが大きく見える程細い体付きだ。
3人組の居る歩道の脇を通り抜けるまさにその瞬間、エミリはいきなり両手を広げてバイクの前に立ちはだかった。
慌てたバイクが急ブレーキをかけ、タイヤは激しいスキール音を立て止まった。
「危ねーな!何考えてんだ!」
黒いヘルメットの中から叫んだ声は公彦だ。
エミリはヘルメットの奥の瞳を睨み付ける。
建物の玄関で立哨していた警官が、ただならぬ音に気付いて駆け寄ってきた。
取り巻きの二人はあわや轢かれる所だったエミリの行動が理解できず、腰を抜かしそうなほど驚いていた。
エミリは無言でつかつかと歩み寄り、バイクに跨ったままの公彦の胸倉を掴んだ。
「・・・」
「悪いけど、放してくれ」
公彦は抵抗もせず静かに言った。
「・・・あんたなんか大っ嫌い!ヘルメットが無ければ殴ってやる」
「ごめんな、おれ・・」
短い溜息の後、言いながら俯く。
「何が?!もう顔も見たくないのよ!二度と私の前に出てくるな!馬鹿野郎!」
「後で、また、ちゃんと・・」
「うるさい!早く消えろ!」
エミリは公彦の声を掻き消す程の大きな声で叫んで、突き放すように掴んだ手を振り払った。
「・・ごめん」
公彦はアクセルをあおってエンジンに勢いをつけると道路へ飛び出していった。
「今のは誰だ、無線呼び出せ。君らは此処で何してるんだ?」
騒ぎ出す警官の横で俯いていたエミリは、バイクの音が小さくなっていくとそれまで我慢していた感情を爆発させた。
「中澤のバカぁ!」
ぐちゃぐちゃになった顔を隠すことも無く、涙も鼻水もそのままに大声を上げて泣き出した。
周囲を全く気にしない、子供のような泣き方だった。
取り巻きの2人はびっくりして顔を合わせた。が、すぐにエミリの肩を両脇から抱きしめた。
「しょうがないよ、エミリ」
「良く我慢したね、偉いよ」
2人の言葉に、エミリはさらに大きな声で泣いた。
その脇を数台のパトカーが、サイレンを鳴らして走り抜けて行く。
その一台は浅野がハンドルを握り、その助手席には表情の変わった小田桐を乗せていた。
車通りの激しい幹線道路を公彦のバイクが疾走して行く。
数台前を走る黒いセダンを追いかけて、アクセルスロットルを絞り込みスピードを上げる。
「坊や、聞こえるか?聞こえたら返事をしろ」
突然、公彦のヘルメットの無線から、小田桐の声が聞こえた。
「坊やじゃない!俺は・・」
「名前なんかどうでもいい。お前が乗っているのは県警交通機動隊の新型黒バイだ。本来なら窃盗罪と公務執行妨害その他いろいろで逮捕になる」
「わかってる!けど・・」
「いいから聞け、アクセルの近くに黄色いボタンがあるが絶対に押すな、回転灯のスイッチで緊急走行するときにしか使えないのもだ」
「課長、何を言ってるんですか?」
浅野はハンドルを握ったままニヤリとした。
はるか前を行く黒いバイクの回転等が回りサイレンが鳴り始め、周りを走っている一般車両が道をあけるのが遠くに見える。
「呑み込みが早い」
小田桐はそう呟いてからまた無線マイクを握りしめる。
「奴等の車が見えるか?」
「見えます」
黒いセダンは高速道路への入り口スロープを登って行く。
「お前のバイクについているGPSは確認できるが、やつらは切っていて追跡が出来ない」
「・・・」
公彦も高速道路へとバイクを傾け、ギアを一つ上げる。
「お前が逃げ切られたら終わりだ。彼女にはもう会えないと思え」
「・・・」
バイクはゲートを通過して加速を続けながら、高速道路本線へと飛び込んでいく。
「我々もすぐに追いつく。それまでは死んでも見逃がすな」
「了解!」
公彦はさらにアクセルを煽った。
大型トラックの2台先に、黒いセダンのテールランプが見えた。
小田桐は車載の小型モニターに公彦のバイクを表示させる。と、高速を走っている印が出てきた。
「浅野君、6号線だ。一番近いランプから入ってくれ」
「分かりました」
浅野はアクセルを踏み込み、高速道路へとハンドルを切った。
小田桐たちを追いかける後続のパトカーは合計七台、しかし数十秒の遅れて続いた。
公彦はセダンのテールランプだけを見ていた。
今まで体感したことも無いスピードも怖いとは思わない。
ただ彩香を取り返す、それしか頭に無かった。
トラックや一般車の間を、左右にロールしながら縫うように走り、セダンとの距離を縮めていく。
あと1台、数百メートルの位置まで近づいた。
それまでは特に慌てた感じもなく走っていたセダンが急に加速した。
明らかにエンジン音が甲高くなる。
気付かれたのだ。
回転灯を回しているのだから無理も無い。
公彦は負けじと体をタンクに被せて、アクセルをさらに絞った。
セダンも他の車を抜きながら加速していくが、特殊車両のバイクの方がスピードは上だ。
