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夜宴の章 第一話

キャリア警察官

15:20 


公彦は憂鬱だった。


帰りのホームルームの最中、できることなら逃げ出したかった。


「起立!」


そんな思いを知らない日直の声は、容赦なく一日を終わらせていく。


皆がガタガタと席を立つ中、最後まで座っていた。


「礼!」


「さようなら」


「はい、さようなら」


さようなら、楽しかった俺の少年の日々。


うな垂れたまま諦めにも似た覚悟を決めた。


「中澤は一緒に来てくれ」


最後の礼が済むと、担任の高田先生が言った。


その瞬間、背後から猛烈な勢いで恨めしい視線を感じたのは多分気のせいじゃない。


助かった。


まるで天から垂らされた金色に輝く一本の細い糸。


「はい、ただいま!」


エミリを回避できたことにすっかり安心しきっていた俺は先生の話をまるで聞いていなかった。


ふと気が付くと、また校長室の前にいた。


「またですか?」


「うん、今日はまた違う刑事さんだ」


そう言った先生の声は少し上擦っているように聞こえた。


静かにドアを開けるとスーツを着た男が2人。居た。


この前とは雰囲気の全く違うその男達は、紹介され無くても刑事だと分かる独特の雰囲気を持っていた。


刑事?いや違う、正確に言えば公彦が今まで会ったことのある「大人」に属する人たちの雰囲気、先生や親、道行く人たちの纏っているそれとはまるで違う。


今までに見たことのないオーラ。


スーツにはシワ一つ無く、襟はプラスチックで作られているように型崩れがない。


眼鏡をかけている男の方は眼光が鋭く、一般人のそれとは一線を画す特別なプレッシャーを持っている。


2人は公彦を見ても眉一つ動かさない。


この前とは違って校長室の中は張り詰めた空気で満たされている。


緊張した面持ちでソファに座ろうとすると、眼鏡の男がそれを止めた。


「すぐ済ませるから、簡単に答えてください」


「君はこの前の一倉家の事件で、犯人若しくは犯人らしき者を見ましたか?」


2人が交互に、まるであらかじめ決まっている台詞を読み上げる機械のように口を開いた。


「見てはいません。煙がすごくて、それどころじゃ・・」


「簡単に答えればいい、一倉彩香とはどんな関係だ?」


「・・クラスメイトです、ただの」


「夕べ連絡は?」


公彦はドキッとして、頬の筋肉が一瞬固まった。


「・・してません」


眼鏡の奥の鋭い眼光が公彦の目を見据える。


何か言い訳すると余計に怪しくなりそうで、呼吸するのが苦しくなりながらも口を硬く結んだ。


2人は顔を見合わせて頷くと立ち上がり、先生に軽く頭を下げて公彦に歩み寄った。


「協力ありがとう。家まで送ろうか?」


親切な言葉とは裏腹に、そう言った男の眼は冷たく蔑む様に公彦を見ている。


口を開いても声にならない空気が出入りするだけで、公彦は緊張した表情のまま首を振った。


その刹那、下田たちと一戦を交えた公園で出会った男の言葉が蘇る。


この人達と一緒にいてはいけない。


言葉にならない感覚がそう思った。


「我々は警察だよ、警戒しなくても大丈夫だ」


「いえ、大丈夫です。友達を待たせているので」


刑事達はまた顔を見合わせると、柳は仕方ないという顔をした。


「世間では色々と偏見の眼もあるようだが、考えても見たまえ。人は皆自由だの平等だのと言う。それ自体は当然の権利だがしかし、皆がそれぞれ好きなことを好きなだけ行動したらどうなると思う?」


公彦は無言で刑事を見上げる。


「皆が皆、自己制御できるわけではない。人間は欲望に溺れ易く、そして易きに流れやすい。誰かが抑制しなくてはならないのだよ。皆が自由を謳歌する為にはそれを管理する絶対的な抑止力が必要なのだ。我々はそれを自ら買って出た、そういう立場だ」