後は公彦の度胸次第。
ジリジリとスピードを上げるバイクは、セダンの斜め後ろに付けた。
窓から中を覗き込むと、座席の真ん中に俯いた彩香が見て取れる。
「一倉ぁ!」
ヘルメットの中から大声で叫ぶ。
彩香の代わりに柳が顔を向けた。
冷たい眼でジッと公彦を見たかと思うと不適に笑い、何かしゃべったのか口元が動くのが見えた。
するとセダンは、バイクに車体をぶつけんばかりに車体を寄せてきた。
公彦は慌ててブレーキレバーを握り閉める。
セダンが急速に離れる。
瞬間、三車体分ぐらい置いていかれた。
「このやろ!」
再びアクセルスロットルを開けるが、一度離れたセダンとの距離は中々縮まらない。
車間そのまま、2台はトンネルへ滑り込んだ。
壁の照明が点滅しながらシールドの上を流れる。
緩やかな右カーブでセダンのランプが強く光った。
「負けるかよ!」
公彦は歯を食いしばって全体重を右に寄せ、スピードの乗るバイクを力任せに倒し込んで強引にコーナーを曲がらせた。
再び手の届く距離まで詰める。
セダンの窓が開いて柳の手からポロリと、何かが二つ三つ落とされた。
が、後ろを走る公彦にそれは弾丸のように向かって飛んで来た。
一つはヘルメットに当たり割れるような大きな音と衝撃に首がはじかれた。
「うわ!なんだ?!」
腹にも一つ、突き刺さるような激しい痛みが走る。
抑えた手に何かが包まれる。
ボルトのナットだ。
この速度では弾丸のような破壊力があるようだ。
「そんなもので!」
公彦は気合を入れなおしてアクセルスロットを絞り込む。
目の前にトンネルの出口が迫る。
天井に着いた青白いライトが途切れて黒い背景の中にオレンジの光が行く先を縁取るのが見える。
出口を抜けた瞬間、爆音が響き、サーチライトがセダンと公彦を照らし出した。
頭上にヘリが追い付いてきていた。
「無理はするな、位置は確認できた、下がれ!」
ほぼ同時に無線機からの小田桐の声が言った。
「此処で下がれるかよ!」
公彦はバイクをセダンに近づけて、思いっきりドアを蹴飛ばした。
柳は驚いた顔をしたが、不敵に口を曲げると窓を開けた。
「一倉を返せ!」
腹の底から叫んだ。
聞こえたのかどうか、窓からヌッと棒が突き出される。
鞘を付けたままの日本刀だと分かるまでに数秒かかった。
バイクを突付くように振り回すが、公彦の絶妙なハンドリングに空を切る。
すると焦れたのか、何かを振り払うようにブンブンと振り回した。
公彦は眼を疑った。
あまりにも幼稚な動きだと思った。
ポロリと鞘が外れる。
柳の手元には柄の部分だけが残っているのが見える。
「なんだそれ?意外に焦ってんのか?」
鞘がゆっくり路面に落ちる。
間抜けな光景だと口元が緩んだが、次の瞬間背中に冷たい電気が走った。
落ちた鞘が路面に弾んで、カンと甲高い音をさせたかと思うと、公彦目掛けて回転しながら飛んできた。
ヤバいッ!
思うが早いかヘルメットの下、露出した首の部分に鞭のように撓りながらぶつかってきた。
衝撃と、それを上回る驚きで体制が崩れ、体がバイクから引き離される。
無人のバイクが斜めになって路面を滑り込んでいくのが見える。
公彦は背中から路面に叩きつけられた。
ゴロゴロと回る体が止まらない。
公彦は路面を転がりながらもセダンが遠くなっていくのを睨みつけた。
くっそぉ!あと少しだったのに!
アスファルトの上を、火花を散らしながら滑る公彦は、道路脇の防音壁にキャッチされるようにして止まった。
セダンのテールランプが遠ざかっていく。
仰向けに寝転んだまま星の無い空を見ていると、無線から雑音と一緒に小田桐の声が聞こえてきた。
「おい、ボウヤ、生きてるか?すぐに救急車が拾ってやるから、しばらくそのまま寝てろ」
けたたましくサイレンを鳴らすパトカーが3台、寝転ぶ公彦の横を猛スピードで通り過ぎていった。
「一倉が・・」
「大丈夫だ、やつらは視界に捉えてる。後は任せろ」
雑音の中、途切れながらも聞こえた声に公彦はため息をついた。
手足を動かしてみる。
全身しびれるような痛みが走るが足の指までちゃんと動かせる。
防音壁にしがみつく様に寄りかかりながら立ち上がると、震える手でヘルメットを脱ぎその場に叩きつけた。
「畜生!」
サイレンが遠くなっていくのを聞きながら、その場に立ち尽くしていると、後ろから来たツーリングスタイルの大型バイクが、公彦のすぐ横に停車した。
「はっはぁ!派手にやったな」
跨ったままゴーグルを上げると、向こう側で煙を上げて大破している黒バイを冷やかすように見た。
その顔は何度か見かけた事のあるハーフコートのあの男だった。
「乗れよ、姫君のところまで送ってやる」
「はぁ?」
レイジは悪戯っぽく方眉を上げた。