口元だけが笑う刑事達の顔を見て、公彦はぞっとした。


「もういいなら、失礼します」


言うが早いか、公彦は刑事達に背を向けて、校長室から足早に立ち去った。


振り返らず教室へと小走りに急ぐ。


胸の奥の嫌な予感が消えない。


廊下の角を曲がる時、校長室のドアが開き、誰かが出てきた音が聞こえた。


直後、2人分の足音が付いて来るのが分かった。


公彦は階段を駆け上がり、教室へ走った。


さっきとは逆に、祈るように教室の戸を開けると、公彦の席の前にエミリが立っているのが見えた。


公彦は大きく息を吐き出した。


「待たせたな、行こうか」


息を切らせながら、机に掛けてあった鞄を肩にかけると、早歩きで玄関へ向かった。


エミリは何も言わず、一歩後ろを付いて歩く。


靴を履き替えていると、下駄箱の陰に気配を感じた。


視線を感じたのか、エミリは立ち止まってそちらに目をやった。


「どうした?」


公彦はワザと聞いた。


「うん?なんでもない」


「遅くなったから、早く行こう。今日は自転車が無いんだ」


早くこの場を離れたかった。


靴を履きながら歩き出してエミリを急かした。


「ちょっと待って」


エミリは少し戸惑ったように小走りについてくる。


2人の足音が離れていくと、芹沢が眼鏡の位置を直しながら下駄箱の角から顔を覗かせた。


「すみません。勘違いだったようです」


「・・・」


「やはり、あんなに若くは無いのですかね?」


壁に背中を預けて腕組みをしている柳に、言葉を詰まらせながら尋ねた。


「どうかな、違ったとしても、遠くは無い。監視は継続だ」




下校していく他の生徒達に紛れるように校門を出て行く公彦とエミリを確認すると、刑事たちは職員用の玄関から駐車場へ闊歩した。


歩き方はまさに機械のようだ。


鏡のように磨きこまれた黒い車は、駐車場の中で異質な輝きを放っている。


柳は助手席へ、芹沢は運転席へ乗り込み校門を出た。


磨きこまれた車体が流れる街の風景を映す。


道路には夕方のラッシュの気配が、そこ此処の交差点で始まっていた。


芹沢と柳は人形のように前を見たままだった。


「やはり戻っていなかったか?」


後部座席からの声が言った。


「はい、友人とも連絡を取っていないようでした。ですが、少し気になるところが」


柳は前を見たまま、口だけを動かして答える。


「何だ?」


シートに深く座る男の重苦しい声は、威嚇するように言った。


「素材として、いいものを持った少年がいました。こちらに取り込めないものかと」


「これが終わったら好きにしたまえ、だが終わるまでは一切気を抜くことを許さない」


「承知しております。申し訳ありません、任務に集中します」


柳の声が強張る。


「検視官はどうなった?」


「所轄の刑事が同席していたので、事なきを得ました」


替わって芹沢が答える。


「そうか」


男は膝の上に置いていた帽子を被り、窓の外に眼を向けた。


なにやら感慨深いものに浸っているようにも見える。


静かに眼を閉じて口を動かした。


「いよいよだ、諸君」


男の言葉に、柳と芹沢の表情が硬くなった。


「・・いよいよ、ですか」


芹沢の表情は、硬い中にも口元が緩んだ。


柳は眉を開く。


「メンバー達に連絡しろ、アーベントを始める」


そう言うと、帽子の円形のつばがゆっくり俯いた。


柳は携帯電話を胸のポケットから取り出し、芹沢は車線を強引に変えて行く先を変更した。


「柳だ、アーベントだ。そうだ、今からだ、全員に通達しろ」




公彦が肩にかけた鞄のベルトを握り締めて歩き続ける横を、エミリは俯き加減に、少し曇った顔をして並んで歩いた。


駅に続く道程、学校を出てから公彦はずっと無言だった。


エミリも何も話さない、いや公彦の顔色を見て、話しかけられなかった。


同じ無言でも彩香のときとは内容が違う。


エミリの眼はチラチラと落ち着き無く動いて、公彦を覗き見る。


夕日に照らされた前髪がオレンジに輝き、高い鼻の影と調和して、あどけなさの残る顔の中にもダンディズムを醸し出している。


エミリはその横顔に陶酔した。


突然、公彦は立ち止まると後ろを振り返った。


誰も居ないのを確認すると、真直ぐな瞳で見つめる。


エミリは頬が熱くなるのを感じたが、公彦の真っ直ぐな目に視線を逸らせない。


恥ずかしさの中にも嬉しさと躊躇いが混在して、ゆっくり瞼を閉じた。


「博物館で、俺を見たって言ったよな、本当に一倉じゃないのか?」


眼をパチクリしながら公彦を見た。


「え?良く覚えていないけど、一倉じゃないよ、絶対に・・・」


公彦はジッと目を覗き込んでくる。


エミリは少し戸惑ったが、ふと訝しい探るような顔になって訊いた。


「じゃあ、ホントに中澤じゃないの?」


「あの時は、俺達2人しかいなかったんだ・・でも、もう一人、誰かいたのか?」


公彦は思い返してみた。


彩香の行動、言動、細かなしぐさを。


あの時博物館で救急車が来るまでの間、呆然としながら、何をしていたのか思い出してみる。


「あ・・」


「え?」


そういえば、一倉彩香は通路の奥をずっと見ていた。


誰も居ないはずなのに、あんなに怖がっていたのに、薄暗い通路の奥を見詰めてしばらくそこに立ちすくんで居た。


「誰かが来て・・・何かをして行った?」


「何?どういうこと?」


「・・おれ、帰るよ、わるいな」


エミリの返事を待たずに、公彦は今来た道を走って戻っていった。


学校へ戻ると、既に校門は閉まっていた。


事件を受けて部活動は全部休止になっていて、放課後は生徒が残れないようになっていた。


先生にこの前の小田桐という刑事の連絡先を聞きたかったが、その手段は絶たれてしまった。


「行くしかないか」


公彦は学校前のバス停から区役所行きのバスに乗り、区役所となりにある県警本部を目指した。


込み合うバスの中で吊革につかまりながら、一昨日の夜、小田桐に会った時のことを思い返していた。


「情報交換だ」


そう言っていた。


博物館の件は結構な手がかりになるはずだ。


ギブアンドテイクだ。


夕方の環状線は混み始めていて、区役所へはいつもより時間が掛かった。


公彦はバスを降りると脇目も振らず警察署へ駆け込んだ。


所内は意外と混んでいた。


受付にいる女性が綺麗な人だったので、話しかけるのが躊躇われたが、本題を思い出し勇気を出して近づいた。


「どうしました?」


近づく公彦が、余りにもジッと見詰めていたせいか、受付の女性の方から声をかけてきた。


「す、すみません。小田桐という、刑事さん、おられ、いらっしゃいますか?」


たどたどしい日本語で言った。


同級生には無い、エミリにも無い、大人の魅力たっぷりの笑顔がまぶしく見えた。


「小田桐ですか、少々お待ちください」


女性はそういうと受話器を手に、指先の軽い動きで電話機画面のボタンを叩き、小田桐の所在を確認した。


「申し訳ございません、小田桐はただいま外出しておりまして、折り返しこちらから、ご連絡差し上げるよう申し伝えますが、よろしいでしょうか?」


「そうですか、分かりました」


公彦は肩を落として背を向けた。


「チョト待って、ください」


女性はそう言って公彦にボードと鉛筆を差し出した。


「こちらにお名前とご連絡先を記入してください」


また輝くような笑顔で言った。


警察署の玄関を出ると、真っ黒なバイクが3台続いて駐車場に入ってきたのが見えた。


すれ違い様に車体を見ると、ハンドルの下のカウルに赤い回転等が付いていて、後輪両サイドには大きなボックスが付いている。


乗っている人の黒いつなぎの背中にはローマ字で千葉県警と書かれている。


「警察車両か・・変わったバイクだな」


公彦は暫くその場に立ち尽くし彼らの背中を眺めていたが、思い出したように方向を変えると警察署を後にした。


いつ来るかもわからない連絡を待つ間、何処へ行けば良いのか、誰に相談すれば良いのか、見当が付かない。


焦る気持ちだけが大きくなっていく。


家に帰る気にはなれず、ぼんやりと歩居ていると駅ビルにある本屋へ向かっていた。


以前、彩香と菜月の会話の中で本屋に行く話しがあったのを思い出していたのか、無意識のうちだった。


道すがらバス停は幾つもあったが、体が動いていないと落ち着かないので乗らなかった。


いろいろな思いが頭の中を巡る。


たった二日、姿が見えなくなっただけなのに、周りでとんでもない事が起こりすぎて、もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。


そんな不安にも襲われた。


しかし、ここで自分が諦めたら全てが終わってしまう。


そう思って弱る心を何とか奮い起こさせた。


ふくらはぎが張ってくる頃、ようやく駅ビルのイルミネーションが見えてきた。


駅ビルの中は年末が近いせいか普段より込み合っていた。


エスカレーターで本屋のあるフロアまで上がり店内をひと回りしてみた。


当然なのだが彩香の姿は無く、公彦は本屋の入り口に展示されている新着ビデオのデモ画面を見つめた。


新譜の紹介の間に書店のイメージソングが流れている。


店内の放送と相まってメロディーラインが分からなくなっている。


再生が終わりデモ画面が暗くなると、黒い画面に公彦の姿が鏡のように映った。


張りの無い自分の顔を見ながら公彦はハッとした、すぐ後ろに誰かが並んで立っているのが映っている。


眼を凝らしてみると長めの髪が印象的な若い男だった。


公園のときの男だと気付いて振り向くと、其処には誰もいない。


「頼むぞ、少年」


雑踏の中、確かにその声は聞こえた。


辺りを見回してもさっきの男は見当たらない。


「そうか!博物館にいたのは・・・」


人ごみをすり抜けてエスカレーターを駆け下り駅ビルの外へ走り出た。


ロータリーを囲むように造られている歩道は大勢の人で溢れていて、男の姿を特定するのは極めて難しい。


それでも公彦は男を捜して歩き出した。


「アイツだ、絶対に一倉のことを何か知っているはずだ」


ロータリーを正面に見た駅ビルのエントランスの前、まさに右も左も分からない状態だったが、感で右に足を進めた。



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